第35話 一つの間違い

 次の日の月曜日。俺は、学校へ行く。

 授業中、ひたすら執筆のことについて、考えた。


 ――昨日も進捗しんちょくは無いまま、今日の朝を迎えた……。


 授業の内容に、頭を使っている余裕など、どこにもあらずだ。


 ――さすがに、今日からは一文字でも書き始めないと、未完成ってオチは一番、話にならないよな。分かっている。そんなことは、俺も分かっているのだ。


「…………」


 外の、綺麗な青空に視線を移す。

 これは、自然に創作の答えを教えてもらう為などではない。

 単純に、視界が認識する情報量を減らして、思考のほとんどを物語作りに使用させる為の行為だ。だから、外を見つめている。だが⋯⋯。


 ――ダメだな。


 やはり、最後まで、俺に最高のアイデアは思いつかず。

 じゃあ、パソコンにためているアイデアストックのどれかを使って、今日帰宅したらすぐにでも一文字目を書き始めよう。


 ――そのアイデアが、美冬にウケるかどうかを考えていたら、一文字も進まずに終了となる。そんなバカバカしい結果になるくらいならせめて、短編小説を完成させるくらいはしておこう。


 そうだ。そうでもしないと、俺の努力が全部パーになる。

 何のために4日間、パソコンとにらめっこをしていたんだ? となる。

 時間を使った分、その証として、形くらいは残しておきたかった。

 そんな考えに、なっていた。


 別に良いだろう。

 最初に考えていた通りだ。

 努力して、それでも果たせないなら、それまで。

 最後は、自分の乏しい才能を恨めばいい。それだけだ。


 やれることは、やった。

 やれないことは、どう足掻あがいてもやれない。

 それは、現実だ。

 現実は、逃避するか、受け入れるかの二択しかない。

 逃避は、十分にした。

 あとは、受け入れる。それも大事なのだ。


 放課後、俺はすぐに席から離れる。

 目的を達成させるためだ。

 今日を含め、3日間という時間を使って、2万文字の小説を完成させなければならない。

 体力勝負もあるが、何よりも時間の勝負が大きいといえた。

 寝る間も惜しいくらいだ。

 俺は早急に帰宅したいと考えていた。

 そして――、


「ちょっと待って! 板橋いたばしくん!」


 俺の足を止めに行く存在が一人。

 水色のセミロングヘアの少女――つじさんだ。

 俺は、言う。


「……どうしたんだ?」

「聞きたいことがあるの……」


 彼女は、とても真面目な表情をしていた。

 話を聞いてあげたい気持ちもあるのだが、目の前の課題のことを考えると……。


「悪い、急用があってだな」


 断ることが、今の最善だった。


「じゃあ、一緒に帰ろう」

「……俺は自転車だが」


 辻さんは、徒歩帰宅だろう。

 一緒に帰るには、俺は自転車を押す必要がある。

 それは、タイムリミットのことを考えると、無理だ。

 自転車小屋まで一緒に歩くとしても、彼女の俺に聞きたい話はそんな短時間で済む話なのだろうか?

 それは、分からないが、高い確率で短時間では済まないと思われる。

 辻さんは、俺に聞く。


「自転車に乗らないと、間に合わないような急用なの?」


 俺は、一秒だけ迷って答えた。


「ああ、自転車の速度じゃないと、間に合わない急用だ」

「じゃあ――」

「うん?」


 次の瞬間――辻さんは、とんでもない言葉を口に出した。


「走ってでも、追いついて、何がなんでも一緒に帰る……!」

「…………」


 俺は、数秒ポカンとしてしまって、そしてツッコんだ。


「不可能だろ」


 ◇


 俺は、自転車を押して、辻さんと帰ることにした。

 走ってでも自転車に乗る俺に追いついてみせるなんて言われて、分かったじゃあ追いついてみろ、なんて言って自転車に乗るわけにもいかない。

 だから、彼女と今、一緒に歩いている。


 まあ、でもだった。


 それだけ、彼女も今、大事な何かに悩んでいるのだろう。

 時間に追われているのは、何も世界で俺だけではない。

 もっと、たくさんいる。

 だから、俺は自分の時間のことだけを考えず、今は目の前の少女にも時間を消費しよう。


 ――もう、一分も一時間も、どうでも良くなってきたし。


 少し、冷静にもなった。

 この冷静さは、とても大事なものだ。

 焦って、大事なものを見落とすよりかは、こっちの方が遥かにマシである。


 俺は、辻さんに言葉をかける。


「――で、俺に聞きたいことって?」

「……私、土曜日にあの女と話をしたんだ」


 あの女……。


「美冬か?」

「うん」


 辻さんは、続ける。


「あの女は、こう言っていたの。板橋くんの小説も、あの人の小説も、大嫌い――って。それを聞いて、私、あの女はなんでこんなに無理やり、? って疑問が浮かんで……」

「…………」


 俺は、口を開ける。


「本当に嫌いなものを嫌いと言っている、可能性もあると思わないのか?」

「もしそうだったとして、そしたらなぜあの女は、あんなに辛そうな顔で嫌いって言っていたのだろう? って疑問が残る」

「……なるほどな」

「それで、板橋くんに聞きたかった事なんだけど」

「ああ」

「答えたくなかったら、答えなくてもいい。結構、個人的な問題にも当たるだろうし。でも、答えを聞けるなら、どうしても聞きたくて……あの女が言っていた、って誰? それが、板橋くんの小説を酷評していることに、つながっているの?」

「……………………」


 確かに、と思う。

 答えていいのか、悩む質問だった。

 何せ、彼女の言っていた通り、これは美冬の個人的な話だ。

 俺がその話を、彼女に教える権利があるのだろうか?

 それも、彼女の内側に起こっている問題の話を。

 絶対に、それは褒められた行動ではないだろう。

 だが、辻さんは今、本当の美冬を知らない。

 おそらく、美冬をただの性格の悪い女だと捉えている。

 そして、そのイメージを払拭ふっしょくできるチャンスは、今にあると思う。

 やっぱり、俺は知ってほしかった。

 辻さんに、本当の美冬は、ただの性悪しょうわるおんなではなく、相当面倒で相当ひねくれていて相当口が悪い、でもお姉ちゃんのことを強く想っている、良い性悪女であることを。


「分かった。美冬の言うあの人と、美冬が俺のアンチと化した経緯いきさつについて、話そう……」

「う、うん……っ!」


 俺は、要点を絞って話した。

 美冬には、作家である姉がいること。

 その姉が、執筆に挫折ざせつして引きこもりになったこと。

 俺の小説が、姉の小説と似た才能の乏しさを感じ、姉と同じ末路を俺に辿らせないよう、俺の筆を折ろうと美冬が考えていること。

 そのために、美冬は俺のアンチになっていること。


「――と、そういう経緯けいいがあって、今の美冬が構成されているわけだ」

「……あの女には、あの女なりの事情があったんだ」

「そうだ」


 俺は、結論づける。


「美冬のなかでは、魅力的でない小説を書く作家=不幸になる――という公式が既にたてられているんだ。だから、その公式に当てはめて、俺の結末を予測して、答えが出るまえに、俺の筆を折ろうと考えている」

「……板橋くん」

「うん?」

「あの女のお姉さんのことについては、残念だと思うけど……でも一つ、あの女には間違っているところがあるよ」

「……間違っているところ?」

「そう。だって、

「…………」

「いたばしこう先生の書く小説は面白くて、魅力的……。あの女は、それを誤算ごさんしている……板橋くんに才能が無いって、勘違いしている」

「……そうだな。確かに、美冬の誤算があるのだろうな」


 俺は、素直に嬉しいと思った。

 やっぱり、褒められると、非常に良い気分になるなと。


「板橋くん、絶対にあの女にギャフンと言わせる小説を書いて……!」

「……出来る限りは、やってみるよ」


 約束できないあたり、俺はダサいのかもしれない。

 でも、それで良いのだ。

 俺は、作家。

 かっこいい必要はどこにも無い。そんな職業だと思うから。


 しかし、帰宅して俺の現状に悲劇が訪れる。

 パソコンを見つめ、小説を書こうとして、いつもと何か違うことに気づく。


「あれ……?」


 おかしい。

 何か、おかしいのだった。


「いつもは、もっとスラスラ書けるのに……」


 本文を頭のなかで想像して、それを出力する。そんな当たり前の行為が、できなくなっていた。

 正確に言うと、文章とか物語とかが、頭のなかで思うように出来上がらない。構成できない。

 それも、全くと言っていい程に。


「これは、もしかして……」


 いや、もしかして、ではない。

 もう、確定だ。確定であれだ。

 クリエイターに襲う、大敵……。


「スランプだ⋯⋯」

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