第15話噓葺ライカの嘘

 あの大噓つきを今度こそ問いただしてやる。

 そう決意した僕とハヅキは、ようやくここまで辿り着いた。


「近いぞ翔太。気を引き締めろ」

「もちろん」

 

 既に覚悟は決めている。

 倒壊したオフィスビルの残骸を乗り越えて、先ほど落雷を目撃した場所へ。

 

 

 視界が開けて最初に僕たちの目に映ったのは、直立する巨大な十字架だった。

 人間の身長をはるかに超えるそれの中心には、小柄な女の子が磔にされていた。

 ハヅキが息を吞む。


 その傍らには、槍を構える人型。ノイズでも走ってるみたいに全身がブレている様は、この世に実在するものとは思えない。


 目の前の光景から理解しきれないことは多い。

 けれども、決定的な瞬間が訪れようとしている。それだけは理解できた。


「ッ……ライカッ!」


 ハヅキの判断は僕より早かった。刀を抜き、走り出す。

 鬼気迫る、見るものを圧倒する気迫だった。

 

 ――次の瞬間、鈍色の流星が走った。


「幻想流――猪突」

 

 信じがたいほどの速度で駆けたハヅキの強烈な突きが、巨大な十字架の根元を切断した。

 拘束具が崩れ落ちる。ライカの華奢な体が地面に落ちてきた。


「ぁ……ハヅキ、ダメだ戦うな!」


 そのまま槍を構えていた敵の元に向かって行ったハヅキに、地面に落ちたライカが悲痛な声で叫ぶ。

 不安定な姿の敵は、槍を構えてハヅキを迎撃する。

 

「ハアアアアアア!」

 

 槍による一撃は、しかし身をかがめたハヅキの頭上を通過する。身をかがめた彼女の刀が下段からホログラムのような体を切り裂く。

 敵は言語にならない悲鳴を上げて一歩二歩と下がって行った。


「ハヅキ! やめろ、ダメだ!」


 座り込んだままで必死に叫ぶライカの元に近づく。

 よく見ればかなりダメージを受けているみたいだった。

 

 立ち上がりハヅキの元に向かおうとするが、うまく立てないらしい。

 どんな時でも余裕そうな素振りをする彼女の弱ったところは初めて見た。

 

 

 それでもハヅキの元に走り出そうとする彼女の手を、しっかりと握る。

 こちらを振り向いた彼女は、焦った表情で必死に僕の手を振りほどこうとした。

 

「おい、離せ! 不定形の神amorphous godを倒すには生贄が必要なんだよ! 説明してる暇はない。早く行かないと――」

「いいや、離さない。君を理解するために気遣いなんてしてる場合じゃなかった。そのことに、僕はようやく気付くことができたんだ」

「は? なにを――」


 彼女の頭に手を伸ばす。ダメージから動きが鈍いライカは、抵抗できない。


「おい、やめろ! 触るな! ――やめろ、オレの過去を見るな!」

 

 彼女の白髪に自分の手が触れると同時、視界が切り替わる。

 ハヅキの過去に触れた時と同じだ。

 

 次の瞬間、意識がライカの過去の記憶に飛ばされるのが分かった。



 

 

「銀行マンなんて人騙すのが仕事だろ」


 今でもよく覚えている、先輩の言葉だった。

 印象に残っているのは、新卒で入った銀行で最初に仕事を教わった人だったからだろう。

 

 オレにとって、社会人とは彼のような人のことだった。

 彼は立派なスーツを着て、ピッチリ固めた髪をオールバックにして、いつも他人を見下した目をしていた。

 

「いいか? 別に貧乏人から搾取するってわけじゃない。裕福な年寄りだとか一山当てた若造だとか、そういう奴に『たくさんあるお金をもっと増やしませんか?』って言うだけだ。稼ぎを増やすのは別の奴の仕事。俺たちは顧客を増やして資金を増やす。それだけだ」


 買うだけで金が増えていく夢の商品を買わせる。投資信託とか、不動産投資とか、そういうものだ。

 

 それら銀行営業の仕事とは、先輩に言わせればそういうものらしかった。

 とてもそうは思えなかった。

 

 言葉巧みに金を引き出す先輩の手腕は確かだったが、客の資産を減らしたのは一度や二度ではすまない。

 

 営業マンの先輩自身は有能だったが、オレの就職した地方銀行は経営が悪化する一方だったから、それも仕方のないことだった。

 

 でも、自分がその片棒を担ぐのはずっと納得できなかった。

 違和感を覚えながら、それでも「社会人」だからと言い聞かせて仕事をする日々。

 嘘をついて金をもらって飯を食うことにも慣れていって。

 

 いつしか、大嫌いな先輩と同じ煙草を吸うようになっていった。


 そこからの記憶は曖昧だ。


 

 その顧客は、キラキラした目をした二十代の女性だった気がする。


「私ね、音楽で人に夢を見せたいの! でも、もっと活動を広げるにはお金が必要で……それで、友達に聞いたら銀行で相談してみたらいいって」

「ええ、きっと力になれますよ」


 なにか、ひどいことをした記憶がある。経営危機に陥っていた銀行全体で詐欺紛いのことをして。

 

 それで、彼女の夢を叶えるためのお金はなくなってしまって。彼女の活動も上手くいかなくなって。

 それで。


 最後まで思い出せない。



 

 

 視界がぐるりと暗転する。

 次に目に映ったのは、纏姫らしき人物が真っ赤な目でこちらを睨む姿だった。焦点があっていない。どこか遠くを見つめているような、正気を失った瞳だった。

 見覚えのあるような、まったく知らないような顔の纏姫だった。

 

 昇天フライアウト。狂ってしまった纏姫の末路は1つだ。

 せめて、できるだけ早く終わらせてやろう。

 

 彼女の頭に銃口を向け、発砲。

 こと切れる様は拍子抜けなほどあっけなかった。

 

 頭から血を流す彼女の元に近寄って観察する。

 アスファルトに流れ出す血。青ざめた顔。地面に広がる長髪。

 

 それを見て、脳裏に別の光景が浮かび上がる。

 

 ビルの屋上から飛び降りてきた彼女。オレの横に落ちてきて、脳漿をぶちまけて死んだ彼女。

 音楽の話をする時はいつも目をキラキラさせていた彼女。

 噓がつけなくて、それでもありのままを歌う美しかった彼女。

 

 今、オレが殺した彼女。


 景色が重なり、これが本当なのか嘘なのかすら曖昧になっていく。

 

 視界が混濁する。断片的な記憶が頭の中を駆け巡る。

 

 スーツ姿の人間が働くオフィス。

 纏姫が戦う姿。進学塾。就職活動。ハヅキの笑顔。誰かの笑顔。脳漿を打ち抜いた弾丸。


 飛び降り自殺。夢追い人。正直が美徳の人間が搾取される姿。

 

 

 

「結局、救いたいだとか善人のためにだとか、全部嘘だったんだ」


 オレの過去を見る誰かに語りかける。


「ハヅキを助けるとか、みんなのためとか、そんなのは自分を騙す嘘に過ぎなかった。そうでなきゃ、自分の殺した誰かのことを忘れるわけがない」


 混濁する記憶はもう完全には甦らない。

 それは、オレが罪から逃げていることの証左に他ならない。



 


「――ねえ、それって今のライカにとってそんなに大事なことなのかな」

 

 気づけば、うずくまる彼女に語り掛けていた。

 その肩は、いつもよりずっと小さく見えた。ああ、そう言えば彼女はこんなに小さな体をしていたんだった。


 ぼんやりとした目をした彼女の、ひどく濁った瞳がこちらを向く。


「ライカの過去がどうであろうと、君が今フォックス小隊のみんなを助けて、そして僕を救ってくれた事実は変わらない。それで十分じゃないかな」

「そんなわけないだろ。噓つきには誰も救えない。お前らはオレに助けられたんじゃなく、勝手に助かったんだ。オレはズルをして背中を押しただけ。そんなことで許されていいわけがないだろ」


 ライカの瞳は、僕を捉えているように見えてその実どこか遠くを見ているようだった。

 もしかしたら、僕と話している時彼女はいつもこんな目をしていたのかもしれない。


 彼女の過去が全部理解できたとは言い難い。ライカの記憶は、ハヅキの記憶よりずっと混濁していて詳細が分からなかった。

 彼女が纏姫を殺した記憶と、仕事の記憶の前後関係。その後どうなったのか。


 全部分からない。


 けれど、僕に分かることもある。

 

「どうしてそんなに頑ななの? 今誰かに迷惑をかけてるわけでもないのに」

「罰せられないと気が済まないからだ。オレは噓つきの悪人だからな。ずっと、死んで償いたいと思っていた」


 彼女がいびつな笑みを見せる。ひび割れた、笑顔というモノを不格好に再現したような表情だった。

 

 それを見て、僕は確信を持つことができた。


「――嘘だよ」

「……は?」

「ライカは、また嘘をついている」


 僕が指摘すると、彼女は激しく動揺した。


「――そんなわけないだろ! お前に何が分かる! オレの嘘なんて一度も見抜けないくせに『嘘が見抜ける』なんて抜かすお前に! これがオレの噓偽りのない本心だ! そんなこと、オレが一番よくわかってる!」

「違うよ。君は自分についた嘘に騙されたフリをしているだけだ」


 今度こそ、僕は彼女の瞳と目を合わせる。

 先ほどはこちらを見ているようでどこか遠くを見ていた瞳は、今は完全に僕を見ていた。

 

 言葉に力を籠める。彼女への憤りを、そのまま声に乗せる。


「自分に嘘をつくなよ噓葺ライカ。自分の感情から逃げるな。楽しかったんだろ、みんなと過ごす日々が。嬉しかっただろ、みんなの助けになれて」

「……」

 

 今に限っては、嘘なんて許さない。

 そういう願いを籠めて彼女の瞳を見つめる。


「過去がどうとか今はそんなことどうだっていいだろ! 正直者だとか善人だとか悪人だとか噓つきだとか、そんなのは僕は全部どうでもいいんだ! ただ! 僕は今この場所にいる君に生きて、やりたいことをやって欲しい!」


 僕の荒い吐息だけがその場に響く。


 ライカは僕の言葉を聞いて何をか考えこんでいるようだった。


「たとえオレが人殺しでも、お前は同じことを言うのか?」

「言うよ。ライカが相手ならね」


 君は、理由なく他人を傷つけられるほど悪人になれないだろ。


「お前に見せたオレの優しさみたいなものは全部嘘だ。昔読んだ物語のストーリーを見て、その主人公の真似してるだけ。それでも、お前はオレに失望しないのか?」

「理由なんてどうだっていいだろ。僕は君に助けられた。その事実だけあれば十分だ」


 模倣だろうと嘘だろうと関係ない。

 噓つきな彼女にそう伝える。

 

 ライカは僕から目を逸らすと、後ろを向いた。

 

「……お前は、馬鹿だな」

「自分の嘘も分からない君ほどじゃないよ」

 

 やがてこちらを見た彼女は――今まで見たことのないような顔をしていた。


「分かったよ。今だけは、お前の嘘みたいな戯言に騙されてやる」



 

 視界が晴れる。ライカの過去から脱出し、現実へと戻ってくる。

 目を開けた僕の目の前には、不敵に笑い銃を構える噓葺ライカの姿があった。

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