仮想は仮想で現実は現実、それが大事

「それじゃ、俺は少しの間ここを離れるからな」


「わかった。とりあえず明日またここで集合でいいね」


「オーケー」


 ここはどこかと聞かれたら。王都はイニティア、城下町の宿屋街にある小さな宿『マムシの巣』の一室だ。固いベットが二つ、テーブルが一つ、簡素なつくりの部屋でランプの灯がゆらゆらと揺れる。


 ゴーゼンから逃げ切り、イェンカとパーティーを組み、彼女の先導で何とか森を抜けてようやくメインストーリー最初のミッションをクリアしたのだった。


 イニティアに着くや否やフードを目深に被ったイェンカは、誰でも泊まれて値段も安い宿を教えてくれた。店主とのやり取りをしている時に現れたポップによると、リスポーンを固定する方法の一つが宿を取ることらしい。ちなみにリスポーンを固定せずに死んだりログアウトしたりすると、近場の教会から再開し料金を徴収されるらしい。……金の管理が大変そうだぁ。


 イニティアへ入る為の関所でNPCの衛兵から『開拓者はまずバヤ婆さんに話を聞くべき』というストーリー進行のトリガーとなる話をされて、同時にその旨のミッション通知も現れたが今は無視だ。


 メニューから簡単な操作をするとゲーム終了ログアウト。眠りから覚める時のような感覚と共に俺は目を開いた。


 ヘッドギアを外すと、カーテンの隙間から見える空は白んできている。


「さっ……すがに疲れた……」


 現実世界のワンルーム、ぎしりと安い音を立てながらパイプベットから起き上がると背筋を伸ばす。


「ねっむい……」


 思えばオーディンズメテオをクリアしコンビニに行った後、その足でAoUを始めたのだ。長時間のキャラクリとチュートリアルの後にゴーゼンからの命がけの逃避行、疲れないわけがない。


 フルダイブをしたまま体調不良に陥ったというニュースは、もはや報道すらされない程に頻発する事案だ。俺も気を付けなければ。


「寝るか……」


 フルダイブ機器カルペディエムのヘッドギアをローテーブルの上に置くと、俺は再びベットへと横たわる。すぐに眠気がお出迎えに来てくれる。この数時間の出来事を反芻し、同時に未だ遭遇していないオンライン要素に少しの不安を見ながら、数分もしないうちに俺は眠りへと落ちて行った。





「やっば! スマホ落とした!? 電子財布ウォレカ持ち歩いてないのに……!」


 コンビニレジ前の小騒動。茶色いウェーブの髪を揺らして、準ギャル女はあたふたとポケットを探る。後ろに並ぶ俺はどんな表情をしていたのだろうか。


 …………時間は少しだけ遡る。





 目が覚めるとカーテンの隙間から初夏の太陽光線が俺を焼き殺そうと首元を照射していた。13時少し過ぎ。いくら土曜日でもこれは良くない。生活リズムの改善を図らねば、と。とりあえずいつも考えるだけ考える。


「飯……」


 俺はのそのそと起き上がると、顔を洗って歯を磨く。髪は……帽子を被ればいいだろう。適当な服に着替えるとキャップを被って外に出る。春が終わったばかりだというのに、早くも夏がその片鱗をこれでもかという程見せびらかしている。


「冷やし中華でも買うか」


 向かうはいつものコンビニだ。高校生の頃の俺はまさか大学生になった自分の一番の行きつけの店が、おしゃれなカフェでも気のいいおばちゃんが切り盛りする定食屋でもなくただのコンビニエンスストアだとは到底思いもしないだろう。ああ、思ってもみなかったさ、ちくしょう。


 入店するとひんやりとした空気。もはやこの国のこの時期の風物詩だよ、これは。


 そしてひくつく口元。昨日の陽キャ集団の一人、準ギャルがいるではないか。飲料コーナーで、今若者に流行っているらしいみたらし団子モカを二つ手に取っている。


 なんだよみたらし団子モカって。糖尿病で死ぬぞ。


 そのままレジへ向かう女を横目に、俺は緑茶と冷やし中華だけ手に取り、その後ろへと並ぶ。


「…………ああ」


 極々小さな声で、俺は「思い出した」と呟いた。


 この女、どこかで見た覚えがあると思ったらアレだ。大学一年次にゼミの予行練習だとか何とかで組まれたクラスで俺と同じ組にいたんだ。名前はたしか…………神田かんだちさと。あの時は黒髪で眼鏡をかけていたはずだが……。


 脳裏に浮かぶのは「サークル」「ゼミ」「飲み会」「うぇーい」という人間改造フィルター。


 けっ。


 何だか卑屈なことしか考えられない自分の性格を情けなく思っていると。


「やっば! スマホ落とした!? 電子財布ウォレカ持ち歩いてないのに……!」


 清算がやけに遅いと思えば、必死にポケットを探る女がそこにはいた。だから何でもかんでもスマホに結び付けてしまうのは危険なんだ。


「えーー、すみませーん。お会計キャンセルでー……」


 そう言う神田を前に、俺はどんな顔をしていたのだろうか。


 ちょっと浮かれていたのかもしれない。


 俺だってオンラインゲームできるんだぞ、って。ユニーククエストをレベル2でクリアしたんだぞ、って。


 これはAoUのオンライン要素を味わう為に必要な一歩なんだと勘違いしていたのかもしれない。


「い、いくら?」


「えっ?」


 ウォレットカードを差し出しながら急に話しかけてきた俺(陰キャ)を前に、神田は数秒固まった。


「え、えっと、悪いです、よ? ……えっ?」


 明らかに困惑している様子の彼女を前に、俺も自分の行動に動悸が激しくなるが、もはや引き返すことはできなかった。


「い、いいっすよ。……あ、これも一緒に会計してください」


 レジに緑茶と冷やし中華を置くと、無理やりに清算を済ませた。店員のおばちゃんも終始なんだか不思議な表情であった。


「ありがとう、ございます……?」


 動揺を隠せないままでいる彼女は、俺からレジ袋を受け取るとそのまま離れていくわけにもいかないという様子で一緒にコンビニを出た。


「いやほんと、ありがとうございます。…………え、もしかしてナンパ?」


 落ち着いて少しだけ余裕が出てきたのだろうか、コンビニから出ると神田は俺の顔を覗き込む。ゔっ、と俺は顔を背ける。


「違うすよ。同じクラスだったよしみというか何というか……」


 言葉がすらすらと出てこない。これがゲームの中でNPC相手ならもっと流暢に話せるのに……。これがいわゆる仮想性現実乖離というやつか……。――仮想世界の優れた自分と現実世界の本当の自分の差によって自らに自信が無くなる症状らしい。よくニュースで聞く言葉だ。


 まあそれは置いといて。


「同じクラス? んー?」


 神田は背けた俺の顔をしつこく覗き込み「ああ!!」と表情を明らめた。


明井あけい君か! 明井竜一君!」


 成程と合点がいったようで、神田は俺の顔を覗くのを止めると「クラスって一年のね!」とけらけら笑った。


「やー懐かしい。そっか、同じクラスだったもんね」


 なるほどなるほど、と。神田はレジ袋からみたらし団子モカを取り出すと俺に差し出した。


「一本あげる。さっきのお礼。もちろんお金は二本分ちゃんと返すから」


「えっ……」


「いいから、遠慮しないしない」


 遠慮しているわけじゃなくて飲む気になれないんだが……。断り切れずにそれを俺は手に取ってしまった。結露したその容器はひんやりと気持ちが良い。


「そういえば、明井君。昨日の夜、AoU買ってたでしょ?」


 ぎくり、と。俺はさびついたような動きで神田の方へ首を巡らせる。


「あの時さー、なーんか見たことある人だなーって思っててさ。で、AoUも買ってたからちょっと気になっててね」


 昨夜、観察するような目で見られたのはそれが原因か。


「神田さんもやってんの……?」


「もちろん!」


 それは何だか意外だ。いくらフルダイブが普及してゲームプレイヤー層が広がったとはいえ、神田のようなタイプがゲームをするとは思わなかった。


「今、明井君の頭ん中、偏見に満ちてるでしょ」


 バツが悪い。俺は視線を左上へ逃がす。


「まあいいや。始めたてだよね? アタシが色々教えてあげよっか!」


 お礼お礼、と。神田はとんでもないことをさらっと言い出した。


「えっ、い、一緒に……?」


 なんで!? お礼って言われても、それはもう貰った押し付けられたぞ。


「そ。ちょうど一緒にプレイしてたネッ友が家庭の事情だかなんだかでAoU引退しちゃってさー。暇だし初心者応援特典も欲しいんよねー」


 一応、win-winということらしい。


 俺はあっけに取られながらも逡巡。苦手なオンライン要素は、既に一応知り合いの神田となら何とかやっていけるかもしれない。


「昨日の今日だからまだイニティアっしょ? 夜にはインするからさ、7時くらいに中央広場のミスィリア像の前で待ち合わせね?」


「え、あ、はい」


 ……またもや押し切られてしまった。まるで嵐のような存在だ。抵抗するコミュ力が俺には無い。


 そんな俺を置き去りに、「じゃ、また後でねー」と神田は去っていった。


「…………まじか」


 呆然、期待、不安、混乱、畏怖。色々ブレンドされた不思議な感情が渦巻く。おもむろにみたらし団子モカの蓋を開けて、茶色い液体に口をつける。


「あっっっっまぁ!!!???」





 リンドウがログアウトしてから数分後。


 イェンカは固めのベットに横たわっていた。疲労が強い重力のようにシーツに身体を圧しつける。悪い感覚ではない。


 ――――眠気が心地良いのはいつぶりだろう。


 イェンカは久しぶりに横たわって眠りを受け入れた。


「おやすみなさい!」

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