第37話 やっぱり……

 火曜日の学校も終わり、俺は帰宅する。

 当然、部屋にこもったら、やることはしぼられる。今は、執筆のことしか考えられなかった。

 自室で、キーボードに指を乗せ、物語を形にしていく。

 やはりと言うか、筆は思い通りには動いてくれなかった。


 出来上がる物語の形は不格好ぶかっこういびつで、自分から見てもイマイチなものだ。

 でも、書かないことには始まらない。

 変な文章でも、書き終わらないことにはチャンスの一つも得られないのだ。

 だから、俺は苦しい思いをしながらも、筆を進めていく。


「ギリギリの状態だな⋯…」


 弱音よわねも口からこぼれるが、そうでもしないと、精神が続かなそうだった。んでては、身体が持たない。

 しかし、スランプの状態で執筆を続けていると、どこかしらのタイミングで一時的な体力切れくらいは起こしてしまう。

 ぐちゃぐちゃの頭が、限界までぐちゃぐちゃになるのだ。


 20時40分。


 俺は、一旦、執筆から離れた。


「ご飯、食べよう」


 エネルギーも、最低限は補充ほじゅうしないとな。


 俺は、筆を置き、はしを手にする。

 リビングに置いてあった、母の冷めた手作りご飯をしょくしながら、考える。


 ――小説を読んだら、スランプから脱出できた、という話を聞いたことがある。


 残りタイムリミットのことについても考える。

 時間は、圧倒的に足りていなかった。

 でも……と思う。


 ――本を読むだけで、スランプから脱出できたら、もうけものだな。


 俺は、結局のところ、スランプを引きずった状態で執筆をすることが、単純につらかった。だから、休憩がてら読書をしようと考える。

 スランプから、いち早く抜け出したかったのだ。


 仮に、読書で時間をけずって、スランプすらも晴れなかったら……。


 ――考えたくもない事だ。


 心のどこかでは、ひねくれた俺がいて、そいつが言う。


 ――どうせ、その程度の手法ではスランプから抜け出せるわけが無いぞ。


 と。

 だが、可能性がわずかなりにもあるのだろう。やる価値は、あるのではないか?


 アウトプットばかりを続けていたのだ。たまにはインプットもしないといけないだろう。

 俺は、食事と入浴を終え、自室の本棚の前に立った。


「しかし、何の本を読んだものか」


 そんなことを考えていると、一冊の小説に視線が集中した。


「そういえば、この本、まだ返していなかったな」


 視線のまとになっていた小説は、美冬みふゆが俺におすすめしてきた、図書室の本――『凡才ぼんさい以下いか』だった。


「…………」


 俺は、この小説のことについて、考える。

 まるで、この本が言っているようだな。この物語は、お前の結末だぞ――と。


 ここまで来て、ネガティブ思考を持ち出すのも、あまり良い気持ちにはならないのだが、やはりこの作品の主人公は俺とそっくりで、どうしても内容を思い出すと今の自分と重ねてしまった。


「才能のない人は、筆を折るのも一つの正解……か」


 やっぱり、俺はその結末が正解とは思いたくない。

 いや、一つの正解で間違いないとは思う。

 でも、心のなかでは結末に対する反抗心みたいなものは芽生めばえてしまうのだ。


 筆を握ることを諦めたくない自分は、確かに存在していた。


「才能が無いかもしれない俺でも、夢の一つくらいは、見ても良いと思うんだ」


 それが、俺のこの小説に対する返答。

 美冬は、この小説は考えさせられると言っていた。

 じゃあ、美冬。これが俺の考えである、と自分のなかで結論を出した。


「いくら才能が無いと言われても、筆を握る覚悟はあるし、筆を離す覚悟はさらさら無い」


 とそんなことを再確認したところで、現実は俺の味方をする気は無いらしい。

 読書をしても、スランプはえず俺にまとわりついた。


 あっという間に、水曜日になる。


「今日までに、2万文字を書き終えるのか……」


 改めて、厳しい課題だと思い知る。


 今日の朝の時点では、なんとか1万文字までぎつけはしたものの、まだ半分までしか終わっていない。

 相変わらずの、やばい状況だ。


「今夜は、徹夜てつやコース確定か⋯⋯」


 考えるだけで嫌になるが……受け入れるしかない。

 ぶっちゃけ、ここ数日は毎日寝不足だったから、めちゃくちゃ眠たい。

 死ぬほど眠たい。

 でも、今は睡眠よりも優先しなければならない事があるから、それをする。

 それだけの話である。


 しかし⋯⋯やはり眠たいものだな。

 本能は、正直にそう言っていた。


「でも、俺がつじさんに言った警告けいこくが、そのまんま俺自身に突き刺さっているな」


 それは、辻さんが俺に、部活の設立を勧めて来た時の話。

 俺は、辻さんにこのような事を言った。

 過労で倒れられても困るから、休養は十分に取りながら、ラノベ制作をしていこう――と。


「ブーメラン発言だ……」


 でも、今は休養は後回しにしないと、目的は果たせれない。

 だから……。

 部活のための徹夜もこれが最後……になると良い、と考える。


 学校の昼休み時間――俺は『凡才以下』という題名の小説を手に、図書室へ向かう。


 ――もしかしたら、図書室に美冬がいたりしてな。


 とか思いながら、図書室前の廊下まで行き、偶然か、本当に図書室の中に灰色髪の少女――美冬がいた。


「本当にいるし」


 と、自分でも少し驚いてしまうが、まあ簡単に予想できることではあった。

 美冬は、図書室で勉強をしたりすると言っていた。確率的には、会う方が高いのかもしれない。


 ――話しかけるか?


 と思いながら図書室に近づき、俺はとある場所に目が行った。

 それは、美冬の手元。

 彼女は今、読書をしていたのだ。

 だから美冬自身は、まだ俺の存在には気づいていないみたいだ。

 しかし、そんなことは今はどうでも良かった。


 俺が着目ちゃくもくしたところは、別にある。

 美冬の読んでいる小説だった。

 その小説のカバーには、見覚えのあるイラストが描かれていた。

 とても、見慣れた絵柄。

 あの小説は……。


 ――『ネコは悪魔あくまのかぶりもの』2巻じゃないか。


 その小説の筆者は、灰野はいのヨル――美冬のお姉さんの書いた小説なのだった。


 ――瞬間。俺の脳内で、辻さんの言っていた言葉が再生される。


『あの女がこう言っていたの。板橋くんの小説も、あの人の小説も、大嫌い――って』


『あの女はなんでこんなに、無理やり、嫌いじゃないものを嫌いとか言いているのだろうって疑問が浮かんで』


 ああ、辻さん――と思う。

 辻さんの言っていたことは、間違いない。

 美冬は、あの小説を何回も読んでいる。

 そして、今も読んでいる。

 何回目の再読かは分からないが、読書をする俺だからこそ、言える事がある。


 ――嫌いな小説を、何回も何回も、読めるはずが無い。


 だから、辻さんの言っていた通り、美冬が自分の姉の小説を嫌いなんて言っていたこと――それは、彼女のただの虚言きょげんに過ぎなかった。

 俺は、思う。


 ――やっぱり、美冬はお姉さんのことが大好きなのだろう。


 と。

 そして、俺は今、とんでもない事を考えた。


 ――書いてる途中の小説を、全部ボツにする。


 俺は、1万文字の小説を――捨てることにした。

 そして、新たに2万文字の小説を今日中に書き上げようなんて、無謀むぼうなことを行おうとしていた。

 とんでもない暴挙ぼうきょだ。

 なぜ、そのような暴挙に出ようとしたのか?

 理由は、とてもシンプルだった。


 ――書きたい小説ができた。


 俺は、本も返さず、職員室へ向かう。

 仮病けびょうを使って、今から帰宅して、意地でも2万文字の作品を完成させようではないか。

 悪事を利用して、物事の解決をはかってみせる。

 我ながら、悪いやつだった。

 でも、後悔なんてものは、生まれそうにない。

 これが、絶対的な最善の選択であると、信じて疑わなかったからである。

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