彼女らの想い

 ヒバリの力を借りるのは初めてのはずなのに、飛行魔法はアッサリと僕の体に馴染んだ。

 ライカ曰く、纏姫纏いブラッファーウェアリングにはアンカーと纏姫の好感度が大事なのだと言う。

 であれば、ここに来る直前にヒバリと胸襟を開いて話し合えたおかげでここまでの力を引き出せたのだろう。


 そんなことを考えながら、僕は仲間たちの元へと着陸した。


「僕にできることはある?」


 何か話し合っている彼女らに問いかける。

 さっきまで厄神を振り切るのに必死だったから、状況は全く分からなかった。

 

 でも、ヴィクトリアが何かを切望しているのは分かった。

 僕の顔を驚いたように見たヴィクトリアは、やがて告げた。


「観測者。私の手を握っていてくれない?」


 少しだけ照れを滲ませながらヴィクトリアが言う。

 彼女が素直に人を頼るのは珍しいことだ。


「アンカーの役目だね。任せて」


 言わんとしていることが分かった僕は、ヴィクトリアの左手をゆっくり握る。

 柔らかくて温かい。女の子の手だ。


「かん……翔太君、あんまり手をにぎにぎしないで。くすぐったい」

「ご、ごめん。そんなつもりじゃ……」


 収まりが悪くて、ついつい手を握り直してしまった。

 こんな時なのに、まるで初デートのカップルみたいだ。

 

「なにデレデレしてんだ阿呆。さっさとやるぞ」


 ライカの常より低い声がして慌てて顔を上げる。

 見れば、彼女が呆れた顔でこちらを睨みつけていた。

 察するに「何イチャイチャしてんだ。真面目にやれ」とでも言いたいのだろう。

 

 その視線に、ヴィクトリアは恥ずかしげに顔を背けた。

 僕もいたたまれない気持ちになり目をそらす。


 ちょっと変な空気になった後、気を取り直して彼女が宣言する。

 

「――じゃあ、やるよ」

 

 顔を上げたヴィクトリアの纏う雰囲気が変わる。

 素顔の彼女はこれでお終い。

 

 これから偉業を成し遂げるのは、失われし大陸の皇女、ヴィクトリア・フォン・レオノーラだ。


 彼女が僕と繋いだ左手の反対側、右手を突き出すと何もないところから木の杖が現れた。

 それを構えて、少女は厳かに詠唱を開始する。


「――いずれ収束し、滅びゆくものどもよ」

 

 何か、巨大な力が彼女の元に集結してきているのが分かった。

 杖の先に黒い光が集まり始める。

 

 

 虚勢と現実の狭間を行き来する彼女の精神は不安定だ。

 乱雑な記憶の嵐が頭の中に流れ込む。

 手を繋ぎ意識を同調する僕にも同じ光景が目に飛び込んできた。

 

 彼女を現実に繋ぎ取る錨として、僕はヴィクトリアの手を強く握りしめた。

 

 

 もはや彼女自身の頭からも消えかけていた過去の記憶が想起される。

 僕はヴィクトリアの記憶と向き合った。

 


 ◇

 

 

 カッコ悪い。

 そんな自虐は口癖のようについて回った。

 小学生くらいの頃の彼女は「何も出来ない子」だった。


 別段、生きていく上で困るようなことではない。

 逆上がりができない。九九ができない。球技ができない。


 大人になれば「そんなこともあったな」と笑い飛ばせる些事。

 けれど幼い彼女にとってそれは、巨大な壁のように恐ろしく強大なものに見えた。

 


◇ 

 

 

「――全てを飲み込む漆黒の孔。重力の星」


 杖先の黒い光が大きくなり始めると、周囲の空気を吸込み始めた。

 魔法を行使するヴィクトリアの目はそれを映していない。

 彼女の意識は、既に回想の中に入り込んでいた。

 


 ◇



 ちっぽけな彼女を真に救ってくれるのは空想の世界だけだった。

 マンガ。小説。アニメ。映画。ドラマ。

 

 特に気に入ったのは物語の悪役たちだ。

 冷酷な魔女。ニヒルでミステリアスな少年。特殊能力を持った少年少女。

 

 傍若無人。唯我独尊。あるいは変わり者。

 社会から一歩外れた孤高な在り方が、ヴィクトリアには魅力的に映った。

 だから、そうやって振る舞ってみたりした。

 

 でも、すぐに気づいた。

 現実は物語の登場人物のようにならない。

 ただ、協調性のない人間として爪弾きにされるだけだ。

 


 ◇


 

「――宙に浮かぶ孔は孤高に、全てを虚に還す」


 杖先に浮かんだ黒孔は、轟々と周囲の空気を吸い込みどんどんと規模を拡大していた。

 強大な魔法の発動を察知した厄神は吼え、ヴィクトリアに向けて突っ込んできた。

 しかし、すぐに鼻っ面に弾丸がぶち当たる。


「子どもが頑張ってんだろ。邪魔すんな」


 ライカの対物ライフルが放った大口径弾が厄神の動きを阻害する。

 渾身の力を籠めた幻想弾丸ファンタズムバレットは、強化された厄神をも仰け反らせるほどの威力だった。



 ◇


 

 現実世界に都合の良い救いは存在しなかったが、彼女には助けてくれる人がいた。

 優しい両親や明るい幼馴染み。同級生は皆優しかった。


 たくさん助けられて、彼女は感謝すると共に劣等感を覚えた。

 

 ひとりじゃ何もできない。

 いつも助けられてばかり。

 カッコ悪い。


 

 

 ――助けてくれる人はいなくなった。

 ヴィクトリアの住んでいた場所は死の領域となった。

 

 厄神の襲来の後に残ったのは、屍と精神を病んだ幼馴染だけ。

 

 もう、不甲斐ないままではいられない。

 爪弾きになっても、誰かを傷つけても、物語の悪役のように強い自分にならなければならない。

 

 だから彼女は変わった。変われた。

 

 


 纏姫であるヴィクトリア・フォン・レオノーラは理想の存在に成った。

 

 だからこそ、こんなところで己の理想を貶めることなどできない。

 ヴィクトリア・フォン・レオノーラは理想の存在でないとならない。

 今の自分は、カッコ悪い自分になんて二度と戻れないのだ。

 

 


 

 彼女の回想を見つめていると、いつの間にか僕は真っ暗い空間で彼女と対面していた。

 かつてライカと対話した時と同じ現象だろう。

 

 僕の目の前には、目を伏せるヴィクトリアの姿があった。

 

「……これが本当の私。ちっぽけで、カッコ悪くて、誰にも見せられないような私」

「――それは、孤独だね」

 

 誰にも本当の自分を打ち明けられないなんて、寂しい。

 率直な感想を述べると、ヴィクトリアはちょっと俯いた。

 

「孤独だなんて、私が止まる理由にはならない。ママとパパを見殺しにして、ひーちゃんを縛り付けた。この程度は当然の報い。私の義務」


 初めて、真っ直ぐに彼女の両目を見た気がした。

 眼帯をつけていない彼女の二つの瞳と向き合う。

 

「話を聞く限り、ヴィクトリアのせいじゃないんと思うよ。誰もどうにもできなかったんだ。厄神のもたらした被害も、君たち都民への蔑視も、君の両親の死も」

「それは私には関係のない話よ。私がひーちゃんを縛り付けた事実に変わりはない」


 そう言った彼女は、自虐的に笑った。

 ひどく痛々しい、自暴自棄な笑いだった。


「結局のところ、自己満足なの。カッコいいも、失われし王国の皇女も。纏姫の身分も魔法も全部、弱い自分を騙しているだけ。――本当に、カッコ悪い」


 自虐的に語る様は常の自信満々な様子から程遠い。

 それを見て、僕はようやくいつものヴィクトリアの様子は全部彼女の虚勢だったことに気づいた。


 きっと、内心ではいつも自問自答していたのだろう。

 本当にこれでいいのか。

 失った何かに胸を張れる自分になれているのか。誰にも嘲笑われない自分になっているのか。


 疑念に囚われ弱くなってしまった彼女には、正直な言葉こそが必要だろう。

 僕は口を開く。

 

「……そうかな。少なくとも僕は、カッコいいと思うけど」

「――え?」


 彼女の両目と目が合う。


「自分で自分を騙すなんて、多かれ少なかれ皆やってるよ。将来の夢なんて掲げてみたり、座右の銘なんて気取ってみたり……煙草を吸ってみたり」

 

 彼女とみんなの違いは程度の差に過ぎない。

 どれだけ真剣に自分を騙しているか。ただ、それだけだ。


「自分を騙しても、カッコつけているだけでも、自己満足でも、君が君を誇れるのならそれでいい。辛くなったら信頼できる人に言えばいい。ヒバリはもう弱くない。きっと君の助けになってくれる。……それに、僕だって君の力になりたい」


 過去を振り返ることで、彼女の中の自分への疑問は再び膨れ上がってしまったのだろう。

 だからもう一度、肯定する。

 彼女の虚勢を、誰にも明かせなかった弱さを、僕だけでも肯定するのだ。

 

「だから、ヴィクトリアはそのままでいいと思うよ。たとえ人に嘲笑われても、君は自分を誇るべきだ」


 

◇ 



 杖先の黒い光はついに完成した。

 ブラックホール。強力な重力で光をも飲み込む天体、その再現。

 

「――出でよ空白の黒星! 全てを飲み込み、無に帰せ!」

「……オ、オオオオオオオ!」

 

 重力の渦が解き放たれ、すぐさま厄神の元まで到達する。

 

 重力場に取り込まれた厄神の身体が空中に縫い留められた。

 物理学に則れば、厄神はこのままブラックホールに吸い込まれ消滅するはずだ。


 しかしこれは虚構と虚構のぶつかり合い。

 ヴィクトリアという個人の嘘と人類の積み上げてきた虚構を纏った厄神では格が違う。

 少なくとも力比べをする上では、だ。

 

 数十秒もすれば厄神はくびきから脱出するだろう。

 


 ただ、彼女には数十秒で十分だった。


 希望ヶ丘ヒバリが満を持して厄神に向かって飛び立つ。

 

「――幻想解放。ブレード、解放展開」

 


 彼女のステッキの先から展開されたブレードが、光を放ち膨張していく。

 

 ヒバリの展開するブレードの本質は、彼女の背負う希望の集約だ。

 彼女自身の感じる未来への希望、そして彼女が誰かに託された希望が光り輝く刃に集まっている。


 あるいはそれは、単なる思い込みなのかもしれない。

 ヒバリの抱く「希望」は物理的な形を持つものではない。他人の「希望」など、本当に託されたのか証明すらできない。

 リアリストな側面を持つヒバリは、そのことを重々承知していた。

 

 しかし、今の彼女が扱うのは虚勢ブラフの力。

 そこに希望があると信じる限り、希望ヶ丘ヒバリの力は本物となる。

 

 

 刃の形に収めていたソレを、一気に解放する。溢れる光が、空を舞うヒバリの体を覆わんばかりに広がっていく。


 身動きの取れない厄神の近くまで迫ったヒバリは、無造作にブレードを前方に向けた。

 

 刃先に集約された光が、指向性を持って解き放たれる。

 

「いっ……けええええ!」


 その一撃に、その場にいた全員が息を飲んだ。


 

 ブレードが光の奔流となり、厄神に襲い掛かる。

 キラキラと輝き空を横断する様は、桜吹雪をも思わせる美しい光景だった。

 

 厄神は迎え撃つために口腔から紫色のブレスを放つ。


 光の奔流とブレスが激しくぶつかり合い――やがて、希望の光が全てを包み込んだ。


「オ、オオオオオ!」


 厄神の身体を光が包み込む。


 ヒバリの攻撃の効き目は一目瞭然だった。

 奔流に飲み込まれた部分から、まるで元々存在などしなかったように身体が消滅していく。

 外殻を覆う紫の炎が光へと消え、雄々しい翼が光へと消え、黒い鱗が光へと消えていく。

 

 外殻を消し飛ばされたその体が徐々に消滅していく。

 厄神にとって、ヒバリの扱う力は天敵と言ってもよいものだった。

 

 人類の積み上げてきた病理への畏れ。それに伴う嘘。

 それらが希望の光に呑まれ行く。



 ――このまま消滅を迎えることこそが、正しい歴史の流れだった。

 

 

 厄神の体が光に吞まれ消滅する直前、1つの影がその場に飛び込んできた。

 

「――水を差すようですが。失礼いたします」


 後光を背負う観音像。落ち着いた雰囲気を醸し出す黒髪。

 宙を飛ぶ纏姫は救世カノン。

 

 先ほどの戦いで負傷したはずの右腕はいつの間にか完治している。

 

 体に漲る力は先ほどまでの比ではない。

 ――そしてその瞳は、赤い光を爛々と輝かせていた。

 

「遍く世界に救いの手を伸ばす為です。私の糧になってください」


 観音像が死にかけの厄神に手を伸ばす。

 すると、まるで磁石をかざした砂鉄のように厄神が掌に吸い寄せられた。

 

 冗談のような光景だった。

 観音像と比して尚巨大な厄神が一瞬にして掌に集約されていく。


 誰もが呆然とその光景を眺めていた。

 何が起こっているのかすら分からない。

「虚構の浸食」を吸収するなど、想像したことすらない。


 この後何が起こるのかなど、当然考えが及ぶはずがなかった。

 ただひとり、世界を外から見つめていた人間を除けば。


 

 厄神が観音像に完全に吸収される直前、銃声が一つした。

 

「ようやく本性を現したな。シナリオの外のイレギュラー」


 ライカの放った弾丸が、カノンに命中した。

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