第14話悪魔対天使
相変わらず、青い空は不気味なほどにのっぺりとしていた。
崩れた家屋やマンションの瓦礫を避けながら、僕とハヅキはともに走る。
ヴィクトリアはいつものようにヒバリとのペアだし、ライカは多分マナと一緒だろう。珍しい組み合わせだが、ライカの考えとなれば異論はない。
周囲への警戒は怠っていない。ここは既に敵のテリトリーだろう。少し先で他の纏姫が戦っている音が聞こえる。他の小隊の纏姫との合同作戦は稀だ。それだけ、今回の空の異常が非常事態だということが分かる。
ハヅキは僕のペースにあわせて少し速度を抑えて走ってくれていた。
「……ハヅキ、ごめん。君に頼まれたのに、結局僕にはライカが何を考えているのか分からなかったよ」
二人きりになれたので、僕はハヅキにそう話しかけた。彼女は足を緩めないままちらりとこちらを振り返ると、小さく首を横に振った。
「ゆっくりでいい。そんな急に結果が出るとは思っていない」
「……うん」
彼女の言葉には焦りがなかった。
「私がお前の何倍あの嘘つきと付き合ってきたと思っている。それくらい分かっているからそんな顔するな」
ああ、相変わらず不器用に優しいな、ハヅキは。ライカが心配する気持ちも分かる。
しばらく黙って先を急ぐ。
目印の高層ビルはすぐそこだ。あのライカが厄介と評した敵は、いったいどんな姿をしていのだろう。
そろそろ接敵するか。
そう思った時、急に寒気がした。背中に突然氷柱を突っ込まれたような、全身が震えるような寒気だ。
これは予感だ。どこからか、狙われている。
「──翔太!」
ハヅキの警告を聞くのとほぼ同時に、護身用の剣を構える。
周囲を見渡すが、敵の姿は見当たらない。
「違う、上だ!」
上空を見上げる。不気味にのっぺりとした空、その手前。
そこには、絵画の登場人物のような女性がいた。
「あれは……天使?」
翼の生えた女性が、空の上に静かにたたずんでいた。造り物のように美しい顔立ち。彫刻のように均衡のとれた体は、白くてゆったりした服に包まれている。
右手には剣を持ち、左手にはラッパ。ちぐはぐな組み合わせに思えるが、不思議とそれが自然な姿に見える。
高貴さに目を奪われてしまうような彼女は、微笑んで翼をはためかせた。
その姿が搔き消えたと思った次の瞬間、ハヅキが飛来した何かを刀で受け止めた。
「クッ……」
「……」
まるで瞬間移動でもしたかのような挙動を見せた天使の動きは、僕には全く見えなかった。
天使と鍔迫り合いするハヅキが叫ぶ。
「翔太! 出し惜しみしている余裕はない! 私の力を使え!」
「分かった!」
意識を集中させ、ハヅキの力を纏う。纏姫纏いブラッファーウェアリングは幻想武装を持てるだけではなく身体能力を向上させる。
ハヅキの幻想が体に馴染んでいく。纏姫纏いは相手がどんな想いで幻想武装を使っているのか薄っすら分かる。
荒々しくて、けれども一つの目的のために研ぎ澄まされた彼女の夢。武士の志を、家族の拘泥したそれを本気で嫌悪しつつも纏う、彼女の気高さを借り受ける。
「ッ……翔太、そっちだ!」
天使は再び翼をはためかせて僕の元へと飛んできた。人間には不可能な軌道を描き、中空からの突撃。けれど、今度は目で追えた。
「フッ……!」
胴体への突きを、刀で逸らす。
天使が大きく体勢を崩した。
文字通り、地に足がついていない。技の威力は凄まじかったが剣の熟練度はそこまででもない。
これなら、ハヅキの木刀の方がずっと怖い。
「幻想流──瀑布」
顕現させた日本刀を振り上げ、素早く斬りつける。
上段からの一撃は天使の体を深く斬りつけた。
纏姫纏いした僕の剣は一時的にハヅキにも匹敵するほどになっていた。
胸のあたりから血を流して倒れる天使。
纏姫纏いが今までよりずっと使いこなせている。
おそらく、ハヅキの過去を見たからだろう。
彼女がこの幻想武装をどんな想いで使っているのか、今ならちゃんと理解できる。
彼女の虚勢、士族の在り方を彼女は憧れるとともに嫌悪していたのだ。
「……トドメだ」
地に墜ちた天使の体に刀を突き立て息の根を止める。
切っ先は確かにその命を奪い取った。
しかし、その直前凄まじい音の暴力が僕を襲った。
「ッ……なにが?」
死にかけの天使は、最期の力を振り絞って倒れたままでラッパを吹いていた。
耳障りな音が周囲に響き渡る。
天使のラッパとはすなわち世界の終わりを告げるもの。
聖書きょこうの模倣であるそれに、厄災をもたらす力はない。
それでも、同類を呼び寄せることはできた。
真っ青な空に、雨粒のような黒点が現れた。
それはどんどんと大きくなっていき、やがて全容を露にした。
「翔太! あれはこいつと同じ天使だ! 30体近くいるぞ!」
「……え?」
ハヅキの信じがたい言葉に、目を凝らす。
空に浮かぶ黒点はどんどんと大きくなっていき、やがて僕の目にも捉えられるようになった。
たしかに、ハヅキの言う通りだ。背中についた白い羽根。絵画のように美しい体。それらが空中に隊列でも組むみたいに並んでいる。
背中に嫌な汗が流れる。
先ほどの天使は一撃で倒せたとは言え、あの機動力は脅威だ。囲まれたら対処できるか分からない。
それでも、僕は頬を吊り上げた。どこかの噓つきみたいに、せめて外側だけでも虚勢を張る。
「あれが30体かあ。あんまり考えたくないけど、ハヅキの力ならどうにかなるかな?」
「やるしかあるまい」
ハヅキは静かに剣を構えるが表情が固い。
しかし、そんな僕たちの方に走ってくる影があった。
「翔太、ハヅキ。ようやく追いつけた」
援護に来たのはマナだった。
制服姿のまま走ってきた彼女は、珍しく焦った様子でこちらに近寄ってきた。
「マナか。お前がいてくれるなら助かる。早速だが援護を……」
「違う。二人は早くライカのところに行って」
「マナ!? そんな無茶な……」
「いいの。私がやる」
マナは無表情の中に薄っすら感情を浮かばせた。
それは、焦りだった。
「おそらく今、ライカが危ない。彼女が対応している『虚構の浸食』は今までないほどに強い。二人の力が必要だと推測される」
「ライカが……?」
ふと、彼女と最後に会話した時のことを思い出した。
僕たちに命懸けの戦いを頼んだ姿。
嘘なんて全くついていないような、真摯な表情。
「……もしかして、これがライカの嘘か?」
僕たちを強い敵から遠ざけて、一人で引き付ける。相打ちする算段があるのなら、犠牲は彼女だけで済む。
「あいつ……ふざけやがって」
「ライカは普段の冷静な彼女ではないと推測される。そうでなければ私たちを遠ざけて一人で強敵と戦うなどという選択肢は取らない」
勝手にくたばろうとしている彼女に怒りを覚える。そして、結局彼女の嘘を見抜けなかった自分にも憤りを覚える。
「だから、早く行って。飛行する敵は私が対応する」
「で、でもマナをひとりにするのは」
「──翔太」
ハヅキが僕の目を見る。
「全力のマナを信じろ。殲滅力において彼女の右に出るものはいない」
「……え?」
そう言えば、僕はマナの力について詳細を聞いていない。
彼女の説明は難解なので、聞いたところで理解できないからだ。
ただ、「限定展開」という言葉と共に巨大な機械腕を装着することしか知らない。
それしか知らなかった僕は、彼女の本気に目を疑った。
「──武装完全展開」
彼女の武装は巨大な機械腕だ。ゴツゴツとした腕に取り付けられた火器から弾丸や爆発物を発射する。
ただし、今回はそれだけではなかった。
ゴツゴツとした機械類が全身を覆っていく。胴を覆う装甲は厚く、脚部はそれを支えるように太く。腕部の武装は限定展開の際以上に物々しくなっている。
ずんぐりとした体躯にも関わらず、機能的な美しさを感じさせる。無駄なものを省き、必要なものだけを詰め込んだパワードスーツ。
合理でモノを考える彼女らしい武装だった。
「幻想解放。『マックスウェルの悪魔』起動。殲滅シークエンスに移行する」
装甲で全身を覆った彼女は、すかさず攻撃に移る。
右腕を前に突き出し、腕部下から飛び出した砲座に固定。
「前提条件の入力を完了。射撃開始」
まるでドリルがアスファルトを掘っているような爆音が響き渡った。
腕部に取り付けらた巨大な機関砲が物々しい音を立てて火を噴く。口径20mm以上の弾丸が超高速で吐き出された。
通常であれば戦闘機や軍艦などの兵器に取り付けられるような大きさのそれは、とても人間に耐えられる反動ではない。
しかし、全身を機械で覆った彼女は腕部の砲座と脚部から地面に射出したアンカーで重心を固定することで取り扱いに成功していた。
宙を浮かぶ天使たちは、弾丸を受けて次々と墜ちていった。1分間で500発以上の弾丸を吐き出す機関砲を前にして、接近する前に墜落する天使たち。
一方のマナの様子は全く変わりない。まるで機械のような正確さで機関砲を操っていた。
通常であれば、弾丸による攻撃は一発撃つたび消耗する。
このような馬鹿げた攻撃は、他の纏姫がすれば一瞬でガス欠だ。
しかし、マナの幻想解放は一時的に無限のエネルギーを得ることができる。
彼女の機体、「マックスウェルの悪魔」とはかつて熱力学において提唱された架空の悪魔だ。
その存在は、「エントロピー増大の法則」を否定することになる。
すなわち、それが実在できるのであれば、人類の夢である永久機関が存在できることになる。
マナが利用したのはそんな学者たちの夢だった。
その仮説が立証されず、永久機関が生み出されない以上、それは幻想に過ぎない夢だ。虚構であり、嘘であると証明されたもの。
エネルギー問題を根本的に解決する永久機関は存在しない。
それでも、虚構と現実の入り混じるこの空間において、夢想の悪魔は存在していた。
架空の悪魔が虚構の世界の天使たちを迎え撃つ。それはまるで、神話の世界に迷い込んだような光景だった。
「翔太、行くぞ」
ハヅキに驚いた様子はない。既にマナの実力を知っていたのだろう。
僕もマナなら無事帰ってくるだろう、ということを悟って彼女の言葉に頷いた。
「でも、ライカの場所は?」
「間違いなくあれだろう」
彼女が指さしたのは、分厚い暗雲だった。
雲など全く存在しない青い空の中で明らかに異質なそれ。黒い雲から落ちる稲妻は、まるで意思があるように真下に落下しているようだった。
「さっさと行くぞ。それで、ライカをぶん殴る」
「加減してあげてね」
彼女の剣幕に苦笑いした僕は、すぐに走り出した。
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