第42話 いつ頃

 堤防ていぼうの、雑草ざっそうしげ傾斜けいしゃに、俺とつじさんはこしろす。


 辻さんは、ブラウンのリュックサックを地面にいて、その中からスケッチノートと鉛筆えんぴつを取り出す。

 そして、体育たいいくずわりし、ふとももをかくすネイビーのスカートの上に、ノートを乗せた。

 俺は、そんな辻さんに聞く。


「どうして急に、絵がきたくなったんだ?」

自然しぜんが、私の頭の中に答えをえがいてきたから、私はそれをかたちにしたいと思って。だから、絵が描きたくなった」

「最近、何となく辻さんの言葉が理解りかいできるようになった気がする」

「それは良いことだね」

「そうだな。良いことだな」

「うん」

「でも、日本語にほんごの方が、すっと入るから、なるべくそっちの言葉をしゃべってもらえるとありがたい」

「私は何語なにごを喋ってると?」

変人語へんじんごじゃないか?」

板橋いたばしくんがこのごろ辛辣しんらつになりました」

「辛辣になったか?」

「……したしくなったぶん、私に遠慮えんりょがなくなったのかもしれないね」

「まあ。それは、ありえるかもしれない」

「遠慮がなくなれば、次はくっつくしかないわけだよ」

「その変人語は、意味が分からない」

「ラノベ作家さっかなのに、鈍感どんかんだな。別にいいけど」


 ――何が鈍感なんだ。


 不定期ふていきはっせられる、変人へんじん言葉ことばなのだった。


 辻さんは、ノートに視線しせんとし――しゃっ、しゃっ、と。軽快けいかいな音をひびかせながら、鉛筆えんぴつを走らせる。

 彼女は、口を開けた。


「何か、お喋りしようよ」

「辻さんは、絵を描きながらだが、会話かいわができるのか?」

「今回ひらめいたものは、自信作じしんさくになるかといわれれば、何とも言えないものになりそうだから、今回くらいはラフに書こうかなと思って。だから気楽きらくに、お喋りしながらもありかなと考えた」

「なるほど。それにしても、話しながら絵を描けるとは、すご技術ぎじゅつだな」

となりにいるのが板橋くんだからこそ、実現じつげん可能かのうな技術だと思うよ」

「それは、どういう意味だ?」

「板橋くんは、雑念ざつねんとは違うからね」

「……ああ、そういうことか」


 辻さんは、天才イラストレーターだ。

 しかし、その絵描えかきの才能を解放かいほうさせるには、条件じょうけんというものがある。

 彼女の周囲しゅういに雑念が存在そんざいしないことが、その条件であった。

 雑念というのは、第三者だいさんしゃす。


 彼女は、彼女の目につく範囲はんいに、彼女以外の人間が位置いちしていると、絵描きの実力じつりょく発揮はっきできないという、変わった性質せいしつぬしだった。


 しかし、だ。

 彼女いわくだが、俺は例外れいがいで雑念にふくまれず、となりにいても問題なくイラストを作成さくせいできる、特殊とくしゅな存在なのだということだった。

 さっぱり、理論りろん不明ふめいである。


「辻さん」

「ん?」

「この堤防には、川遊かわあそびをしている子供こどもやランニングをしている大人おとなたちがいるが、それらの雑念の存在は、今は平気へいきなのか?」

「ふっ、板橋くんよ……」

「なんだ?」

「その雑念たちから目をそらしたいからというたくらみもあって、私は板橋くんとおはなししようと言ったんだよ」

「つまり、気楽に絵を描くとか何とかは、ちょっとした建前たてまえだったということか?」

「気楽に描こうとは思っているけど、メインの理由は、周りにうろちょろしている雑念の意識をまぎらわしたいからだね」


 俺は、口を開けた。


「なぜ、この場所を選んだ?」

「気づいたら、この場所を選んでいたんだよ」

「ただの考えなしか……」

「絵を描くことに、理由なんて必要ない」

「かっこいいセリフふうに言っているが……。まあ、創作そうさく意欲いよくがあることは、良いことだな」

「そうだよ。だから板橋くんは、私が絵を描いている最中さいちゅう、なるべくでも完成するイラストの出来できを良くするために、お喋りをするのが最善さいぜん手段しゅだんだと思う」

「…………」


 俺は、言った。


「その通りかもな」


 彼女が絵を完成すれば、実質じっしつくもりえさ先生の新作しんさくイラストが見れるわけだ。その絵の完成度かんせいどは高いことにしたことがないと、彼女のファンである俺は思う。

 だから、辻さんの提案ていあんに乗ることにする。


「話が分かってくれる板橋くん……すごくたすかるよ」

「それはどうも。だがしかし、何の話をしたものかだな」

「何でもいいよ。彼女かのじょ募集中ぼしゅうちゅうの話でも、おさななじみ退場たいじょう計画けいかくの話でも、家族かぞくへのご挨拶あいさつ予定日よていびの話でも」

たとえの話題わだいが、全部参考さんこうにならない」


 俺は、考えた。

 話の話題、話の話題……。

 そうだな。


「…………」


 とくに何も思いつかなかった俺は、テキトーな質問しつもんを彼女にげる。


「辻さんは、絵は好きか?」

「うん。絵を描いているから、当たり前に、絵は大好きだね」

「そうだよな」

「そそ」


 どくにもくすりにもならない話題なのだった。

 われながら、作家なのに話のてが下手へたである。


 だが一応いちおう、俺だって書店しょてんに本を並べた経験けいけんのある小説家しょうせつか

 話の組み立てが下手という称号しょうごうのままでは、会話は終われない。

 作家たるもの、ここから話を広げなければだ。


「絵は、いつごろから好きだったんだ」

「うーん……いつだろう?」


 彼女は、言葉をつむぐ。


「たぶん、生まれながらにして、絵が好きなのだと思う」


 ……ほう。

 当然のように、理解しきれない言葉がう。


あかちゃんの時から、絵が好きだったと?」

「それは、分からないけど。たぶん、生命いのち宿やどしたその時から、私は絵が好きだったのだと思う。気づいた頃には、絵に心をかれていたから」

「それは……とても素晴すばらしいことだな」

「うん、ありがとう」


 何だか、だ。

 この話を聞いて、彼女が絵描きの天才であることに、また一つ納得なっとくがいくのだった。


 生まれながらにして、絵が好き。

 それは、もはや運命うんめいえた何か――それこそ才能がなければ、仮説かせつたない気がする。


 やはり辻さんは、絵描きの天才なのだろうと、思い知らされた。


「板橋くんは――」

「うん?」


 辻さんが、逆に聞いてきた。


「板橋くんは、小説は好きなの?」

「…………」


 俺は、率直そっちょくに答える。


「好きだけど……」

「好きだけど?」

「おそらく俺は、執筆しっぴつをしていなかったら、今ほど小説が好きじゃなかったのだと思う」

「……作るがわだからこその、見る側に立った時の面白おもしろさというものは、あるよね」

「そうだ。そういうのもあるし、小説を書いてるからこそ、他の人の小説に興味きょうみを持っているところも、正直しょうじきある」


 だが俺は、生まれながらにして小説が好きだとか、そんな大層たいそうなルーツは持ち合わせていない。

 天才てんさい凡才ぼんさいというものは、生まれながらにして、ついているものかもしれない――とか考えるのだった。

 そう思うと、やはり辻さんは凄いなと尊敬そんけいできる。

 そんな彼女は、顔をあげた。


「絵、できたよ」

「はや」

「ラフに描いたからね。――見る?」

「ああ、ぜひ」


 彼女は、今しがた完成させたイラストを、俺に見せてくれる。

 俺は、それを目にして一言ひとこと反射的はんしゃてきにつぶやいていた。


「すご……」


 とても短時間たんじかんで描き上げた絵とは思えないクオリティなのだった。


 背中せなかを向けた少女がえがかれている。

 少女は、顔をうつむかせており、地面には足元を中心とした、小さな水たまりが出来ていた。

 なに変哲へんてつもない、ただの水たまりのなのか。もしくは、なみだ感情かんじょう表現ひょうげんなのか。

 ただ、何かに絶望ぜつぼうしている様子ようすが見て取れる少女の姿勢しせいを見れば、後者こうしゃの方だと思われる。

 まさしく、人間のめん強調きょうちょうしたようなイラストだった。


 辻さんは、口を開ける。


「人にはそれぞれ、価値観かちかんというものがある。美しい光景の定義ていぎというものにも、人の数だけの無数むすうの種類が存在するんだよ」


 彼女は、続けた。


「私のかたちづくる、美しい光景の公式こうしきというものには、常識じょうしきじん危険きけん思考しこう認識にんしきする、一般いっぱんには理解されにくいものがじっている。それは、時間をかけてげてきたもの、あるいははぐくんできたものが、わずびょうこわれる、その一瞬いっしゅん。その一瞬こそが、私に美しいという感動を生み出してくれるわけだよ。そういう価値観を、私が持っているからこそかな――」


 辻さんは、堤防に流れる川を見つめながら、言った。


「――私の絵には、そういう絵が多い」


 今日の夕方ゆうがたのオレンジ空は、いつもよりあかみがかっているように見えた。

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ラノベ研究部の野望 うめ生徒 @umeseito

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