第17話小さなエピローグと誰も知らないプロローグ
ライカの暴走から始まった不定形の神討伐作戦は、なんとか犠牲なく成功させることができた。
フォックス小隊の他のみんなも、あの絵画のような世界から帰ってこられたのだ。
病室のベッドに寝転がるライカにそのことを聞かせると、彼女は感慨深げに目を細めて「そうか。よかった」とだけ呟いた。
幻想解放を使用して天使と戦ったマナは結局ほぼ無傷で生還。ただし強力な力の代償としてしばらくまともに動けなくなったのでヴィクトリアがおぶって帰還してきた。
しばらく眠って体力を回復していたが、あれから三日も経った今日では既に変わりなく動いている。
ヴィクトリアとヒバリはペアになって戦い、天使たちを蹴散らしていたようだ。
僕たちが不定形の神と戦っている時に敵の邪魔が入らなかったのは彼女たちのおかげだ。
そのことに感謝を伝えると、ヒバリとヴィクトリアはとても嬉しそうに笑ってくれた。
ハヅキは鬼気迫る様子で不定形の神と切り結び続け、軽い傷を受けただけで生還した。
元々近接戦闘ではトップクラスの纏姫であるハヅキだったが、あの日は普段以上に動きが冴えていた。
彼女はあの戦いで何か吹っ切れたように見える。
もしかしたら、あの戦いで自信がついたのかもしれない。
ハヅキと交流して感じた、潔癖すぎるゆえの危うさ。
ひょっとしたら、彼女はライカに助けられっぱなしの自分が不満だったのかもしれない。
けれど、彼女はライカを救った。
絶体絶命の危機に陥ったライカを助け出し、敵を前に獅子奮迅の働きを見せた。
「ライカが完治したら一発殴ってやるんだ。勝手に生贄になろうとする嘘つきは性根を正さないとな」などと息巻く彼女はすこぶる元気だった。
一番ダメージを受けていたのはライカだ。
腹部の大きなダメージで内臓に損傷。
それから、力を使いすぎて幻想に傾き過ぎていた。
聞けば
しかし、僕のアンカーの力を使えば外傷も精神の傾きも両方治療することができる。
そういうわけで、不機嫌そうにベッドに寝転がるライカと、そのお腹に手を当てている僕という奇妙な光景が出来上がったわけだ。
けれどライカの瞳には少し力がない。さすがに疲れたのだろうか。
「――おい」
ライカがこちらを見て鋭い声をかけてくる。
僕は彼女の目を見つめる。
ちょっと様子が違う。
いつも以上に険のある顔。ひそめられた眉。
まるで何かを訴えかけるように、その右手は少しだけ震えていた。
「一服してくる。手を放せ」
「ダメに決まってるだろ! なに病人が煙草吸おうとしてるの!?」
僕が至極当然の否定をすると、ライカは猛獣のような顔で僕を睨んできた。
「てめえ……オレが最後に吸ってからどれだけの時間が経ったと思ってる……!」
「仕方ないじゃん、絶対安静なんだから」
というかまだ一日だぞ。
彼女の血走った目は、禁煙三日目のヘビースモーカーのそれだった。
……血走った目、と評したが、実際のところライカの目はまだ少し赤い。充血とは少し違う、不自然な赤色だ。
あの場所で彼女を見つけた時から疑問には思っていたが、今まで聞く機会がなかった。
僕の視線を感じ取ったのだろう。ライカは自分の目にそっと手をやった。
「ああ、これか?
「そう、なんだ」
淡々とした言葉に何と言ったらいいか押し黙る。
垣間見えた彼女の過去が思い起こされる。目を真っ赤にした纏姫と、それに拳銃を向けるライカ。
詳細が分からないだけに、どんな風に触れればいいのか分からない。
けれど、僕のそんな気遣いは無用だったらしい。
「オレが殺した纏姫の状態まで行くと手遅れだ。すぐに自害できればまだいいが、周囲の纏姫に襲い掛かる時もある。正気に戻る確率はほとんどゼロだ」
「……あれは、誰なの?」
「たしか、前の小隊にいた纏姫だ。と言っても記憶が抜け落ちてて名前も思い出せないけどな」
「記憶が……?」
「ああ。あの時はオレもフライアウト目前だったからな。辛うじて戻れたが、意識が朦朧としてたし記憶も曖昧だ」
淡々と、彼女は語っていた。その裏に様々な感情が渦巻いていることが、今の僕にはよく分かった。
「じゃああの……銀行? の人は」
「あれは纏姫と全く関係ない出来事だ」
断言して、彼女は窓の外を見た。
「ファンタジーなんて入り込む余地のない、平凡な世界の単なる自殺だよ」
しばらく黙ってから、彼女は顔を上げて僕の目を見た。
「他に聞きたいことはあるか? 今なら少し正直に話してもいいぞ」
それはまた、随分珍しい言葉だ。
澄んだ瞳がこちらを見ている。瞳にこびりついた陰険さは少し取れただろうか。
今の彼女なら、本当に嘘なんてつかずに話すかもしれない。
「じゃあ、君は何歳なの?」
「さあ、分からない。30代かもしれないし、10代かもしれない」
「正直に話すんじゃないのかよ……」
さっそく肩透かしを食らった僕はため息をつく。
ライカはバツが悪そうにそっぽを向いた。
「仕方ないだろ。色々複雑なんだよ。自己同一性の定義とか、精神と肉体の年齢とか、虚構の世界と現実の世界とか、色々」
「年齢でそこまで悩むことある?」
社会人経験があるのなら普通にアラサーなのかと思った。
「何を以って自分とする? 存在しないはずの記憶の中のオレはオレか? 記憶がない間のオレは? 嘘のオレはオレじゃないのか? じゃあ本当のオレってなんだ? 仮にオレが繰り返される物語の一部だったとして、オレはいったい何周目だ? ……みたいな疑問だよ」
「……僕にはあんまり分からない話だな」
「まあ、オレも分からないまま話してるからな。だからオレは自称アラサーだし自称14歳。とりあえずそれで納得してくれ」
「よく分かんないけど、ライカは難しいこと考えすぎじゃないかな」
率直な感想を告げる。
そうやって色々考えるから、変な風に暴走して心配されるんだ。
変にひねくれずに素直に他人の好意を受け取ればいいのに。
そんなことを伝えると、彼女は苦笑いをして「そうだな」とだけ答えた。
「そうだ、ライカに渡し忘れたものがあったんだ」
気を取り直して一言。
僕はゴソゴソ鞄の中を漁って、ようやくそれを出した。
小包に入れたそれを、彼女に手渡す。
「……?」
彼女は不思議そうな顔をしながらそれを開けた。
「……櫛?」
「そうそう。前にみんなへの贈り物選んでもらったのに、ライカに贈らないのも不公平な気がして」
「オレは別に気にしないけどな」
僕が気にするのだ。もらいっぱなしだと。
「それで、なぜ櫛?」
「ライカって綺麗な髪なのに結構頻繁にぼさぼさになってるから」
「失敬だな。レディにそんなこと言ったら頬引っぱたかれるぞ」
「ライカなら気にしないだろ。事実だし」
今更レディってガラでもないだろ。
「僕はライカみたいに賢くはなれないけど、君の普段の生活を心配するくらいはできるからね」
「その物言いはムカつくが……まあ、せっかくの贈り物だからな。受け取ってやる。オレとしてはウィスキーとかライターの方が嬉しいけどな」
「可愛げのない奴だなあ……」
文句を言わないと善意を受け取れないのか。
「そうだライカ。贈り物の返礼をしてよ」
「……なんだ?」
贈り物に見返りを求めるな。多分そんなことを口にしようとした彼女は、ちょっと考えてから結局素直に僕の言葉を聞く姿勢を取った。
「君の本当の名前、教えてくれない?」
「……」
「思えば全然自分のこと教えてくれないしさ。どれが嘘でどれが本当か分からないし、せめてそれくらい聞いておきたい、みたいな」
「……お前、それ意味分かって言ってるのか?」
意味、とはなんだろうか。僕の態度を見て、ライカは深々とため息をついた。
それから、姿勢を正して僕を見る。
「まあ、減るもんでもないからいいぞ。
僕はちょっと驚いてから、正直な言葉を伝えた。
「いい名前だね」
〈TIPS〉
大規模な「虚構の浸食」の出現、真っ青な空の出現は、「最後の審判に抗った日」として記録に残された。
観測史上類を見ない驚異的な耐久力と圧倒的な破壊力を持った「虚構の浸食」、
危機は去り、幻想高校は小休止を迎えた――と、思われていた。
神の子は処刑から三日目に復活した。
多くの書物において一致するこの伝承は、「虚構の浸食」においても例外ではない。
廃墟と化した都心のど真ん中に、十字架が聳え立っていた。
不定形の神が討伐された場所。
1日前には存在しなかったはずの十字架の処刑台が、最初からそこに存在したかのように聳え立っている。
――その傍らには、消滅したはずの不定形の神が存在していた。
ノイズの走る体はそのままに、人型を保っている。欠けた場所はなく、万全の状態。
噓葺ライカが与えた傷も、帯刀ハヅキの与えたダメージもすべて修復されている。
決死の想いでそれを討伐した纏姫からすれば、悪夢のような光景だった。
噓葺ライカの観測した物語では、不定形の神は確かに消滅した。
救世カノンによる原罪の償いの再現というプロセスを経て弱体化した不定形の神は、神の子としての属性を失っていた。
そのため、復活の伝承は適応されずにそのまま消滅した。
けれど、この世界においては。
犠牲なく、少女たちの夢を守ったまま願いを叶えてしまったこの世界では、不定形の神は復活することができてしまった。
「審判を執り行わなければ。再び、裁きの舞台を用意しなければ」
不定形の神が力を放出する。天使たちの顕現、青い空の展開などするべきことは多い。
人類の裁きという大義のため、虚構から飛び出た神は愚直に使命を実行する。
――けれど、神たらんとする者は他にも存在した。
「神仏習合。神とはすなわち仏が姿を変えた存在。――救世は私の役目です。勝手な裁きとやらを押し付けないでもらえますか?」
不定形の神の傍らに、少女の姿があった。
幻想高校の制服を身に纏い、その瞳は爛々と赤く輝いていた。
蘇った不定形の神は機械的にその纏姫を排除しようとする。
拳を振りかぶり、華奢な体に叩きつけんとする。
しかし、少女が何事か呟くとその背後には人の身長を超す巨大な観音像が現れた。厳かな、生きているかのような迫力を持った仏像だった。
観音像が右手を翳す。神々しい光が発せられ、それは不定形の神に向けられる。
仏像の光を浴びた不定形の神は、まるで掃除機に吸い込まれる塵芥のように少女の背後へとゆっくりと吸収され始めた。
「ア……アアアアアア! なぜ、なぜ、なぜ! 神より尊い存在などない! 人間如きに神が吸収されるはずがない!」
「いいえ。この身は既に御仏と成りました。本地垂迹説に則れば、私があなたと習合できるのは道理です」
纏姫が「虚構の浸食」を吸収するなど通常は不可能だ。
他人の幻想、虚構は毒。
己の中の幻想と現実のバランスを取り自我を保つ纏姫には、とても耐えられるものではない。
けれど、既に現実から乖離してしまった纏姫ならば。
「私は……審判を……原罪に裁きを……」
「安心してください。私が代わりに世界を救います。この力で、現世の皆さんを苦しみから解放致します」
発狂を乗り越えた1%の生還者。尋常ならざる精神を持つ者。
「
彼女の名前は
物語から離れ、尊い犠牲となれなかった彼女は今、厄災となろうとしていた。
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