未だ悟りに至らぬ心

 いったい何度戦ったのか、もはや覚えていない。

 倒しても倒しても復活するカノンの分身体との戦い。

 共に戦ってくれた纏姫たちもすっかり疲弊してしまった。今は学校に戻って休んでいる。

 シュガー小隊の面々は最終決戦への参加を熱望していたが、体力的に限界が来ていたので休ませた。


 カノンを救って欲しい。セイカはそれだけ伝えてオレたちを見送った。

 

 

 数々の戦いを経て、数多の人の力を借りて、ようやくオレたちはここに辿り着いた。


「やはり、あなた方が辿り着きましたか」


 視線の先にいるカノンを見つめる。彼女の分身体とは先程までに散々戦ったが、目の前にいる彼女はやはり雰囲気が違った。

 彼女の背中に顕現している観音像は一際眩い光を放っている。

 千手観音像。あらゆる場所に救いの手を伸ばすため、無限の手を得た菩薩だ。

 

「お前が本体、でいいんだよな?」

「ええ、そうですよ」

 

 カノンはあっさりと認めて頷いた。


「つまり、ここで決着をつければお前を止められるわけだ」

「ええ」


 ひどく静かな声だ。

 カノンがあまり声を荒げないのは以前からのことだが、今はどこか雰囲気が違う。


「なんだ、怒っているのか? カノンも案外可愛いところあるんだな」

「……ッ」


 一瞬、彼女の瞳が吊り上げった。赤い瞳がオレを貫く。


「ここまで来てもそういった態度なんですね。私は邪魔する者は殺すと言ったはずですが。自分たちは絶対に勝てるという自信が?」

「いや、そんな自信はない。ただ、お前を絶対にこの場で止めなければならないってことはハッキリしている。何も分からなかった前よりはずっとマシだ」


 原作知識なんてものに頼っていたオレにとって、カノンというイレギュラーの存在はずっと予想できないものだった。

 

 でも、もうやることはハッキリしている。

 あれだけ背中を押してもらったのだ。

 みんなに協力してもらい、カノンの分身体を倒した。

 オレのなんかのために、たくさんの纏姫が協力してくれた。

 

 オレの嘘が聞けない世界なんてつまらない、なんて言ってもらった。


「もう迷いはない。――行くぞ」


 オレは傍らにいるみんなに呼びかける。

 

「うん。――カノン。これが終わったら、全部正直に話してもらうよ」


 彼が真っ直ぐに言い放つと、カノンは一瞬だけ動揺するような気配を見せた。

 まるで、迷子になった幼子がキョロキョロとあたりを見渡すような気配だ。

 

 しかし、彼女が静かに目を閉じ合掌すると感情の揺れはすぐに収まった。

 目を開けた彼女は既に、超然とした救世者そのものだった。

 

 「なるほど、皆さん準備万端のご様子。――では、私も今一度全力を出すとしましょう」

 

 カノンの動きに合わせて千手観音像が合掌する。何対もの手が次々に手を合わせると、神々しい後光がさらに輝きを増した。

 何か、全身に鳥肌が立つような恐ろしい気配がした。

 

 空気が揺れる。

 不自然なまでに規則的な風が吹き荒れた。それらは千手観音像へと向かって行き、何かしらのエネルギーを与えているようだった。

 拡散した『救世カノン』が収束する。六観音に与えていたカノンの力が、本体たる彼女へと戻っていく。


 やがて合掌を解いた彼女は、今まで相対したどのカノンよりも力が漲っていた。

 神の力をも糧とした救世者が行動を開始する。

 

「千手、悉くを救わん」


 カノンの合掌と共に千手観音像が動く。 無数にある手が目にもとまらぬ早さで掌底を繰り出す。

 その動きはあまりに俊敏で、五感に優れたハヅキ以外に誰も捉えられる者はいなかった。

 

「ッ……『幻想流――五月雨!』」


 目視すら困難な剣戟。

 ハヅキの刀が千手観音と同等の速度で閃く。

 金属同士がぶつかり合うような音が高速で響いた。

 

 掌底と刀が激しくぶつかり合う。

 入り混じる攻撃の密度は互角。

 

 拮抗する局面を変えようとしたのは、既に『マクスウェルの悪魔』を完全展開したマナだった。


「標的を捕捉。制圧射撃を実行する」


 鼓膜を破らんばかりの爆音が響き、機関砲が巨大な鉛玉を吐き出した。

 カノンがすぐに反応する。


「『現世浄土――強化展開』」


 カノンの周囲にドーム状の白い膜が現れた。

 鉄装甲すら穿つ弾丸が、ドームに弾かれる。


「掌打」

「くっ……!」

 

 ドームが解放されると共に黄金色に輝く掌が弾丸の如く飛び出し、マナの体を吹き飛ばした。

 攻撃の射程が明らかに千手観音像の腕の長さよりも長い。伸縮すら可能ということだろうか。

 

「おいおい、観音像の腕が伸びるなんて聞いたことないぞ」

「救いの掌は全ての場所に届かなくてはなりません。当然のことです」

 

 カノンができると思えばできる、ということだろうか。

 彼女のでたらめな強さを考えればこの程度は容易いのだろう。

 

「私を前に考え事ですか、噓葺ライカ」

 

 千手観音像が動く。掌底を放たんと動き出した一本の腕の動きに、オレは集中する。

 掌がオレの方へと迫り――途中で消えた。


「は?……ガッ!」

 

 背後からの衝撃に吹き飛ばされる。見れば、黄金色の掌が何もない空間から突如として出現していた。


「掌も遍在するってか……? 流石にインチキだろ……ッ!」

 

 直感だけを頼りにその場から飛びのくと、地面から突き上げた掌底が空を切った。離れた場所にいるヴィクトリアとヒバリも、空間に突如出現した掌底に翻弄されているようだ。

 冷や汗を流しながらカノンを見ると、彼女は柔らかい笑顔のままその場から一歩も動いていなかった。


「我が救いの手、あまねく届き渡らん」

 

 千手観音像の周囲の空気が揺らめく。複数の腕が掌底の構えを取り、すぐに腕がその場から消えた。


「――乱れ咲き」


 掌が、四方八方から現れた。


「ッ!」


 周囲を見て突破口を模索する。掌底がオレのすぐ横を通り過ぎ、風切り音が聞こえてくる。


 比較的攻撃の薄い方向に向かうが、それでも尚掌が次々と出現し追撃を仕掛けてくる。

 

 全部避けるのは無理か、と被弾を覚悟した時、目の前にゴツゴツした手のひらが現れた。


「ライカ、こっちだ!」


 彼の手を咄嗟に取ると、すぐに体を引き寄せられる。そのまま凄まじい勢いで空中へと上昇した。

 

 ヒバリの力を借りた彼の飛行能力は見事なものだった。掌底の射程圏外、上空数十メートルまで一気に上昇する。

 素直に感謝を伝えようとするが、冷静になるとある事実に気づいた。

 オレの体を引き寄せた彼は、そのまま腰に手を回してちょうど「お姫様だっこ」の恰好を取っていた。

 

「……ッ! おい、目的が済んだらさっさと離せ!」

「ここで離したら落ちるよ! 足折れるよ!?」

 

 驚いた彼の腕がオレの体を一層強く引き寄せる。

 彼の体温が直接伝わってくる。生温い感覚にムズムズする。

 

「ッ……あー、しょうがねえ! おいお前、カノンの真上から突っ込めるか?」

「できるけど、作戦はあるの?」


 彼がオレのすぐそばで言葉を発するのがこそばゆい。

 

「オレがカノンの気をひきつける。お前は使えるもの全部使ってカノンの頭に触れろ」

「頭にって……ああ、精神の同調か。僕がカノンと対話すれば解決すると?」

「ああ、なんとかしてくれ女たらし」


 カノンの精神は完璧に見えてその実不安定だ。

 彼女と会話したオレは、その仮定が正しいことを確信した。

 であれば、彼ならカノンを救えるかもしれない。

 

 オレの冗談めかした言葉に、彼は苦笑いをした。

 

「女たらしなんて、ライカみたいな人たらしに言われたくないよ」

 

 彼が飛行魔法の高度を下げる。

 一度は遠ざかったカノンの姿がぐんぐんと近づいてきた。

 

 風切り音の向こう側から、カノンの威嚇するような声が聞こえてくる。


「――なんですかその破廉恥な体勢は、ふざけているのですか!?」

「うるせえ、オレだって好きでやってるわけじゃねえんだよ!」


 拳銃を顕現させ、カノンの頭上めがけて乱射する。

 彼女の周囲に先ほども見せたドーム状のシールドが出現し、小口径弾は弾かれる。


 オレは片手でマガジンを交換しながら言葉を発する。


「おい、分かってるな? 拡散と集中だ!」

「分かってる! 『其れなるは少女たちの夢──幻想徴用』」

 

 彼の腰に日本刀が現れたのを確認したオレは、拳銃を両手に叫んだ。


「よしっ、離せ!」

 

 彼の手が上空にてオレの体を離す。

 頭から落下する体勢のままに、オレは連続して引き金を引いた。

 

 地面に落ちる前に誰かがオレの体を受け止めてくれるはずだ。信頼を基に、オレは戦闘に集中する。


「……いったい何を?」


 カノンの『現世浄土』の守りは依然として突発できない。弾丸は全て弾かれる。

 オレの行動が理解できなかったカノンは首をかしげる。

 

 しかし、彼女の頭上から落下する一条の光があった。

 

「幻想流――」

 

 落下のエネルギーのままにカノンへと迫る翔太が刀を抜く。

 上空10m近くを落下しているにもかかわらずその瞳に怯えはなく、ただ目の前の標的を見据えていた。

 

「――瀑布!」

 

 オレの弾幕に目を取られていたカノンの真上から、彼の刀が激突する。

 衝突。シールドと刀の力比べが始まった。


「オ、オオオオオオオ!」

 

 彼の雄叫びが響き渡る。『現世浄土』のシールドが軋みを上げる。

 

 今までの戦いから見るに、カノンは必要に応じて『現世浄土』の守りを集中させていた。

 日本全土に広げる時には薄く、広く。

 強力な攻撃を防ぐ時には一点特化に。

 弾幕を防ぐには壁状に。


 オレの弾丸を防ぐための『現世浄土』を展開していたカノンは、一撃に莫大な破壊力の籠った『幻想流』の刀による一撃を防ぐことができなかった。


「ッ、あ……!」


 ドーム状に展開されたシールドが砕け散る。

 カノンの下に降り立った彼は――ゆっくりと、彼女の頭に触れた。


 

 その瞬間、彼はカノンの記憶の中に入り込んだ。

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