第6話 帰り道

 今日は、どしゃ降りの雨だった。

 一昨日おとといも雨だったよな。

 授業中、廊下側の席から、窓側の光景を見つめて、梅雨つゆにはいそあしが過ぎるか、なんて考える。


 雷鳴らいめいも響いている。

 少し前に、小説執筆のプラスにならないかと考え読んだ雑学本ざつがくほんには、雷の語源は神が鳴らす音――神鳴かみなりから来ていると記載されていた。神の怒りと考える人もいるらしい。

 仮に神が怒っているとしたら、何に怒っているのだろうか?


「ん?」


 窓側の方で、不規則に視線を揺らしていた俺の視界に、彼女の姿が映り込む。

 水色のセミロングヘアが、神秘的しんぴてきな雰囲気を発している。ペンを必死に動かしているが、果たして勉強に熱心なのか? 絵を描いているのか? ほぼ絶対的後者だろう。

 つじさんだ。

 昨日、彼女が俺の大好きなイラストレーターであり、そして彼女自身も俺の小説が大好きであることが判明した。


 ああそうか、と思う。


 神は、怒っているのではなく、俺に嫉妬しっとしているのかもしれない。

 いや、俺自身も何を言っているんだ? と思うのだが、そうとらえても違和感は薄い。


 俺ごとき、と言ったらあれだが、全然バブリーでもない作家が、大人気イラストレーターに目をかけてもらっている。

 神様が動いてもおかしくない展開なのだった。


 そんなスピリチュアルなことを考えている間にも、時間が過ぎていき、放課後になる。


板橋いたばしくんが良ければなんだけど、一緒に帰らない?」


 辻さんからの誘いがあった。

 別に断る理由もない。


「俺と同じ方向なのか?」


 当然、自宅の方向のことをしていたのだが。


「目的地が同じだから、方向も同じだよ」

「ううん?」


 なんか理解しがたい発言が、脳に直撃したような気がした。


「目的地が同じ……って?」

「私、海に行きたくて」

「まあ、別に俺は構わないが」


 耳をます。

 いいや、澄ます必要も無い。

 地面を強く打ちつける、雨の音が聞こえた。


「世間一般的にいえば、海日和うみびよりではないと思うのだが」

私的わたしてきには、絶好の日だけどね」

「これが?」

「これが」


 首を縦にふるつじさん。

 この顔は、くもりえさ先生の方かもしれない。


 天才の写真家、天才のアーティスト、そして天才のイラストレーター。いろいろな天才がこの世には存在するが。

 メディアでは、度々たびたびそういう天才の奇行きこうを紹介している。

 もしかしたら天才とは、世間一般の感覚からは、かけ離れなければならない、というルール、もしくは条件が存在しているのかもしれない。


「板橋くんが乗り気じゃないなら、普通に帰っても大丈夫だよ」

「さっきも言ったが、俺は別に構わない」


 まあ、相手が辻さんでなければ断っていた。

 断らなかった理由は、単純なものだった。

 辻さんが、曇の餌先生だから、だった。


 現在、企画書すらも通らないのが『いたばしこう』という名の作家の現状。

 良いアイデアが思いつかない、執筆が難航なんこうしている、小説の書き方を忘れてしまいそうで怖い。いわゆるスランプにおちいっているのだ。

 天才のイラストレーターの普段の行動から、何か刺激をもらえる可能性は十分にある。それが、スランプ脱出の鍵になる可能性も見出みいだしているのだった。


 それに、俺自体が彼女のファンである。

 普段のルーティンに興味があるのは、自然な感情だった。


「じゃ、行こっか」

「ああ」


 俺と辻さんは、廊下ろうかへ出る。

 辻さんが話を振ってくる。


「昨日は、ごめんなさい、って一応謝っておく」

「一応とはなんだ?」

「半分、反省しているってこと」

「もう半分は?」

「逆ギレしている」

「自分に非があることは、認めているのかよ」

「板橋くんの正体が分かっていなかったら、全ギレしていた」

「半分、補正ほせいじゃねぇか」


 なんとも、自信には満ちあふれているようだった。

 なんていえば良いか、自分の行動に間違いがないと考え、突き進んでいる感じ。

 すごい事なのだと思った。


 思えば、自信がないとあんな壮大なイラストは描ききれないであろう。

 その自信は、時としてウザいものの、ひび入れはして欲しくないものだ。

 そう、一ファンとして願う。


「板橋くんは、新作を出す予定とかまだ無いの? くろがらすまようたが完結して、確か9ヶ月と28日の時間がったと思うけど」

「俺より俺に詳しいな」

「重度のファンは、準ストーカーだからね」

名言風めいげんふうに言ってはいるが、表現方法はもう少し何とか出来なかったのか?」

「イラストレーターに表現方法を求められても困る」

「確かに、そうかもしれないが」


 しかし、ストーカーなんて口に出して、周りから引かれないものなのか?


「…………」


 だが、彼女を見ていたら、そんな心配も消える。

 顔面偏差値がんめんへんさちが高いからだ。

 可愛かわいいから許す。かっこいいから許す。

 人間って、そんなものだ。

 複雑な面と単純な面が共存しているのである。


「で、新作はまだなの?」


 期待の目をいただく中、少し答えづらい回答を口にした。


「予定も目処めども立っていないな」

「……スランプか何か?」

「それもあるが、商業的に成功のきざしが見えてこないと言われている。要は、企画がことごとくぼつっている感じだ」

偉大いだいな作家の作品を没にする編集者の気が知れない……! 人の心がないアンドロイドなんじゃないの?」

「どうも」


 そう編集者のことを悪評? してくれるのは、められたことではないが、嬉しく感じた。

 そうこう話しているうちに、靴箱くつばこまでたどり着く。

 辻さんが言った。


「板橋くんは、自転車と徒歩、どっちの方?」

「今日は徒歩の方だ」

「普段も徒歩ってわけではないの?」

「晴れの日は基本チャリだが、雨の日は徒歩だな。カッパを着るのが苦手なんだ」

「まあ、分かるよ」


 何だか、好きな絵師えしさんと同じ感覚を持っているのは嬉しかった。


「カッパを着たら中途半端に濡れるよね。どうせ濡れるなら全身で雨水を浴びたいよね」

「なんか違う」


 前言撤回ぜんげんてっかい

 やはり、彼女は凡人外ぼんじんがいの条件のもと、凡人外であるのだった。

 しかし、俺はまだ知るよしもない。

 彼女のその発言のみなもと。俺は、知る事となるのだが、それは少し先のことなのだった。


 俺と辻さんは、かさを差して外へ出る。

 大雨の粒が、傘の表面を強く叩く。


「辻さんは、普段から徒歩なのか?」

「うん。個人的に、自転車は味気あじけない」

「味気?」

「そそ」


 彼女は続ける。


「自然と接する時間の確保というか、その接する時間の長さなんだけど。私は、自然が創作の大事なポイントだと考えているの」

「自然が、大事なポイント……?」

「アイデアの降下点こうかてんだよ」


 俺は、一瞬でさっしてしまった。

 今から彼女の口につむがれる言葉は、俺にえんもゆかりもない事なのだろう。アイデアが自然に落ちる者とアイデアを不自然に構築する者の壁、というやつだ。

 だが、彼女の口から出される言葉に、興味が無いわけがないのだった。

 俺は、彼女の言葉に集中する。


「自然はいつも、私に答えを教えてくれる。そんな有意義ゆういぎな時間を短くするのはもったいない。自転車は、その時間を減らす移動手段だから味が薄く感じるの。言いたいこと、分かった?」

「自然が答えを教えるくれるという点は、理解できないし、これからもできそうに無い感じだな」

「感覚は、個々ここによるものだからね。そんなものだよ」


 そう、感覚は十人十色じゅうにんといろだ。

 そして、彼女と俺の感覚は明確に違っており、価値にも大きな差が開いている。彼女の方が高価だ。

 辻さんは言う。


「自然は、守らないで良いと、私は思うんだ」

「うん?」

「ちょっとひどいことを言うとね。私は今、環境破壊を肯定こうていしているんだよ」

「だいぶ酷いことを言うものだな」

「私は、怖いんだ」

「何がだ?」

「答えが無くなるのが」


 また訳の分からない話が始まりそうなのだった。


「よければその話は、また今度聞かせてくれないか?」

「面白くなさそうだった?」

「興味しか無いのだが、言ってしまえばおなかいっぱい状態だ。また空腹になったら聞きたい」

「よく言われる。私の話は、カロリーが高過ぎるって」

「その分、満足度も高いから良いんじゃないか?」

「それは嬉しいね」


 俺と辻さんは、海を目指して歩く。

 そして辻さんがとんでもない事を言い始めた。


「板橋くん」

「うん?」

「私と手を組んで、300ページのライトノベルを作らない?」


 ――雷鳴。


 れしい意見とは正反対に、神の嫉妬しっとの声が鳴り響くのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る