第9話 戦士ダイゴの夢(2)

 あれも欲しいこれも欲しい状態になったので、一旦切り上げて店を出てノーティア市長に会いに行くことにする。

 すると一人だけ物欲を全く示さなかったダイゴが急に自分は行きたくない、先に宿へ行って休みたい、三人で行ってほしいと言い出した。

 ダイゴが何か主張すること自体とても珍しいことなのだけど、熱はないし顔色も悪くないので引きずるように連れて行く。

 重厚な石造りの市庁舎に一歩入ると、見上げずにいられない吹き抜けの広々としたホール。天井にはシャンデリア、床には足元が埋まりそうなふかふかの絨毯じゅうたん、長い廊下には世界各地の珍しい彫刻や絵画が飾られていた。

「豪華だなあ」

「とても立派だわ。お金持ちなのね、ノーティアって」

「見て、あのシャンデリア、蝋燭がどれだけ必要なんでしょうね。この市庁舎って、王城よりも贅沢だと思わない?」

「確かに。でも、ほら、慎ましい暮らしをされているところが、モルタヴィア王の素晴らしいところだからさ」

 マコトはこの旅で生まれて初めて王都ドミナリアを訪れてモルタヴィア王城に招かれて、この国を治めるモルタヴィア王に謁見して以来、すっかり王家贔屓になっている。

 確かにモルタヴィア王をはじめ、王妃もその他王家の人々も、そして王家に仕える人たちも、かなり質素な暮らしをしていて初めて見た時は驚いたものだ。王家創立以来リフォームを繰り返して大切に使っている城をはじめ、家具や調度品、衣類や装飾品を丁寧に手入れして大事に大事に使っている。広いお城の中庭には噴水があるが、その周りにはなかなかの規模の畑があって、鶏や牛なども飼っていて、自分たちの食事は自分たちで賄っている。

「モルタヴィア城では、秋祭りに倉庫から旗とかタペストリーとか全部出して飾るんだって。それはそれは壮観らしいよ。そういえばたぶん今頃、その秋祭りの時期だよなあ。一度見てみたいなあ」

 マコトはうっとりと東の方角を見る。東の方角、遥か彼方にはモルタヴィア城とその城下町がある。

 誇り高く、でも気さくだったモルタヴィア王を思い出す。

 そして「必ず、戻ってきてくださいね。どうかご無事で」とわたしたちひとりひとりの手をとって涙を浮かべた、薔薇のつぼみのような愛らしい笑顔を思い出す。

 胸がちくっと痛む。

 遠いモルタヴィア城に思いを馳せながら、マコトが胸に描いているのはきっとその蕾のような笑顔なのだから。


「よくいらっしゃいました。あなた方のお陰でダイロキューサへの道が通じるようになったのですね。感謝の言葉もありません。それまでのご活躍も新聞などで拝見していますよ。この世界を救おうとしているあなた方をこうして迎えることができるのはノーティアにとって誇らしいことです。わたしは市長のカリオン」

 浅黒い肌に黒い髪、にこっと笑う口元から覗くのは輝く白い歯。カリオン市長は想像よりもずっと若い。笑顔で勇者マコトの手を取って力強く握手する。

「この街の一番良い宿屋に何日でも泊っていってください。ああ、もちろん宿代はこちらで出しましょう。長旅の疲れをとって、これからの英気を養ってください。ああ、ノーティアは魚や貝が名物なのですよ。是非召し上がってみてください」

「宿代がタダ!」サヤとわたしは思わず目を見合わせる。

「それから」

 カリオンは壁のポスターを指した。同じポスターを既に街中で何度も目にしている。

「ノーティア市主催の武闘大会があるのです。腕に覚えのある人ならば誰でも参加できます。あなた方はちょうどよいタイミングでこの街を訪れてくれましたよ。出場してくださいませんか。市民たちがどんなに喜ぶことか。それにモンスターと対峙する一般の人々の士気もあがるというものです」

 ポスターには大きな文字で「優勝者には高額賞金!」とある。

「出場しなさいよ、マコト」

 サヤが小声で勇者の背をつつく。

 若いのに押し出しの強い笑顔をわたしたち四人に万遍なく注いでいたカリオン市長の視線がぴたりと止まった。

「……ダイゴ?ダイゴなのか?」

 急に辺りが凍り付くような空気になる。そういえばダイゴは無礼にもずっとかぶとを着けたままだった。市長に名前を呼ばれ、ダイゴはますます兜が目深になるよう首を傾ける。カリオン市長は歯を見せて笑ったが、その目は冷たく声には棘がある。

「……生きているとは思わなかったよ。まさか君が勇者とともに戦っている戦士だとはな」

「……」

 市長とダイゴ、二人の間に緊張が走る。

 次の瞬間、市長はよく通る声で言った。

「よし、決めた。武闘大会には君が出ること」

「え」

「いいだろう?ダイゴ。昔のよしみだ」


 ノーティア市の一番良い宿はこれまでに泊まってきたどの宿よりも豪華だった。

 テーブルの上に隙間なく並べられた料理。名物というだけあって魚料理が多い。きつね色の一匹丸ごと揚げたてのフライは大皿に山盛りで湯気をあげていてスパイスを利かせたソースが何種類も添えられているし、香草と塩で焼いた魚の串焼きはちょっと焦げ目がついて香ばしい匂いを漂わせているし、魚で出汁をとったスープはカブやニンジンなどの根野菜がたっぷり煮込まれていて鍋の中でくつくついっている。そして柔らかそうなふわふわのパンに惜しげもなく載っているジャムとクリーム。さらに風味豊かな褐色のノーティア産の地ビール!おかわり自由!

 口下手なダイゴがぽつぽつと話した身の上話。

 話が終わる頃にはテーブル一杯の皿や盃はすべて空になっていた。


 ダイゴはモルタヴィア国の南東部最大の森林地帯にあるマロン村の出身だ。

 上質のヒノキやクルミの木が群生する森で採れる木材は、高級な家具を造るためには欠かせないと評判だ。

 広大な森林に囲まれたマロン村の中央には、樹齢1500年とも言われる聖なるオークの木がある。大人十人がいっぱいに手を伸ばして、やっと手を繋ぐことができる巨大な幹の巨木だ。村の守り神たる、神聖なるオークの木の前でマロンの村人たちは新年を祝い、収穫を祝い、結婚式を挙げ、弔いの儀式を行う。マロンの村の花形の職業は当然のようにそまであり、中でもダイゴは曾祖父の代から村一番の木こりの家系だった。年一回の木材の品評会でも収穫祭での伐採大会でも木登りコンテストでもダイゴは子どもの頃からのチャンピオンだ。


「ダイゴが優秀な杣人そまびとだったって、分かる気がするわ。背も高いし体格も良いし力持ちだし」

 ぽつぽつと喋っているダイゴの目の縁は口当たりの良いビールのせいでわずかに赤い。サヤの頬も赤ければ、マコトの瞼は重そうになっている。わたしもふわふわとした夢心地だ。わたしの中でもう一人のわたしがなにやらしきりに喋っているけれど、どうでもいいというか、なんだかおかしくて笑ってしまいそう。

 

 ――ダイゴはなんとかいうアイドルグループの、名前とかよく覚えていない、相沢真琴あいざわまことのいるグループのメンバーをモデルにしているはずだけど、アイドルをモデルにしているだけあって、こうして見ているとダイゴはなかなかの美形だ。うつむき加減の横顔は彫りが深くて伏せた睫毛は長い。

「おれとカリオンとタバサは幼馴染だったんだ」

 さっき見た気障きざな市長か。あの華やかな感じの市長が樹木しかないというダイゴの故郷の田舎の村の出身とは少し意外。

 カリオンには杣の才能が全くなかった。そもそもカリオンの父も木こり仕事ができないので材木を取引する商売の事務会計の仕事についていた。ところが聖なるオークの木の守護するマロンの村では、身体を張って樹木を伐採する以外の職業は一人前の男の仕事としては軽んじられていた。

 学校の杣実技でも常に最下位で、周囲から馬鹿にされがちのカリオンに幼馴染みのダイゴとタバサはいつも変わらぬ友情を示した。

 でも恋愛になると話は別だ。

 美しく気立ての良い娘に成長したタバサをダイゴもカリオンも好きになった。

 ダイゴは村一番の木こりの称号を目一杯利用したと思う。村祭りで優勝した時も、品評会の表彰式でもダイゴはいつもタバサを傍に呼んで、二人で称賛を受けるようにしていたので、いつの間にかダイゴとタバサは村でも公認の仲になっていた。

 一方カリオンはたった一人の家族である父を病で亡くすと、村を出た。

 ダイゴは友人として相談に乗っていた。木こりになれない自分がマロンの村で暮らしていても先が見えている、この上は他の場所で違う道を探してみたいと言うカリオンをダイゴは友人として応援すると言った。そして品評会の優勝で得たばかりの賞金をそのままカリオンに手渡した。そしてたった一人で村を出るカリオンを見送った。

 

「今から思えば、あの時のおれは思い上がっていたと思う。おれは村を一人で出なければならなかったカリオンの気持ちを考えてはいなかった。むしろチャンスだと思った。幼馴染を失って寂しがっていたタバサにプロポーズしたんだ。聖なるオークの木の前で結婚式をあげて、村のみんなから祝福されて……おれは勝ったと思ったんだ」

 




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