第5話 黒板の一作

「えっ……?」


 つじさんの一言に、俺は困惑を隠しきれなかった。

 だって、辻さんが俺の小説のファン……?

 俺は念のため、彼女が発した言葉の意図いとを聞いた。


「辻さんが、いたばしこうのファン……それはガチで?」

「うん。ガチで。何なら一番好きな作家さんが、いたばしこう先生」

世辞せじでも、何でも無くてか?」

「世辞でも何でもなく、本気で」

「…………」


 彼女の目を見て、話して。

 分かった、というか、伝わるものはあったというかだ。彼女が嘘をついているようには見えず、これで彼女の発言が虚偽きょぎにまみれたものだったとしたら、役者ぶりにも関心するだろう。

 俺には、辻さんが本心を語っているように見えた。


「一応聞くけど、辻さんの想像している、いたばしこうって、ライトノベル作家のいたばしこうだよな?」

「もちろん。ライトノベル作家以外のいたばしこう先生は逆に知らない」

くろがらすまようたの?」

「黒鴉の迷い歌の」


 マジか。いやいや、マジか。

 めちゃくちゃ嬉しい。

 さっきまでは、尊敬しているイラストレーター兼面倒な女だと思っていたが、俺のファンと来ると見方も変わる。

 尊敬しているイラストレーター。


 待て。


 よく考えてみればだ。

 辻さんが俺のファンだということは……。

 くもりえさ先生が俺のファンだということか?


「…………」


 いやいや、そんな事あるのかよ?

 嬉しさは、おさえても抑えても止まらない。

 足が宙に浮いた感覚。文字通り、浮かれそうだった。


「あ、そうだ……」


 と声を出す辻さん。

 彼女は、席を立つ。

 そして、黒板こくばんまで早歩きし、チョークで絵を描き始めた。


「……?」


 本人が何を考え、その行動に至ったのかは分からない。

 だが、その絵を描く一つ一つの動作は、とても綺麗だと思った。

 プロの作家とは思えない稚拙ちせつな表現であることは自覚しているのだが、本当に綺麗としか言いようがなかった。俺は、そんな彼女の姿に見とれてしまい、気づけば黒板の右半分に『一人の少女』の絵が描き出されていることに気づく。


 当然のごとく、神イラストなのだった。

 すごい。


板橋いたばしくん」


 辻さんが、俺の名前を呼ぶ。


「ん?」

「よければ、私の絵の隣に、文章を書いてもらえない?」

「文章……?」


 と言われてもだった。

 具体的に、何を書けばいいんだ?

 そんな俺の思考を読んでか、彼女は口を開ける。


「小説を書いてもらいたい」

「小説、と言われても。どんな小説を書けば良いんだ? 要望とかあるのか?」

「私の描いたこの絵を見て、頭に浮かんだ文章を書いてもらえれば」

「頭に浮かんだ……はぁ」


 とても難しい表現なのだった。

 いや、言いたいことは分かる、何となく。

 しかしそれは、頭にアイデアが降ってくる脳の構造の持ち主でないと、簡単にこなせない技だ。

 無論、簡単にこなせない属の俺である。


 しかし、俺は黒板の前に立つ。


 隣に、いたばしこうのファンを名乗る女がいるのだから、要望を断りづらいと感じたのだ。なぜ、ここで強気つよきの俺が出てくる? って感じだ。


「……何を書いたものか」


 黒板に、チョークを当てる。

 考える。

 絵を見る。

 アイデアが降ってくるのを待つ。

 残念、降ってこない。


 ――いや、分かっていたけども。


 こういう時は、都合つごうよくアイデアが降ってきてほしいのであった。


 ――どうしたものか。


 一向いっこうに、文章が未完成の状態である。

 場になんか気まずい空気が流れる前に、文字を書きつらねたい。

 だがこういう時に限って、雑念が混じるものである。現実は、不都合ふつごうだ。


 ――とりあえず、書こう。


 俺は、文字を書き始める。


 ――桜の降る季節。出会いの季節だの別れの季節だの、人々がそろいも揃って、感動とか期待とかのたぐい装飾そうしょくを飾り立てたがる季節。俺は、その季節をくだらない季節だと、心の中で毒づいた。


 こんな感じだろうか?

 ラノベ読者層の一山であろう、


 一文字書いた瞬間、俺は意外と文字を並べることができた。普段はそうでもないのだが、今日は調。不都合の連続じゃなくて良かった、と思った。


 俺は、今まで数多あまたのラノベ作品を読んで、アニメを観て、漫画に没入してきて、その今までの作品がなぜ売れたのか分析ぶんせきもしてきて、そのインプットをアウトプットへ変換へんかんしてきた。今までと何も変わらない。執筆は作業だ。


 ――この読者層は、主人公が痛い目に合うのを極端に嫌う。それは現在の主人公に対してだ。過去はあまり関係ない。


 ――あえて小うるさいキャラを上に上げて、上空から地獄じこくの底まで突き落とすと喜ばれる。人間は、他人が奈落の底に落ちることに、一種の快楽を分泌ぶんぴつさせる生き物だ。倫理観りんりかんなんて、いらない。


 あくまで、読者目線。

 テンプレートを意識して。

 俺は、独創性どくそうせいを捨てた小説を書く。

 そして当然――。


「悪い、書ききれなかった」


 黒板の容量では、足りないのだった。

 まとめる力が、まだまだ未熟だな。と自分で反省する。


「うん、大丈夫」


 曇の餌先生の神イラストの隣には、小さな文字の羅列られつが並んでおり、まあ中途半端に物語は終わる。なんだか、やりきれなかった。

 続きは……帰ったら書こうか、さすがに。

 そんなことを思う。


 辻さんはしばらく、黒板を見つめ続けていた。

 おそらく、俺の書いた小説を読んでいると思われる。心拍音しんぱくおんは、騒がしかった。酷評こくひょうされたらどうしようという不安と、好評してもらえないかなという期待が入り混じる。


「……やっぱり、面白いな」


 その言葉には、安堵あんどしか残らないのだった。


「板橋くん」

「うん?」


 俺は、辻さんの方に顔を向ける。

 彼女は、笑みを浮かべて言った。


「2ページのライトノベルの完成だね」


 確かに、そう言われれば、その通りなのだった。2ページのライトノベル。

 響きは、心地良いのだった。

 そして。


「……何か忘れている気がする」


 そんな胸騒むなさわぎが起こるのだったが。

 まあ、良いか。


 ◇


 ――場所は、職員室。

 男性教師がつぶやいた。


「書類がまだ一山しか運ばれていない。そして、あいつはここに帰ってこない。減点しよ」

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