第36話 女子高生と、越後の長尾家

 朝倉義景が書いた、越後の長尾景虎、後の上杉謙信への書状を渡すため、私は久しぶりの奏者をすることになった。


「凛殿。今回の業務に、この者と同行してほしいと、殿からの命令だ」


 一乗谷の玄関と言える、下城戸の所で、私は鳥居景近に呼び止められ、そして景近は、私と歳の近そうな、青年を連れてきていた。


高橋たかはし甚三郎じんざぶろうの武者修行として、凛殿が面倒を見てほしいと言う事だ」

「私が……ですか……?」


 私が、他人に武術を教えることは出来ない。令和からやって来た現代人が、本物の戦国の世を生きる人に武術を教えるなんて、恐れ多い事だ。


「普通に接すればよい。甚三郎を、護衛だと思っておけばよいだろう。一人で行くより、誰かと一緒に行った方が、凛殿も気が楽だろう」

「まあ……確かにそうですけど……」

「今回は、長い事道草はするなよ。来年こそ、新年の挨拶に、顔を出した方が良い」


 そう言って、景近は私と別れて、私は甚三郎と二人きりになった。


「改めて、自分の口から名乗ります。それがし高橋甚三郎景業たかはしじんざぶろうかげあきらと言う者です。今回、凛様と同行するようにと、殿に言われ、某に出来る範囲で、凛様の奏者活動に、協力したいと思っております。どうか、よろしくお願いします」


 高橋甚三郎は、背筋をピンと伸ばして、目をキラキラさせている、無垢な子供のような人だ。


「あ、はい……。よろしくお願いします……」

「まず某は、何をすればよろしいでしょうか?」

「と、とりあえず、歩きましょうか」

「越後に向けて歩くのですね。承知しました」


 子供と言うより、忠犬のような青年だ。ご主人様の命令は絶対に守るみたいな、命令したら必ず実行するみたいなので、私は雪が降り出した一乗谷の地を出発し、越後に向かった。




 越後への道のりは、過酷なものだった。

 加賀の一向宗に目を付けられないよう、かなり大回りして加賀を抜け、越中も加賀ほどでもないが、一向宗が国内に蔓延っているので、慎重に移動した。


 越後にようやく入ると、過酷な自然界の現実を思い知らされた。


 日本海から吹き付ける強い季節風。そして冬の日本海側らしい、急に晴れたと思ったら、すぐに天候が悪化して暴風雪に見舞われ、身動きが取れなくなる。

 そして、少しでも踏み間違えれば、海に落ちて死んでしまうであろう、断崖絶壁の親不知子不知おやしらずこしらずと呼ばれる難所を乗り越えるため、タイミングを見計らって、無事に通過するだけでも、1週間以上かかってしまい、ようやく長尾家の本拠地、春日山城周辺に到着したのは、一乗谷を出て、1か月が経とうとする頃だった。要件を済ませ、すぐに帰国しないと、景近に怒られるだろう。


「交渉は、私がする。甚三郎君は、私の後ろで、待機していてほしい」

「待機ですね! 承知しました!」


 私たちは、春日山城の入城は許されず、城下にある寺院の中で、景虎の側近と会談することになった。一応、宗滴が長尾家と交流を持っていたとしても、若年の長尾景虎を、他国の人に会わせたくないようだ。


「わざわざ越前から、遠方から足を運んでくれたことに、殿に代わりまして、直江神五郎が申し上げます」


 直江と言うと、この人は後に出てくる、直江兼続のお父さんだろうか。この人は、かなり歳を取っている。江戸時代になっても、直江兼続は生きてたはずなので、この人が直江兼続ではないだろう。


「こちらこそ、このような会談の場を設けていただき、感謝します。私は、朝倉家の家臣、朝倉凛と申します」


 そして私は、義景に渡された書状を、直江神五郎に手渡した。


「朝倉家当主、孫次郎様の言葉です。是非とも、一読していただければと思います」

「拝読します」


 今回の書状は、三好家と対立するかもしれないから、朝倉家の後ろ盾になってほしいという物だ。まだ、そこまで知名度は低い長尾家だが、後に越後の龍と呼ばれる上杉謙信と交流が持てれば、朝倉家の未来も変わってくるかもしれない。


「……成程。……同盟を締結させたいと……その見返りに、周辺の海域を共有、朝倉家は西国からの交易の拠点にし、こちらは、北国のからの交易の拠点にして、互いに良い関係を持ちたい。朝倉殿の親書と受け止めましょう」


 書状を見て、神五郎は気を悪くしている様子はない。義景も、しっかりと考えて、長尾家と関係を持つことを選んだようだ。


「ですが、私だけの判断では、決められない。この事は、殿と話してからになりますが、よろしいでしょうか?」


 どれだけ時間がかかるのか。早く帰りたいから、早く返事してほしいなんて言えないので、私は神五郎の提案を受け入れた。


「あの、差し支えなければ、上杉――じゃなくて、長尾家の当主の事を聞いても良いですか?」

「質問次第と、言っておきましょう」


 神五郎は、少し私に警戒してしまったのか、ギロっと睨みつけてきた。


「長尾家は、この戦国の世をどうしたいと思っているのでしょうか?」


 ただ戦国の世を楽しみたい戦闘狂なのか。それとも、一秒でも早く、戦の無い世界にしたい平和主義者なのか。


「殿は昨年、京に上洛しました。幕府に忠誠を誓っているようですね」


 私の質問に、警戒が少し解けたのか、顎を撫でながら、そう答えた。


「戦国の世を終わらせるため、戦っていると言う事でしょうか?」

「そうだと思っていただければ良いでしょう。しかし、謁見した将軍の義藤様は、三好家の戦いで戦死したと聞いて、意気消沈し、甲斐の武田家と一触即発を免れてから、今では自室に閉じこもり気味になり、今はその気持ちは薄れてきているようです」


 朝倉家、三好家以外には、義藤は戦死した事になっている。その話は、長尾家にも入ってきていて、上洛した後に討たれたと言う話を聞いてしまったら、精神的なダメージも大きいだろう。


「直江殿。当主にこの事も伝えてほしいです。足利将軍家は、必ず再興すると言う事を」

「朝倉殿の根拠は?」


 再び、神五郎の目つきが鋭くなった。


「義藤様は、生きています」

「それはそれは……」

「嘘は言っていません。窮地に陥りそうな中、わざわざ、朝倉家の敵を増やすような行為、家臣がすると思いますか?」

「今は、戦国の世ですよ? 裏切り、謀殺は、日常茶飯事と言えるでしょう」


 神五郎に、疑念を抱かれている中、私は懐から、もう一つの書状を取り出した。


「直江殿。この親書も、当主様に渡してほしいです」

「相手は?」

「足利義藤将軍様です」


 私は、一乗谷に出る前日、義景から義藤が書いた書状も預かっていた。渡すか渡さないかは、お前次第と義景に言われたが、私は義藤の書状も渡すことにした。


「直江殿、当主様に渡してもらえないでしょか? 正真正銘、義藤様が長尾家に宛てた親書です。中身は確認していません。最初に、当主様に読んでほしいです」

「分かりました。預かります」


 直江殿は、しっかりと義藤の書状も受け取って、少しだけ両国の事を話した後、今回の会談はお開きになった。




 会談を終えた夜。直江殿と会談した寺院で、私たちは宿泊することになった。


「某、凛様と同行した意味が分かりました」


 弱々しい小さな灯しかない戦国時代の夜。灯の周辺しかうっすら明るくない、暗い部屋の中、甚三郎が、私にそう言って話しかけた。


「部屋の周り、六人の気配を感じていました。恐らく、少しでも挙動が怪しかったら、某たちは槍で串刺しだったと思います」


 甚三郎の言葉に、私は一気に血の気が引いて、ただ引きつって笑うしか出来なかった。気配は感じていたが、そんなにいるとは思わなかった。長尾景虎、後の上杉謙信は、実は女性なんですかって聞いていたら、即串刺しだっただろう。


「ですが凛様は、臆することなく、威圧のある男でも、堂々と朝倉家の意思を伝え、長尾家と有効な関係を築こうとしました。名門朝倉家に仕える武士は、どんな佳境の中でも動じない、屈強な心を持つ事を、殿は教えたかったのだと、分かりました」

「そっか」


 義景が、そんなことまで考えていたのかは謎だ。多分、義景の事だから、新たな奏者を育てようと思っただけだと思う。


「甚三郎君は、戦に出た経験は?」

「はい。戦場に出たことはありませんが、小荷駄こにだ隊として、兵士たちの兵糧を運んだことはあります」


 甚三郎は、戦経験はないようなら、私はこの言葉だけ伝えた。


「戦に正解、不正解なんてない。己の判断で突き進むしかないんだから、失敗を恐れず、当主の朝倉家に尽くす。そうやって、戦国時代は生きていくしかない」

「成程! 己の判断で突き進むっ!! 凛様の教え、某のこれからの教訓として、胸に刻みますっ!!」


 私の考えは合っているのだろうか。そんな不安もあったが、ここで悩んだら、甚三郎に示しがつかないので、私はただ、消えそうで消えない、灯を見つめるしか出来なかった。

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