第9話 贈り物
休日の電車内は比較的空いていた。オレと主人公君は、ガラガラの座席に並んで座った。
そもそも俺たちが電車に乗った「幻想高校前駅」は一般人はほとんど使わない。
ここは「虚構の浸食」との戦いの最前線だ。「
このあたりにいるのは纏姫かそれを管理する虚構対抗委員会の人間のみ。
一般人は用がなければ近寄らない。そもそも旧都心は今では一般人はほとんど住んでいないのだ。
結果的に、駅の利用者はほとんどいない。
それでも未成年である纏姫の行き来を不便にしないため、幻想高校前駅は変わらず運営されていた。
「お前はアンカーになってから街まで遊びに行ったのか?」
「うん。マナと一回ね」
おお、流石幼馴染ヒロイン。一歩先を行ってるな。
「映画見たりご飯食べたりしたんだけど……正直マナが楽しんでいたのかよく分からなかったな。相変わらず表情変わらないし」
「いや、マナのことだからお前と出かけられるだけでもうっきうっきだっただろ」
初期からのガチ恋勢筆頭だぞ。最初は四面楚歌だったお前の数少ない味方だぞ。
「え? いやいや。マナがうきうきだったところなんて見たことないよ。だいたい無表情で何考えてるか分からないんだから」
……どうやらオレがマナにアドバイスしたのは無駄になったらしい。
仕方あるまい。あの天才数学少女はこと恋愛にかけては偏差値30程度だ。
「……お前、嘘は分かるのに幼馴染の気持ちは分からないのか」
「どういうこと?」
鈍いというかなんというか。
まあでもマナの鉄仮面は筋金入りなので、見抜けないのも無理はない。
一度気づいてしまえば結構分かりやすいんだけどな。
「マナの気持ちを知りたいなら目や顔じゃなく行動を見ろ。部屋に籠ってる方が好きな彼女がわざわざお前と出かけたのはなぜだ? 無口なあいつがお前とはよく話すのはどうしてだ?」
「……それは」
オレの言葉に、彼は驚いたように固まった。
「お前はいつも他人の目を見て話す。それはいいことだが、目と顔から読み取れる感情に頼りすぎる嫌いがあるな」
顔から感情を読み取るのが得意ゆえの弊害だろう。マナみたいに極端に顔に出ない奴と相性が悪い。
まあ、相性が悪いからここまですれ違っているのだろう。
「……君は本当によくみんなのことを見てるんだね」
こちらをじっくり見る真っ直ぐな瞳。反射的に目を逸らしそうになる。
「ライカは分かりづらい人だけどそういうところは分かりやすいね」
「馬鹿正直のお前に言われたくないな。それに、オレは嘘つきだ。さっきのは全部嘘で、お前を騙そうとしているかもしれないぞ」
「ううん。ライカの嘘は分かりづらいけど、真剣な言葉が本当であることは分かりやすい。君が仲間想いなのは本当のことだ」
「…………」
生暖かい目を向けてくる主人公君から眼を逸らす。
オレは宙に視線を漂わせて静かに思考する。
ふと目についた中吊り広告には「擦れた少女が真っ直ぐな男の子に救われる王道ストーリー!」という恋愛漫画の宣言文句が掲げられていた。
あれ、なんかオレ攻略されるヒロインみたいな状況になってる?
まずい、これ以上何か言っても墓穴を掘りそうだ。これ以上本心を悟られないために、オレはスマホを見て黙り込むという防衛手段に出た。
〈TIPS〉ショップで購入した贈り物をキャラクターに使用すると好感度レベルを上げられます。キャラごとに好みのものが設定されていて、ホーム画面での会話などから推測することも可能です。
ショッピングモールにつくと、主人公君はようやく今回の目的について話してくれた。
「君の行きたいところに行ってから頼もうと思ってたんだけど……ライカにはみんなへの贈り物を考えて欲しいんだよね。ここに来てから結構お世話になってるけど、何も返せてなくて。ライカならみんなの好みも知ってそうだしさ」
……そう言われると、まあ力を貸してやろうという気になる。贈り物はヒロイン攻略のために大事だ。
「
レベルは通常プレイで1から5まで上げることができて、好感度を上げれば戦闘面でも有利に働く。
何よりの魅力は、個別ストーリーだ。
二人っきりのエピソードは回を追うごとに甘々になっていき、好感度5にもなればデレッデレである。
しかしこの好感度、かなり上がりづらい。
贈り物をしたりお出かけに誘ったり一緒に出撃したり、と色々やってもレベル5に上げるのに半年かかる。
さらにそこから好感度の「限界突破」すると3倍も4倍も必要経験値が上がっていく。
完結がほとんど存在せずヘビーユーザーを満足させ続けなければならないソシャゲにおけるエンドコンテンツという奴だ。
そして、それなりにBOGをやり込んでいたオレにとって、メインキャラクターの好む贈り物など目をつぶっていても思い出せる。
ショッピングモールの一階、お菓子が大袋で売られている店を出たオレたちは、さっそく戦利品について話し合った。
「いやあ、随分買い込んだね。チョコの袋詰め。お徳用クッキー。それからスルメイカの瓶詰め。……最後は君の趣味な気がするんだけど」
「おいおい、喫煙者が全員酒やらつまみやら好きだと思ってんのか? 決めつけは多様性を認めるこの時代にはそぐわないぞ」
「いや、煙草が一番この時代にそぐわないと思うけど……というか、本当に飲酒までしてないよね?」
「当たり前だろ。アルコール度数25%までは酒じゃないからな」
「絶対飲んでるよね!?」
冗談だ、と適当にあしらうと主人公君は微妙に釈然としない顔を見せながらも話を戻した。
「それにしてもこの大量のお菓子、本当にハヅキは喜んでくれるかなあ」
「喜ぶに決まってるだろ。あいつが甘いものを嫌がったら全部照れ隠しだと思え」
ハヅキが嫌がるふりをしてウキウキとお菓子を食べる姿が想像できる。
オレの手にあるビニール袋には、色とりどりのお菓子袋がギッチリと詰められていた。
「というか、持つよ袋。貸して」
「え? ああ」
なぜ彼がオレの持っている袋を奪い取っていったのか分からず、少し困惑する。
少し考え込む。
買い物袋。オレと主人公君の関係性。今のオレの姿。
「…………あっ、おい! 変に女扱いするな!」
次に贈り物を選ぶのは、彼の幼馴染であるマナだ。
しかし、長い付き合いであるはずの主人公君は「マナの喜ぶものが分からない」と頭を抱えていた。
情けない奴め。ガチ恋幼馴染がいるのに全然結ばれないだけあるな。
仕方ない。マナが可哀想なのでアドバイスしておこう。
「マナには残るもの贈っておけ。アクセサリーとか服とか」
「え、それは重くない?」
「いいんだよ。相手が重いんだから。むしろ喜ばれる」
「……ほんとに?」
「本当に」
むしろ彼女は不安に思っている。主人公君とうまく話せなくて、自分の感情を伝えられなくて。
だから、消えない証拠を残してやるのだ。合理に生きる彼女は、消えてしまう記憶などでなく消えない証拠を欲している。
入ったのはちょっとお洒落な装飾店だ。
「え、僕こんな店入ったことないんだけど……え、大丈夫? 『ペッ、田舎者め!』って言って追い出されない?」
「どこの常識だよ……堂々としてろ。委縮してる方が目立つ」
彼のちょっと前に立って歩く。
煌びやかな店内はにこやかな笑みを浮かべる店員が巡回していた。
商品棚にはネックレスやイヤリング、指輪など色とりどりの装飾品が売られていた。
「別にウン10万するもの売ってる店でもないんだ。商品一つ壊したって弁償できる」
「そういう問題じゃなくない!?」
情けない主人公君を後ろに引き連れて、オレはいくつかのアクセサリーを見て回った。
「これとかどうだ」
「え、マナがつけてるところ想像できないけど」
「お前がいいと思ってるならそれが一番だろ」
「自分勝手だなあ……」
贈り物なんて勝手にあげるものだろ。
結局買ったのは小さなネックレスだった。目立たない程度に胸元を彩るアクセサリー。
多分、喜んでくれるはずだ。
「次はヒバリかぁ。なんでも喜んでくれそうだけど、本当に好きそうなものは分からないなあ」
「まあ、贈り物をされること自体を喜ぶタイプだからな。まあ、オレに任せてみろ」
ヒバリの場合重要なのはモノより想いだ。
彼女は贈り物に籠められた「誰かを喜ばせたい」という想いこそを好む。
彼女が好むのは他者の明るい感情だ。
「でも、ヒバリはびっくりするくらいいい人だよね。いつも明るくて、僕にも気を遣ってくれるし。……たまに裏が見えるけど、それも含めていい人だ」
「ああ、そうだな。でも、お前とはちょっと違うな」
「僕と?」
「ああ。お前は自分のやりたいことをやるいい奴。あいつは他人の求めることをやるいい奴だ」
「僕のことを買いかぶり過ぎな気がするけど……」
「いや、種類の話だ。ヒバリの場合他人の期待に応えようとしすぎるところがある。たまに無理するから助けてやってくれないか?」
「うん。……僕にできることなら」
できるさ。主人公なんだから。
「なんかフォックス小隊のみんなって同じようなこと言うよね……」
「は、何が?」
「何でもない」
結局買ったのは、古風な封筒付きの手紙と万年筆だった。手書きの方が感情が籠る……なんて古臭いかな、と彼は笑った。
「ヴィクトリアは?」
「あいつはカッコいいものなら大抵喜ぶ。中二の自分が喜ぶものを贈れ」
「中二の自分……いや、君が何を言いたいか全然分からないな。中二の頃の僕がどうしてヴィクトリアと同じものが好きだと? 何か根拠は?」
「おい、目が泳いでるぞ」
主人公君は本当に嘘をつくのが下手だった。
露骨に宙を漂う視線と、震える声。赤ん坊みたいな嘘だった。
中二病は男なら分からないはずがない……と言うのは言い過ぎかもしれないが、まあ大体の奴なら中二病には罹ったはず。
己の嘘を認めた彼は、オレのアドバイスをもとに、彼は早速雑貨屋の棚にあった商品を取った。
「カッコいいものって言うと……これとか?」
「ブッ……そうか……ククッ……そうだな。それはカッコいいな。お前がそう思うならそれでいい。中二のお前が言うんだからな。……ブフッ」
「喧嘩売ってる!?」
もちろんだ、と口にはしない。オレとてかつて男だった身。己の中にある「カッコイイ」が汚されるなど屈辱の極みだろう。
だから笑ってはいけない。
彼の想いを、かつてその中にあった中二病を、決して馬鹿にしてはいけないのだ。
オレは頑張って真顔を作った。
「いや、悪い。でも本当にいいと思うぞ。その……ブフッ」
「やっぱり喧嘩売ってるよね!?」
やいやいと騒いで、店員に冷たい目で見られながらオレたちは剣の形をしたキーホルダーを買った。
「ありがとうライカ。なんか満足できる買い物ができた気がする」
「ああ、ちゃんと渡せよ」
色んなものを見て回った。接するうちに、オレは確信するのだった。こいつはやっぱり善人だ。オレが憧れ、焦がれたもの。
自分が「善い」と思ったものを実行して、幸福を得る人種。人間があるべき姿。噓つきとは正反対に位置する人間。
「じゃあな。オレはちょっと寄るところがあるから、ちゃんと帰れよ」
「うん、ライカもね」
彼を助けるべきであるという今世での目的を再確認して、オレは彼の背中に視線を向けた。
路地裏に入り、ポケットからライターと煙草を取り出す。
少しだけ微笑んで、オレは火をつけた。
独特の匂いが鼻をつく。
「……」
ああ、楽しいなと素直に思う。
──その途端、耐え難い吐き気が襲った。
火のついた煙草を取り落とし、口を押える。
「なぜ、オレが楽しんでいる」
脳裏に浮かぶのは、かつてオレが騙して殺した人の姿。血の匂いとぶちまけられた脳漿がフラッシュバックする。
「違う。オレがするのは償いだ。どうしようもない悪人だったオレが最後にできる、ちっぽけな善行だ」
夢の時間なんかじゃない。
これはクソったれだった人生の延長戦だ。誰かに与えられた、償いの機会。
「だから、楽しくなんてない」
地面に落ちた煙草を踏みつけ火種を消す。
新しいものを一本取って、もう一度火をつける。
煙を肺に入れ、大きく吐き出す。
喫煙するたびに感じる気持ち悪さ。
手の先が薄っすら痺れて、煙草を持つ手がわずかに震える。
未成熟な体が悲鳴を訴えかけてくる。
オレはもう一度煙草に口をつける。
「……」
思考がぼんやりとして、先ほどまで何を考えていたのか曖昧になる。
後に残ったのは、正体もあやふやな自己嫌悪だけだった。
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