第4話 教育係の決意

 アルノルトの背筋が凍った。慌てて壁際に駆け寄ったアルノルトが見たものは、こちらを不思議そうに見上げるルートヴィッヒだった。

「何か」

壁の突起物に手足をかけたルートヴィッヒは、不安定な体勢のはずなのに平然としていた。

「いや、いい」


ルートヴィッヒを相手に、常識を当てはめた自分が悪い。アルノルトは気を落ち着けた。

「何でもない」

「そうですか」


 ルートヴィッヒは、何事もなかったかのように壁を降り、歩いていった。他の竜騎士見習い達は、一礼すると、階段を使って降りていった。負けず嫌いらしいハインリッヒとヨハンが、ルートヴィッヒが降りていった壁を見下ろしていたが、やはり階段を選んだ。常識があるということは素晴らしい。同期だ。是非、その常識を少し、ルートヴィッヒに分けてやって欲しい。


「アルノルト、いいのか」

仲間の教育係のどこか無責任な言葉に、お前も教育係だろうと言いかけてアルノルトは止めた。

「いいも悪いも、好きにしろといったのは俺だ。階段を使って下まで降りろとは言わなかった」

頓珍漢ではあるが、ルートヴィッヒは真面目だ。ルートヴィッヒが理解できるように、アルノルトが言葉を選べば良かっただけだ。故郷にいる母の偉大さを、アルノルトは噛み締めていた。


「まぁな。最短距離を選んだだけとも言えるな」

「懐いているトールのところにいくだけだ。好きにさせておけば良いさ」

「懐いているって」

「トールに一番懐いているだろうが」

夜の竜舎で、丸くなったトールにもたれて眠るルートヴィッヒは、昼間と違い、年齢より少し幼く、あどけなく見えた。


「アルノルト、何も嫉妬しなくても」

「そうそう。ルートヴィッヒはちゃんと、お前にも懐いてるよ」

アルノルトは仲間の言葉に溜息を吐いた。

「そういう問題か。訓練中だ」

アルノルト達教育係は、未だに飛び降りていない、竜騎士見習いたちを見た。


「あぁ」

誰かが声を発した。これ以上、訓練を続けるだけ無駄だ。怖気づいている面々に、誰もが察した。


 アルノルトは訓練の終わりを宣言した。まだ飛び降りることが出来ていない者達の訓練終了、すなわち竜騎士見習いからの除名が確定する。誰からも、抗議はなかった。


 例年、丸一日かかる訓練が終わるのに、半日かからなかった。


 アルノルトは昼間見た、怖気づいた連中の目を思い出していた。王都竜騎士団での見習いの募集は三年に一度しか無い。全員が、見習いとなるための厳しい選抜試験を合格している。弱い者などいない。


「戦意喪失は怖いな」

竜騎士の訓練は厳しい。実戦では、一瞬の油断や僅かに怯んだ隙きが命取りになりかねない。窮地で己を救うのは、鍛錬で手に入れた肉体と精神の強さだと教えられている。


 あの怖気づいた目をしていた連中では、竜騎士は無理だ。だが、窮地に追い込まれた時、自分がどうなるかなどわからない。自分が、あの無気力な目になる日が来ないと思えるほど、アルノルトも無邪気ではない。


「向き不向きが有るさ。国中の人間が、頓珍漢みたいに、命綱無しで壁を降りられるわけじゃない」

アルノルトもさすがに、命綱無しでは無理だ。

「やる気が有る奴が残れば良いさ」

初日、竜騎士見習いは、例年通り十五人いた。明日からは、ルートヴィッヒと、ルートヴィッヒに続いて飛び降りたハインリッヒ達の合計五人だ。


 アルノルトは、目の前の料理を口に運んだ。

「なぁ、アルノルト、それだけどさ。なんで俺達、今もここにいると思う」

それは、アルノルトも考えていたことだった。


 竜騎士見習いの大半が辞退した。教育係として各地から集められた竜騎士は今、見習いの倍以上いる。

「まぁ、半分以上辞退した。本来は暇なはずだ。ところが、暇なら訓練に付き合えと、駆り出されて、全く暇じゃない」


 今日の午後も、訓練だった。アルノルト達教育係が王都竜騎士団の剣術の訓練に参加していることを、竜騎士見習い達が嗅ぎつけた。自分達も暇だから、参加させて欲しいと直談判にやってきた。見習いは見習いだ。本来は参加できない。一悶着、といってもあれは持ちかけた方の浅慮だが、竜騎士見習い達は、参加をもぎ取っていった。


 やる気がある奴だけが、残っているということだろう。数年先輩だからと、のんびり構えている場合ではない。


「お前も予想ついてるだろうに」

「やっぱり、お前もそう思うか」

ゲオルグ達幹部の目的は、教育係として集められた若手の強化だろう。

「せっかくだ。素直に、ご教授いただくさ」

強くなりたい。アルノルト達若手達は、与えられた機会を精一杯活かすことにした。


 翌朝、訓練開始早々、アルノルトはまた声を荒げた。

「ルートヴィッヒ!」

「はい」

こうしてルートヴィッヒを叱りつけるのは何度目だろう。何をどう伝えたら、この頓珍漢にわからせることが出来るのだろう。考えても無駄な問いが、アルノルトの胸の内で木霊する。


 お袋、親父の面倒を見てくれてありがとう。アルノルトは故郷の母へ、心から感謝した。


<幕間 完>  第三章に続きます。

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