第8話 どうしてこうなった

 剣道場に竹刀をぶつけ合う音が響き渡る。僕は必死に彼女の動きを観察して、その攻撃を凌いでいた。


 ハヅキと剣を合わせる時間は、しんどいけれども決して嫌な時間ではない。

 自分が少しずつだが成長しているのが分かる。


 ハヅキの鋭い剣が見えるようになってくる。彼女の体の動きから次の一撃が予想できるようになる。そうなれば、反撃の手立てを考えることもできる。

 しかし、それでも届かない。


「──甘い」

「ッ!」


 僕の剣をするりと抜け出した木刀が目の前に迫る。ハヅキの足が地面を滑る。

 後ろに下がろうとするが、それよりも早く剣先が僕の面を捉えた。

 打撃音と防具を通して伝わる衝撃。

 僕は敗北を悟って木刀を下した。


 一段落ついて、僕とハヅキは休憩することにした。

 二人で道場の床に座って雑談するのも習慣になってきた。


「……また綺麗に一本かぁ。無理に攻めに行くのは失敗だったかな」

「いいや、失敗などではない。男であるお前が女の私に力勝負を挑むのは正解だ」

「ハヅキはそういうの、嫌じゃないんだ」


 正々堂々、とはかけ離れた考え方な気がするけど。しかしハヅキは冷静な顔をしていた。


「スポーツならともかく殺し合いの練習をしているんだ。使える手はなんでも使え。まあ、私が纏姫の力を使ってたらお前など外まで吹き飛ばしていたがな」

「こわいよ。それ僕死んじゃうよ」


 淡々と語る彼女はいつものように僕の分のボトルを手渡してくれた。礼を言って受け取ると、彼女は黙って自分のボトルに口をつけた。


 僕も同じように口をつける。スポーツドリンクの甘さが疲れた体に染み渡った。

 ボトルのキャップを締めていると、ハヅキが硬い口調で切り出した。


「なあ、翔太。お前がそんなに私と一緒にいてくれて私のことを知りたがるのはライカに何か言われたからだろう?」


 ズバリと核心を突かれて、僕は激しく動揺する。


「……誰かの思惑とか、関係ないよ」

「嘘だな。いや、部分的に真実で部分的に嘘だ。お前はライカの言葉をきっかけに私に近づき、今は己の本心から私と接している」

「……」 


 ああ、やっぱりハヅキは鋭い。僕は噓を見抜くのは得意だが嘘をつくのはそんなに得意じゃないのだ。

 こうなったら、正直に話すのが道理というものだろう。肝心なところで嘘のつけない僕は、正直に話すことにした。


「ライカにハヅキのことを見ていて欲しいと言われたのは事実だよ。でもライカはそれ以上のことを僕に言わなかった。ハヅキが心配だから、としか聞いていない」

「あの過保護バカ……」


 ハヅキの顔には、かつて見たことのないほどの憤怒が浮かんでいるように見えた。


「一つ、お前の勘違いを訂正する。私はライカが思うような助けの手は必要としてない。お前が私を救う必要などない。私は既にライカに救われているからだ」


 救う、というライカの使った言葉をハヅキはピタリと言い当てた。

 彼女はライカが僕に何を頼んだのかお見通しだったらしい。

 ハヅキが鋭い目で僕を見る。その顔からは、決意が見て取れた。


「かつての私は信念を全うすることに執着していた。他人から見れば狂気的な想いに囚われ、みんなに心配と迷惑をかけた。しかし、ライカのお陰で私の眼の曇りは晴れた」


 嘘はない。彼女は真っ直ぐに僕に向き直っている。

 少し考えて、僕は正直な感想を伝えることにした。


「いや、それでも僕にはハヅキはどこか歪んで見えるよ。正しくあろうとしすぎているというか、使命に真っ直ぐすぎるとか、潔白すぎるとか、そんな感じ」

「そうか。いや、そうかもしれない。……それでも、ライカの見立ては間違いだ。私はもう、他人の助けはいらない。もう十分受け取ったからな」


 彼女は真っ直ぐな光を灯した瞳で僕を貫いて、言い放った。


「本当に救いが必要なのは、ライカの方だ。誰にも歪みを解消できずに突き進んでしまったライカをこそ、お前には救って欲しい」

「……どうして、そう思うの?」

「あいつはずっと同じことに執着している。私や皆を助けること。……それから、何かよく分からないもの。そのためだけにあいつは生きている」


 正直、そこまでのいびつさは感じなかった。

 でも、ハヅキの言葉が嘘とは思えない。ずっとライカと一緒にいたという彼女の見立てが間違っているとは思えない。


 そう思ってから、僕は紫煙をくゆらすライカの姿を思い出した。

 もやもやと漂う煙をぼんやりと目で追う彼女の姿。黒く濁った眼。


 飄々とした態度に騙されがちだったけれども、彼女も何か思い悩んでいたのだろうか。


「たしかに、僕はライカのことを知らなかったのかもしれない」

「あいつは嘘をつくのが上手い。噓つきだらけの纏姫の中でも最高クラスだ。まったく腹立たしい。こちらの本心を見てきたみたいに暴く癖に、自分のことは全く見せようとしないのだからな」



 そう言えば、僕はライカ自身のことを全然知らない。

 年齢が分からないこと。噓ばかりつくこと。仲間のことばかり考えていること。

 結局彼女の内面がどうなっているのかについての情報はほとんどない。


 それは、結構異常なことなのではないか。

 何度も密談して交流を深めた気になっていたが、その実ライカは自分というものをほとんど教えてくれなかったのではないか。

 空虚な瞳の黒を思い出す。

 ハヅキに言われて初めて気づいたひずみ。僕は、それを確かめずにはいられなかった。


「もう一度、ライカとちゃんと話してみるよ。彼女に救いが必要かどうかなんて分からないけど、もうちょっと知ってみる。これだけ世話になってよく知らないっていうのも変な話だからね」


 別にハヅキだけじゃなく、僕だって助けられたのだ。

 突然ここに連れてこられて孤独を感じていた僕に、彼女はニヤリと笑って手を差し伸べてくれた。

 だから、彼女に助けが必要なら助けたい。せめて話くらい聞きたい。

 それが僕の噓偽りない気持ちだった。


「それがいい。……いや、私からも頼む」


 ハヅキは少しだけ頭を下げて肯定した。



 ◇



 スマホの通知音を聞いて、オレはすぐに画面を確認する。

 即確認即返信は社会人の基本。そんな風に叩き込まれたオレの本能的行動と言っていいだろう。


 見れば主人公君からのメッセージだ。

 なんだ、そろそろハヅキと付き合った報告か、などと考えていたオレは度肝を抜かれることになる。


『今週の日曜日、二人で街まで行かない?』


「──オレを攻略してどうすんだよバカ野郎!!!!」


 お前はちゃんとしたヒロインを攻略しろ! 






 〈TIPS〉噓葺ライカは普段の言動のわりに常識やマナーなどに変にうるさい面があります。






 そして日曜日の朝。オレは待ち合わせ場所にいた。


「どうしてこうなった……」


 主人公君の押しが謎に強くて結局了承してしまった……。こうなればハヅキを巻き込んで三人で出かけることにしてやろうと彼女に連絡したが、「ちゃんとデートしてやれ」と返ってくる始末。

 どういうことだ? なんでハヅキが主人公君がオレをデートに誘うと知っている? 

 読めない……思春期の少年少女の突飛な行動は全く読めない。


 ちら、と内向きにつけた腕時計を確認する。時間10分前。少し早く着き過ぎただろうか。


 腕時計をはじめとして、今のオレは最低限女の子としてまともな格好をしている。ふわりと羽織った白いカーディガン。清潔感のあるスカートは膝下程度。

 スタイルは気にしなくても細いから問題ないだろう。


 TPOを弁えたドレスコードは社会人のたしなみだ。

 外に出かける女性として、最低限のおしゃれはしなければ。……大変不服なので今すぐにでも帰りたいところだが。


「あ、ごめん。待った?」


 久しぶりに聞く気がする主人公君の声に顔を上げる。


「いや、時間前だ。問題ない」


 見慣れない彼の私服姿。

 少し新鮮だ。けれども、野郎の服を見てもあんまり嬉しくない。オレは体は女になっても心まで女になったつもりはないのである。


「ライカ、そうしてるとなんかまともな女の子みたいだね」

「ゼロ点。ぶち殺されたいのか? 女性の服を見た感想として失格だ。前世からやり直せ」

「いや、だって全然雰囲気違うじゃん! なんか目の濁りもちょっと消えてるし!」

「ドレスコードだっての。陰鬱な表情で出かける奴がいるか」


 表情を操る程度噓つきには容易いこと。ただ普通にしていると生気のない死人みたいになってしまうだけだ。


「しかしお前、本当に一人で来たのか……」


 彼の意図が分からず困惑する。


「まあうん。ライカには色々助けてもらったわりにお互いのことは全然話してなかったなって思ってさ。君も言ってただろう。纏姫とアンカーは仲を深めるべきだって」

「ハァ……オレは例外だ。お前の助けなど要らん」


 コイツは教師の言ったことを全部真に受けるタイプか? そんなこと言ったのはハヅキと仲良くさせるために決まってるだろ。


「でも、助けは要らないと言っていたハヅキを助けてくれって言ったのはライカだよね」

「子どもは助けてくれって言わなくても助けられるべきものだ」

「君は違うの?」

「オレはアラサーだ」


 言い切ってニヤリと笑うが、彼は懐疑的な視線を向けてきた。


「ライカは嘘つきだからね。実は普通に見た目通りの年齢だったりしない?」

「どうだろうな。……さて、オレは何も聞いていないが、どこに行くつもりだったんだ?」


 話を変えて質問すると、彼は小さく頷いた。


「一応プランはあるけど、ライカはどういうのが好き?」

「は? オレ? ……いや、特には」

「え、じゃあ休みの日何してるの?」

「纏姫を管理してる奴らと話をしに行ったりしてるな。あいつらは戦闘地帯には入れないから、状況は逐一報告しておかないと。いざって時に支援がないとかシャレにならんし」

「そっか。なんか大変そうだね」


 駅に向かって歩き出しながら会話を交わす。


「うちで言えばオレ以外にやる奴がいないからな」

「そうかな。みんな会話が下手ってわけじゃないと思うけど」

「そうか? まずヴィクトリア。あいつは無理だ。邪眼と邪龍の話しかしない」

「た、たしかに……」


 中二病を常に拗らせている彼女は、誰と話す時もあんな感じだ。会話が成立する方が珍しい。


「でも、ヴィクトリアの言ってることはなんとなく分かってきたよ。話し方が突飛なだけで結構常識的な子だと思うな」

「おお、ヴィクトリアと会話が成立したのか。それはいいことだ。もう押し倒したか?」

「お、押し倒して……押し倒してない! ライカは僕を女の子は全員押し倒すケダモノだと思ってるの!?」

「でも、その反応だと押し倒したんだろ?」


 押し黙る主人公君。当たりのようだ。


「あー、女の子を押し倒したのか。事故かもしれんが責任重大だなあ。どうやって責任を取るんだハーレム野郎」

「そ、そんなことを言ったら僕は君も押し倒してしまったわけだけど、責任を取れっていうの?」

「それとこれとは別だバカ野郎!」


 思い出しただけでムカつくのに、本人にまで言及されたオレは憤慨した。

 事故だったっていうことは状況から分かる。しかし、間近に迫った彼がオレを見て顔を赤くする様子は自分がラブコメに巻き込まれている感じがして鳥肌が立った。


「いいか。オレがお前のヒロインになる可能性は1ミリたりとも存在しない。だからお前はオレなどと話す前に他の女の子たちと仲を深めろ」

「僕は別に恋人になりたいと思ってみんなと仲良くしてるわけじゃないんだけど」

「なんだと? あいつらが可愛くないとでも言いたいのか!?」

「いや、そんなこと言ってないけど……」

「お前の目は節穴か! ハヅキは真面目に頑張ってる姿が可愛いしマナは理屈こねるくせに感情的なところが可愛いしヒバリはいつも目がキラキラしてて可愛いしヴィクトリアは突飛な言動なのにちゃんと優しくて可愛いだろうが!」

「あ、うん。ごめんね?」


 ちょっと引いた目でオレを見てくる主人公君。

 分かればいいのだ、と鼻を鳴らして、オレは改札に電子マネーを押し付けた。

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