第10話 戦士ダイゴの夢(3)

 おれまで夢心地になってきた。皮は香ばしくてパリパリ、中はふっくら、塩味と甘さが程よくてこんなに旨い魚料理は初めてだ。パンがまた旨い、小麦の香りがする素朴な味わい。それが苺やオレンジのジャムつけて卵のクリーム塗ると永遠に食べられる。それにビール?なにこれ、味は正直よくわからないんだけど、喉越しがいいってこういうこと?無尽蔵に飲めるぞ。

 ダイゴの話は続く。

 聖なるオークの木の前で結婚式を挙げたダイゴは幸福の絶頂にあった。

 でもその幸福は長く続かなかった。

 魔王が復活して、生き物が次々とモンスターと化していったからだ。

 辺境の地、マロン村にもその魔の手がやって来た。

 村から一歩出ると、噛みネズミや軍隊バッタなどモンスターに襲われるようになった。

 村の産業の生命線がそまであるマロン村の人々はなんとか杣を続けることができるように努力をした。森へ伐採に行く時は単独で行動せず、必ずグループで行くように、他の地域へ材木を運ぶ際は必ず護衛を伴うように、夜間は村の外には出ないように。しかし村の外は常にモンスターだらけで、木こりの中にも怪我人が続出し、死亡者まで出るようになると、森で作業を続けるのは難しくなってきた。

 マロン村は杣で成り立っている村だ。このままでは立ち行かなくなると暗雲が垂れ込めてきた頃、追い打ちをかけるようなことが起こった。

 森林の樹木がモンスター化したのだ。

 樫の木、杉、ヒノキやクリの木も意思を持ったように地面から根の足を引き抜いて、繁った葉をバサバサと揺らしながらマロン村へと向かってくる。

 すると、森の樹木と呼応するかのように村の守り神の聖なるオークの木までが、木のうろから怪しい光を放ち、村中に張り巡らせていた巨大な根を地中から引き抜き、モンスターと化した。

 村の崩壊はあっと言う間だった。

 聖なるオークの木が巨大な根を這わせるたびに地面はひび割れ、地響きと粉塵とともに家屋は倒壊し、村人のほとんどが崩れる家の下敷きになったり地面の深い裂け目に飲み込まれていった。村の中と外との境界線を失ったマロン村には森の樹木モンスターが侵入した。

 ダイゴの両親は家屋の倒壊に巻き込まれ、タバサも大怪我を負った。

 わずかに生き残った村人たちとともに、ダイゴはタバサを背負って懸命に逃げた。

 樹木モンスターが次から次へと枝を伸ばし根を伸ばして襲いかかってくる中を全速力で駆け抜ける。触手のように向かってくる枝葉をかわしながら、無我夢中でどれだけ走っただろう。いつの間にか、走っているのはダイゴだけになってしまっていた。


 地獄のような樹木モンスターの森を抜けて、たどり着いたのは開けた草原。幌馬車が集まっている野営地。

 辺りにはモンスターの気配はない。

 夜空に赤々と燃える焚火を見つけた時のダイゴの安堵感といったら。

 しかしタバサを一刻も早く医者に診せなければならない。

 ダイゴは自己紹介もそこそこに焚火を囲む人たちに頼み込んだ。

 すると騒ぎを聞きつけてやって来たのは、カリオンだった。久しぶりの再会を喜ぶ間もなくカリオンは意識を失っているタバサを見て、顔色を変えた。

「君、医者を叩き起こしてくれ。それから君は灯りの用意を。誰か湯を沸かしてくれないか、あときれいな水も持って来てくれ」

 指示を受けた人たちは迅速に散って動いている。カリオンはダイゴから奪うようにタバサを抱きかかえると「急ごう」と背を向けて歩き出した。

 よく見ると、野営しているのは何十台の幌馬車から成る大規模な商人の団体だった。そしてカリオンはそのリーダーらしい。数年振りに会うカリオンは身なりも堂々とした振る舞いも、マロン村にいた頃とは見違えるほど立派な商人になっていた。


 夜中に叩き起こされた医者はテントの中、横たえられたタバサを丁寧に診てくれたと思う。だけど、タバサは助からなかった。

 息を引き取る前にタバサは一瞬だけ、意識を取り戻した。そして言ったのだ。

「あら、カリオンじゃないの。久しぶりね……ねえ、あの頃は楽しかったわね」

 そして永久に瞳を閉じた。

 カリオンは子どものように泣いたが、ダイゴは涙も出なかった。ただ呆然と立ちすくむだけだった。


 それからダイゴはマロン村を襲った悲劇についてカリオンに話した。

「災難だった。心から哀悼する。おれにとっても故郷だ、悲しくないはずはない。けれど……」

 カリオンの目は青い炎をたたえている。

「どうして森の樹木を、聖なるオークの木を燃やさなかったんだ?」

「……」

「いくらモンスターでも、奴らは木だ。どうして火を点けなかった?」

 実はマロン村の中にも、初めに村の外に樹木モンスターが集まってきた最中に、火を点けることを主張した人がいたのだ。けれども村人たちにとって生活の糧であり、信仰の対象でもある樹木を燃やすことは直ちに止められ、封じられた。

「おれは木こりじゃないからわかる。君たちが聖なるオークの木を、樹木を燃やさなかったのは愚かなプライドのせいだ。勝手に自分たちを樹齢1500年だかの古木こぼくに重ね合わせて、たいそうなものだと思い込んでいる自尊心のせいだ。そんなもののために、タバサは」

 ダイゴは何も言い返すことができなかった。

 松明たいまつを掲げて火を点けろと主張した村人を力づくで止めたのは自分だった。

 ダイゴはその晩、挨拶もせずに野営地を離れた。


「その後の記憶はあまりない。ずっと一人で荒野を彷徨さまよっていたと思う」

 ぽつりぽつりと話すダイゴの声が耳に心地よい。腹がぽかぽかしてきて意味もなく笑いたくなってくる。これが酔っぱらうって感覚なのか、悪くないなあと思っていたら、胸の奥から泉のように記憶が噴き出してきた。

 

 ――勇者マコトとわたしの二人旅。

 風の吹きすさぶ荒野をただ歩く。四方に見えるのは苔のまばらに生える台地とごつごつした岩と石。凶悪ガラガラヘビと腹黒ハゲタカに襲われたけれど、なんとか倒すことができた。傷ついたマコトに回復魔法をかける。

 そこにのっそりと岩影から現れたダイゴは、どう見てもモンスターだった。熊?猿?毛むくじゃらの大きな生き物は息も荒く、棍棒を振りかざしてくる。

 警戒態勢をとるわたしに、マコトはウィンクしてみせた。

 興奮して唸り声をあげる男。よく見れば髪と髭が伸び放題でおまけに熊かなにかの毛皮を身体にまとっていてそれがひどく臭う。ダイゴはそっと近づくとふわりと男に抱きついたのだった。

「ねえ、君。とても強そうだ。おれたちと一緒に来ておくれよ」

「……お、おまえたちは、なんだ?」

 それは一人荒野を彷徨っていたダイゴが久方ぶりに発した人の言葉だった。

 

 ――目の前のダイゴが滲んで見える。

「あら、やだ。ノゾミったら、ほら、これで拭いて」

 サヤが布巾ふきんを渡してくる。気がつくとおれの目からは涙がぼろぼろ流れ落ちていた。

 ダイゴの悲しい身の上話にも同情したが、それよりも白魔法師ノゾミが勇者マコトとの旅の思い出をどれだけ大事にしているか、心の中の一番良い場所にしまっていて、それを拠り所にしているのか、身に染みて感じられたのだ。なぜだか泣けてしようがなかった。

「あんた泣き上戸だったのね」

 翌朝はひどい二日酔いだった。


 わたしたちに打ち明けて多少すっきりしたのか、ダイゴは武闘大会に出場することにした。

 とすれば、特訓あるのみ。

 ノーティアの外に出て、襲いかかってくるモンスターとひたすら戦う。

 街の近くのモンスターが物足りなくなれば、海岸を辿って雑木林へ赴き、さらにその先の小高い丘まで足を延ばす。あえて夜になってから街の外へ出たりもする。はじめは手ごたえがあった突進イノシシや化けグマといったモンスターが、着々と雑魚ざこになっていく。

 なにか吹っ切れたようなダイゴはめきめき強くなっていった。これまで常に最前線に立って、大盾で敵の与える攻撃を受けてくれたダイゴ。もともと防御に優れていたのだけど、いざ斧を振るうと攻撃にも人並外れた能力が潜んでいた。一つ一つの攻撃の素速さはマコトに劣るものの、時にモンスターの弱点を一撃でつくことができるのだ。しかもかなりの頻度で。

 ダイゴの訓練に付き合っているうちに、わたしたちもかなり強くなったのではないだろうか。

「ノゾミも剣が上達したじゃないか」

 寡黙なダイゴが誉めてくれて嬉しい。

 マコトから貰った細身の剣で、わたしも時々は戦闘に参加するようになっていた。構え方がユニークだどこで覚えたのかとサヤとダイゴから聞かれたのだけど、わたしもよくわからない。身体が勝手に動くのだ。それに敢えて頭を空っぽにして何も考えない状態にすると、腕も足も驚くほどスムーズに動いていく気がする。

 それに回復魔法も大幅に威力があがった。傷ついた人に、以前は二、三度かけなければならなかった回復魔法が、一回で全快!しかも同時に毒や麻痺まできれいに無くしてしまうことができるようになった。なんて便利、しかも魔力節約、プラス何度白魔法を使っても、これまでのように疲労しなくなってきている。

 サヤも炎、氷、雷、風といった基本の黒魔術を大幅に威力アップした上に、光の魔法まで覚えている。

 そしてマコト。これまでも素晴らしい攻撃力を持っていたけれど、素早さにますます磨きをかけていた。しかも剣の一撃に魔力を込めたり、敵の魔力を吸い取って自分のものにしたりと様々な技を身もつけている。

 そう、わたしたちは確実に強くなっていた。


 


 

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