第3話 教室の二つの席

 教室の中。

 俺の隣の席に、つじさんが座っている。

 彼女は、「あのね」と口を開けた。


「私は、ね」

「……ああ」

くもりえさとかいうイラストレーターとは、何の関わりも無い。健全なオタク女子だからね。それだけ、伝えたい」

「は、はい」

「そう」


 と、言われてもだ。

 彼女の手元から離れたあの絵は、曇の餌先生の独特な絵柄と全く同じものだった。ある程度似ている、とかでは無い。重なっている。


 それに、曇の餌先生のファンである俺だからこそ、言えることだが。辻さんの所持するあのイラストは、世に出回っていないイラスト。曇の餌先生すらも、見せていないイラスト。つまり、コピー品でも模造品もぞうひんでも何でも無いということだ。

 おそらく、辻さん作のオリジナルイラスト。

 彼女は、曇の餌先生疑惑が、非常に強いのだった。


 事実、俺は目の前の少女が曇の餌先生本人だと推測しているが。まあ、どうなのだろう。


「ち、ちなみに。なんだけれども」

「ん?」

板橋いたばしくん、で名前は合ってたはず」

「ああ、板橋だ」


 覚えてもらっていたのは、少し嬉しいのだった。


「板橋くんは、曇の餌先生のファン、みたいな感じなの?」


 うそをつく必要も無いので、正直に答える。


「その通りだ」

「その。曇の餌先生のイラストの、どこが好きとかある?」

「どこが好きか……」


 俺は、いくつか曇の餌先生の魅力を口に出した。


「独特な絵柄が、素晴らしい。タッチが繊細せんさいで、黒線を見ているだけでも、時間が過ぎていく。世界観も、オリジナリティのかたまりで魅力的だと思う。退屈なんて言葉を忘れさせる、そんな刺激がある。脳は興奮状態になって、その瞬間がいとおしく感じるし、こだわりも強く感じるから、またもう一回見たくなる。最初の鑑賞時には気づかなかったことが、二回目三回目になって発見できたりもするから、一つのイラストでも、飽きは到底やって来ない。曇の餌先生は、イラストレーターとしても、表現者としても、尊敬している……そんな感じだ」


 とりあえず、パッと思いついただけ、曇の餌先生の魅力を伝えた。辻さんは、嬉々ききとした声をあげた。


「やっぱり、自分の絵がめられるって、嬉しいことだな」

「ん? 自分の絵が褒められることが嬉しいことだな?」

「んんっ⁉︎」


 彼女は、「ち、違う。違う違う、そうじゃなくてー」と目を左右に忙しく揺らし、


「そ、そうだね。私の『絵』ではなくて、私の『A』カップの胸が褒められるのが嬉しいなーって言ったの! 板橋くんって、面白い聞き間違いをするねー、ほんとに!」


 くれぐれも言っておくが、俺はこの人の胸を褒めた記憶は全く無いのだが。聞き間違いをした覚えも無い。覚えるものでは無いが。

 それにAカップの胸を褒めるのは、貧乳ひんにゅう好きだ。俺は、普通の胸好きなのだった。

 俺は、彼女の胸に目線を落とす。


「Bカップでは……?」

「Cカップだよっ!」

「Aカップって言っただろ!」


 滅茶苦茶めちゃくちゃなのだった。

 俺は、さっきから気になっていることをいてみた。


「その、ずっと聞きたいことがあったのだが。辻さんの机に接触している、何かをなぞるような手の動きは、何なんだ?」


 彼女は、さっきから机の上に人差し指を乗せ、かろやかな動作を繰り返していた。まるで、絵を描いている動きとそっくりだ。

 聞いた事がある。漫画家やイラストレーターは、隙間時間すきまじかんに見えざる絵を描く習慣がある、ということを。

 辻さんの今の姿と、特徴が一致した。

 呼吸のように、無意識にやっているようにも見える。

 やはり、辻さんは曇の餌先生?


 辻さんは、「いや、これはね……」と動揺した口調で話す。


「そ、そう。これは、机の材質を評価しているところだね。うん、たぶんだけど、そんな感じだと思う」


 それは、自信の無さそうな回答なのだった。


「机の材質?」

「そうそう、机の材質。この机は、イマイチだなー、みたいな。そんな感じで評価をしているところ」

「イマイチ……」

「そう、この机は低品質。くぼみがあるわ、机の面が狭いわ、椅子の調節機能も無いわ。ロクに作品の一つも満足に作らせない、最悪の粗悪品そあくひんだと思う」


 椅子の調節機能は、机の材質と関係無いのでは?


「学校は、この不良品の机を買い替えることが最優先事項だと思うの。子供の未来を支える勉強道具には、徹底的にお金を出すべき。学校の机は、私の仕事道具といっても過言ではないのに」


 学校の机は、私の仕事道具?

 パワーワードであり、意味深いみしんなワードだ。


「絵を描いている時に、くぼみに引っかかって線画がゆがんだ時の私の悲しい気持ちと来たらなのに……」


 俺は、半眼はんがんで反復した。


「絵を描いている時?」

「んんっ⁉︎」


 辻さんは、両手をブンブン振る。


「違う違う。そうではなくて。そうではなくてねー」

「そうではなくて?」

「絵を描くときー、では無くてー」

「…………」


 彼女は、ななめ上に視線を向けた。


「そ、そうっ。絵を『描く』時、じゃなくて、絵を『隠す』時って言ったのっ」

「絵を隠すとは?」

「だから、つまりだね。この絵は、他人の絵をパクった盗品とうひんってことだよ。いや、盗品は流石にマズイかな? いいか、もう盗品でいいよ」


 どう考えても良くない。ただの泥棒どろぼうなのだった。

 絵を隠すのは、机の材質ともはや無関係だし。

 ツッコミどころが満載まんさいなのだった。


「やっぱり、辻さんの正体は、曇の餌先生なのでは?」

「違う、ほんとに違う。私は、曇の餌先生などでは無い、全くの別人」

「という割には、曇の餌先生と同じ絵柄のイラストを所持しているし、辻さんは絵描きみたいだし」

「この絵は、ただの美術館の絵だよ!」

随分ずいぶんと罪が重そうな絵を盗んでいるな」

「そ、そうだね。いや、違うんだけど。盗品とは、やっぱ違うんだけど。あ、あー。分かった! 板橋くんにだけは、真実を話そう」

「お、おぉ」


 なんか、真実を話す気になってくれたらしい。


「曇の餌先生の正体は、実はAI絵師。で、私が曇の餌先生の助手。そういう関係。分かったかな?」


 よく分からない。

 分かるけど、よく分からない話が舞い降りたのだった。

 俺は、そもそもの疑問を投げかける。


「仮に、曇の餌先生がAI絵師だったとして。AI絵師に、助手は必要なのか?」

「んー。それは、分からないけどー」


 おい助手。


いて言うなら、うん。私が、AIの話し相手になってあげてる。だから、AIに助手は必要……だと思う」

「それはまた、画期的かっきてきなAIだね」


「いや、だいたい」と、俺は続ける。


「曇の餌先生がAI絵師の訳が無い。確かに最近のAI生成画像の画力はすさまじいが、胸を張って言えることはある。曇の餌先生のイラストは、AIに真似のできないイラストだ。曇の餌先生は、人間の絵師。それは、証拠も必要ない事実だろう」


 辻さんは、ポカンとした表情になった。

 何だろう? 少し恥ずかしい。

 ちょっと、痛い言葉を発言してしまったかもしれない。

 今更、後悔していると、


「そう。本当にその通り」

「ん?」

「私が描いたイラストは、AIには真似ができないイラスト。模造版なんて作れない、私だけの芸術品。全くもって、その通りだよ。私のことをAI絵師呼ばわりするクズ達は、SNSに向いていないから辞めた方が良いと思うんだよ。目が節穴ふしあなの人たちは、私のイラストを見なくても良いって。板橋くんは、正しいよ!」


 俺は、言う。


「私の、イラスト?」


 彼女は、返事を返した


誘導尋問ゆうどうじんもんをされていた……⁉︎」

「普通に喋ってただけだわ」


 やはり辻さんの正体は、曇の餌先生だった。

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