第26話 才能

 その日の執筆も、進行状況が悪いまま、俺は机のめんをコンコンと小刻こきざみに叩き、思考にふける。集中力が切れているのだろう。精神状態でいえば、安定していなかった。数時間パソコンと向き合い続け、成果がなく、ひたすらに焦燥感しょうそうかんが増え続け、大事な時間だけが減り続けているからだ。


「…………」


 ふと、机のはじに置いてある小説に目が行く。

 ――凡才ぼんさい以下いか

 そのようなタイトルの小説が、俺の意識を引き寄せる。執筆がキリのいいところまで終わった時か、苦難くなんてに先行さきゆきが見えなくなった時に、ページをめくろうかと思っていたが。


 ……めくりどきでは、あるかもしれないな。


「読むのは楽しみだが、こわくもある」


 と、ひとごとをつぶやき、1ページ目に手をえる。


 ――美冬みふゆは、凡才以下の人間が辿たどる道は、この小説が最適解であると考えているみたいだ。彼女の言う、凡才以下の人間とは、俺のことをしている。俺も過去に、才能が無いだの、小説家に向いていないだの、多数の声を背後はいごびさせられた。それでも、ふでは離さなかった。


 ――作家を辞めた方が良い、という意見をたくさん耳に入れながらも、作家活動をすることにはれている。自分で言うのも悲しいことではあるが。


 ――だから、今更いまさらこんな俺に、現実を教え込ませようと、この小説を渡されても、いたくもないし、かゆくもない。


 ――そう思うのだが。


 物事ものごとには、まんいち、というものがある。

 その万が一を想像したら、読むのに多少たしょう抵抗ていこうが生まれる。


 たかが小説を読んだだけで、人生にたいした影響は与えられないと考える人もいるかもしれない。

 だが、されど小説だ。フィクションの持つ力は、意外に大きい。


 ――小説を読んで筆を握ったんだから、小説を読んで筆を折る可能性も、十分じゅうぶんにあるんだよな。


 そんな僅かな不安を抱えて、俺はゆっくりと、その小説に向き合ってみる。

 話の内容は、美冬の言った通りだった。

 確かに俺を彷彿ほうふつとさせる、才能にめぐまれていない作家が、筆を折って、一つの人生の正解へと足を進めるストーリー。読みながら、主人公のモデルは俺なのか? とさえ思った。でも、たくさんの小説があって、たくさんの一般人が存在する世の中には、こういう話の一つや二つ、あってもおかしく無いのかもしれなかった。


 美冬が面白いと言っただけあって、しっかりと面白いなという印象のまま、時間の流れと共に、本の残りページも減っていく。中盤ちゅうばんあたりに差し掛かり、主人公へ、このようないかけがある。


『もし仮に、才能をお金で買うことが可能だとすれば、キミはどうする?』


 才能を買うか、買わないかという、質問だった。

 主人公は、こう答えるのだ。


『俺は、買わないよ。それを買って、名誉めいよ地位ちいを得れたからって、何もうれしくない。だって、俺が書いた小説じゃなくて、才能が書いた小説になるじゃないか。才能は持って生まれるものであって、持たずして生まれた俺が使う権利なんて、無いんだ』


 なるほど。

 一種の百点満点ひゃくてんまんてんの回答だと思う。

 才能を買えても、俺は買わない……か。素晴らしい考えだ。

 でもたぶん、俺なら買う。

 買ってしまう。


 ――才能を買えたら、面白い小説、魅力的な小説、個性豊かな小説が書けるのであれば、俺は絶対に買うだろう。これが不正解の回答でも、俺は正解だと思い続ける。


 ――だって俺は、良い小説を書きたいから。


 そう思ってしまうあたり、俺は大した人間ではないのかもしれない。

 しかし、それで構わないと思う。

 小説家だから、すごい小説を書きたい。それの何が悪いという話なのだった。


 俺は、ページをめくり続ける――……。


 ◇


 天才作家が売れるべくして売れて、世間せけんからの脚光きゃっこうを浴びる光景は、何度も目にしてきた。

 そのたびに、天才作家たちは称賛しょうさんの声をもらって、たくさんの仕事をもらって、たくさんのお金をかせぐ。


 中学生のときの俺は、安直あんちょくな考えを持っていたから、そんな作家たちを見て、自分の将来を重ねて、俺もあんな凄い作家になってやるぞという意気込みで、この職業にあこがれた。

 そして現実を知り、一度筆と別れ、そしてまた夢を抱き、再度筆を握るわけだ。

 俺は、もしかしたらきんたまごなのでは? と特に根拠こんきょもなく思い上がり、筆を動かすわけだが……。

 実際に小説を店頭てんとうに並べて、打ち切りになって、そして嫌でも思い知らされるのだ。


 ――俺は、ただの卵に過ぎなかった。


 と。

 そうやって、才能がいかに重要かを知り、そして才能があればと思う。


 ――俺に才能があれば、どんなに人生は面白くなっていたのだろう?


 しかし、才能は持って生まれるものだ。努力で身につけられる安物やすものではない。

 安物と言えば、言い方は悪いが、俺はそう強く感じている。

 努力に関してはみよりできる俺が、どれだけ頑張っても手にできなかったもの。それが、才能なのだから。

 努力で手に入れられるものよりは、高級品こうきゅうひんだと思うわけだ。


 だが、そんなことを、ひたすら考えていたところで、才能はってこない。

 俺は、才能は欲しいが、なぜ欲しいかといえば、それは最高の小説を書きたいからだ。

 才能がないのであれば、持っている努力で何とかしなければならない。


 だから俺は、小説を書き続ける。

 しんどくなっても、筆を握り続ける。


 ……なんて、スポこんみたいな言葉を並べたところで、俺はまだ何者なにものにもなれていない。それは、事実だ。


 ◇


 ――……。


 俺は、ゆっくりとまぶたを開ける。

 視界に入るのは、パソコン。キーボード、カーテンの隙間すきまから朝日あさひ……。


 ――そうか。


 どうやら俺は、寝落ねおちしてしまったらしい。

 執筆に難航したまま……。


「今日は、土曜日か……」


 俺は、椅子から立ち上がる。

 小説制作に苦難を抱えた状態で眠るなんて、最悪だなと思った。

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