第7話 勇者マコトと白魔法師ノゾミ(3)

「そっか、疲れちゃうよね。だってノゾミはいつもおれたちみんなを守ってくれているから」

 まだ何も話していないのに、どこから「そっか」につながるのか。とにかくマコトは一人納得して妙に楽し気に話を続ける。

「ノゾミはピピンの村を旅立った時からずっとおれを守ってくれていた。雨の日も風の日も。自分の身を顧みる以上におれのことを心配してくれた。いくら感謝してもしきれないよ。初めはおれたち二人きりの旅だったもんなあ。ほら、覚えてる?最初は薬を買うお金もなくてさ」


――懐かしい日々が目の前に浮かんでくるようだ……わたしも思わず頬がゆるむ。

「そうね。あの時、あなたは軍隊バッタ相手に苦戦していたものだったわね。一匹倒すだけで身体じゅう傷つけられちゃって」

「そうそう、一回戦うたびに重傷を負って回復魔法かけてもらっていた。絡まりミミズ、覚えているかい?一匹倒す間に次から次へと仲間を呼ばれて、ミミズを倒すのに結局半日かかった。ノゾミも魔力が尽きて真っ青になっちゃってさ」

「そうそう、慌てて近くの村に入ろうとしたら、マコトったら村の入り口でネズミの尻尾踏んじゃうからまた戦闘になっちゃって」

「おれたち弱くて噛みネズミ相手に逃げることもできなくてさ」

「あの時はもうお終いだと思ったわ」

 顔を見合わせてくすくす笑う。

 そうよね。村から出たばかりの頃、わたしたちはとても弱かった。

 バッタやミミズやネズミですら強敵だった。

 あの時を思うと、随分遠くに来たような気がする。

「そうそう、覚えてる?マコトが考えもせずにいきなり鉄シリーズをセットで買っちゃって」

「ああっ、それは思い出すだけでも冷や汗が」

「有り金全部はたいて買っちゃうものだから、結局、薬も買うことができなくなっちゃったのよね。買ったばかりの鉄の鎧を半額で泣く泣く売っちゃって」

「そう、あの後しばらく下着のままで戦わなくちゃならなかった」

 切れ味鋭い鉄の剣と鈍く光る鉄の兜と鉄のブーツを身にまとったものの、胴の部分は綿のパンツ一枚だったマコトの姿を思い出してついつい噴き出す。

「へとへとに疲れても宿屋さんに泊まるお金がなくて、ご飯いらないからとにかく寝させてくださいって頼んでた」

「そして腹空かせたまま朝早く飛び出して行ったよな」

「マコトが噛みネズミを一撃で倒せるようになった時は嬉しくて涙が出たわよ。ああ、やっとこれで一回戦うたびに回復魔法使わなくてすむって」

「今じゃ少々の怪我では回復魔法をかけてもらえないもんな」

「見違えるように丈夫になったもの。マコトがすっかり成長したから、わたしも嬉しいわ」

 二人で顔を見合わせる。

 なんて幸せなひとときなんだろう。

 夜風が心地良く髪を撫で、見上げれば満点の星。

 マコトの笑顔がすぐそばにある。優しい声がすぐそこにある。さっきから隣り合った腕と腕が時々触れあって暖かい。

「それでね、おれも覚えたいんだ。回復魔法」

「え」

 どこから「それでね」に繋がるのか。マコトは屈託なく笑った。

「無理かな?難しそうだから一番簡単なやつだけで構わないんだ。おれも回復魔法を使えるようになりたいんだ」

 無理ではないと思う。

 マコトは生まれついての勇者だ。なんというか、センスが抜群なのだ。剣を振るうことができるだけでなく、その気になれば槍や斧も使うことができる。ダイゴほどではないにしても、防御力もかなりのもの。そして威力は黒魔術師サヤに劣るとしても簡単な黒魔術を難なく使うことができる。ならば回復魔法を使うことができてもおかしくない。

「だけど」

 余計なことにマコトの勇者としての能力を分散してほしくないという気持ちもあった。いや、それよりも回復はわたしの役割なのにという気持ちのほうが大きい。

 そんな心のざわめきもどこ吹く風とからりと笑うマコトに乗せられて、一番簡単な回復魔法を教えると、思っていた通りマコトはあっという間に覚える。

「じゃあ、おれからもノゾミに剣を教えるよ」

 有無を言わせずマコトはわたしを立たせて剣を握らせる。

「きっとノゾミは筋がいいと思うんだ。ほら、おれの剣をあげるよ。この細身の剣はもうあまり使わないから。ね、軽いでしょう。よおし。剣の上達は実践に限る。ほら、こっちこっち。さあ、構えて。いいねえ。はい、いち、に、いち、に。うまいうまい……ってなに、その構え」

 

 マコトに腕を引っ張られて町の外まで連れ出されると、たちまち吸血コウモリに襲われた。

 ――気がついたらマコトから貰った剣を両手で握り締め、無意識に構えていた。

 小学校四年の時、止めてしまった剣道だ。

 右足を一歩踏み出し丹田に力を込めて、逆に肩の力は抜き脇を締めて切っ先を相手の喉元に向ける。

 そこから大きく振りかぶって正面から振り下ろして面の位置で止める。ぴたり。

 手ごたえがあり、飛びかかってきた吸血コウモリは地面に叩きつけられていた。

「すごい!すごいぞ」

 マコトは後衛にまわり、手を叩いて喜ぶ。

「ほら、もう一匹」

 おれ一人で戦えって?

 一匹目はビギナーズラックだったらしい。二匹目からは素早く飛び回る吸血コウモリに大苦戦。剣は空を切り、コウモリは腕や首筋に噛みついてきた。痛い。血が噴き出し、焼けつくような苦痛に涙が出る。

 マコトが後ろから回復魔法をかけてくれると、傷口がみるみる塞がり、痛みが消えていく。

 でも、そんなことよりコウモリやっつけてくれよ、マコトなら一撃だろうと文句を言う暇もなく、絶えず身体の周りを飛んで隙を見ては襲いかかってくる吸血コウモリ相手に夢中で剣を振りまくる。

 ああ、もうちょっとちゃんとやっておけばよかった、剣道。こんな中途半端ではかえって戦いづらい。

 って、見てないで助けてくれたらいいのに。マコトは頑張れ頑張れと回復魔法をかけてくれるだけで一切手出しをしない。

 やっとすべての吸血コウモリが地面に落ちた時には、東の空が白っぽくなっていた。

 おれは肩で息をしていた。全身汗でびっしょりだ。

 ……うん、最後の方は少しは上手くなっていたんじゃないかな。なんだか剣道の先生が教えてくれたことをいろいろ思い出したよ。力じゃないんだ。

 振り返って見ると、マコトが白目を剥いて倒れている。真っ青だ。

 ただでさえ少ない魔力を回復魔法で使い切ったらしい。

 慌ててマコトを肩に抱きかかえる。重い。よたよたしながら急いで町に戻る。

 おれは日本の高校一年生のごく平均的な身長体重で、でも男一人くらいだったらもうちょっと楽に運べるはず。だけどこの白魔法師ノゾミの細めの身体では、マコトの体重を運ぶのは非常にきつい。

 でもわかるんだ。

 ノゾミは自分より重いマコトを肩に抱えて、すごく心が満たされている。

 なんだろう、胸の中にたくさんの小さな蕾があって、それが次々に花開いていくような、そんな感じ。

 肩に寄りかかるマコトの重さと体温がくすぐったいような、そんな感じ。

 誰かを好きになるって、きっとこんな気分?

 中学校から男子校のおれは自慢じゃないが恋愛の経験値はゼロだ。

 さっきから、妙な気分に身体がむずむずすると同時に、なんだか人生の重要な部分を先取りされたような、苦々しい気持ちがあることは否めない。だってさ

「たかがゲームのキャラクターだろ」

 そうさ、これは何千本もあるゲームの中の、たったいちキャラクターの感情の動きにすぎないんだ。電源を切ったらぱっと消えちゃうようなさ。

 だけど……

 白魔法師ノゾミには両親から大切に育てられた宝物のような記憶があり、そしてマコトのことを自分よりも大事に思っていて彼を守らなければならないという使命感を抱き、その思いを自分の中で一番大切な場所に置いて大事に大事に育んでいるんだ。

「たかがゲームのキャラクターだろ、おい」

 繰り返して言ってみた。

 だけど心は裏腹に、おれはノゾミの思いに浸食されているようだった。





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