次こそは————
クエスト進行中もメインストーリーの確認はできるようだ。『メインストーリー 最初の街<イニティア>へと向かう』をタップすると、派手な装飾の矢印はやはり亀裂の向こう側を指し示す。
最短距離を教えてくれるのだろうが、通れない進路を進路と呼んではいけないと思うんだ。……まあ、運営側も始めたてのプレイヤーがこんな状況に追い込まれるなんて想定はしていないのだろうが。
「リンドウさん、何ボーッとしてるんです……?」
イェンカの声で俺はメニュー画面をパッと閉じる。どうやらこの類の行為はNPCには認識できないらしい。
「何でもない。それよりもどうするか早く決めないと……」
恐らくゴーゼンはすぐそこだ。亀裂に沿って移動をしても、それを超えられる程狭くなる位置に辿り着けるという保証はない。幅がそのまま変わらなければ、いずれ追いつかれてそのままやられる。
「……一つだけ手があります」
イェンカは頼もしい台詞を、およそ頼もしさとは程遠い語調でポツリと呟いた。
「ゴーゼンの狙いは————」
「却下だ」
「……まだ何も」
「却下だ」
ゴーゼンの狙いは『首飾り』で、それにかけられた呪詛を頼りにあの異常なゴブリンは追跡を続けている。それを捨てるという策は既に選択肢からは外れている。ならばイェンカが言おうとしているのは……。
「逃げるなら一緒にだ。じゃないと寝覚めが悪い」
「………………」
それにイェンカが捕まったら折角のユニーククエストが失敗に終わるかもしれない。一応これでも俺はゲーマーだ。ユニークがエンカウントの珍しさを指すのなら、この一回にかけて貪欲にクリアを目指すのが性である。例え俺が始めたてのプレイヤーでレベルもまだ2しかないとしてもだ。
ま、まあ、イェンカの申し出を却下した理由は、彼女に対して言った内容がメインではある。ユニークへの固執は理由全体の1割……いや2割くらいしか占めていない。少しくらいは打算があってもいいだろう。
「とにかくまずは決断だ。この亀裂を超える方法を探すか、それともこれに沿って————」
と、俺の早口を遮って、森がドカンと震えた。ランタンムシが闇にその身を隠す。
「ゴーゼンが近くまで来たみたいです。……光を奪うことで怯えさせて、正確な判断をさせないようにしてるんです」
幸いにも光を奪うのはこちらの常套手段でもある。怯えることはない。
にしてもランタンムシによる明かりのギミックは面白い。敵AIも利用するくらいだ、追うにしろ逃げるにしろ、このギミックの扱いがとても重要になるのだろう。その度に撃破されるランタンムシ君には合掌だ。南無南無。
————と、定期的に光が落ちる視界の中で、俺は特異な現象を目に収めた。
「青いランタンムシ……?」
俺の視線を辿ったのだろう、イェンカもそちらを見る。
「ほんとだ、珍しい」
森の木々に紛れて、それは静かに飛んでいた。動きは他のランタンムシと同じ、だがその色が決定的に違う。目が痛くなるほどに青い。最初にランタンムシからドロップ品を拾った時のことを思い出す。
「あれが基本的じゃない色の……」
そしてそれは生態も少し違うようで。ドンッ、と一斉に光が落ちた黒の中で、青いランタンムシはその身を光らせ続けている。他に光が一切存在しない黒いキャンパスの中で、その一点だけが青く青く光り輝いている。ひどく幻想的なその光景に目を奪われる。
「……リンドウさん、それどころじゃないです」
ハッ、と。俺はイェンカの言葉で意識を現状へ引き戻された。
「そうだな。……ちょっと悔しいが色違いはまた今度見つけるとして、とりあえず少しでも距離を稼ぎながら逃げる方法を考えよう」
イェンカの手を握ると、再び光の落ちた森の中を歩き始める。ゴーゼンによる夜の空気を震わせる音も近づいてきているように思える。少し早足で歩き始めるが、なんと闇の中だと青いランタンムシの光が良い道標になるではないか。先ほどまでとは違い、完全な暗闇の中を歩かなくても良いという状況はとても好ましく……。
「リンドウさん、そっちは……!」
「え?」
……そしてとても危険な誘導灯であった。イェンカに強く引っ張られて止まると、森に光が戻り始める。俺の足は亀裂に踏み込む一歩手前の地面を踏んでいた。
「っぶねぇ……」
じりじりと後退すると、青いランタンムシが目に入る。いつの間にか亀裂の上まで移動していたようだ。
……まさかそういう狩りの手段ってわけじゃないよな?
イェンカの方向感覚のおかげで九死に一生を得た俺は、
「助かった」
右手の中にある小さな手を思わず強く握っていた。正直マジでビビったのだから、それくらいは許してほしい。だがイェンカの手を握りしめた理由はそれだけではない。
「っ、ちょっと痛いです。…………リンドウさん?」
「…………イェンカ、お前の持ち物を教えてほしい」
俺が右手の力を緩めると、彼女は不可解そうな顔をしながらマントの下の腰に付けたポーチから中身を出した。
「大した物は持ってないですよ?」
確かに、イェンカが取り出したのはほんの数点。
「ほんの少しのお金に、携帯食。護身用のナイフと残り少ないロープ、あとは肌を隠すためのイブニンググローブ。……これくらいかな」
それを見て、確信。
「100%だ。算段がついた」
「…………?」
イェンカは何もかもが分かっていない表情。眉をひそめて首を大きく傾げる。
「歩きながら説明する。あっちへ向かうぞ」
指さしたのは亀裂に向かって左手側。つまりは北側。
「そっちは『始祖の谷』がある方向です。亀裂は狭まるどころか広がってしまいます……!」
「……わかってる。でもあっちに行くしかないんだ。できるだけ向こうに、できるなら『始祖の谷』とやらまで辿り着きたい」
決着をつけるならそこだ。そこでないといけない。
時間が無い。目でそう語ったつもりでイェンカを見ると、眉はひそめたまま納得に至ってはいない様子で、しかしこくりと頷いた。
@
ドンッ、と。空気が震える。
ゴーゼンと俺の間には短時間では決して埋めることのできない差が存在する。
ドンッ、と。森が震える。
挑んでもせいぜい数十秒翻弄するのがやっと。それもスキルを使わない状態の相手にだ。
ドンッ、と。闇が震える。
このまま逃げてもやがて追いつかれる。倒すことなどできるはずもない。
「…………なら」
木々が大きく切り拓かれて作られた道の上で、俺達はゴーゼンと再び対峙を果たしていた。イェンカ曰く王都から派遣された『始祖の谷』調査団の為に作られた道なのだそうだ。谷を背負う形で、背水ならぬ背谷の陣で、俺とイェンカはゴーゼンを出迎えた。
「イェンカ、逃げろ」
「……うん」
迷うことなく谷の方向へ走り出したイェンカを、ゴーゼンは西洋兜の奥にあるだろう目で追うが、兜にぶつけられた石によって思考を邪魔される。勿論投げたのは俺だ。
「よそ見してんなよ。さっきの続きと行こうぜ」
ピキリ、と。ゴーゼンの頭部の血管が音を立てた気がするが、しかし奴は俺を無視して歩き出す。走り出すための助走のつもりだろうか、段々とそのスピードを上げていき、俺の横を通過しようとしたその瞬間。
「だからシカトすんなって!」
俺はゴーゼンの脇腹めがけて短剣を振るった。そこにあるのは圧倒的なレベル差という防御力の壁。当然、ゴーゼンに刃は通らない。
「……!?」
が、しかし。ゴーゼン自身に傷はつかなくても、奴の纏う衣服なら。革エプロンに略奪品を縫い付けている紐なら。
果たして、奴のコレクションの一つである丸い何かを、俺は切り離すことに成功した。
「ッッッッッ!!!!」
ゴーゼンは言葉を発さない設定のキャラクターなのだろう。それでもその感情の高ぶりはわかる。
強奪者は自身の所有物を奪われた瞬間、激昂した。
耳をつんざくような咆哮を背に、鳥肌に追い立てられながら俺はイェンカの向かった方向へ走り出した。手には勿論、ゴーゼンから強奪したアイテムを握りしめて。
直後、背後で地面が爆発するような音が聞こえた。ゴーゼンが地を蹴って走り出したようだ。迫りくるその気配は、まるで質量を持っているかのように重厚。捕まったら、否、追いつかれたらその瞬間ひき肉になってもおかしくない。
「こえーなー……」
軽口で緊張を誤魔化しながら全力で走り続けていると、不意に光が消えた。……おそらくイェンカだ。俺が逃走を始めてランタンムシを斬り落としたら、もしくはそれ以外の理由で俺の逃走を知ったら、そうしたらイェンカも機会があればランタンムシを攻撃するという手筈になっている。この場合、おそらくゴーゼンの咆哮を鬼ごっこ開始の合図として理解したのだろう。
「いいぞ、イェンカ」
少しだけ光を取り戻した暗闇の中、俺も走りながらランタンムシを斬りつける。ここは木々の伐採によって出来た道故に、月明かりが他の場所よりも強く降り注いでいるが、しかしそれでもランタンムシが羽を閉じれば十分に視界は阻害される。
微かに前方を確認できる程度の暗闇の中、俺はとにかく前へ前へと走り続ける。
よし、この調子なら————!
と、確信を見出せそうになった瞬間である。すぐ背後で強い踏み込みの音が聞こえた。
「これは……!」
咄嗟に強く跳躍して地面から離れるが、ゴーゼンのスキルは地表にいようがいまいが目の前の敵をスタンさせるらしい。俺は空中で身動きが取れなくなったまま地面に向かって自由落下を始める。
潮時か……!
「<アボイドステップ>」
一人に一つ、ぶっ壊れ回避スキル。地面につま先がつくや否や、俺の身体は木々生い茂る道の脇へと反転した。
コンマ数秒、ゴーゼンが目の前を突っ切った。
突っ切った、その瞬間。耳の裏まで鳥肌が駆け上ったのを感じた。かの巨大ゴブリンは、明らかに異常な速度で目の前を通過したのだ。
ゴーゼンが発動したスキルは一つではなかった。スタンさせるものと、もう一つ。単純明快な異常速度による突進。
結局のところ、終始やつが狙っているのはイェンカのみ。自分のコレクションを奪われて激昂こそしたが、目の前に最優先ターゲットが現れれば話は別なのだろう。
ゴーゼンの行く先に、ランタンムシの光に照らされた小さな背中が見えた。
「イェンカ! 逃げッ、避けろ!!!」
咄嗟に近くを飛ぶランタンムシを拳ではたいて、肺に残った空気の限り俺は叫び上げた。
様々な音が入り混じる。森に反響する自らの声、ゴーゼンの地を蹴り散らかす轟音、弾けそうなほどに高鳴る心臓。
視界の光を奪われてもなりふり構わない。全てを置き去りにして、ゴーゼンは首飾りに仕掛けた呪詛めがけて最高速度で突っ込んだ。
————その瞬間の感覚を、俺は想像する。
心臓が浮遊するような感じだろうか。足元の虚空を信じられないでいるだろうか。血管が膨張し顎が砕けそうになっているだろうか。
ランタンムシに括りつけられた首飾りに誘導されて谷底へ落ちる気分は、一体いかがなものなのか。
逃げられない、倒せない。ならば自らどこかへ行ってもらうしかない。
ランタンムシが光を取り戻して視界が戻ると、ちょうど『始祖の谷』の断崖絶壁からゴーゼンの姿が消えようとしていた。最後の視線はたしかにこちらを突き刺していた。
「悪い。次こそは正々堂々と、な」
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