第13話噓つきの裁き

 結局のところ、ライカが何を考えていて、何を必要としているのかなんて僕には全然分からなかった。

「ライカを救って欲しい」なんて言われたにも関わらず情けない限りだ。


 すぐにできるようなことじゃない、と分かっていてもライカとの心の距離は全然縮まらなくて、焦りばかりが募ってきた。


 僕はハヅキの初めての頼みを聞くことができなかった。

 何度も話しかけて対話を試みた。その内心を見透かそうとして初めて、ライカは僕に何も教えてはくれていなかったことに気づいた。





「……ねえ、ライカはここに来るまで何をしていたの?」


 ライカは僕が距離を詰めようとすると僕を遠ざけようとする。

 彼女は僕の問いに無表情で答えた。


「そんなのどうだっていいだろ。お前に何か関係あるのか?」

「……あるよ。僕には君たち纏姫と交流を深める必要がある。それに、君にはさんざん助けられた」

「だから、助けてない。お前はオレがいなくたってうまくやった。そのことはよく知っている」


 彼女が何を指して話しているのか分からなかった。


「ここに来る前からずっと、嘘ついて生きてただけだ」


 それだけ言って、彼女はこの話を終わらせた。



 そうして、僕たちは運命の日を迎えた。



 ◇



 空が今まで見たこともないような様子を見せていた。

 一面の青色。単なる青空ではない。太陽はどこにも見当たらず、雲が空を動くこともなく、ただのっぺりとした青がどこまでも続いている。

 まるで絵画の中に迷い込んだようだ。不自然なまでに塗りたくられた青色は、自分の住む世界のものとは思えなくて不安な気持ちになってくる。


 僕は不安を紛らわせるように隣に立つハヅキに話しかけた。


「ハヅキ、今日はなんだか様子が違うね。天候が変になってることなんて今まであった?」

「いいや。こんなの、私も初めてだ」


 普段な冷静で戦いの際にも顔色を変えないハヅキも、少し表情が硬い気がする。

 周りを見渡せば、他の小隊の纏姫の姿が遠くに見える。


 今回の「虚構の浸食フィクショナルインベーダー」はかなり広範囲に出現しているらしく、多数の纏姫がここに集まっていた。

 普段と違う様子に、自分の中の不安がさらに加速する。


「絵画のように青い空、か。あれはいったい何を意味するんだろうな」

「──最後の審判ね。多分モチーフはミケランジェロの壁画」


 いつの間にかこちらに近づいてきたヴィクトリアが、ポツリと呟いた。


「え?」

「終末論よ。キリスト教的に言えば、人が天国に行くか地獄に堕ちるかの審判の日。多分これは、それを模した『虚構』ね」


 彼女は真っ青な空を見上げて、指をさした。


「空に人が浮かんでるの、見える? あれは過去に生きた偉人、聖人たちよ。私たちの行く末を、審判を見つめている」


 目を凝らせば、真っ青な空の中にぼんやりと何かが浮かんでいるのが見えた。

 ヴィクトリアにはあれがハッキリ見えているらしい。


 眼帯越しに空を見上げる彼女の言葉に、常の軽さはない。

 悪ふざけではなく、本当にこの状況を分析しているようだ。


「私たちはこれから地獄に堕とされるってことか?」

「そうかもしれない。私たちは身に覚えのない原罪とやらで裁かれるべきなのかもしれない。まあ、そうは言ってもやること自体は変わらない」


 ヴィクトリアの眼帯に隠されていない瞳がこちらを見た。


「聖人だろうと神の子だろうと天使だろうと神だろうと、倒すの。私たちは虚構による現実の支配を否定し続けなければならない」


 彼女の言葉に常の軽さはなかった。


 ヴィクトリアの話をハヅキと一緒に聞いていると、ライカが向こうから歩いて来るのが見えた。

 雰囲気が硬い。濁った眼からは、相変わらず何も読み取れなかった。


「三人集まってるか。ちょっとまずい敵がいる。お前とハヅキで、協力して早めに倒してきてくれないか?」


 お前、とは僕のことらしい。その提案は、彼女にしては珍しいことだった。


「構わないが……ライカにしては珍しい指示だな。だいたいライカが翔太を守れるポジションについて、私に前に行かせることが多いだろう」

「そうも言ってられなそうだからな」


 彼女は不自然に青い空を見上げて言った。


「まあ、お前がそう思うなら異論はない。翔太とは散々鍛錬をしたからな。今なら纏姫纏いブラッファーウェアリングも可能だろう」

「そうか。それなら大丈夫だな」


 今日のライカはやけに口数が少ない。


「ライカ、どうかした?」

「いや、なんでもない」


 目が合わない。普段は目を合わせて堂々と嘘を吐く彼女がこちらを見ようとしない。


「ライカ、言いたいことはハッキリ言ってくれ。私はお前ほど賢くないんだ」

「ああ。そうだな。こうなったらオレも正直に言うとしよう」


 真っ直ぐに、ライカはハヅキの目を見つめた。


「東方向。あのまだ崩れてない高層ビルの手前のあたりに、一際強い敵がいる。今のオレたちじゃ勝てるか分からない。だから、お前たち二人で協力して倒して欲しいんだ。アンカーの力は一人のみに注がれる時最も力を発揮する。だから、お前たち二人が適任なんだ」


 彼女は眉をひそめて話を続けた。


「……正直、命懸けになるかもしれない」


 苦悩に塗れた目が伏せられる。それに対して、ハヅキは苦笑いを浮かべた。


「ライカがそういうことを頼むのは珍しいな」

「お前らは小隊で最も交流を深めた。纏姫纏いをするなら一番の適任だ。その、面倒ごとを押し付けるみたいで悪い。ハヅキが反感を覚えても仕方のないことだと思う」

「いいや違う。違うぞライカ」


 ハヅキがニヤリと笑う。それは、彼女が普段あまり見せない表情だった。


「私は嬉しいのだ。お前が私を頼ってくれたことだ。助けてくれるくせに助けさせてくれないお前がこうやって私に頼ってくれたのが、たまらなく嬉しい。だから、そんな悲しそうな表情をするな。安心しろ。こいつと一緒に絶対帰ってくる」

「ハヅキ……」


 ライカの安心したような笑顔は、滅多に見せることがないほどに幸せそうなものだった。


「ライカ。僕もハヅキを傷つけさせることはしないって約束する。君の大事な友達を、僕に任せて欲しい」

「ああ、頼んだよ」


 ライカがにっこりと笑った。

 一瞬、僕はその顔を観察する。

 右頬は上がっていない。目は泳いでいない。言葉に震えはなかった。

 ……ああ、どうやら本当に彼女の本心みたいだ。


「ハヅキ、行こう」

「ああ」


 短く言葉を交わす。僕らは、かつてないほどの決意を以って敵の元へと歩いて行った。



〈TIPS〉アンカーの力は周囲に纏姫がいるほど分散するため、人数が少ないほど恩恵が増す。アンカー1人が同時に力を貸すことができるのは最大で5人と言われている。そのため纏姫の小隊は5人程度で構成されることが多い。



「ハハッ」


 二人が目的地に向かった後。一人になってから、白髪の少女は突然笑い声をあげた。


「くっ……アッハハハハハ! 正直者はみんな馬鹿ばっかりだな! 疑いもせずオレの言うことを聞きやがって! タチの悪い噓つきってのは一度の嘘を信じさせるために普段の言動から表情までコントロールして信用を得るもんなんだよ」


 ひどく空虚で、乾いた、虚勢を張っているみたいな笑いだった。


 少女は二人が向かった方向とは逆方向に進む。足を進めるそちらは、少女には地獄への一本道に思えた。


「本命はこっちだ。お前らはボスの顔すら拝むことない。青臭いガキどもは帰って恋愛ごっこでもしてろ」


 スーツの胸ポケットから煙草を取り出して火をつける。普段なら人に見られる可能性のある場所なら吸わないが、少女は特に気にした様子もなかった。


「……まずいな。なんだこれ」


 煙を吸っても気分が落ち着かない。

 最初の一本を地面に捨てて新しいものに変えても、それは一緒だった。


「あー、罪悪感ってこんな味だったか。思い出した思い出した。……クソッタレ」


 顔をしかめて二本目の煙草を地面に捨て、少女は敵の元へと歩いて行った。





 〈TIPS〉「虚構の浸食」は人間の嘘から生まれた。その強さは「その嘘がどれだけ普遍的だったか」で決まることが多い。





 敵の配置については先ほどスコープ越しに観察してだいたい把握している。

 小隊のみんなをオレから遠ざけることには成功した。後は、目的を達するだけだ。

 オレではハヅキを救えなかった。であれば、オレがやるしかないだろう。


「ああ、コイツだな」


 歩くこと数分。オレは目当ての場所に辿り着くことができた。

 青く染まった不気味な空。不気味なほどに音がしない。

 はるか遠くからこちらを見つめる聖人たちの視線は、ちょうどここに突き刺さっているようだった。


 ひび割れたアスファルトのど真ん中にまるで墓標のように突き刺さる十字架。

 その下には、異常な存在感があった。


「──ァ」


 オレが近づくと、十字架が突き刺さるアスファルトから腕が飛び出した。


 娯楽映画におけるゾンビのようなそれは、地中から這い上がるとその全身を見せた。

 立ち上がった体から発せられる雰囲気は死肉とは程遠く、触れがたい神々しさを感じさせた。


「──原罪、未だここにあり」


 それは、ホログラムのように形の定まらない人型の何かだった。

 現世のど真ん中に突然異空間が存在したような見た目ですらあった。


 全身にノイズが走っているようで、どんな顔をしているのかすら分からない。


 ただ、凄まじい力を持っていることだけは伝わってきた。


不定形の神amorphous god。『神話とは人類の生み出した最も普遍的な虚構である』だったか。まったく、普通の女の子に倒させるには荷が重いな」


 拳銃を構えて、オレは笑う。

 オレの知る原作における第一章のボスとは、こいつのことだ。ハヅキたちを追い詰め、纏姫一人を死に追いやった化け物。


「戒律を破ったものに罰を。辺獄での永遠の苦しみを。終末の時は来た」


 キリスト教か仏教のどっちかにしろ。神話が混ざりすぎて「神」に近い概念がごった煮になっている。


 不定形の神が動く。輪郭すら定まらない人型が滑るように近づいてきて、拳を振りかぶる。


「くたばれ」


 セミオートマチック拳銃による連続射撃を行う。不定形の神はそれを受けても少し立ち止まる程度のリアクションしか見せなかった。

 効き目はほとんどなさそうだ。さすがに小口径弾で倒せる相手ではないらしい。


「未だ罪を重ねるのか。愚かな」

「スイッチング──アサルトライフル」


 世界で最も生産されたライフルを模した突撃銃を構え、オレは直ちにフルオート射撃を開始した。

 重たい銃声が連続して鳴り響き、反動が手や肩にビリビリと伝わってくる。

 大口径弾の乱射は力を消耗する代わりに圧倒的な破壊力をもたらす。

 オレが通常時に使う武器の中で最も威力の高い攻撃だ。


「ッ……不敬……大逆……!」


 ホログラムのような体には確かに弾丸が突き刺さっている。しかし、すぐに再生する。

 人類の夢想した神とは、すなわち不死の存在だ。それを完全に再現できるはずもないが、さすがに簡単にくたばるわけはない。


 ……と言っても、オレの狙いは何もひとりでコイツを殺すことではない。


「大逆に裁きを。報いを受けよ」


 不定形の神が右手を上に伸ばすと、暗雲が瞬時に立ち込めた。ビリビリ、という電気を帯びている。

 不自然なほどに雲のなかった青空に、意思を感じさせるような勢いで空が近づいてきている。

 原作知識を参照すれば、何が起こっているのか推測するのは容易い。


 次に来る攻撃を悟って、オレは回避行動を取った。


「そこまで原作完全再現とは驚いた……な!」


 直後、鼓膜が破れるのではないかという轟音が耳を蹂躙した。一瞬、耳鳴りで何も聞こえなくなる。

 落雷はオレの右3メートルあたりに落下して、地面にクレーターを作っていた。

 直撃すれば、いくら纏姫と言っても無事ではなかっただろう。


「……見下しやがって」


 不定形の神は、いつの間にか見上げるほどの大きさに変化していた。

 全身にノイズが入っているのは変わらないが、存在感が増している。


 のっぺらぼうの顔が、オレの頭上から視線を注いでいる。


 人類に語られる神の姿は千差万別。であれば、姿形が変化しても不思議はない。

 と言ってもこれは最終形態ではない。

 どうやら、コイツを本気にさせるにはもう少し挑発を続ける必要がありそうだ。


「スイッチング──ロケットランチャー」


 常であれば使わない燃費の悪い幻想武装を顕現する。

 無誘導式砲弾を打ち出し、爆発と共に破壊をもたらすロケットランチャー。

 歩兵ですら戦車の破壊を可能とした革命的兵器の模倣だ。


「食らえっ!」


 肩に担いだそれを巨大な標的に向け、オレは弾頭を発射した。


 加速する弾頭は巨大なシルエットに直撃。着弾と共に爆音が響く。

 ゴッソリ力を持っていかれた。その分、たしかな手ごたえを感じる。


 黒煙の中から現れた不定形の神は──人間大のサイズに戻り、オレへと一直線に突っ込んで来ていた。


「ッ……ソードオフ・ショットガン」


 二連バレルが火を噴き散弾が不定形の神に襲い掛かる。肉体をえぐるが、しかしその動きは止まらない。


「裁きを」


 振りかぶった拳がオレの腹部に刺さった瞬間、体内で爆弾が爆ぜたような衝撃を受けた。

 オレの矮躯は弾丸の如く吹き飛ばされ、崩れたオフィスビルの壁面に背中を打つ。


「ッ……ァ」


 意識が朦朧とする。痛みで思考が回らない。辛うじて顔を上げたオレの目に映ったのは、立ち込める暗雲だった。


「ァアアアアア!」


 気力だけを以って足を動かし、前方にダッシュ。体の痛みは一時的に無視する。

 落雷の音を背後に聞いて、オレは敵の懐に入り込んだ。


 予想外の動きに虚を突かれたらしい不定形の神は、一瞬固まった。


「スイッチング──ソードオフ・ショットガン」

「ガ……アッ……!」


 再び顕現させた水平二連式ショットガンが散弾をまき散らす。ホログラムのような肉体に弾丸が突き刺さり、不定形の神が苦悶の表情を浮かべた。


「スイッチング──サブマシンガン」


 間髪を入れずに追撃。きわめて小さな銃身から高速で弾を吐き出すサブマシンガンが、軽い銃声を鳴らして激しい反動を伝えてきた。


「ガアアアアア!」


 不定形の神が苦悶の声を上げる。


 力を使いすぎた反動で、頭がクラクラする。そもそもサブマシンガンなど燃費が悪すぎて滅多に使わない。

 ここが夢か現実か分からなくなるような、不思議な浮遊感。


 ああ、これは昇天フライアウトが近づいているのだな、とオレは直感的に悟った。

 多分、今のオレの目は薄っすら赤くなっているはずだ。

 目が完全に赤に浸食された時、オレたち纏姫は人としての精神を喪うのだ。


 オレが呼吸を整えているうちに、不定形の神は一度後ろに引いていた。


 人間の体であればとうの昔にバラバラになっていたような攻撃。

 それを受けて、不定形の神の姿に変化が生じた。


「悔い改めよ。審判を受け入れよ」


 ああ、ようやくその姿を見せたか。

 ホログラム混じりの体が、人間らしい輪郭を取り戻していく。

 体に走るノイズが完全になくなったわけではない。それでも、腰布を巻いた男の姿がハッキリと捉えられた。


 不定形の神が手をかざすと、巨大な十字架が目の前に現れた。


 この形態こそ、不定形の神の本気。オレが見たかったものだ。

 それは、かつて救世主が人類の原罪を背負って処刑されたという拘束具だ。

 不定形の神の最大火力。世界で最も有名な処刑の再現だ。その様は歴史上様々に誇張され、様々な嘘が付け加えられてきた。


「赦しを乞え」


 コイツの場合は、神に生贄を捧げる、と言い換えてもいいかもしれない。

 虚構の浸食は人間の嘘をモチーフにしている以上、特性や弱点も同じだ。


 原罪を背負って処刑される、あるいは生贄に捧げる、という過程を再現することで、不定形の神は大幅に力を弱らせる。

 原作において「救世ぐぜカノン」はこれを利用して、自らを犠牲にしてハヅキたちを救った。

 小隊を全滅させかけた不定形の神は、救世カノンの犠牲によって討伐することができた。


 結局のところ、オレには原作と同じ解決策しか浮かばなかった。

 ハヅキたちを危険に晒さずに、この「虚構の浸食」を倒す方法。


 救世カノンが存在しない以上、オレが代わりにやるべきだ。


 どのみち、オレには大した役割なんてない。

 ハヅキを救えなかったのだから、他のみんなも救えるはずがないのだ。


 もはや抵抗する気力は体に残っていなかった。攻撃を食らった痛みと、力を使いすぎたことによる眩暈で動けない。

 見えない力に引っ張られて、オレの体は十字架の元へと引っ張られた。


「……」


 十字架に磔になったオレの元に、不定形の神が大きな槍を持って近づいてきた。


「裁きを、下す」

「ああ、さっさとしろ」


『処刑』は不定形の神の最大火力攻撃だ。ただし、発動できるのは一度のみ。

 神話を再現している以上、オレを処刑した時点で「原罪」は消える。後に残るのは、人類の贖罪という大義名分を失って弱体化した不定形の神だけだ。


「……ああ、これが噓つきの末路か」


 聖人とは程遠いオレだが、まあ善人のために死ねるのならいいだろう。

 そう思って、オレは目を閉じようとした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る