第5話 希望纏う少女とロボット少女

 彼女たちがシャワーを浴びるらしいので、僕もいったん体を洗ってから談話室と呼ばれる場所に座る。

 普通の学校には存在しないようなスペースだった。いくつかの大きな丸テーブルと、その周りに肘掛けつきの椅子が配置されている。夕方の今はそれなりに需要がある時間らしく、若い女の子たちで賑わっていた。


「……」


 しかし、本当に女の子ばかりだ。女子校というのはおそらくこんな感じなんだろう。

 僕と同じアンカーであれば男性がいてもおかしくないのだが、気まずいからこういうところに来ないのかもしれない。


 結構な心細さを感じながらスマホを弄っていると、ふいに隣に誰かが座る気配があった。

 ふわ、と漂ってきたシャンプーの香りに体温が少し上昇する。


「翔太、お疲れ様」


 隣に座ったのは、ここでの唯一の顔なじみ、マナだった。

 その姿は中学生の頃の記憶のままだった。


 茶色がかった髪はミディアムカット。やや小柄な体型。

 感情を見せない瞳と無表情。

 冷たい、というよりも「何を考えているか分からない」という感想を抱かせる。


「マナ、ひとり?」

「うん。先に出てきた」


 相変わらず、表情があまり変わらないので考えていることが分からない。

 小学生の頃から中学生の途中まで、7年近くの付き合いにも関わらず、だ。


 改めて、彼女と目を合わせる。僕の視線を受けた彼女は、「なんだろう」と首をかしげた。


 彼女は昔からあまりに表情が動かないため、近所の人にはお人形さんみたいと評されることもあった。

 口数も少ない。と言ってもコミュニケーションが取れないわけでなく、口を開けば結構ユーモアがある。


 やや小さい背丈は、よく見ればちょっと会わないうちに成長しただろうか。正直なところ、子どもの彼女とはちょっと違った雰囲気があって困惑している。


 長い付き合いだが、彼女のことは未だに分からない。

 嫌われてはいないと思う。でも、好かれているのか分からない。


 少なくとも、この一週間彼女は僕に積極的にコミュニケーションを取ろうとはしなかった。


「翔太、ライカと仲良くなった?」


 無表情のままで、彼女は問いかけてくる。


「仲良くなったって言うほどじゃないけど……なんていうの、秘密を共有した?」


 その言葉に、マナは珍しいほどに大きく目を開いた。


「私の知らない、秘密?」

「まあ、そう。別に大したことないよ」

「ライカのも?」

「噓葺の秘密? ……あー、うん。た、大したことはなかったよ。全然」


 いや、結構衝撃的ではあった。見た目中学生、下手したら小学生くらいの女の子が煙草を咥えている姿は。


「それ、嘘ついてる時の翔太の顔だね。いや、無理に知ろうなんて思わないよ。ライカが秘密と嘘ばっかりなのはいつものことだし。……でも、なんでそんなに翔太と仲が良いのかは気になるけど」


 最後の方は早口で何と言っているのか聞き取れなかった。彼女はちょっと視線を横に向けた。


 気まずい沈黙が流れる。いや、マナの方は気まずいとか考えてないかもしれない。普通の人とは見えているものが違う子なので、つまらないことは気にしないタイプだ。


 チラ、とマナの様子を確認する。すると、彼女の無感情な目と視線が合った。

 その小さな口が何事か言おうとしている。

 けれど、言葉が発せられる前に遠くからこちらに呼びかける声があった。


「お待たせー! あれ、二人で話してたの? そう言えば幼馴染だっけ? 甘酸っぱいねえ! 詳しく聞かせてよ!」


 希望ヶ丘さんの後ろからみんなが歩いてきた。みんなシャワー上がりなので、薄っすら髪が濡れている。ちょっとドキドキする。


「ヒバリ。全然甘酸っぱくない。どっちかっていうとしょっぱい」

「しょっぱい……?」


 ぞろぞろと並んできた女の子たちが僕の周りに座っていく。僕の隣に躊躇なく座ってくれたのは、先ほど気さくに話しかけてくれた希望ヶ丘ヒバリさんだ。


「じゃあアンカーさん、改めて自己紹介をどうぞ!」


 希望ヶ丘ヒバリさんは、インタビューでもするみたいに僕に話しかけてきた。


「えっと……中塚翔太。高校2年です」

「趣味は?」

「趣味は……読書、とか?」

「好きな食べ物は?」

「強いて言えば……生ハム?」

「び、微妙なチョイス……」


 誰かが呟いたが、ヒバリさんはそのまま質問を続けた。


「特技は?」

「人の嘘とか結構分かるかな」


 噓葺が小さく鼻を鳴らしたのが聞こえた。


「ここでの目標は!」


 さっきと同じ軽いノリの問いかけ。

 けれども、彼女の瞳は先ほどまでと違う光を纏っている気がした。


 多分、試されているのだろう。僕が彼女の信用に足る人物なのか。どんな答えを返すのか。

 きっと、さっきまでの質問は全部これを聞くためにあったのだ。

 だけど。


「普通の生活」


 でも、僕は咄嗟に聞こえの良い返事なんてできるほど器用じゃない。

 大層な夢なんて抱いたことはない。ここでアンカーとして英雄になりたいだとかそういうのはあんまりない。

 僕はただ、人類滅亡の危機とかそういうのが終わって平和に過ごしたい。


 それを聞いた希望ヶ丘ヒバリさんは、表情を変えた。いつだって楽しそうな彼女は、一瞬だけその笑顔を止める。表情を浮かべない彼女は、驚くほど無気力に見えた。

 しかし、それはすぐに笑顔で隠される。


「老人! 老人の夢だよアンカーさん! アッハハハハ!」


 ひとしきり笑ったかと思うと、彼女は明るい笑顔で僕に話しかけた。

 もうすっかり普段の彼女だ。


「じゃあ、もう君のことは知ったから私たちは友達だね。はい、もう遠慮はなし。君はこれから名前で呼ばれます。よろしく翔太」


 浄化されてしまいそうな光の笑顔。先ほどの顔が嘘だったようだ。


 おそらく、笑顔の彼女も無表情の彼女もどちらも本当の希望ヶ丘ヒバリなのだろう。

 纏姫とは虚勢を張るもの。それなら、裏表があってもおかしくない。

 でも、彼女は表も裏もそんなに悪い人じゃない。不思議とそう思えた。


「よろしく、希望ヶ丘さん」 

「え? 誰のこと? 私たち纏姫の苗字は全部かりそめのものだよ。そっちで呼ばれても分からないなぁ」

「……よろしくね、意外といい性格していたヒバリ」

「分かればよろしい!」


 本当に、いい笑顔だ。


「みんなも、どうせなら名前で呼ばない? もう他人じゃないんだし」

「翔太は翔太。私にとって何も変わらない」


 マナは無表情でそう言い切ってくれた。


「まあ、そいつがいいんならいいんじゃねえの」


 噓葺──改めライカは、ぶっきらぼうに言った。


「はしたない……と言いたいところだが、私は別に構わない」


 帯刀……否、ハヅキは意外にも素直に言った。


「私も構わないわ……邪眼姫に認められたこと、感謝なさい!」

「……ごめん、誰だっけ」

「なっ!?」


 風呂上りでも中二病なファッションを欠かさない金髪の彼女──ヴィク……ヴィクト……会話してないからあんまり印象が……。


「邪龍を右腕に封印し、悪魔を右目に飼う姫……ヴィクトリア・フォン・レオノーラよ! ヴィクトリアと呼びなさい!」

「よ、よろしくね……」


 まずい、動揺してちゃんと挨拶を返せなかった。

 改めて対面するとあまりにも濃いキャラクターに圧倒されてしまった。


 一通り仲間たちが同意したことを確認したヒバリは、うんうんと満足気な顔で頷いていた。

 そして、ライカの方を見てニマニマしながら話しかけた。


「あー、よかったよかった。翔太君がみんなと仲良くなれて。これで不安も一つ解決したね、ライカちゃん」

「なんでオレに言うんだよ」

「だって、最近翔太君のこと心配そうにチラチラ見てたじゃん」


 いたずらっぽい笑顔でライカを見つめるヒバリ。

 ライカはぶすーっと不機嫌そうな表情になって「そんなわけないだろ」とだけ言った。


 それを微笑ましい気持ちで眺めていると、僕の視線に気づいたライカがこちらを見て、「こっち見るな。殺すぞ」と口パクで伝えてきた。

 びっくりするくらい可愛げのない照れ隠しだった。



[TIPS]纏姫はほとんどが偽名を名乗っています。慣習的に苗字は偽名、名前は本名のことが多いです。(数ノ宮マナの場合、マナだけが本名)

 これは普通の女の子である自分と虚勢を張って戦う纏姫である自分を分けるため、戦いが終わった時に一般人に戻れるため、メディア露出した際に家族に迷惑をかけないため、などの意味があります。

 纏姫が本名を教えることは「この戦いが終わっても一緒にいたい」という意思表示となり、場合によっては告白と同義です。





 主人公君がフォックス小隊の面々に受け入れられてから数日が経った。

 あれからあいつは、表情がリラックスしたような気がする。

 まあ、突然女性社会にぶち込まれて「信頼を得ろ」とか無理難題押し付けられてたからな。


 あれならオレが手を貸さずとも関係を深めてくれるはず。

 ただ、ハヅキに関しては引き続きオレがフォローしないとな。





「ライカ」

「ん?」


 偶然校内で二人きりになると、主人公君の幼馴染であるマナが話しかけてきた。

 目を合わせると、相変わらずの無表情が目に映る。


 ボーっとしているように見えるが侮ることなかれ。

 数学の天才である彼女は、既に大学レベルの証明問題すら解いてみせる才女だ。


「最近何を企んでいる?」


 彼女の瞳がオレの奥まで見通そうとする。


「マナにしては具体性を欠く言葉だな。会話シークエンスを円滑に遂行するんじゃないのか?」

「あなたの行動が不可解すぎて抽象的な問いにならざるを得ない。合理的に考えて、あなたの行動は不自然」


 それは当然だ。彼女がどれだけ数学の問題を簡単に解けるとしても、未知の変数が存在すれば正しい答えは出ない。

 原作知識だなんて、そんなものこの世界の誰にも予測できない。だからこそ、オレは嘘をつき続けられるのだ。


「でも、その行動の軸に翔太とハヅキがいることくらいは推測可能。二人の関係にちょっかいを出して、いったいどうする気?」

「ハヅキを救えるのはあいつだけだ」


 オレの言葉に、マナは小さく首を傾げた。


「根拠に乏しく抽象的。あなたがそう確信している理由は何?」

「マナ、前から言ってるだろ。何でもかんでもスッキリさせればいいってもんじゃない。世の中には曖昧にしておいた方がいいものもあるんだ」


 法律だとか憲法だとか、責任の所在だとか倫理だとか、あやふやな方が都合の良いものもある。

 尤も、十代の少女にそれを説教臭く説くのも大人げない。


 オレは胸ポケットのライターに手を伸ばしかけて、すぐにその手を止める。

 煙の代わりに、オレは嘘を吐く。


「アンカーと纏姫の仲は良い方がいいからってだけだ。ハヅキはオレたちの中でも特に気難しくて、メンタルが不安定だ」

「それについては同意できる。彼女の精神性は高潔過ぎて危うい」

「そうだ。だからあいつと仲良くさせて精神の安定を図る。どうだ、合理的か?」

「部分的に肯定できる。でも、ライカはハヅキの危うさに翔太が来るずっと前から気づいてケアし続けていた。今になって急に他人にその役割を渡したのが不可解」


 彼女の眠たげな瞳は、オレの目をじっと見つめている。気を抜けば、あっさりとオレの本音を推察されてしまいそうだ。


「そこまで分かっているならマナもハヅキを気遣ってやったらどうだ?」

「私には不可能。人の気持ちは複雑で不定形にすぎる。とても計算しきれない」

「マナは感情を読むのがかなり上手い方だと思うけどな」


 そうやって、先に成功する確率を計算して尻込みしてしまうところも彼女らしいと言えば彼女らしい。


「もしかして、せっかく再会できた幼馴染との時間が取れなくて不満か? もっと一緒にいたいか?」


 そう聞くと、先ほどまでロボットのように表情を動かさなかった彼女の顔が紅潮した。微動だにしなかった目線がきょろきょろしだす。


「な、なぜその言葉が出てきたのか理解不能。先ほどまでの会話と因果関係が認められない。私の心境を憶測で語るのは非推奨」

「ハハッ! あいつの前でもそれくらい分かりやすくしてればいいのに!」


 オレが笑うと、マナはますます顔を赤くした。


「ろ、論理的じゃない……!」


 初々しい姿に嗜虐心が湧いてくる。でもあんまり揶揄うのも可哀想か。

 せっかくだから年長者として話を聞いておこう。

 オレはゲーム上の『数ノ宮マナ』をあまり知らない。高レアのドレスが出なかった関係で、個別ストーリーをほとんど読んでいないのだ。


「なあ、どうしてあいつと話す時はあんなに臆病なんだ? もっと話したくて、もっと仲良くしたいんだろ?」

「……翔太は私とは違う。無策に関係を深めようとすると、その、関係性に悪影響が及ぶ可能性がある」

「ああ、嫌われるのが怖いってか」

「ッ!」


 図星を突かれた彼女が視線を逸らした。頬はずっと赤いままだ。


「まあ、あれだ。マナはあいつとは話す時表情筋ガッチガチだからな。とりあえずそれ治したらどうだ?」

「……? 不可解。そのような事実は観測していない」

「えぇ……」


 いや、普段からロボットみたいなのに彼と話す時はさらに無表情だから困惑されてると思うんだが……。


「あ、なるほど。観測できない事実は計算に入れられないのか」

「?」


 気づいてしまえば単純な話だった。

 自分の顔は自分じゃ見れない。


 このポンコツ天才少女は、自分の知らない変数への対応力が絶望的に低い。知っているものは演算できるが、知らない変数が入ると計算が上手くいかない。

 それでも知らないことは徹底的に調べつくして既知にしてしまうのが彼女の天才たる所以だが、人間関係に必要なのは勉強ではなく推測の方だろう。


 ……こいつもハヅキのこと言えないほど不器用なんだよな。

 ちょっと迷ってから、オレはマナに一応のアドバイスをすることにした。


「あー、あれだ。翔太と話す時は自分の感情を素直に出してみたらどうだ?」

「……それがどういう影響を与えるか不明。しかしこの表情のライカの言うことは92%間違いがない。提言ありがとう。次回以降の会話シークエンスに『感情を素直に出す』プロセスを実験的に追加する」


 分かったんだか分かっていないんだか。天才少女はこくりと頷いた。

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