『イェンカ』

「いっ、たた……」


 周りは真っ暗。派手に転倒した際に一匹巻き込んでしまったのだろうか、ランタンムシがその光を落としていた。ポツポツと光が戻る最中の薄い闇の中、俺は右手に感じる細い肩を決して手放さないように力を込める。果たして光が戻りきると、そんな必要は無かったと知った。


 薄緑色の肌、ボサついた白いボブヘア、尖った耳。ゴブリンハーフの少女は目を回して起き上がらない。


「だ、大丈夫か……?」


 敵モンスターエネミーなのかNPCなのかいまいち判断がつかない故に、俺は右手で腰の短剣に触れながら薄緑の頬をポンポンと叩いた。するとスゥーっと半透明のウィンドウが表れた。


『逃げるゴブリンハーフに追いつく ミッションクリア』


 それが消えるのと同時に、目を回していたゴブリンハーフはハッと意識を取り戻した。


「みみみみ見逃してくらさい!」


 赤い瞳の四白眼が全力で怯えを表現していた。言葉をかんでしまうAIなんて初めて見たぞ。


「どうかー、どぉぉーーーかぁぁ、見逃してはくれませぬでしょうかぁ……!」


 この通りですぅ、と。深々と土下座を始めた少女に俺は思わずたじろいでしまう。彼女から見たら、今の俺はさしづめゴブリンハーフを討伐する為に走って追いかけてきた悪者なのだろう。


「そんなビビらんでもいいって。傷つけたりはしないから」


 俺はそう言いながら違和感を覚える。


 Q.俺はなんでこのゴブリンハーフを追いかけていたのだろうか。


 A.ユニーククエストとやらが発生し、ミッションに従った為。


 この回答はナンセンスだ。そういう意味ではない。


 この『ゴブリン鬼ごっこ』とかいうクエストは明らかに導入が雑過ぎる。遭遇したから追いかけろ、はあまりにもストーリー性が無さすぎる。神ゲーAoUはストーリーの丁寧な作り込みにも定評があったはずだ。それが本当だとしたら……。


 この世界観ゲームにおいて、ゴブリンハーフの少女を追いかけることには周知の事実でもある必然性があるはずだ。その必然性とは何か……考えるまでもなく目の前の女の子が教えてくれるようだ。


「ほ、ほんとうに!? 貴重なゴブリンハーフを目の前にして!? 身売りするか身体をバラ売りすればそれだけで土地とお屋敷が買えるお金が手に入るこの私を捕まえたのに!? 希少価値が高すぎる美少女ゴブリンハーフの私がその手中にあるのに!!?」


 ……なんだこいつ…………。


「それならやっぱ倒すか」


「調子に乗りましたぁぁぁぉお許しをぉぉぉ……!!」


 ……つまりだ。ゴブリンハーフはとても貴重な存在で、倒して素材を手に入れても美味いし、捕獲(?)して売っても美味しい。見つけたら追いかけないはずが無い。それが必然性。


「…………そんなことゲーム始めたてのプレイヤーに求める?」


「…………? わ、私は許してもらえるのでしょうか……?」


 首を傾げる俺を不思議そうに仰ぎ見て、ゴブリンハーフは土下座の形からおずおずと正座の形に身体を起こす。


「許すも何もジョークだよジョーク。ゴブリンハーフの価値とか俺にはよくわからんし」


 熟練者なら問答無用で斬り倒したりするのだろうが……。初心者でその価値がよく分からないが故に、ちょっとは抵抗があって出来そうにない。


 ……やっぱりこのクエスト、初心者がやるべきものではないのでは……? というかそもそも追いついたら終わり? 報酬はゴブリンハーフそのもの? ということは討伐も捕獲もしないという選択をした俺は骨折り損のくたびれ儲けということだろうか……?


 ふつふつと頭に浮かび上がる疑問のその向こうから、少女が「ご慈悲に感謝いたしますぅぅぅ」と首を垂れる。深々と下げた上半身を起こしながら彼女は開口。


「お名前を伺っても……?」


「ん、名前? 俺はリンドウ。お前は?」


 ここまできたらNPCと見なしてロールプレイに徹するのがRPGとしての正解だろう。自然な会話ロールプレイングに対して少女は応える。


「私はイェンカです。ご存じの通り希少なゴブリンハーフ、その中でもさらに貴重な美少女です」


「……なんだこいつ…………」


 イェンカと名乗った彼女を見て呆れて、そして思う。


 たしかにニッチな層ロリコンとか人外フェチには爆発的に受けそうなビジュアルをしている。みすぼらしい灰色のマントを纏った貧相な格好も、ニッチもニッチな層に突き刺さるかもしれない。


 命乞いに長けた人外ロリナルシストイェンカは、はてと首を傾げた。


「リンドウさんは何で私を追いかけたんです? 人間に掴まるイコール不幸の私は追いかけられて生きた心地がしなかったんですが……」


 それなー、俺にもわからないんだよなー。うーん……ロールプレイ的に答えるとしたら……。


「いやまあ、物珍しさ? 俺、冒険始めたばっかでゴブリンハーフも初めて見たから」


「熟練の冒険者でもゴブリンハーフを見たことがある人間はごくわずかかと思いますよ。私自身、人間には数年ぶりに遭遇してしまいましたし」


「えっ、そのレベルのレア度なのかよ……」


 なるほど、"クエスト"ってそういうことか。こりゃ始まり早々かなりのラックを使ってしまったようだ。


 ………………ん?


 というか、そうだ。これは『ユニーククエスト ゴブリン鬼ごっこ』だ。イェンカゴブリンに追いついて捕まえたのに、出現したのは


「……このクエスト、まだ終わらないのか?」


「?」


 俺が首をひねる、イェンカもその動きを追ったその瞬間。


 ドンッ!!! と、森が揺れた。ランタンムシが一斉に光を閉ざす。闇の中でイェンカが震えあがった。


「な、なんだ!?」


 閉ざされた視界を右に左に揺らすが、得た情報はイェンカの震える呟き声のみ。


「まずい……ゴーゼンだ……。もうこんなところまで追いついて……」


 ゆっくりと光が戻る森の中で、怯えに染まりきったイェンカの表情がやけに印象的に見えた。


「……ゴーゼン?」


 何か嫌な予感がする。


「強奪者ゴーゼン……私の知る限り最悪のゴブリンの名前……」


 再びドンッと強い振動が森を揺らし光を奪う。


「西の果ての故郷から、私を追いかけてきたんです……」


 やがて光は戻るが、イェンカの絶望はさらに深く。


「お願いします……。ゴーゼンから逃げるのを助けてくれませんか……?」


 イェンカが震えながら訴えかけてきたその瞬間気が付いてしまった。


 ……ああ……ゴブリン鬼ごっこってそういうこっちが逃げる側か…………。


 半透明のミッション通知が表れる。


『強奪者ゴーゼン(Lv100+)から逃げきる』


 血の気が引くのと同時に思い出す。AoUを始める前に読んだレベルシステムに言及したレビューの内容だ。確か「レベルは100でカンストするがそこからがやり込みの始まり~」だか何だか書いてあった。


 つまり。


「これ絶対に初心者がやっていいクエストじゃねえ……」

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