噓のない世界

「ようやく本性を現したな。シナリオの外のイレギュラー」


 オレの放った弾丸が、カノンの胸に命中した。

 しかし、弾丸はその身体を貫くことなく弾かれた。

 カノンは弾が当たったことを気にする様子すらない。


 赤くなった目を見た時点でこの程度の攻撃は効かないだろうと予想していたが、予想以上の硬さだ。

 せめて厄神の吸収を止めたかったが、観音像は厄神の巨体を完全に飲み込んでしまった。


「ライカ、あれは!?」

「警戒しろ! カノンは危険だ!」


 オレの中の仮説が確証に変わった。

 カノンは何か企んでいる。力を得て何かを為そうとしている。


 元から、怪しいと思っていた。

 単にシナリオの外の存在だから、というだけではない。


 言動があまりに完成され過ぎていた。

 美徳にも思えるその特徴が、オレにはどうしても怪しく見えていた。

 まるで聖人のような、ネガティブな感情など全く抱かない様子は、10代の少女とは思えないものだった。


 ここに来るまで観察していたカノンの様子を思い出す。


 彼女の立ち振る舞いは完璧だった。

 頭の回転が速く、行動力がある。

 波風立たぬように人の仲裁をする。

 誰にでも優しく、平等に接する。

 決して感情的にならず冷静。


 ああいうタイプの奴は、大概腹に一物抱えている。

 オレのそれなりに長い社会人経験から出した結論だ。


 優秀な人間と言えど、普通であれば感情の動きは些細な機微に現れる。


 目の動き。息遣い。手の置きどころから指の動きまで。

 人は意識しないところに感情が現れる。生粋の嘘吐きであるオレも例外ではないだろう。


 その観点から見ると、カノンからは何も読み取れな過ぎる。

 完璧すぎるのだ。

 息遣いは乱れず、目は真っ直ぐに前を見据え、姿勢正しく拳は膝の上。


 30年以上人を観察し老成した大人であれば、あるいはそういうこともあるかもしれない。

 しかし救世カノンは10年と少ししか生きていない子どもだ。


 画面の外から眺めていればそんな異常性には気づきようもなかった。


「負傷している奴はカノンから距離を置け。『虚構の浸食』と相対している時と同じだ」


 救世カノンは昇天フライアウトの生還者だ。

 赤くなった瞳。異常に出力の高い力。

 そして、『虚構の浸食』を吸収するという異常性。


 たとえ能力的に可能だとしても、『虚構の浸食』の吸収は普通の精神であれば耐えられない。

 他人の虚構を取り込むのは毒だ。

 他人の嘘と自分の嘘がごちゃ混ぜになり、やがて己が何者かすら分からなくなるだろう。


 昇天生還者は極端な思考に傾くことが多い。


 人間こそがこの世界のガンである。

 無能は殺した方が世界の為だ。


 そんな思想に至った纏姫が人殺しに手を染めた例はいくつか報告されている。


 虚構対策委員会の大人たちは、昇天した纏姫を殺すことは正当防衛として許可している。

 それ程までに危険な存在なのだ。


「カノン。どうして厄神を吸収したんだ? 何が目的で力を得る?」


 とは言え、対話を諦める理由にはならない。

 オレが問いかけると、彼女は常と同じ穏やかな笑みを浮かべて答えた。


「すべては、救世のためです。……私の力なら、この世界を救うことができます」


 彼女の目は真剣だ。まるで幼子の夢のような言葉。しかしそこに籠められた熱は尋常ではない。

 オレは慎重に言葉を選びながら対話を試みる。


「世界を救うっていうのは、何を意味している?」

「──この世界は苦しみに満ちています。『虚構の浸食』のもたらした被害は大きい。直接の死傷者は10万を優に超える。未曾有の大震災ですら、これほどの被害は出ていません。さらに、人口が一極集中していた都心部を喪失したことによる軋轢は日本中に火種を生みました。不安が偏見や差別を助長し、排斥を生んだ。ヒバリさんやヴィクトリアさんは、そのことをよく知っているはずです」


 厄神討伐に力を使い果たしたヒバリは、彼女の言葉にほんの少し頷いた。


「さらに、『纏姫』という歪んだ存在。守られるべき少女が力を持つという異常。人間は、10代の少女を最前線に立たせることを選択しました。……この歪こそが、多くの悲劇を生みました」


 彼女の赤い瞳には、何かここではない場所の景色が写っているようだった。


 きっと、オレの知らない出来事を思い出しているのだろう。

 その様子に口を挟めなかったオレは少し黙る。


「だからこそ、私が救い上げるのです。──私の理想で、現世を塗りつぶします」


 彼女は虚空に向けて両手を上げた。

 その瞬間、まるでオーロラのような光が彼女を覆った。

 神々しいのその光景に、思わず目を奪われる。


 厄神を完全に吸収した彼女は既にオレひとりで止められるような存在ではなくなっている。観音像の存在感はさらに増し、神々しさすら感じられる。


「皆さんを傷つけるのは気が進みません。どうか、私の救世が実現するのを静かに見届けてくださりませんか?」

「そういうわけにもいかない。若者が失敗しないか見守るのは大人の役目だ。特にデカいことやろうとしてる時はな」


 カノンはオレの言っている意味が分からない、とでも言いたげに首を傾げた。


 誰にも相談せずに勝手に覚悟を決めた子どものやることなんて、だいたい上手くいかないものだ。

 他のみんなも、カノンの言葉に不安そうな表情をしている。シュガー小隊ですらカノンの計画は聞かされていなかったらしい。


 その様子を見てオレは言葉を続ける。


「たしかに今のカノンの力は強大だ。もしかしたらお前ひとりで『虚構の浸食』を倒せるかもしれない。……ただ、それで本当に世界を救えるか? 急に敵がいなくなったら纏姫はどうなる? この世界で最も力を持ったカノンの扱いは? 奪われていた領土を巡って争いが起きたら? ……問題の解決と救世は似ているが別だ」

「ライカさんは私を少々見くびっているようですね」


 カノンはにっこりと微笑むと滔々と語った。


「私がするのは単に『虚構の浸食』を倒す対症療法ではなく、決定的な根本療法です。──私は『嘘のない世界』を作ります」


 無理だ。


 そう思ったのは、オレが生まれつきの嘘つきだからかもしれない。

 けれど、すぐに否定の言葉を出すことができない。

「噓のない世界」という響きは、胡散臭いほどに甘美に聞こえた。


「『虚構の浸食』は今日、すなわち人の嘘から生まれます。纏姫の力もまた同様。人間が誰も嘘をつかず、虚構を作らず、虚勢を張らなければ、世界の歪は解消されます。これこそが私の目指す根本療法です」

「──無理だろ、そんなこと」


 語調が強くなったのは、おそらくオレ自身の感情が乗ってしまったのだろう。


「生きている限り人間は嘘をつく。政治、ビジネス、社交、学生生活、恋愛。人間の営みには嘘がつきまわる。嘘をなくすなんてのは幼子の夢だ」

「人が今のままでは無理でしょう。ですので、私の力で遍く人を悟りに至らせます」


 悟り。仏教における目標。その境地に辿り着いた者は、一切の煩悩を断つことできるという。


「悟りってのは誰でも至れるようなものじゃないだろ」

「私の塗り替えた世界では人間はより完璧な存在になります。欲すればすぐに悟りに至り、人はあらゆる悪徳を行わなくなるでしょう」


 夢でも見ているのか、と笑い飛ばすには彼女の赤目はあまりにも真っ直ぐだった。

 世界を塗り替え、世界の理を変え、人を変える。

 目の前で強大な力を行使する彼女なら、あるいは可能なのかもしれないと思わせた。


 ただ。


「そんな世界は嫌だ、と拒絶されたらどうする?」

「──私の理想を邪魔するのであれば、殺す他ありません」


 何の気なしに、彼女は「殺す」という言葉を使った。

 ああ、やはり彼女は既に壊れている。

 真っ直ぐにこちらを見つめてくる赤目を見て思う。


「……ライカさんは何を懸念しているのでしょうか。人は苦しみから解放され、『虚構の浸食』は二度と生まれなくなる。私の理想を受け入れるのはそれほど難しいでしょうか」

「ああ。人間はカノンが思うほど綺麗ではないし弱いからな。お前の基準によれば、オレみたいな嘘つきは殺されるんだろ?」

「……そうですか。穏便にはいかないようですね」


 そう言ったカノンが掌を合わせると、観音像が激しい光を発した。

 カノンの周囲を何か球体のものが覆っていく。


 光の繭とでも言えばいいのだろうか。一目見れば分かる堅固な守りは、今の消耗したオレたちでは簡単に壊せそうにない。


「学校まで退いてくださりませんか? 疲労した皆さまでは、私と戦う以前に周囲に残る『虚構の浸食』を相手にするのも苦しいはず。──三日後、私は救世を開始します。それまでに皆さまの考えが変わることを祈っています」

「……カノンの言う通りだ。戻ろう」


 フォックス小隊もシュガー小隊もガス欠寸前だ。ヴィクトリアの傷もまだ治っていない。

 カノンの言う通り、ここで決着をつけようとすれば関係のない外野にすら倒されかねない。


 主のいなくなった『特区』の真ん中で、カノンは光の繭の中に閉じこもった。

 宣言通りだとすれば、三日後に彼女は繭を出て救世を始めるだろう。


 こうして、オレたちはカノンと言うイレギュラーを前にして一度引き下がることになった。




 ▶ CHAPTER Ⅱ COMPELETED! 


 エクストラチャプター 救世の章へ続く

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