第1章 第6話
アッサムはしばらくの間、口を開けてぽかんとしていた。夢かと思えるような出来頃だったが、前髪から滴る水滴が夢ではないことを証明している。
「魔王……って、言ったよね……」
静けさを取り戻した森に、風景画に誤って垂らした絵具のような異端な存在のずぶ濡れ少年がつぶやく。
事実を口にすると、だんだんと状況の整理ができていく。自分は、チュートリアルに挑戦している。チュートリアルをクリアしないと、剣士になれない。チュートリアルのルールは、初めて出会った魔物、正確には出会った魔物と同じ種類の敵を倒すこと。自分は、魔王に出会った。
論理学を持ち出すまでもなく、導かれる結論はひとつ。
「ま……魔王を倒さないと、剣士になれないのぉぉぉぉぉ!?」
「アッサム、どうした!」
アッサムの絶叫を聞いたカーネルが慌てて駆けつけてきた。へたり込む少年を抱きかかえて、負傷していないか急いで様子を見る。
「怪我はなさそうだな。しかし、こんなに濡れて、いったいどうしたんだ。泉にでも落ちたのか?」
カーネルと目が合っても、あうあうと声にならない喘ぎをもらすばかりで、会話にならない。
「もしや、精神攻撃を受けたのか!」
勘違いが加速する。会話もジェスチャーも頼りにならない状況下では、コミュニケーションが全くできずに、それぞれの思い込みがねじれの位置に流れていく。カーネルはアッサムの小さな身体を抱え、大急ぎで村へと走った。
水でずぶ濡れになったお陰で、失禁という辱めを受けた事実はばれずに済み、尿と一緒に過去に流せたのが不幸中の幸いだった。
村に帰ったカーネルは、大急ぎで村の占いオババの家に向かった。占いオババは、その名の通り占いを稼業としているが、薬草や医療の知識も豊富に有していた。彼女に見せれば、アッサムを助けられると信じ、彼女を頼ったのだった。
実際には心身とも何の傷も負っていない(失禁は除く)のだが、カーネルはそんなことは露知らず、当のアッサムも未だに焦点の定まらない状態で心ここにあらずの状態なので、勘違いをした村長を責めることはできない。
「オババ、いるか!」
「なんじゃ、騒々しい」
「よかった、いてくれたか! 今すぐアッサムを診てやってくれ! チュートリアル中に敵にやられたようなんだ!」
「……みせてみぃ」
椅子に座らせたアッサムの顎を上げたり、涙袋を引っ張ったり、訝しげに顔をいじくりまわしていたが、ふん、と唸って、頭をぽかりと叩いた。
「いたっ! 何だよ!」
「ほれ、治ったぞ。騒がしいから帰んな」
「お、オババ。アッサムはいったい、どういう状態だったんだ」
「白昼夢でも見ていたんだろうさ」
「そ……そんなことをする敵が現れたのか!」
「そんなわけあるか、阿呆。いいから、とっとと出ていきな」
はたきでポカポカ叩かれながら、二人揃ってオババの家から追い出されてしまったのだった。
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