第13話 黒魔術師サヤの運命(2)

 どこからか話を聞きつけた人たちが、この国の王女をひと目見ようと詰めかけている。入り口から覗こうと、窓から覗こうと十重二十重に宿屋を取り囲む人たちを掻き分けながら入っていくと、ロビーには手を取り合い、潤んだ目で見つめ合っている恋人同士がいた。

「あらあらまあまあ」サヤがため息をつく。わたしは喉になにか詰まったような心地になる。

「でも、お嬢さんだと思っていたけど、見直したわ、大したものだわ。たった一人でモルタヴィア王城からここまで来るなんて、ユリア王女」

 ――ユリア?

「今、なんて言った?」

「いやだ、王女の名前じゃない。ユリア・アイザワ・モルタヴィア王女」

 その時、マコトと手を取り合っている王女はこちらを向いた。そして懐かしい人に出会った喜びが堪えきれないとばかりに顔をほころばせた。

 黒いストレートの髪、切れ長の目、そして本人がチャームポイントだと激しく主張している唇の斜め右下にある黒々としたほくろ。

 ――妹だよ。

 あいつ、王女に自分の名前をつけやがった!

 自分そっくりのキャラクターにしやがった!

「おい、優里亜ユリア、おまえ、よりにもよって王女に自分を」

 思わず声が出たその瞬間、ピシッと音がした。

 思わず耳を塞ぎたくなるような嫌な破裂音だ。


 その時、目の前のすべてが停止した。

 手を取り合っているマコトとユリア王女も、おれの隣でなにか喋ろうとして口を開けたサヤも、宿屋の入り口でまだ野次馬やじうまに引っかかっているダイゴも、その野次馬連中も、彼らをさばこうとしている宿屋のおかみさんも、そのままの表情と動作が凍りついたように、まるで一時停止ボタンを押したみたいに、動かない。

 当たり前のように流れている音楽がぴたっと止んで、怖いくらい無音だ。

 おれだけが、動くことができる。

 彫像のように固まった人たちの間をすり抜けて、宿屋の外に出る。

 野次馬はそれぞれ喋っている途中で、口をぽかんと開けて王女を見つめている途中で、リンゴを齧ろうと歯を剥きだしている途中で、ぴたっと止まっている。

 外に出て見ると、空が変。

 さっきまで鮮やかに晴れていた青空が、古いフィルム映像のようにおぼろげな感じに滲んでいる。例えるなら、そうだ、前に映画研で見せてもらった大昔の白黒映画。粒子が粗くて輪郭がぼやけていて、影のところが真っ暗で光のところが真っ白でその境界がぼんやりもわもわっとしていて、まさにその境界線のような……

「……お、にいちゃん?お兄ちゃんなの?」

 もわもわした砂嵐のような粒子の空の向こうから声が聞こえてくる。

 妹の声だ。

 おれは大声で叫ぶ。必死に叫ぶ。

「優里亜!聞こえているのか?おれだ、兄ちゃんだ、相沢希だ、こんな姿をしているけれど、おまえの兄ちゃんだ、頼む、信じてくれ」

「やだ、気持ち悪い、なに、これ」

「わああ、電源切るな!」

 粗い粒子の空の向こうにぼんやりと人の影が見える気がする。必死に目を凝らす。

「お願いだ、助けてくれ。おれをこのゲームから出して、元通りにしてくれ」

「嘘、信じらんない、どうして」

「頼むから電源切るな!!」

 パニックになった妹に電源切られては元も子もない。おれは一旦叫ぶのを止める。落ち着け、おれ。三回深呼吸して息を整えてできるだけ穏やかな声を出してとにかくこれまでのことを説明する。

「……信じられない、けど、お兄ちゃんだね。わかった、わかったけど、なにやってんの。どうしてそんなところにいるの?」

 そんなのわかる訳ないだろうと怒鳴りたくなる気持ちをぐっとこらえていると、すすり泣きが聞こえた。空の向こうの優里亜が泣いているようなのだ。

「お兄ちゃん、交通事故にあって、もうずっと意識がないのよ」

 頭の中が真っ白になる。いつ、おれがどこでどうして事故にあったって?

「トラックにはねられてその後の車に轢かれて、トラックの運転手なんてお兄ちゃんが信号無視したって言い張ってて」

「おれが信号無視する訳ないじゃないか」

 なんてこった畜生、ひとに意識が無いのをいいことに嘘つくなトラック、おれは車が通ってなかろうが、律義に信号を守る男なのだ、言いがかりもいい加減にしろ、トラック。

「……お、おれはどうしたらいいんだ?」

「そんなのわたしにわかる訳ないじゃない」

「ここから出してくれよ」

「どうやって」

「ああ、もう頼りないな」

「そんなこと言ったってどうしたらいいの!わかんないよ!」

 妹の泣き叫ぶ声を最後に、再び嫌な破裂音がして、止まっていた世界が再び動き出した。

 ざわざわと野次馬たちの話し声が聞こえて、陽気な音楽が流れ出す。


 優里亜のやつ、電源切ったのかな。

 ちゃんとセーブしたのかな。

 さっき凄いこと言われたよな。

 交通事故だって、意識不明だって、おれ。

 おれ、死ぬの?

 信号無視の汚名を着せられたまま?

 それじゃ、このおれは、今のこの状態は?おれ、ずっとこのまま白魔法師?


 ――じゃあどこにでも行きなさいよ!わたしの中から出ていってよ!!

 わあ、白魔法師ノゾミがおれの中で叫んでいる。

 おれの中で白魔法師ノゾミの記憶が後から後から溢れ出てくる。

 ノゾミの記憶はいつか観た白黒映画よりもずっと鮮明だ。

 過去の故郷ピピンの村の様子が鮮やかに蘇る。

 

 マコトの父親は千年も前に魔王を倒したという伝説の勇者の末裔だったという。モンスターのいない平和な世界で普通に暮らしていたマコトの父は、蘇った魔王の放った刺客にあっさり殺された。

 身籠みごもっていたマコトの母は魔王の手から逃げ回り、たどり着いた辺境のピピンの村でマコトを生むと、そのまま息を引き取ったという。

 生まれながらの孤児だけど、この世の希望を託されたような勇者の末裔マコトは、どれだけ村の人たちに大事にはぐくまれてきたことだろう。歩き出したといっては村中でお祝いして、言葉を話しだしたらみんなが喜んだ。ピピンの村はもともと豊かな村ではなかったけれど、そしてモンスターの出現によってますます貧しくなっていったけれど、マコトはそんな村人たちの唯一の、眩しい希望だった。

 

 ノゾミは幼い頃から回復魔法を使うことができた。

 誰に教えてもらったわけでもないのに、いつの間にか擦り傷や切り傷を治すことができるようになっていた。

 ピピンの村の人々は、村中の金をかき集めて、ノゾミを遠くの町の魔法学校に入れてくれた。みんな食べる物も足りないというのに、ノゾミを寄宿学校へと送り出した。

 ノゾミはそんな村の人々の期待に応えるべく猛勉強した。実技も猛練習して試験に挑み、常にトップの成績だった。学友と遊ぶこともなく、ひたすら修練に励んだ。時々プレッシャーに押しつぶされそうになったけれど、そんな時は故郷のことを、そして幼い勇者のことを思った。そして最優秀のメダルを胸に魔法学校を卒業した。

 ピピンの村に戻ると、数年会わなかっただけで、マコトは立派な少年に成長していた。はにかむような笑顔を見せたマコトと握手して、ノゾミは一瞬で悟った。「この少年は生まれた時からずっとその手に余るような希望と期待を受けていたんだわ。わたしとは比べ物にならないくらい、大きなプレッシャーを。でも、それでも、マコトはみんなの希望を全部受け止めようとしている」

 ノゾミはその時誓った。

「なにがなんでもわたしはこの人を守る」


 ――たとえわたしの命を捧げても。

 だからね、これは恋ではないし、ましてや失恋なんかじゃない。

 っていうか恋愛と一緒にしないでほしい。

 でも、なんでこんなに胸が痛いのだろう。なんでこんなに泣けてくるのだろう。

 ――おれだって、どうやったらここから抜け出せるのかわかんないんだよ、冗談じゃない、おれが死にそうだっていうのに。

 ――さっきから空と話したり、空の向こうに妹がいるとかなんとか、訳のわかんないことばかり言わないでよね。あなたの妹が王女なわけないじゃない。

 ――うるさい、あんたこそ失恋なんかでくよくよして、失恋で死ぬわけじゃないし。

 ――だから失恋じゃないって!だいたいいつも人の身体の中でなに騒いでいるのよ、うるさいわよ!

 ――う、うるさいって言ったな!

 気がついたら港町ノーティアの豪華な宿屋の中庭で、膝を抱えて泣いていた。

 いつの間にかサヤが傍にいて、何も言わずに背中をさすってくれていた。


 高校一年生のおれのパニックと白魔法師ノゾミの傷心を飲み込んで、なんとか平常心を保つことができたのは、サヤのお陰だ。

 サヤは言葉を尽くして慰めるというのではなく、ただ傍にいて気を配ってくれた。落ち着くまでただ傍にいてくれた。

 そしておれたちは五人でこれからの旅について話し合うことになった。

 ぼーっとしているうちに話し合いは終わってしまったので、以下サヤから聞いた話の要約。

 魔王はノーティアより西の海の果てにいるという。

 まさにそこは魔王が復活したという場所だ。

 西の海の果てにはアステル島という小島がある。

 アステル島の住民は魔王復活とともに全滅したという。現在もその島は人っ子一人いない不毛の島となっているそうだが、その島で魔王と相対する手掛かりを見つけるべきだ。

 アステル島へ行くには船しか手段はない。カリオン市長の厚意で、最新設備の船とノーティアきっての腕利きの船乗りたちがそこまで送ってくれるという。市長太っ腹!

 この先は不毛の地。物資の補給は全く期待できないということで、船にできるだけ多くの物資を積んでいくことになった。ノーティアの全面的なバックアップで水や食料も準備してもらえるそうだ。市長太っ腹!!

 あれ。

 ぼんやりした頭の中で、なにかが白魔法師ノゾミの記憶に引っかかっている。

 ――アステル島はサヤの出身地だ……

 でもサヤも、他の人もなにも言わないので、黙っておく。

 いよいよ最終決戦が近づいている。

 話し合いも終わりになる頃、ユリア王女が初めて発言した。

「わたしも連れて行ってくれませんか」


 お嬢さまの伊達や酔狂で言っているのではないことはすぐにわかった。

 ユリア王女はもともと簡単な黒魔術を使うことができたそうなのだが、モルタヴィア城から旅立っていく勇者一行を見送った後、すぐに王城一の黒魔術師に弟子入りした。ある程度黒魔術に磨きをかけると、ユリア王女は勇者マコト一行を追って旅に出ることを決意する。

 ユリア王女はモルタヴィア王の一人娘だ。当然、王と王妃は猛反対したが王女の決心は固く、自分の身に万が一があれば直ちに従兄弟を王位継承者にするよう手続きまで済ませて、「両親とは水盃を交わして別れてきました」と事も無げに言った。

 道中でユリア王女はめきめき成長して、じきに師匠を追い越し、王城から同行してきた騎士たちの護衛も必要なくなった。ユリア王女は師匠の黒魔術師と騎士たちを王城に返し、その後は修行も兼ねて一人で旅を続けてきたのだという。

 そしてユリア王女はノーティアの街の外で、モンスターを相手に腕前を披露してくれたのだけど、炎、氷、雷、光、闇、どれをとっても即戦力かそれ以上。さらに味方の攻撃力やスピードをアップさせたり、攻撃範囲を広げたり物理的攻撃に魔力を込める補助魔法もしっかり身に付けている。

 しかもユリア王女はモルタヴィア王家秘蔵の、伝説セットを持参してきた。伝説の杖、伝説のローブ、伝説の帽子にブーツ、なんでも揃っているノーティアの防具店の店主も垂涎もののレアな防具だ。

 サヤが言葉少なくなっていった。

「わがままなのは十分承知しています」ユリア王女は頭を下げた。「だから却下されても当然だと思っています。ですが、一度だけ、考えてみていただけないでしょうか。どうかお願いします」

 マコトは複雑な顔をしていた。

 ダイゴも意見を求めるような顔をこちらに向けたが、返事のしようもない。

 サヤだけがことさら明るい声で「王女さまがここまで覚悟を決めているのだから、ちゃんと考えなきゃ、ね」

 

 それは町や村から一歩出るとモンスターが問答無用で襲いかかって来るとか、粗末な塀で囲ってあるだけでも村の中にはモンスターは入って来ないとか、宿屋に宿泊すると嘘みたいに体力、気力がみなぎってくるとか、村や町の優秀な医者兼聖職者のおじさまがたが村の外に出られないこととか、朝になると日が昇り、夜になると暗くなることと同じくらい、無条件のルール。この世界の自明の理なのだ。

 勇者の一行は四人まで。

 それ以上人数を増やすことはできないのだ、絶対に。

 誰かを入れるのならば、誰かを置いて行かなければならない。

 そしてどう見ても、王女ユリアと能力的に被ってしまうのはサヤなのだ。






 

 



 


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