第5話 勇者マコトと白魔法師ノゾミ(1)

 ひどいパニック状態。

 しばらくの間、自分が自分でなかったような気がする。自分がどこの誰とも知れない男の子だったような気がする。

「どうしたの?ノゾミ」

 前を行くサヤが振り向いて言う。

「……なんでもない」今はそんな些末さまつなことに悩んでいる場合ではない。

「もうすぐ森を抜けるわよ」

 マコトを先頭にダイゴ、サヤ、そしてわたしが一列になって暗い森の中の獣道を歩いていく。するとはるか前方に太陽の光が差し込んでいるのが見えてきた。

「急ごう」

 マコトが声をかける。わたしたちの行動に生贄に選ばれたダイロキューサの町の娘の命がかかっているのだ。一刻も早く、あの涙にくれていた娘の両親を安心させてあげたい。しゃんとしなければ。わたしはピピンの村出身の白魔法師ノゾミ。他の誰でもない。仲間たちが傷ついた時には回復させるという大事な役割がある。

「森を抜けたぞ」

 暗い森から一番先に外へ出て、日の光を背負って笑うマコト。

 つられてわたしたちも笑顔になる。

 マコトは生まれた時からこの世界のたった一つの希望なのだ。わたしの使命はなにがなんでも勇者マコトを守り抜いて彼の目的を成就させること。それがわたし自身の希望でもある。

 ぼわっと胸が熱くなる。

 

 ――なんだ、この感情?

 むくむくと沸き上がる心地良く切なく暖かい思い。

 涙が出そうでいて、それでいて幸せなこの感じ。

 生まれてことかた全く経験したことないこの感じ、おれは再びパニックに陥る……


 さっきからいったい何なんだろう?

 わたしの中にもう一人のわたしがいるような妙な感じ。

 しかもそれは変な男の子だ。

 あっ、前に撒いた聖水の効き目が切れそうだ。どうでもいいことで悩んでいないでわたしは急いで聖水の瓶を取り出し、あたりに振り撒いた。


 森を抜け山道をしばらく進むと、山肌も露わな断崖絶壁にトンネルが彫られていた。話に聞いていた通り、トンネル工事は途中で随分放置されているようだ。

「モンスターが襲ってくるようになって、工事ができなくなっちまったんだ」

 屈強な男たちが数人残っていて、この工事現場を管理している。

「爆薬と導火線ね、いいよ、持っていきな。使い方を説明してやるよ」

 男たちは木箱に入った爆薬と長いワイヤーをぐるぐる巻いたような導火線を持ってきて説明をはじめる。

「いいかい、導火線をこうやって。やってみるか、そうそう、そうしたらこっちの先端に火を点けるんだ。簡単だろう?って、おい!」

「え」

 男の説明通り、マコトは丸めてあった導火線を伸ばしたと思ったら「火を点けるんだ」と言われた瞬間にマッチを擦って本当に火を点けた。

 あまりのことにマコト以外全員固まっているうちに、折からの風に乗って一気に導火線の火は走る。

「わあ、ダメだ、みんな逃げろ!」

 爆発。

 猛烈な爆風。

 舞いあがった土が空からバラバラと打ちつけてくる。

 幸い、工事現場のみなさんやダイゴとサヤとわたしの三人は、咄嗟とっさにかけた物理攻撃軽減の魔法が効いてほぼ無傷だったのだけど、爆発地点にいたマコトは10m先まで飛んで行った。

 擦り傷、切り傷、腕と肋骨の骨折。

 マコトに回復魔法をかける。

 工事現場の男たちはトンネル工事のために保管してあった残りの爆薬をすべてかき集めてくれた。

「遠慮するな。どうせ休業中だ。それより勇者どの、今度は本番まで火を点けるんじゃねえぞ」

 そう言って豪快に笑ってくれたので、少しほっとした。


 ダイロキューサの町に戻って宿屋に泊まり、一晩休んでから竜ガゴンドラクスのほこらに再び挑むことにする。

 今度は町長から教わった封印の呪文もある。祠を封じるための爆薬と導火線もある。前回、何も知らずに突っ込んで行ってガゴンドラクスにこてんぱんにやられた時とは訳が違う。

 ていうか、そんな大事なことを知らないまま、準備もなくガゴンドラクスに戦いを挑んだというの?

 なんて無茶なことをしたんだろう。

 無茶をしたのは勇者マコトだ。彼が生贄となる娘の両親の涙の訴えにいてもたってもいられなくなり、そのまま町を出て祠へ一直線に向かったのだから。

 それにさっきの爆発騒ぎ。

「まったく、われらが勇者どのはとんでもない粗忽者そこつものよねえ」

 呆れたようにサヤが言う。

 その勇者マコト本人は真っ先にベッドに入り、「おやすみ」と元気よく言うと、あっという間に安らかな寝息を立てはじめた。

「見てよこの邪気の無い寝顔。いろいろ振り回されたりもするけれど、まあ、いっかってなってしまうのがマコトの人柄よね。なんだかうらやましいわ」

 明るくランプのともった気持ちの良い清潔な部屋。木製のベッドが四つ。ブドウが刺繍してある可愛らしいベッドカバーが掛かっている。

 ダイゴは何も言わず、彼の体格にしては小さすぎるベッドに無理やり収まった。

 サヤはネグリジェに着替えた後、ネックレスやイヤリングを外して、結い上げた青い髪を解いて丁寧にブラッシングしている。豊かに波打つ青い髪の流れる先に見えるのは白く華奢な肩、豊かな胸の谷間。

 ――えっ、男女同室なの?

 誰も気にしていないみたいだけど……

 目のやり場に困る、特にサヤ。

「ノゾミももう休むでしょ。ランプを消すわよ」

 部屋が暗くなる。

 しばらくすると、三人とも眠ったみたいだ。規則正しいスウスウ言う寝息に時々混じるいびき。

 なんなの?目のやり場に困るって!?

 わたしの中で勝手にいろいろ喋る存在にだんだん腹が立ってきた。

 でも明日は大事な日なのよ。ちゃんと眠らなくちゃならないんだから、とわたしも目を閉じる。


 ――眠れる訳がないじゃないか!

 枕元にあったランタンに火を点けて、そうっと外に出る。

 宿の外に出て石造りのベンチに腰を下ろす。

 満点の星だ。吸い込まれそうに綺麗だ。こんな星空はテレビや漫画でしか見たことない。夜の冷たい風が心地良い。そしてやっぱり昼間聞いたのと同じ音楽が流れている。

 さて落ち着いて考えようか。

 とはいえ、なかなか落ち着くことはできない。

 というか、落ち着くと逆に自分の置かれた状況が理不尽過ぎて変な汗が出てくる。

 胃がひっくり返りそうになる。

 これは夢ではない。

 痛みを感じるし、この頬を撫でていく冷たい風の感覚は間違いなく自分のもの。

 ここは本当に妹のプレイするゲームの中の世界?

 これっていわゆる「転生」ってやつ?

 よく知らないんだけど、その手のアニメ、いやラノベ?

 こんなことってある?

 というか、どうやったら元に戻れる?

 というか、おれ自身は今、いったいどこでどうしてる?

 

 おれは相沢あいざわのぞみという。高校一年生の男子。どこにでもいるような、ごく普通の十六歳……だと思う。

 中高一貫の進学校に通っている。

 中学校の時は友だちに誘われて映画同好会に入っていたけれど、高校に進学すると同時に退部した。以降、帰宅部。

 それなりに有名な進学校なので授業の進度も早いし多めの宿題には追われるしで趣味に割く時間があまりないんだ。

 家族は四人、ごく普通の会社員の父と塾講師の母とおれと中学二年生の妹。

 妹は中学一年生の夏休み明けから不登校になった。

 一学期から早退遅刻が多かった、それでも保健室登校したりカウンセリング受けたりなんとか学校へ行こうともしていたんだけど、夏休み明けからは梃子てこでも動かなくなった。それからはずーっと家にひきもこって昼夜逆転のゲーム三昧。

 でも悩んでいるのは妹だけじゃない。

 ……おれだっていろいろあるさ。

 全員が示し合わせたように一斉に退会して一人残されたLineの画面を思い出す。

 胸がきゅっとする。

 だけど妹よ。兄はそんなことで負けないぞ。人間関係に悩んだり、傷ついたり、いろいろあって当たり前なんだ。思春期なんだから。ガラスみたいに壊れやすいハートを持て余しがちな時期なんだから。

 といいつつ、傷ついたら立ち直れないくらい落ち込むのも確かなんだけどさ。

 思い出した、去年の大晦日おおみそか

 珍しく妹が自分の部屋を出てリビングにいて、おれと母さんと紅白なんて見ていた。

 三人で一緒にテレビを見る事自体が久しぶりで、テーブルの上のチーズ鱈とポテトチップスを取る手にもそこはかとない緊張感が走っていたのだけど、母さんは2ℓペットボトルの赤ワインをぐいぐい飲んでいてそんな雰囲気もお構いなしだ。

「ねえ、ねえ、あなたこの人が好きなんでしょう?」

 母さんがにやにやしながら妹を見る。

 画面では七人グループの男たちが歌って踊っている。

 母さんが指さしたのは七人のセンター辺りで歌っている人。うわ、母さん、止めたらいいのに……

「なんて言ったっけ、名前。母さんの生徒にも好きな子がいるのよ。人気よねえ。ねえ、なんて言ったかしら、たしか杉浦真琴すぎうらまこと

「サイテー、信じらんない」

 剝きかけのみかんを放り出し、妹は自分の部屋のドアをバタンと閉めた。

 親子三人の紅白歌合戦鑑賞は気まずい雰囲気のままお開きになった。

 そうだ。

 マコトだよ。

 あいつ、自分の好きなアイドルの名前を勇者につけやがった。


 





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