世界で一番美しい春

 春先輩のことがずっと好きだった。

 新卒で入社した会社で隣のデスクにいたのが新島春(にいじまはる)先輩だった。初めての仕事で緊張して失敗して上司に呼ばれた時に、一緒に来て私のフォローをして一緒に頭を下げてくれた。半泣きの私にホットのはちみつレモンのペットボトルを握らせて慰めてくれた。「失敗はみんな経験することだから大丈夫だよ」と言って、笑ってくれた。

 春先輩は優しくてしっかり者で仕事ができてみんなの憧れだった。ほんわかした雰囲気とあたたかい言葉が名前の通り春みたいで、私はもうこの頃から春先輩のことが好きだったんだと思う。

「冬雪(ふゆき)って綺麗な名前だよね」

 私の冷たい冬の名前をそんな風に言うのは春先輩だけだった。春先輩がそう言ってくれた瞬間から自分の名前が特別になった。


 告白したのは入社して三年目の春だった。玉砕覚悟で春先輩を食事に誘って、その帰りに切り出した。

「春先輩が好きです」

 なんの飾り気もない、ストレートすぎる告白だった。同性だとか、周りの目だとか、そんなのを気にする余裕もなかった。ただ好きで、溢れてしまった。

 春先輩は驚いた顔をしたあとで、しばらくしてから微笑んでくれた。

「じゃあ付き合おっか」

 頬を桜色に染めた春先輩はとても綺麗で、もうそれだけで私は胸がいっぱいだった。世界中が鮮やかに輝いて見えた。幸せが全身を駆け抜けて、溶けてしまいそうなぐらいに。

 私はとにかく春先輩が大好きだった。知らなかった春先輩の一面を知る度に嬉しくなった。春先輩と同じ時間を共有するのが楽しかった。春先輩の色々な表情を見てはドキドキした。優しく微笑む春先輩を見るのが幸せで、彼女のためならなんでもできると思っていた。


「ごめんね」

 だから、だからこそ、わかってしまった。

 春先輩と付き合ってから三度目の春の日に、今度は春先輩から切り出された。

「そ、れは、もう……ダメって、ことですか?」

 春特有の強い風が吹いて、周りの桜を散らしていく。風に吹かれてざあざあ聞こえる木の葉の音が泣いてるように聞こえて、なんだか私みたいだと思った。

 本当はわかっていた。だってずっと、ずっと春先輩が大好きだったから。

「ごめんね、別れよう」

 ああ、こういうハッキリとした物言いが好きだったな。言葉はこんなにハッキリしてるのに、泣きそうな顔をするところも大好きだった。

 そう思った直後に、春先輩のことを過去形で語る自分が嫌いになりそうだった。過去にしなくちゃいけないのに、取り繕えない本心がそんなの嫌だと泣き叫んでいる。まだこんなに大好きなのに、大好きだからわかってしまうの。

「ダメ、なんですね……」

「うん。ごめんね」

 春先輩の私への好きと、私の春先輩への好きがゆっくりずれていくのを感じていた。すれ違いが増えて喧嘩が増えても、私は春先輩が大好きだった。でもきっと春先輩はそうじゃなかった。本当はもう随分前から知っていたの。

「春先輩のことが、大好きでした」

「ありがとう。私も、冬雪のこと……大好きだったよ」

 また強い風が吹いてきて私の涙を拭っていった。ああ、私の幸せな春が終わる。あたたかく穏やかで、美しい春が終わってしまう。私の冬を優しさで溶かした春先輩のことを、心から愛していました。

 どうしようもないほどに、美しい春を愛していました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私は彼女に恋をする 池田エマ @emaikeda

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ