噓つきのヒーロー

〈希望ヶ丘ヒバリの好感度ランク上限が解放されました〉



 

 ヒバリの過去を受け止め、改めて彼女との絆を深めた後。

 僕たちは厄神の元へと向かうために歩いていた。

 

 向かうのは、匂いがより濃い方向だ。

 特区には独特の異臭が満遍なく漂っている。

 まるで生ゴミとガソリンの匂いを混ぜたような、本能的な嫌悪感を覚えさせる異臭だ。

 

 おそらく、これがかつて都民を悉く殺した瘴気だろう。

 であれば、この匂いの大元に厄神は存在すると考えていい。


 

 着実に歩みを進める僕たちの耳に、突然轟音が届いた。

 前を歩くヒバリがすぐに反応する。

 

「翔太君、あっち! 行こう!」


 無人となった特区において物音を立てるのは自分たち厄神討伐隊の他にいない。

 僕とヒバリはすぐに音の元へと走った。


 やがて目にした光景は、巨大な龍の姿をした『虚構の浸食』――厄神と、それに吹き飛ばされるヴィクトリアの姿だった。



 

 

「――れーちゃん!」


 ヒバリがすぐさまヴィクトリアの元に駆けだした。僕もすぐに後を追う。

 急いでその場に辿り着くと、瓦礫の中に倒れ込む少女の姿が見えた。

 

「ヴィクトリア!」

 

 ヒバリと共に彼女の元へと駆け寄り、額から血を流す彼女の手を取る。

 指からはひんやりとした感覚が伝わってくる。

 

 改めて見ると、ひどい有様だ。

 いつものゴスロリ服には血と穴がたくさん。

 顔色が悪く、手は小刻みに震えている。

 

 そして、虚ろな両目はまるで血のように赤かった。

 

 赤い目は昇天フライアウトの前兆。

 力の使い過ぎによる発狂死が迫っている証拠だ。

 いつかのライカの姿が浮かぶ。


「ッ……」


 倒れ込んだ彼女の手を強く握りしめる。

 アンカーの役割は纏姫を現世に繋ぎ止めること。

 その力を使えば、ヴィクトリアの症状を和らげることは可能だ。

 

 けれどそれにはしばらく時間がかかりそうだ。

 ヴィクトリアの虚ろな瞳はこちらを認識することすらできていないようだ。

 彼女の様子は、単に外傷を負っているだけではなく、何か激しい疲弊をしているように見えた。

 

 背後から厄神のおぞましい唸り声が聞こえてきて、僕は思考を打ち切る。

 

 考え事をしている場合ではない。

 敵が迫ってきている。

 すぐにでも立ち上がって応戦しなければ。

 

 けれど、今ヴィクトリアの手を離せばこのまま死んでしまいそうですらあった。

 どちらの行動を取ればいいのか分からない。僕の動きが止まる。

 

「翔太君。君の力でれーちゃんを治してあげて」


 迷う僕に、希望ヶ丘ヒバリは凛とした口調で言った。


「厄神は私が引き付ける。この程度の前座、私ひとりで十分だよ」


 絶望的な状況とは思えないほどに、希望を信じている言葉だった。

 

 自信満々の笑顔を見せたヒバリは、魔法の力を使うと一瞬で空を飛ぶ。

 その先には、絶望を振りまく厄神の姿。

 

 高層ビルの隙間を縫って、少女は空を飛んだ。怯えなど微塵も感じさせない、勇猛な姿。

 一瞬にして厄神の目と鼻の先まで迫ったヒバリは、ステッキを構える。


「ブレード、展開……くらええええええ!」


 最高速度で突撃した少女の動きは、厄神の目が捉えるにはあまりに速すぎた。

 流星の如く駆け抜けた彼女の刃が玉体に傷をつける。


 致命傷には程遠い一撃。

 けれど、ヒバリにとっては気を引くことが目的のようだ。

 

 厄神が倒れたヴィクトリアから目の前のヒバリへと目標を変える。

 尻尾を振り回し、爪を薙ぎ、ブレスを放つ。

 けれど、小さな影には当たらない。

 

 厄神の鼻先を素早く飛び回るヒバリは、まるで蜂のように目を引き始めた。


 

 

 きっと、僕がヴィクトリアを治療する時間を稼いでくれる。

 そう思った僕は、彼女の手を強く握りしめた。

 

 血をたくさん流したヴィクトリアの手は相変わらず冷たいままだ。

 

「ヴィクトリア。今ヒバリが頑張ってくれている。みんなで生きて帰ろう」

 

 虚ろな目がこちらを向く。ヴィクトリアが両目をこちらに向けているのは新鮮だった。

 眼帯を外した彼女は、むしろ今までよりも弱弱しく感じる。

 

「ゴホッ……観測者。私も、戦う。手を離して」

「ヴィクトリア、まだ無理しないで。傷も全然治ってないし、それ以上力を使うと……」

「――そんなこと言ってる場合じゃない!」


 彼女の赤々と輝く瞳が僕を貫いた。

 煮えたぎるマグマのような怒りがその奥に渦巻いている。

 

「ッ、ゴホッ……」

  

 大声を出した彼女が苦し気に咳き込んだ。

 けれど、彼女が言葉を止めることはない。


「あれは私の仇だ! かの神を殺すことこそが私の意味だ! たとえ観測者であろうとこれは譲れない!」

「ヴィクトリア……」


 狂気に飲まれかけて尚、彼女はただ己の目的に忠実だった。

 ここではないどこかを見つめて、ヴィクトリアは言葉を紡いだ。

 

「私が、私こそが為さなければならないことなの。私は多くの人を地獄に落としてここにいる。大切な人を殺し、友を追い詰めて一人のうのうと生きている私の責務。私が為さなければ……私が厄神を殺さなくては、私は赦されない!」

「ヴィクトリア……」


 彼女の様子はサバイバーズ・ギルトと呼ばれる症状に見えた。

 大きな災害などに遭った人が、自分だけ生き残ってしまったことに対して罪悪感を覚える心的外傷。


 きっと彼女は、その痛みを空想の世界に入り浸ることで誤魔化していた。

 それでも痛みを忘れることができず、厄神の討伐を以って贖罪を果たそうとしていた。


 孤独で、不器用で、愚直な生き方。

 握った手から伝わってくる感情から、僕はそんな風に彼女のことを読み取った。


「……君が厄神を倒すために頑張ってきたことは、この手を通じて伝わってくる感情から分かるよ」


 その奥にあったのは煮えたぎる復讐心、だけではない。


「死んでしまった人に対する罪悪感もある。――でも今の君は、厄神を倒してヒバリを苦しみから解放してあげたかったんだね」

「何、を……」


 ヒバリが折れそうになった時、ヴィクトリアは目標を与えることで彼女を再起させた。

 厄神を倒して故郷のみんなを救うという目標、希望は空っぽになったヒバリに、偽りの元気を与えた。


 けれど、それは同時にヒバリを傷つけることにもなった。

 恐怖の対象である厄神に立ち向かわなければならないというプレッシャーは、ヒバリを追い詰めた。


 そのことに、ヴィクトリアは責任を感じていたのだろう。

 だから、自分で全部為そうとした。

 厄神の討伐を。故郷の解放を。ヒバリの解放を。

 

 そんな独りよがりの在り方は、紫煙をふかす彼女の姿をも思わせるものだ。

 自分ひとりが犠牲になることでみんなを救う様。

 どうしてこう、僕の周りには不器用な人が多いのだろう。

 

「お疲れ様、噓つきのヒーロー。でも、何も君自身の手で厄神を殺す必要はない。君の役目は僕たちが受け継ごう」

 

 ヴィクトリアが赤くなった目を見開いた。

 罪悪感を背負う必要も、責任を感じる必要もない。

 彼女は既に頑張ったのだから。


「だから、少し休んでいい」

 

 遠くから足音がした。複数人がこちらに近づいてくる気配。


「――悪い、遅くなったな」

 

 噓つきのヒーローは君ひとりじゃない。

 そういう性質を持った奴が、ここにもう一人いるのだから。


 小柄な背丈にパンツスーツ。濁った瞳は不思議な落ち着きを宿している。

 噓葺ライカは、堂々たる足取りでその場に姿を現した。

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