第19話 女子高生と、紫陽花の花言葉

 細川殿は、義景の初子を産んで、すぐに亡くなってしまった。その事は家中に広がり、緊急の会議が朝倉館で行われた。


「申し訳ない」


 一番落ち込んでいるはずであろう、当主の朝倉義景は頭を畳に付けて、家臣の前で謝罪した。


「全くですよ。没落寸前の、だらしない細川から娘を取るから、このような事態が起きるのです」


 会議に出席している、宗滴に次ぐ、一門衆の筆頭格の景鏡は、義景が謝る事は当然だと言い、それを利用し、義景を陥れようとしていた。


「しかも女。女では、後継者の問題が解決しませんよね? ただでさえ、先代の孝景様の時も、後継者で揉めたのです。そして一番の愚者は、身近でお世話をしていた、朝倉延景殿ですよ。殿に信頼され、傍にいたはず。なのに、細川殿の異変に気付けなかった。延景殿が、いち早く異変に気付くべきではありませんか? そうでしょう? 皆もそう思いませんか?」


 景鏡の発言によって、義景の批判ではなく、私への批判に切り替わった。


「殿の命令に背いた事と一緒です。こんな役立たず、病を運ぶ疫病神は、さっさと追放するべきでしょう」


 段々と、私への批判が強くなり、罵詈雑言を浴びさせられる事態になった。


「私に文句を言うのは、好きにすればいいです。けど、これだけは言わせてください」


 昔の、朝倉家臣、一門衆に圧倒され、何も出来なくなる私ではない。刀だって振れるし、私を目の敵にする、景鏡だって文句を言える。


「殿の初めての赤ちゃんに、素直に祝福出来ない人に、文句を言われたくないです。赤ちゃんが生まれる一大事の時に、そもそも他の人は何をしていたんですか? いつも通りに、呑気にティーパーティーでもしていたんじゃないんですか?」


 緊急で出産する事になったから、すぐに駆け付けることは出来ない事は分かっている。けど細川殿が倒れ、出産するまではかなり時間があった。城下町で避難してきている公家と茶会、歌合うたあわせを中断して、駆け付けても良かったのではと、私は思っている。


「公家たちの相手をするのも、朝倉家家臣の立派な勤め。歌を詠む教養も持たず、酒すら飲めない体たらくな娘に、言われる筋合いはありません」


 景鏡の言葉で、更に私は景鏡の事が嫌になった。ニヤニヤしている景鏡に、私は再び言い返そうとした時だった。


「若殿の話の途中だという事、互いに忘れておらぬか?」


 義景の隣に座る宗滴に、口調を強めに言われると、私と景鏡は即座に黙り込んだ。


「……景鏡の言う通り、娘では跡継ぎ問題は解決しないのは事実だ。……正室を失った以上、新たに継室を招く必要がある」

「殿。そういう事なら、この孫八郎にお任せください」


 義景に好かれようと、すぐに景鏡は名乗り出た。


「事前に、私と、そこの朝倉延景殿と打ち合わせていました」

「え?」


 景鏡の提案は、寝耳に水だった。


「朝倉延景殿は、殿の正室を失わせてしまった責任を取って、一時この地を離れ、継室を探しに出ると言っていました。朝倉延景殿の心意気に私、孫八郎は、いたく感心してしまいました」


 景鏡は、遠回しに、私を追放しようとしているようだ。この方法だと合理的に、私を一乗谷から追放出来て、景鏡がやりやすい状況が出来てしまう。


「そうか。そういう事なら、凛に任せよう」


 景鏡の提案に反対すると思いきや、義景は景鏡の提案を受け入れ、私にそう命じた。


「凛には、将軍様との奏者の実績がある。だから、景鏡の提案には、誰も反対しないだろう」


 景鏡の提案は、満場一致で賛成のようで、さっきのヤジを飛ばされている時とは打って変わって、無言で可決されてしまった。





 会議が終わり、景鏡が意気揚々と、満足気に退室していくと、私は宗滴に呼び止められて、そして義景と話をすることになった。


「申し訳ない。あの場を治めるには、凛に無茶ぶりをさせるしかなかった」


 義景は、さっき以上に頭を下げていた。


「若殿の初子が女なのは仕方ない、正室が亡くなるは、珍しい事ではないからの、すぐに批判は治まる。新たに迎えれれば良いなるが、正室を見殺しにしたという事で、世話係、付き人をしていた凛殿の批判は避けられぬ」

「はい。もっと早く気付ければ良かったと、そこは反省しています」


 宗滴にそう励まされたが、私は気まずく、宗滴と義景と目を合わせづらかった。


「さっき言った通り、凛はこの地から離れ、私の継室を探す事を命じる。これは絶対に実施する事だ」

「殿。表向きでは、任務と言っていますが、それは細川様を見殺しにした、私の処分って事ですか?」


 細川殿が出産している最中、私は義景にどんな処分でも受けると言ったが、義景はそんな事はしないと言い、誰も悪くないと言っていた。やはり胸中では、怒っていた。


「凛。命が惜しいなら、暫く身を隠せ」


 義景に、鋭い目つきでそう言われると、私は背筋がまっすぐになった。


「景近や吉隆よしたかの話によると、景鏡が民衆や公家に凛の悪評を広め、凛の評価を下げていると聞く」

「『お館様の正室を見殺しにした不届き者を、屋敷に住まわせていいのか?』と、隣りの寺の住職に聞かれたの。今の凛殿は、敵前逃亡した、情けない武将のような印象じゃのう」


 義景、宗滴の話を聞いて、私は覚悟を決めた。


「武者修行も兼ねて、殿に似合う、素晴らしいお嫁さんを見つけてきます」


 義景、宗滴の目をまっすぐ見て、私は一時的に、一乗谷を離れることを決めた。このまま左遷され、失脚を装い、ほとぼりが冷める、いや義景に相応しい人を連れて来れば、一乗谷の民衆も、景鏡の鼻をへし折れるだろう。


「そうか」


 義景は、ゆっくりと頷いた後、襖の方に顔を向けた。


「母上。入ってください」


 先代で、父親の孝景は亡くなっているが、義景の母親はご存命。存在は知っていて、細川殿がたまに、義景の母親の話をする事があったので、どんな人柄なのかは、把握しているが、今まで会うこと機会も無かったので、私は、義景の母親、高徳院には初めて会う。


「凛よ。是非とも、母上が凛と話したい事があるそうだ」


 ゆっくりと部屋に入って来た、高徳院は、意外と髪を伸ばさず、セミロングの黒髪。結婚式の披露宴で着るような、煌びやかな打掛の姿だった。


「……っ!」


 そして高徳院は、細川殿が出産した、義景の赤ちゃんを抱いていた。


「先日亡くなった、正室と変わらぬ歳の女が、義景が信頼する家臣か?」


 そう言いながら、ゆっくりと義景の横に座ると、すぐに宗滴が頭を下げたので、私もすぐに頭を下げた。


「凛と聞いている」

「は、はい! 私は、朝倉凛です!」


 怖いとかじゃない。たださっきの義景と宗滴と一緒で、息子の正室を、私の不注意で亡くしてしまった事が申し訳なく、顔を合わせることが出来なかった。


「凛に願い事がある。この子の、名前を決めてもらいたいと思う」


 叱責されるかと思ったら、高徳院は、義景の初子の名付け親になってほしいと言われたので、私は顔を下げたまま、目を見開いていた。


「凛の話は、正室から聞いていた。無我夢中で、師匠から学んだことを守り、懸命に刀を振る姿、そして休憩時に凛と茶を飲む、あのひと時が好きだと、いつも言っていた。あの者と会う度、凛の話をする。義景の事も話すが、凛の事も同じように話す」


 高徳院にそう言われると、私の目から涙が落ちる。つい先日まで、細川殿と過ごしていた日々、時間を、走馬灯のように思い出していた。


「凛なら、義景も、そしてこの子の母親も文句を言わない。案があるなら――」



四葩よひら。……って、どうですか?」



 私は、顔を上げて、目の前に座る高徳院、そして義景にそう提案した。


 梅雨の時期。細川殿と一乗谷を散策していると、寺院の庭に、青色の紫陽花の花が咲いていた。細川殿は紫陽花の花が好きで、そして紫陽花の別名、四葩の事を教えてくれた。その時に、私はお腹の子供の名前はどうだろうかと、提案した。それで細川殿は、嬉しそうに笑い、気に入ってくれた様子だった。


「私の世界では、様々な植物に花言葉と言う、象徴的な意味を持たせています。その中で、紫陽花には『元気な女性』って意味もあります。だから殿の初子には、元気な女の子に育って欲しいって意味で、四葩って名前を提案します」


 細川殿は気に入ってくれたが、義景と高徳院はどうだろうか。私は緊張しながら、寒いはずなのに、汗を流しながら、そう提案したら、高徳院は、モナ・リザのような微笑みをした。


「花言葉。武者修行を終えたら、是非とも私に教えて欲しい。名前の由来通り、私たちが手塩をかけて、育てていこう」


 高徳院は納得したようで、義景の子供を優しく抱きながら、ゆっくりと歩き、退室していった。


「凛。私は、主を信じている」


 義景もそう言って、私は任務をやり遂げるため、大きくはっきりと返事をした。





 私は、宗滴と景近に出発する挨拶をし、誰も歩かない、早朝の一乗谷を発つ前、朝倉館から少し離れた場所にある、一乗滝に足を運んだ。一乗滝は、あの巌流島で宮本武蔵と戦った、佐々木小次郎がつばめ返しと言う技を編み出した伝説がある場所だ。


「吉清様。また京に行くつもりなんですが、同行って出来ますか?」


 滝に打たれている吉清様に聞こえるように、私は大きめに呼びかけると、福岡吉清は目を見開いて、慌てて滝から出てきて、大きく何度も頷いていた。


「は、はい! この私で良ければ……」


 私は、共に足利将軍家の奏者として活動していた、吉清に声をかけ、朝倉義景の継室を見つける任務をすることにした。

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