『ゴーゼン』
画面端の『ES』マークは消えない。つまり他プレイヤーの干渉なくクエストを完遂しなければいけない。
「落ち着け落ち着け落ち着け……。イェンカ、一緒に逃げる代わりにゴーゼンの情報を教えてくれ」
ミッションの表示は「逃げきる」だった。つまりは戦う必要は無い。相手がどれだけ高レベルでも真正面から戦わなくてもいいのなら……。
「ゴーゼンはゴブリン族の中でも異常に肥大化した肉体を持っています。それでいて凶暴です……。私の故郷であるノークス渓谷もゴーゼンのせいで滅びました」
……何その凶悪なラスボスの過去エピソードみたいなの。
「ゴーゼンは種族に関わらず……それが例え同族でも蹂躙します。そして欲しいものを全て奪っていくんです」
だから"強奪者"。
イェンカは小刻みに震えながら俺の袖を引っ張る。
「奴は私の持っている両親の形見を狙っています。もう三年……私はゴーゼンから逃げ続けています。それでも奴は諦めない……。……早く逃げましょう」
「あ、ああ。とりあえず――――」
どっちにいけばいいんだろう、と。そう逡巡する裏で俺は考える。"逃げきる"とは何をもってクリアとするのだろう。明確なゴールがあるのか、それとも既定時間逃げ続ければいいのか……いや、そもそも鬼ごっこなのだから鬼が出てこないと――――。
と、その瞬間。
ドンッ、と。背後に、何かが、降ってきた。……何かがとは言ったが、このタイミングでここに現れる巨体の存在など一つしかない。成程、クエストクリアの条件は俺たちに向いたタゲを外すことらしい。
「ゴー……ゼン……」
イェンカが空気の抜けるような声で呟いた。その視線を辿り、俺は振り向いた。
確かにデカい。3メートルはあるだろうか。筋骨隆々と表現しても差し支えのない深緑の肉体がそこにいたが、特筆すべきはそこではなかった。
「おいおい何だよ趣味の悪いファッションだなコノヤロー」
まず違和感が滲み出ているのが頭部。西洋鎧の兜を被っており表情は全く見えない。その荒い呼吸のみがゴーゼンの表情を物語る。
そして身体部。ボロボロの皮ズボンを着用し、上半身には皮エプロンような物のみを着用している。……ただのエプロンではない。装飾品やナイフ、薬草の束のような物、果ては干からびた赤子。様々な血まみれの"強奪物"がそのエプロンには縫い付けてあった。
「初めて見る裸エプロンがこれかぁ………」
俺がため息をつくのと同時に、状況が一気に動いた。
「リンドウさん危ない!」
イェンカが叫んだのはゴーゼンが右手に持つ巨大な斧を振り上げたから。もちろん俺も動いている。
「<アクセルアタック>」
すぐ近くを飛んでいるランタンムシを切り落とした。お約束だ、森から光が消える。しかし視界を奪ったからといって、それで攻撃が止まるわけではない。
「イェンカ! 手を!」
闇の中でがむしゃらに少女の細い腕を掴む。それは発動すればどんな無茶な体勢からでも回避行動をとってくれる。
「<アボイドステップ>!」
頬を鋭い風圧とすえた鉄の臭いが掠めた。感覚的にはゴーゼンとの距離は空いたと思うのだが、神経を引っ張られるような緊張感は途切れない。薄暗い光が戻り始め、微かにゴーゼンが斧を構えた姿が見えた瞬間、再びランタンムシを切り落とす。
「とにかく視界から外れ続けるぞ!」
イェンカを引っ張り、さらにゴーゼンとの距離を取る。数瞬前まで俺たちが立っていた地面を大斧が割る音が響いた。再び光が戻り始める。
「イェンカは逃走経路を見つけて考えて覚えろ!!」
言いながら俺はランタンムシをライトオフ。
「む、無理! 暗くて視えないです!」
「一瞬だけほんの少し明るくなるだろ!」
「いやそんなの無――――」
イェンカの声をぶった切るかのように叩きつけられる大斧の音。……たしかに暗闇の中ゴーゼンの攻撃を避け続け、あまつさえ俺がランタンムシを斬るまでの一瞬の間で地形を観察しろというのは酷かもしれない。
ならば。
「わかった、少し離れてろ」
俺はイェンカの腕から手を離すと、そのまま後ろ手に彼女の肩を押す。
「えっ、リンドウさん?」
ランタンムシが発光を再開するが斬って光を落とすようなことはしない。約5メートル、ゴーゼンとの距離を前に胸部が震える。
レベル100オーバーのボスエネミーを前にして、たった二時間ほど前にこの世界に降り立っただけの俺は、少しだけ今の状況と座標が異なる思考を巡らせていた。
思えばイェンカを捕まえてからずっと『
そう思うと何故だろう。
「気楽だ」
一歩、また一歩と近づいて来るゴーゼンを迎えて、逆に心は穏やかさを取り戻していく。
「イェンカ、たぶん30秒くらいは時間稼ぎができる。それで何とか逃走ルートを見つけてくれ」
「わ、わかりました」
イェンカが応え、ゴーゼンが斧を構え、そして俺は視界を左右に振った。
「<アボイドステップ>」
大斧の振り下ろしに合わせて回避スキルを発動すると、目をつけておいた樹木の枝へと捕まる。
「
枝の上へと足をかけると跳躍、次の足場は――。
「っと、失礼!」
ゴーゼンの兜に覆われた後頭部を踏みつけてから巨漢の背後に着地。それでぶちぎれたのだろうか、くぐもった咆哮と共にゴーゼンは地面に得物が突き刺さった状態から、そのまま俺のいるところへと斧を振りかぶり叩きつける。
が。
「それはさすがに読みやすいな」
その攻撃に合わせて地面を蹴ると、空振って地面に突き刺さった斧を踏みつけて、そのままゴーゼンの腕を駆け上る。屈強な右肩を足場に踏みしめて、右手には<旅立ちの短剣>、それを素早く薄汚れた深緑色の喉へ突き立てた。……のだが。
グニィ、と。
とても分厚く硬い皮膚に阻まれる感触が短剣の刺突を止める。
「
攻撃を避けることができてもやはり相手は
倒せば逃げきったことになるだろ理論は通じないよな、そりゃそうだ……!
ゴーゼンの左手が掴みかかる。
「ぅぁあああ<アボイドステップ>!!」
っぶねえ!
ギリギリのところでクールタイム15秒が終わったおかげだ。間一髪で死の際を脱出すると、俺は再びゴーゼンの背後に着地した。ゴキゴキゴキ、と。首を鳴らしながら巨大なゴブリンはこちらに向き直る。
ぶっ壊れ気味のスキルと、パルクールもどきの動きで何とか生き延びてはいるが、常に瀬戸際にいるということは忘れてはいけない。こちとら未だレベル2だ。奴の攻撃を受けたら一発で
だからこそ出来るだけ戦闘はしたくない。
「おいゴーゼン! 何お前、"強奪者"だっけ? やけに欲張りらしいなぁ、おい!」
AoUだからというではなく、昨今のゲームのNPCにあてがわれているAIは優秀だ。NPCだろうがボスエネミーだろうが、言葉が通じさえすれば「煽り」というロールプレイにもちゃんとした意味があるのだ。
実際、ゴーゼンの動きは止まった。苛立っているのか呆れているのか、フルフェイスの兜のせいで感情は読めないが、言葉への反応はある。
「何だったら俺のも奪ってみるか? ほら、これ俺が持ってる中で一番価値がある物だ!」
そう言うと、俺はインベントリから取り出した<黒犬の牙>を放り投げた。月とランタンムシの光を軽く反射しながら、白いそれはそこそこの存在感を放ちながらゴーゼンの頭上を越えていく。
嘘は言っていない。他に良い物を持っているわけではないのだから、あれが俺が持っている物で一番価値が高い。……いや、<旅立ちの短剣>の方が価値ありそうだな。ごめん、嘘ついたわ。
果たしてゴーゼンは俺の嘘にまんまと気を取られ、<黒犬の牙>へ視線を釣られ、そしてそれが単なる犬の歯だと気付くと激昂した。
咆哮が夜の森をびりびりと震わせる。攻撃されたわけでもないのにランタンムシの光量が落ちやがる。
「こっわぁ……」
斧を携え突進してくる巨漢ゴブリンに対して、俺はとにかく距離を離す為に走って逃げる。勿論、イェンカとは真逆の方向だ。
しかしてこういった単純な動きにこそレベル差が顕著に現れる。すぐに追いつかれそうになると、俺は脚を止めてゴーゼンに向き直り、そして全神経を研ぎ澄ませた。
次の一発を避けて、そのままイェンカの元へと全力疾走する。攻撃後の硬直も味方につけて、できるだけ距離を離した状態で合流するつもりだ。
次の一発が勝負を決する。
と、その瞬間。
ゴーゼンが一際大きく右脚を高く上げた。前方向に無理やり踏む四股のような、そんな異常な踏み込みを見ながら、俺の背中には痛いほどの鳥肌が立っていた。
これは、何らかのスキ――――
大地が震えた。比喩ではない。軽い地震のような振動が地面と、そして俺の身体を揺らす。動こうとしても動かない。
これは……。
「スタン……!?」
動きが封じられた。既にゴーゼンは大斧を振り上げている。勿論、狙いは俺だ。当たれば両断は免れない。
一瞬の死の猶予。斧が振り下ろされるその刹那、15秒目は訪れた。
――――頼む! スタン中でも……! <アボイドステップ>…………!!!
ドガンッ!! と。地面を割るその音の中に、肉体が潰れる音は混ざっていなかった。
「――――っぱ、ぶっ壊れ! スタン中でも使えるとかぶっ壊れてんな、このスキル!!」
致死の一撃をまたもや間一髪で避けると、枝を経由して空を跳び、そして地面に降り立った。同時にランタンムシへ一発。
全力で死にかけながら稼げたのはたったの30秒。だがイェンカへの手土産にはちょうどいい筈だ。
再び闇が訪れた。
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