第7話 彼女の野望

つじさん――いや、くもりえさ先生と手を組んで、本格的なライトノベルを作る……?」


 これは、幾度いくどとなく夢に見た話だ。

 だって、俺は彼女のイラストを眺めて、ほぼ毎日決まった感情を抱いていたのだ。

 俺の書いたラノベのイラストを、このかたに担当してほしいと。


 二度訪れるかも分からない話だ。

 る理由など、見つける方が難しい。

 だが、懸念けねんすべき点もゼロでは無い。


「気になる点が、いくつかある」

「気になる点……?」

「ああ」


 俺は、それを聞く。


「まず、辻さんの仕事がパンクしないのか。俺は別に、仕事が枯渇こかつしているくらい暇だから、時間はある。だが、曇の餌先生はソシャゲのイラストとか広告のイラストとかで、仕事が多いんじゃないか? さすがに、過労かろうで倒れられたら困る」

「それは大丈夫。私は、やりたい仕事しかしない主義だから。断るものは断る感じ。別に高校生だから、金銭について考える年でもないし。何なら、仕事よりもこっちに優先したいというか。板橋いたばしくんが構わないと言うのなら、しばらくはこっちに専念したいとさえ思っている。だから、いたばしこう先生とのラノベ共同制作に一点集中するつもりでいるの。睡眠時間は8時間、しっかりと確保できる予定」

「…………」


 じゃあ、彼女が無理をする心配はないというわけか。


「次の気になる点なんだが」

「うん」

「仮に一緒にライトノベルを作るとして、何かゴール的な、目標地点はあるのか? 例えば、自費出版して何部売り上げたいとか。大手レーベルにけあって商品化するとか。ネットに投稿して何PV以上獲得したいとか。それを完成して満足するとか」

「それはね、一つ。私の野望があってね」

「野望……」


 こんなにも恐ろしい言葉は、他にそう無いかもしれない。

 なんたって、破天荒はてんこうな言動の目立つ辻さんの野望だ。

 普通に何を言い出すのか? と本能が警報を鳴らす。

 彼女は、野望の中身を言う。


「完成品をコミケに出展したいと思っているの」


 よかった、と安堵あんどした。

 健全な野望だったから。


 コミケ。コミックマーケットの略称なのだが、それは年に2回開催される同人誌即売会どうじんしそくばいかいである。一般のどんなクリエイターでも参加できる、オタクにとっては一大イベントなわけで、彼女はそんなコミケに作品を出展したいと語っている。つまりコミケに、完成したラノベを売り出すことがゴールなわけだ。

 しかし、だった。

 そこから気になる点が、また派生はせいする。


「仮にコミケに参加するとして、いつのコミケでの出展を考えているんだ?」


 コミックマーケットは、1年に2回開催される行事だ。

 8月の夏コミと12月の冬コミと呼ばれるのだが。

 果たして、何年の何コミに参加したいと考えているのか? それは、知っておきたいところだった。

 彼女は、答える。


「現実的に考えれば、今年の冬コミに出展したいなって考えてる」

「それは、なぜだ?」

「まず今年の夏コミは、既に応募期限を超過しているから不可能。で、来年の夏コミだと抽選に外れた場合も考慮こうりょしたら、ちょっと厳しいかなって。来年の冬コミに持ち越すと、進路期間と重なるから避けたい。だから、抽選が外れても、あと1回のチャンスが残っている今年の冬コミが、無難ぶなんかなって」

「……よく考えているんだな」

「まあ、野望だから」

「コミケは、東京で開催されるはずだが、旅費りょひは?」

「私は自費で払えるけど、板橋くんは大丈夫そう?」


 何なら私が払おうかとでも、言いそうな雰囲気なのだった。心強い。

 でも、心配は無用だ。自慢でもないが、俺は読書・アニメ鑑賞・映画鑑賞以外の趣味は、ほぼほぼ無いのである。つまり大した物欲ぶつよくが備わっていない。


「俺も自費で大丈夫だ。稼いだ印税いんぜいがまだ無駄に余っている」


 出費しゅっぴのほとんどが、資料用の本だからな。

 なんて思いながら、俺は最後の質問を行う。

 個人的に、一番懸念している点だ。


「辻さんは、俺と組んで問題はないのか?」

「その――問題って?」


 俺は、話す。


「俺は、あまり名の知れた作家じゃない。ビッグネームの曇の餌先生とリトルネームのいたばしこうは、実力的に釣り合っているとはとても思えない。この釣り合いの関係上で負担がかかるのは、辻さんになる。それでも、俺と組むことに問題を感じないのか? 本音で知りたい」

「本音……私は今日、嘘を1回もついていない。だから、今までのが本音。私は、いたばしこう先生とライトノベルを作りたいと望んでいる。それに、両者の力は釣り合っていると、私は思っているよ。だから、問題は一つも感じていない。あとは、板橋くんの返事待ちって感じだね」

「…………」


 俺は、考える。

 彼女と手を組むべきか、組まないべきか。

 確かに千載一遇せんざいいちぐうのチャンスに違いない。

 しかし、曇の餌先生の足を引っ張るのではないか? という不安も1よりは多い。


「…………」


 やってみるか。

 そんな事を思った俺は、返事を返す。


「最高の冬にしよう」


 一歩間違えれば、黒歴史入りの一言ひとことなのだった。

 しかしこれは、挑戦だ。

 凡人作家が天才絵師と組んで、どこまで成り上がれるのか。

 俺は、感情をき上がらせていた。

 思い返せば、このような気持ちを抱いたのも、久しぶりかもしれない。

 まずは、黒歴史を強くきざんでおく。


「じゃあ、よろしくお願いします。いたばしこう先生」


 そんな会話が終わり、気づけば目的地の海に到着していた。

 どしゃ降りの雨に、海の荒波。せっかくの綺麗な砂浜も、大衆たいしゅうの期待の景色から乖離かいりしていた。やはりこの景色を、世間一般は求めていない。海日和うみびよりなどとは、とても言えなかった。


「ねえ、板橋くん」

「ん?」


 辻さんが、笑みを浮かべて俺にこう言った。


「私の普段のアイデア吸収法の一つを紹介したいと思って、板橋くんをここまで誘ったんだ」

「へえ……」


 辻さんのアイデア吸収法?

 なんだろう、あまりにロクでもない展開が起きそうで、楽しみじゃないような、もしくは楽しみなような。そんな感じだ。

 冷や汗が流れている気がした。


「私は、大雨の日に風の強い海に訪れて――こうする」


 その、俺のロクでもない予感は当たってしまう。

 彼女は、手に持つ傘を、


「――は?」


 つじワールドが、展開したのだった。

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