ゲーム始めたてで重要そうな固有名詞出てきた時のワクワク感

 初期スポーン地点である『旅立ちの森』は現在夜、まるで計画停電のように明滅を繰り返す地帯が北へ向けて移動している。


 俺のせいだ。正直、明るさという環境値をいたずらにオンオフするのは迷惑行為だとしか思えないが、今は『ES』真っただ中だ。誰にも迷惑をかけないわけだし好きにやらせてもらう。


 現代のフルダイブ型ゲームにおいて何が真っ先に重要視されるか、それはどれだけ没入できるかを決めるパラメーターである現実感リアルさである。神ゲーと呼ばれるAoUもそこには並々ならぬこだわりがあるはずだ。現にグラフィックは現実と比べても遜色の無いものがここにはあるのだから。


 であれば視界、目から得られる視覚情報は何よりも重要だ。現実感リアルさを追求するのであればそれはAIにも適用される。とにかく森の明かりを抑えてゴーゼンの視界を邪魔しつつ、イェンカへ向かって元来た道をひたすら戻る。それが今俺にできることだ。


 背後のゴーゼンの気配は薄く和らいだ。完全に撒けてはいないが、視界から外れることには成功したようだ。


「リンドウさん……!」


 月明かりに照らされて、イェンカが小声で手を振っているのが見えた。ぜぇぜぇとスタミナ切れを吐き出しながら、俺はイェンカの元へ駆け寄った。


「イェンカ……どうだ、道は?」


「月と星の位置で方角を割り出しました。イニティアまで行くことができれば……いくらゴーゼンでも王都に踏み入ることはできないはず」


 そう言いながらイェンカは「西です」と指さした。そのままソワソワと俺の方を見る。


「早く行きましょう」


 相当ゴーゼンに怯えているようだ。まあ無理もない。ほんの数十秒対峙しただけで理解したが、あれはやばい。もし俺が今AoUをやり込んだ熟練のプレイヤーで、高い能力値に豊富なスキル、潤沢な装備を併せ持っていたとしても、エンカウントしたら勝てるビジョンが浮かんでこない。


「よし、行くか」


 呼吸を整えると、イェンカの先導についていく形で森の道を駆けていく。ランタンムシの光を落とすことはもうしない。ゴーゼンの視界から外れた今、森の視覚情報の変化はできるだけ抑えるのが吉だ。


「それにしても、よく俺のことを待っててくれたな。ゴーゼンを引き付けてるうちに逃げてもおかしくないと思ってたけど」


「……そんな薄情なことはしませんよ。私が巻き込んじゃったんだから、一緒に逃げないと目覚めも悪いです」


 何だか歯切れが悪い。本心を言っているが、それがメインではないかのような。


「俺がいた方が便利だしな? まあ、いざとなれば囮役は買うから安心して――」


「そこまでは思ってませんよ……!?」


 イェンカは走りながら「心外な」とこちらを軽く振り向いた。すぐに進行方向へと向き直るとぽつぽつとしゃべり始める。


「一度話しましたが……私はかれこれ3年間、ゴーゼンから逃げ続けています。絶え間なく移動を繰り返して、ハーフ種族である強みを活かして人間の街に潜伏したりして、何とかギリギリ生き永らえてきたんです」


 その言葉から感じたのは『執念』の二文字。ゴーゼンは徒党を組むようなタイプではないことはわかる。人海戦術は使えないし、現実世界リアルのようにSNSを駆使することもできない。ひたすら足と頭を使ってこの小さなゴブリンハーフを3年間追い続けているのだ。


「ゴーゼンは欲しい物に対して呪いをかけるんです。絶対に自分の物にするためにかける呪詛」


 そう言いながらイェンカは首元にある何かを薄汚れたマントの上から握った。


 それが両親の形見か。そして恐らくそれにも呪詛がかけられている。


「どれだけ遠くに逃げても、呪詛がその大体の位置を伝えてしまう」


 どれだけ逃げても、どれだけ隠れても、いずれはゴーゼンの手が伸びてくる。この小さな女の子には、一日でも安心して眠れた夜があったのだろうか。


「そうか……一人はツラいよな」


 それが俺を待っていた理由。


「……その、なんだ……。それをゴーゼンに渡しちまうのは……」


「駄目!」


「……だよな。わかってる」


 ゴーゼンが狙っている物品を未だに見ることはできていないが、『両親の形見』だということだけはわかっている。ならば逃げ続ける以外の選択肢は無いのだろう。


「……『竜喰いヴィアガルデの兜』」


 聞き慣れない言葉をイェンカはぼそりと吐き出す。


「『断頭司祭ファーゴの斧』、『神送りの短刀』、『クラ柳の葉の束』、『ツァーラン三世の赤子のミイラ』、『海淵の魔女ゾルゾラの手鏡』、『知恵の指輪』、『古都ハルバラのメダル』、『黒の扉の鍵』」


 この時点でピンときた。


「ゴーゼンが身に着けてる物か」


 頭に被っている物、武器として振り回している物、革のエプロンに縫い付けている物。略奪の証明。イェンカは頷くと続ける。


「これだけじゃない。他にもいっぱいあります。……いずれも歴史に残るべき遺物や宝物、偉大な魔術が込められた逸品です。それらを、歴史を重んじず、大して魔術を使いこなせないゴブリンが独り占めしています」


 イェンカはマントの下から、首飾りを引っ張り出した。


「それが……」


 深紅の輪を革の紐で括っただけのシンプルな首飾り。一見とても質素だが、素材の分からない真っ赤なリングが視線を吸い込もうとしてくるようで……。イェンカはそれを揺らすと俺の意識を引き戻す。


「『英雄カフの首飾り』、家宝だったんです」


 家はもうないから『だった』。


「これもゴブリンの歴史の中で重要な意味を持つと、いずれその意味を私にも教えてくれると、両親はそう言って私を育ててくれました。結局それを聞く前に故郷はゴーゼンに滅ぼされてしまいましたが……。そんなことは関係なく、これが両親のいた唯一の証明だから……だから私はこれをゴーゼンには絶対に渡したくない」


 イェンカは再びそれをマントの下へ隠す。


「軽率なことを言って悪かった。絶対に逃げきろうな」


 これは演技ではなく、俺の自然な応答ロールプレイング。俺はこの世界に既に没入しきっていた。


「大丈夫。……むしろ、こんなことに巻き込んでしまってすみません。もし逃げきれたら――――」


 と、イェンカが急に立ち止まった。危うくぶつかりかけたところで俺も止まると、サッと寒気が額を走った。


 目の前の地面に巨大な裂け目が広がっていた。幅は…………。


「……5メートルはあるか?」


 深さは見当もつかない。イェンカが深いため息をついた。


「『始祖の谷』から分岐した亀裂の一つですね……」


 またもや知らないワードだ。疑問符を頭に浮かべているとイェンカが「えっ知らないんですか?」と訝しむ。


「『王都イニティア』より北側には未開の環境が広がっています。イニティアとそちら側を分断しているのが『始祖の谷』です」


 いいですか、と。イェンカは即興丁寧な講義をしてくれる。


「その幅は約1kmにも及び、深さはわかっているだけでも9,000m以上と言われています。向こう側も谷底も公式には誰も足を踏み入れたことが無い、それが『始祖の谷』とその向こうの未踏破地帯です」


 その谷から分岐した小さな谷が、今目の前の大きな障害として立ち塞がっている。


「……これまずいんじゃないか? 飛び越えることはおろか、橋みたいなのも無いぞ……?」


「…………。………………まずいなんてものじゃないです」


 逃げ込もうとしていた王都イニティアは亀裂の向こう側。背後からはゴーゼンが追ってきているはずだ。


 強奪が、死が、森の闇の中をじりじりと迫ってくるのを俺は肌で感じていた。

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