第38話 執筆はしんどい

 仮病けびょうを使った俺は、13時30分。家へ帰りつく。

 自宅の扉を開けると、廊下を掃除していた母親の姿が見えた。

 母は、口を開ける。


「仮病?」

「まあ、そんなところだ」


 どうせ嘘を言ってもバレるだろうから、正直に答えた。


 怒られるだろうか?


 いや、うちの母なら怒りはしないだろうが。

 しかし、褒められた行いで無いのもまた事実なので、何か言われても、まともな反論は返せない。


「不良だな」

「間違いない」

「でも……」


 ……ん?


「親は、子供の気持ちを8割方わりがた、読めるという能力があるからね」

「なんだ? その能力」

「うちの子供が今、何かに一生懸命になっているって。そういう心境が読めたってだけの話だよ」

「……まあ、そんなところで合っているけど」

「病人は、さっさと部屋で大人しくしておきなさい」

「……分かった」


 俺は、自室に行き、もう何度目かも分からない、パソコンのディスプレイと向き合った。

 そして、作りかけの小説を見て、


「がむしゃらになって書いた二日間に、さよならだな」


 1万文字の文章を、全て消した。

 削除キーを押し続け、2日間の成果を無にする。

 一文、一文。消えて無くなっていく。

 作るのには苦労するのに、崩す作業は、皮肉なほどに容易だった。

 そして、0文字へリセット。

 ふりだし地点に戻る。

 俺はまた、あの険しいゴールを目指さなければならない。


「今から。明日の朝までに2万文字か……」


 なんて無茶な事を考えているのだろう?


「しかも、スランプからまだ抜け出せていない……」


 これは、ボロボロの勇者が、回復もせずに魔王に挑むようなものだ。

 無謀むぼうな挑戦。

 でも、俺はやる。

 やるしかない。

 何よりも俺が今、その小説を完成させたかった。


「始めるか……」


 キーボードに、指を乗せる。

 そして、プロットを書き始める。

 ざっくりな文章を書くこの段階で既に、いまだスランプから抜け出せていない事を思い知らされる。


 脳は書きたくないと叫び、そして書きたいとも叫んでいる。

 意味が分からないかもしれないが、その二つの矛盾むじゅんした感情が共存きょうぞんしていた。


 書きたくないと叫んでいる一方の感情を無視し、執筆を強制的に続行させる。

 昭和じみた根性論で、無理やり脳と精神を稼働かどうさせる。


 もしかしたら、寿命を前借まえがりしている可能性もある。

 しかしそれでも構わない、と今なら思える。

 休憩は、最小限に抑える。

 一度休憩をすると、再稼働するまでに余計な時間を使ってしまうからだ。

 科学的には休憩が必須だとか、そんな意見は知ったこっちゃない。

 書かないと終わらない。

 だから、書き続ける。

 限界を感じて、書けなくなって、そこで初めて休憩だ。

 そんな、劣悪れつあくな環境下での執筆に、俺は身を投げる。


 スランプになって、変な文章しか思いつかなくても、それでも小説は作り続ける。

 とにかく、この小説を書き終えたい。

 そして、彼女に見せたい。

 ただ、それだけなのである。


 一部屋という狭い空間の中、キーボードの叩く音が響き渡り続ける……。

 そして、深夜0時を時計の針が指した頃。

 俺に、限界というものが訪れる。

 ただでさえ、スランプ状態だったのだ。

 精神的にも狂いそうな俺は、つぶやく。


「もう、文章すら出てこなくなったな」


 俺ですら初めての出来事。

 そもそもの文字すらも、頭で考えられなくなってしまった。

 それも、当然のことではあるのかもしれない。


 だって、13時45分から、この0時になるまで、俺はノンストップで執筆を続けていたのだから。

 まさに限界が訪れたというやつ。

 休憩時きゅうけいどきだろうか?

 今の文字数を確認してみる。


「9000文字……」


 残り1万1000文字もあるわけか。

 まあ、やっぱり徹夜だよな、と思う。

 ご飯くらいは食べた方がいいか、と俺は考え、リビングへ行く。


 晩御飯を終え、自室に戻った頃、パソコンのディスプレイに一件の通知が来ていることに気づいた。


「更新通知……?」


 それは、イラスト投稿アプリからの通知だった。

 イラストレーター――くもりえさ先生の投稿された、新規イラストがありますよ、という通知内容。

 俺は、そのイラストレーターの現実側げんじつがわの名前を口に出す。


つじさん……」


 俺は、時間に追われているのに、そのイラストをのぞきに来ていた。

 やっぱり、彼女のイラストのファンだから、気になった。

 そのイラストを、目にする。


 題名は、『孤独と――』


 一面、水色の世界で、五人の制服を着用した、孤独な学生がいる。そして、その上には、逆さまの状態で、五人のそれぞれの行く末――結婚している者であったり、スーツを着て働いている者であったり、引きこもりであったりと。個々の未来が描かれており、上下で対比していて、面白い。そして、当然のように繊細で、絵が美しいのだった。


 やっぱり、と思う。

 彼女は、天才だ。

 改めて、なぜ凡才の俺と手を組んだのか、分からなくなりそうだった。

 でも、彼女は言っていた。


 俺が――いたばしこうが、天才であると。


 だがたぶん、だ。

 全世界中を見まわしても、俺のことを天才と呼ぶのは、おそらく彼女一人のみだ。

 だから、俺はそんな彼女の存在を大切にしたいと思う。

 そんなずかしな事を思って、だからなんだ、という話になるのだが。

 そういう話は、別に今、意味のあるものではない。


 ただ、これだけは言えたのだ。

 俺は、この絵を見て、自分も頑張らないとな、と思えた。

 これから、こんな凄いイラストを描く人と、ラノベを作れるかもしれないのだ。

 やっぱり、相手は憧れのイラストレーター。

 一緒に、ラノベを作りたいと考えるのは、自然なことだった。


 そして、そのチャンスをつかみ取るには、まずは目の前の小説を完成しないことには始まらない。

 やる気にもなる。


 辻さんは、言っていた。

 私も手伝う、やれる事はやる――と。

 本人は気づいていないのかもしれないが、彼女はしっかりと俺の力になってくれていた。ありがたい存在だった。

 俺は、書き続ける。

 ひたすら、執筆を続ける。


 そして――木曜日の朝を迎える。

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