厄災の日
「ヒバリ、お疲れさん」
「あ、ライカちゃん! お疲れ様!」
いつもの合同訓練の後、オレはヒバリに話しかけた。
くるりとこちらを振り向いた彼女の表情は明るかった。
それに安堵して、オレは言葉を紡ぐ。
「ヒバリはあいつとの連携が随分うまくなったな。今日の模擬戦も活躍してたじゃないか」
「ええー? あいつって翔太君のこと? ライカちゃんいい加減名前で呼んであげなよ。好きだけど照れくさくて名前を呼べないツンデレちゃんみたいだよ?」
「余計なお世話だ! ……ンンッ、最近ヒバリは少し元気がないように見えたからな。気が晴れたなら良かった」
知っていることを知らないふりをして、オレは白々しい言葉を吐いた。
「あはは、ライカちゃんが気にすることでもないから大丈夫だよ!」
やんわりとオレの介入を拒否して、彼女は笑った。その奥にある感情を読み取ることはできない。
けれど、オレは既に知っている。単に彼に言葉をかけられたくらいで彼女の過去は清算できない。
トラウマの根源と向き合うことで、ようやく彼女は自由になれるのだから。
そんな風に考えていると、ヒバリは少し表情を変えた。もしかしたら、オレの考えていることがなんとなく分かったのかもしれない。
「ねえ。ライカちゃんは私がどこに住んでいたのか、知っているんだよね」
先ほどより幾分かトーンを落として、彼女は問いかけてきた。
生まれ故郷の話。ヒバリにとってそれは、厄神の話と同義だ。
「……まあな」
「じゃあさ、私とれーちゃんに厄神討伐作戦に参加させたのはどういう意図?」
彼女の仄暗い目が真っ直ぐにオレを見つめている。オレの真意を問いただしてくる。
その瞳は、年不相応などほどに不気味な威圧感を纏っている。油断すれば、洗いざらい吐いてしまいそうだ。
彼女は明るい仮面の下に仄暗い本性を隠している。
──けれど、色んなものを隠しているのはオレも一緒だ。
それに、年季が違う。
「意図? オレはただ一番難しい任務には一番頼りになる仲間に頼むべきだと思っただけだ」
「あはは、ちょっと前に勝手に死のうとした人とは思えない言葉だね」
「……それを言われると痛いな」
ちくりと刺されて、オレは小さく笑った。
「ひょっとして、ライカちゃんも翔太君に絆されたのかな?」
「オレも、っていうと、ヒバリはあいつに絆されたのか?」
あえて問いかけには答えず、オレは聞き返す。
すると、ヒバリは少し耳を赤くして俯いた。
「そ、そんなあれじゃないけど……でも、相談すれば全部解決する、とは思えないかな」
「まあ、そうだな」
彼の言葉は、彼女の中に渦巻く空虚を完全に打ち消すには至らなかったようだ。
誰かに話せば絶対になんとかなる、なんてことはない。
庇護されるだけの子どもを少し早く卒業した彼女にとって、それは当然の真理なのだろう。
彼女の抱える過去を、傷を、想いを、全部綺麗に解決することなんて誰にもできない。
ゲームの中にて物語られた彼女の過去を思い出す。
希望ヶ丘ヒバリにとって、厄神とは今の自分の原点に他ならないのだ。
《i》〈TIPS〉纏姫の中には『虚構の浸食』への復讐心で戦っている者もいます。彼女らの力は強力は一方、
それは悪夢に他ならなかった。
まるでついさっき見た光景みたいに、今でも夢に見る。
私の足元がガラガラと音を立てて崩れ落ちた日のこと。
私が空っぽになった日。
私の住む場所が、嘘より顕れた化物に浸食されて日のこと。
◇
厄災の神は、ある日突然都心の一角に降ってきた。
ソレが落ちてきたのは、何の変哲もないオフィスビルの屋上だった。
私たちが登校する時に何気なく見ていた景色の一つだった。
都心の一角。多くの会社がオフィスを構える区内。
私たちの通う中学校は、そんなコンクリートジャングルの真ん中に存在した。
「れーちゃんのお母さん、今日も早かったの?」
「うん。ずっと仕事が忙しいみたいで……」
幼馴染のれーちゃんは小さくあくびをしながら答えてくれた。その髪はほんの少しだけ跳ねている。
母親が朝ご飯を用意してくれない日は彼女はいつも眠そうだ。家にひとりだと二度寝しちゃう、と言っていた。
「そっか。ここのところずっと事件続きだもんね」
彼女の両親は警察官だ。最近の都内で頻発する不審な事件の捜査に駆り出されているのだろう。
通り魔事件。放火。神隠しのような行方不明。
繰り返し報道されるセンセーショナルなニュースは都民の関心を大きく引いた。
不吉だ、怖い。
そんなことを言いながら、人々はいつもと同じ営みを続けていた。
「
人類はまだ浸食者の存在を確信できていない。
そんな折、突然死がまき散らされた。
「……あれ、何か変なにおいが」
私は最初、そんなことを吞気に呟いた。
「ひーちゃん、どうかした?」
幼馴染が問いかけてくる。
もう一度、薄っすらと鼻についた匂いに意識を集中させる。
どこかで嗅いだことのあるような刺激臭。
「何か、ガスみたいなにおいが……」
訝しんでいるうちに、異変は既に起きていた。
私たちの前を歩いていたスーツの男。
彼が突然ばた、と倒れた。
「……え!? だ、大丈夫ですか!?」
私はすぐに目の前の男性に駆け寄った。
何が起こっているのか分からない。でも、とにかく助けなければ。そんな思考だけが頭の中にあった。
彼は口から泡を出してビクビクと痙攣していた。顔は異常なほど白く、唇は真っ青。
「あ、あの! しっかりしてください! 大丈夫ですか!?」
「……ぁ」
男の痙攣が激しくなる。口から出る泡がますます多くなり、顔面の血色がますます引いていく。
私はただ混乱するだけで何もすることができなかった。
救護の知識なんて何もない。彼がいったいどんな状態で、どうすれば助かるのか、見当もつかなかった。
後ろで事態を呆然と眺めていた幼馴染も、自分と同じ様子のようだった。
「……ぁ」
「だ、大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
呼吸がどんどんと浅くなっていく。
壊れた機械のように「大丈夫ですか」を連呼する私を前に、男性はやがて呼吸を止めた。
「…………え?」
頭が追いつかなかった。
人間の死は、私にとってフィクションの出来事だった。ドラマやマンガの中でしか起こり得ない、どこか遠くの出来事。
頭の中が真っ白になる。目の前の現実を受け入れられない。
「ひ、ひーちゃん……みんな、みんな倒れてる……」
異変はこれだけではなかった。
幼馴染の震える声に振り返る。
いつの間にか、通学路は全く見慣れない光景に代わっていた。
バス停に並んでいた客は、まるでドミノ倒しのように倒れこんでいた。全員意識がない。おそらく、先ほどのスーツの男性と同じ末路を辿ったのだろう。
道路を走る車はガードレールに激突して黒煙を上げていた。
交差点の中にはまばらに人が倒れている。
青信号を伝える軽快なメロディーだけが、虚しく響いていた。
「なに、これ……?」
よく知る街並みが、一瞬で異世界になってしまったようだ。
こんなもの知らない。
周囲を見渡すと、幼馴染と自分以外の人はみんな意識を失っている。
「なに、どういうこと……?」
理解が追いつかない。頭が追いつかない。
何か危険なことが起こっていることは分かっても、体は震えるばかりで少しも動かない。
訳も分からず戸惑っている時に、私はこの事態の元凶を見た。
「■■■■!」
生まれ落ちてから聞いたこともないような唸り声が響き渡った。
私と幼馴染は同じ方角を見上げる。
ここから50mもない場所に、ソレはいた。
オフィスビルの屋上に、冗談のように巨大な影があった。
「ッ……あれは……?」
まるでハリウッド映画のポスターのような光景だった。
竜。あるいはドラゴンと呼ばれる化け物がビルの屋上に降り立っている。
遠くからでもハッキリと見える全長は10mはあるだろうか。
大きな翼。四足歩行の身体はがっしりと引き締まり、鱗に覆われている。
しかし、その様子はどこかおかしかった。
紫色の肌は毒々しく、何かの病魔に侵されているようだ。
目はうつろ。その周囲に渦巻く空気は、遠目からでも分かるほどに禍々しい紫色に染まっていた。
病魔に犯されている。否、あれこそが病魔の根源だ。
私の中で、異常事態とあの龍の関係性が当てはまった。
自分にはどうすることもできない事態が起きている。
そう理解して、ようやく私の頭は正常に動き始めた。
「に、逃げなきゃ……」
幼馴染の手を取り、がむしゃらに駆けだす。龍に背を向け、とにかく遠くへ。
倒れた人たちに気を遣う余裕など、もはやどこにも残っていなかった。
あの病魔に犯された龍が異常事態の原因であるなら、あそこなら遠ざからなければならない。
結果から見れば、私の判断は間違っていなかった。
私たちがあそこから遠ざかり始めてしばらくすると、巨大な壁が区内を覆いつくした。
「これは……?」
いつか映像で見た「ベルリンの壁」のようだった。灰色の壁が、一つの区を完全に分断している。
その壁に覆われた領域は、後から「
厄神の展開する、あらゆる毒と死をばら撒く地獄。
そこに取り込まれた人間は、ほとんど例外なく死にたえることになった。
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