第8話 辻ワールド

 俺は、彼女を見る。

 雨水からの防御道具を放り捨てた、つじしずく

 透明傘とうめいがさが、地面に転がる。

 当然、辻さんは雨で徐々じょじょに濡れていくわけだが。

 俺は、いやどうしてそうなる? と彼女の神経を疑うしかないのだった。


 辻さんは、笑う。

 本人が楽しいと感じているのか、嬉しいと感じているのかは分からないが、脳の回路構成が人並ひとなみでないことは分かった。

 俺は、本人に直接聞いた。


「これは、なんのつもりだ……?」

「最初に言った通り。私の気に入っている、アイデア吸収法の一つだよ」

「これが?」

「これが」

「頭おかしいんじゃないか?」

「至って健康体けんこうたいだよ」

「その割には、不健康的な行為に手を出しているように見えるが」

「これは、睡眠で返済へんさいするから関係ない」

「睡眠への信用がすさまじいな」

「睡眠こそ世界を救う道しるべだから」

「睡眠を過大評価し過ぎだろ」


 そして、本人が雨でびしょ濡れになっていくから、時間がつにつれて、異質いしつな構図へと姿を変えていく。


「……だいたいだが」

「ん?」

「海に行って。雨に濡れて。そしたら、辻さんの頭にアイデアがいてくるというのか?」


 彼女は「うん」と言って、首を縦に振った。


「こうやって、激しい雨風に当たっていたら思うの。ああ、つまらない日常から脱却だっきゃくできた。そうして次に、私の知らない私がでてきて、いつもと違う私が、いつもと違う発想を運んできてくれる。私は、そのアイデアを吸収する。そして作品に消化する。そんな流れ」

「ほう」


 全く意味が分からない。


「人がいないのも、魅力的なの。他人は、雑念。まあ創作の時には必要ない、邪魔な存在だから。そんなよこしま生物せいぶつがいない環境のおかげで、他人の発する妨害電波ぼうがいでんぱとの衝突をけられる。真っ白の空間に住んでいる感じ。答えをスムーズに見つけ出せれるの」

「ほう」


 本当に意味が分からない。


「あとは、なんか答えが勝手に降ってきてくれる時もある。学校を出た後にも言ったけど、自然が答えを教えてくれるって現象」

「ほう」


 やはり意味が分からない。


「雨が強い日は、ほぼ毎回、こうやってびしょ濡れになるの」

「…………ほう」


 なるほど。


『――ごほっ、ごほっ』

『ん? 風邪かぜか?』

『風邪薬を渡すと言いながら、睡眠薬を渡すつもりだよね?』


 彼女が風邪を引く理由は、よく分かったのだった。


『カッパを着たら中途半端に濡れるよね。どうせ濡れるなら全身で雨水を浴びたいよね』


 その発言の意図いとも、よく分かった。


 人はみな生まれながらにして平等だと、決まり文句はあるが――


板橋いたばしくんも、やってみる?」


 奇行きこう奇想きそうを繰り返す辻さんを、俺と平等な立ち位置で見るというのは、どうにもこくな話なのだった。


「俺は、その方法と肌が合わない気がするが」

「やってみないと、分からなくない?」

「やらなくても分かると、俺の経験則けいけんそくが語っている」

「雨に濡れたくないだけでは?」

「普通に、雨には濡れたくない」

「発想の上達の鍵になるかもしれない」

「…………一分だけなら」


 ハングリーなクリエイターは全員、そんな感じかもしれない。

 自分の作る作品のために、お金と時間と労力を使う。

 それでも足りないときは、近道を探す。

 競争率の高い世界では、いばらの近道を渡らないといけない時もあるのだ。

 これが、その探している道かもしれない、なんて口に出されたら、やってみようとは思う。


「傘の投げ方とか、別に何でも良いんだよな?」

「うん、自分の好きなように」

「じゃあ……」


 俺は、傘を頭上へ思いっきり投げ飛ばす。


「おぉ」


 辻さんが上空へ視線を向ける。

 次の瞬間、大量の雨風あめかぜが俺に襲いかかる。

 雨が衣服いふくに染み込み、気分は最悪。

 風のせいで、身体が冷え込む。

 なんだこれ。


 なんだこれ、と思った。


 ――ただ、雨と風で気分を悪くしているだけじゃないか。


 傘を捨ててから、一分以上は過ぎたと体感がうったえる。

 希望通りの結果は運ばれず、予想通りの結果が残る。

 やはりここは、俺の解読かいどくが許されない世界なのだった。

 まだまだ、ハードな創作ライフを送る必要があるらしい。

 辻さんが聞いてくる。


「肌には合った?」

「合ったと思うか?」

「そのげんなりとした表情を見るに、合わなかったんだろうね」

「おさっしの通りだ」

「自然にも、好き嫌いがあるかもしれない」

「環境破壊を肯定こうていしている人が好かれるのは、不思議だな」

「自然は、ドエム説があるかも」

「自然って、ヤバいやつだな」


 勝手に自然を変態扱いし、俺は地面に着地していた傘を手に取る。

 傘を差すが、既に俺本体が濡れているから、あまり意味はしていなかった。


「辻さんは、何か良いアイデアは吸収できたのか?」

「うん、まあね」


「でも」と彼女は続ける。


「意味が、分からないんだ」


 俺が、さっきまで散々さんざんはきたいと思っていた言葉を口に出す辻さん。


「意味が分からない?」

「そう。あるはずの雑念が、無い」

「それは、意味が分からないな」

「そうなの……!」


 たぶん、俺の求めている意味と、彼女の求めている意味は異なる。


「さっきも言ったけど、創作に頭を回すうえで、他人という存在は雑念だと、私は考えている。雑念は、取り払わないといけない。じゃないと、良いアイデアが頭に浮かばないから」

「……ああ」


 要は、彼女が本気の作品を作るうえでは、一人でいるということが最低条件なのだろう。

 まあ、それは俺にも共感することができる。一度何かに気になると集中ができない。だから、なるべく一人の空間を用意したい。

 しかし彼女は、殊更ことさらその対象に敏感びんかんなのだろう。雑念と、敵視しているほどだった。


「今も、例外じゃないはずなの」

「つまり、俺が雑念のはずだと?」

「そう、でも……」

「でも?」

「雑念を感知できない。だから、意味が分からない……」


 辻さんは、言う。


「この条件下じょうけんかでは、最高のアイデアは生まれてこないはずだった。だけど、生まれた。板橋くんは、雑念じゃなかった事になる。たぶんだけど、私と板橋くんは――」

「ん?」

「――相性あいしょうが良いんだよ」


 俺は、返事を返した。


「それは、光栄こうえいだな」


 同時に、内心で思うのだった。


 ――俺は、この天才を理解するのに、どのくらいの時間を必要としなければならないのだろうか?

 いちいち内容が、難解なんかいすぎるのだった。

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