第14話 えむ

 朝の小鳥の鳴き声みたく、妹の朝練のサンドバッグを叩きこむ音が耳に入り、俺の目覚めの時間が訪れる。


 ――相変わらずの打撃音だげきおんだな……。


 普通であれば騒音被害そうおんひがいうったえる近隣住民きんりんじゅうみんの苦情が一つ二つ、届きそうなものだが、不思議ふしぎな事に、それは無い。

 むしろ好感の声が届いているらしい。

 抜粋ばっすいすると、


 ――子気味良こぎみよい音が気持ちいい。リアルASMRエー・エス・エム・アール

 ――子供の遊び声が微笑ほほえましいのと一緒。私も今日一日頑張ろうって、気合いが入る。

 ――僕も殴られてみたい。


 最後のやつは、特殊嗜好とくしゅしこうの持ち主の声なので、一意見いちいけんとしての信頼性は薄いものの、その点を抜きにしても、うちの妹が近所から愛されてることは分かっただろう。


 裏表うらおもてのない性格が、他人に親愛しんあいじょうを持たせるみたいだ。

 桃花ももかファンクラブができるのも、そう遠くない未来かもしれない……。


すでにできてたりしてな」


 とかを考え、俺は布団ふとんから離れる。

 部屋を出て、洗面所へ足を運び、鏡を見ながら、ぼさぼさの髪を整えた。

 今のところ、いつも通りの日常だ。


 もっとも、朝一番から異常な日、というのも中々ないので、安定した一日を送れると約束された訳ではない。


 俺は、リビングの椅子に座り、朝食を食べる。

 サンドバックに持ってる分の筋力をぶつける桃花が、俺に話しかけた。


「お兄ちゃんも、私のサンドバックあいぼうを殴ってみる?」

「可愛い妹の可愛い相棒は殴れないな」

「大丈夫だよ、これに感情は無いから」

「事実だけども。言葉だけ聞くと、サイコパスの一言だぞ」

「私は、サイコパスじゃなくて、拳で解決する怪盗。奪うのは、名誉とプライドと舎弟しゃていだけ」

「俺の妹は、普段なにをしているんだ?」


 きっと、世の中には知らない方が良いことがたくさんあるのだろう。

 そして、知らないといけないことも、たくさんある。

 俺は、桃花に聞いてみた。


「舎弟がいるとは?」

「正確には、いた――の方が正しいよ」

「いた? どういう事だ?」

「私もわけが分からないんだけどね。敵のかしらと決闘して、その頭の部下が私に付いてきますって言うの。そして、共に筋力増強きんりょくぞうきょうはげむものかと思いきや、私にこう言うんだ。――俺の顔面を思いっきり殴ってくださいって」

「誰だそいつ?」


 近所の、例の一意見と言い、その頭の部下と言い、もしかして俺の想像している特殊嗜好は、特殊じゃないのだろうか?

 いや、そんなことは無いと思うのだが……。


「そういう変な人が、うじゃうじゃいるんだー」

「うじゃうじゃ?」


 最近の若いやつは、という口癖くちぐせのおじさん達のことを、あまり良くは思っていなかったが……。

 そういうたぐいの人間が妹に群がっていたと思うと、そのおじさん達の意見にも同情もできてしまう。

 俺も最近の若いやつに入るけど。そういうのがうじゃうじゃいる世代では育っていない。……そのはずだ。


「で、私は彼らに言った。私と同等か、より強い人間じゃないと手を出さないって。骨折以上の重症を負わせるわけにはいかないからね」


 骨折も十分にアウトだ。


「そしたら皆、そろいも揃って、姉貴に殴られるために強くなりますって言葉を残して、私の周りから姿を消したの。わけが分からなくてね」

「何を聞いているんだ? 俺は」


 ドM《エム》がはびこる、桃花の世代。

 日本の未来は、明るいかもしれない……。


 朝食を済ませた俺は、自宅を出て、学校へ向かう。


「おはよ、航大こうだい


 登校路を歩いていたら、後ろから声をかけられた。

 聞きなじみのある、幼なじみの声。


「おはよう、美冬みふゆ


 灰色のショートカット。気だるげな表情からは、本人のひねくれ具合がうかがえる。顔つきは、整っており、幼なじみ視点の俺から見ても美少女だ。

 そんな灰野はいの美冬みふゆは、口を開ける。


「朝からエネルギーを消費したみたいな表情をしているけど、大丈夫?」

「朝から予想外の消費エネルギーが発生したからな」


 俺には理解不能の、妹とその周りのドMの人たちの事について考えるという。


「せっかく苦労して取り付けた盗聴器とうちょうきが回収されたっていう正夢まさゆめでも見た?」

「見てないし、盗聴器を取り付けた覚えも無い」

「まだ間に合う」

「間に合わせないといけないものは、何もない」

「締め切りがないとは。作家様なのに、残念なことで」

「うざ」


 この人にも、ドM世代を送りつけたいものである。

 ちなみに俺が彼女の言葉に大して傷ついていないのは、慣れたからであって、くれぐれもMだからではない。勘違いしないように。勘違いしないように(大事なことだから二回言う)。


「仕事の無くなった作家は、める以外、道がない。安心して。私が適職てきしょくを紹介してあげるから」

「きっと、今が適職だ」

「いつまで、その口が持つかな」

「そのアンチ精神は、めたたえたいものだな」

「本人のあやまちを気づかせる幼なじみってだけ。優しさあふれるポジションだよね」

「どこに優しさの溢れるポイントがあったんだ?」


 少なくとも、今の会話には、優しさとえんのない要素が、多分たぶんに含まれているように思えた。


「存在自体が優しい? 的な」

「それは立派な存在だな」

「分かってるじゃん」

に受けるんじゃない」

「航大は、優しくないね」


 この人にだけは、言われたくないのであった。


「そういえば……」

「ん?」


 美冬は、言った。


「例の相方とは、今日、会えそう?」


 俺は、返事を返した。


「会えても、放課後だがな」

「まだ会えるのは確定していない感じ?」

「確定はしていないが、たぶん会える」

「それなら良かった……」


 続けて彼女は、このような言葉を発した。


「ディベートの練習は完璧だから」

「何の練習をしているんだ」

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