第3章 第9話

 ゆっくり、ゆっくり進んでいく。泉は、もうすぐだ。森の奥は、もやが濃くなっていた。本当なら、このまま進むのは危ない。しかし、立ち止まって、方向を見失うのも危ない。泉を目指すのが良策だ。


「二人とも、もうすぐだ」


「分かった」


「ちゃんと後ろにいるから、大丈夫よ」


 はぐれた者はいない。同じペースで進む。それから三分ほど経過したとき、濃かったもやが嘘のように一気に消え去り、唐突に泉が目の前に現れた。


 その傍に、魔王はいた。全身に傷を負い、血を流し、うつ伏せに横たわった姿で。


「お、おい!」


 アッサムが駆け寄って、状態を確認する。――まだ息がある。仰向けにして上半身を抱き上げると、美しい顔に切り傷や打撲痕があった。デコピンひとつで三年もアッサムを退けた、常識外れの強さの彼女が、ここまで追いつめられるなんて。


「おい、しっかりしろ!」


 頬を軽く叩くと、彼女は呻きながら目を開けた。


「あら……久しぶり、ね」


 息も絶え絶えの彼女の全身に刻まれた傷は、傍から見ても致命傷だ。このまま放っておいたら、命はない。


「アタシを……殺すなら……今しか、ない、わよ」


「ふざけんな!」


 苦しみの中で儚げに微笑む彼女に、これ以上の傷を負わせる気など起こるはずもない。瀕死の相手に止めを刺して勝っても、父が最期に言った「強く生きる」ことになどならない。


「ダジリン! 回復してやってくれ!」


 振り返った先に、ダジリンはいなかった。ウバーも。一緒に行動していたはずなのに、二人はどこにもいなかった。


「どうなってるんだ……」


「当然、よ。ここは、アタシの、作った、異次げ……」


 そこで彼女の言葉が切れた。力が抜け、彼女のさして重くない全体重がアッサムにかかる。


「おい! しっかりしろ!」


 口元に耳を当てると、弱々しいが呼吸音がする。今なら、まだ助けられる。アッサムは彼女を背負い、元来た道へと走り出した。あれだけ濃かったもやは、すっかり晴れていた。


「あ、アッサム! ウバー、アッサムがいたよ!」


 少し先に、ダジリンの姿が見えた。近くの木から、ウバーも現れた。


「アッサム! いったいどこに行っていたんだ! 急に消えて、探してたんだ」


「二人とも、ごめん! でも、今はそれどころじゃないんだ!」


 ダジリンの傍で立ち止まり、少し息を整えたあと、頭を下げた。


「ダジリン、こいつを治療してやってくれ!」


「え……? この人、だれ?」


「魔王……」


「ま、魔王!? この女の人が?」


 一見すると、美しい少女。アッサムでさえ、まさか魔王が彼女のような美しい少女だとは思いもしなかった。魔王だと信じられたのは、二本の角の存在だった。ダジリンも、それを見て、アッサムが嘘を言っていないことを確信した。


「か、回復して、いいのかな」


「仮にも魔王だろう!? 今なら倒せるのに、この機をみすみす逃してどうするんだ!」


 ウバーは剣を抜いた。背負った彼女に、いては自分に向けられた切っ先を見ても、アッサムの決意は変わらなかった。ウバーの言うことは正論で、アッサムも同意見だ。さんざんしがみついてきた試練だって、ようやく終わらせることができる。それなのに、見捨てられなかった。アッサムの中の何かが、彼女をこのまま失うことを拒否していた。


「それなら、村に連れてって、カーネルさんに判断してもらう。それなら、いいだろ」


 今にも泣きだしそうな顔で懇願するアッサムを前に、幼馴染の二人はこれ以上何も言えなかった。

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