夜の子
「腕が痛いです」
「でしょうねえ」
「とっても足が痛いんです」
「そうでしょうねえ」
「これが冒険者としての痛み……」
「確かに冒険者の仕事は歩くことも含まれますが」
頑張って立ち上がるも、ぷるぷると震える手足に痛みが走る。
神父様に向けて情けない泣き言を言いながら、ゆっくりと生まれたての小鹿の如く歩く。
昨日見たブラックウーズに少しばかり似ているかもしれないなどと間の抜けたことを考えながら、若干呆れた顔をした神父様の背を追って教会を後にする。
「神父様、もうちょっとゆっくり歩いてください。とっても手足が痛いんです……」
「だから今日は寝てなさいと言ったでしょうに」
「昨日好きなだけ楽しんでおいて、今日仕事しないまま過ごすのはちょっと心が痛みます……」
痛みによって小さなうめき声が自分の口から漏れ出すが、それを必死に噛み砕きながら歩く。
自動車か原付か、せめて自転車。
今最も恋しい道具に思いを馳せた。
台車、台車でもいいから。
しかし、台車で聖水を運ぶ聖職者はあまり様にならないだろうから、結局持ち運ぶことになりそうだ。
先を行く初老ほどの神父様は、俺よりも高いその背筋をしっかりと伸ばして迷いのない足取りで前を進んでいく。
水瓶という荷物を抱えているはずなのに、その表情からは疲れも重さも感じさせなかった。
「それで、どうでしたか? ツバキくんは近場の森へ生態調査に行ったのですよね」
「凄く楽しかったです! 是非ともまた行きたいくらい!」
「それは良かった。次に行ったらまた魔力痛ですが」
「もうちょっと体を鍛えようと思います……」
歩く動作だけで体の節々が痛みを発するので、段々気にならない動きを探していった結果、すり足にも似た歩き方となった。
なるべく頭の先から体全体を揺らさないようにするが、そうすると今度は太ももやふくらはぎなどが痛みを主張し始めた。
使った覚えのある筋肉から、全く身に覚えのない筋肉まで痛みの合唱だ。
なんとか俺が追いつけるペースで神父様が歩いてくれていなければ、不審者時代に逆戻りしていただろう。
それに話しかけて気を紛らわせようとしてくれているのも。
「それは結構。ただ、もっと魔力の濃い場所で運動する必要が有るとは思いますね」
その言葉の後に、神父様が魔力痛について話してくれた。
魔力が濃い環境で活動すると、肉体が隅々まで活性化するらしい。
身体能力系のスキルを持っている人ならば、ほとんどの場合で魔力痛を起こすことは無いようだ。
ただし、スキルが目覚める年齢は人によって大きく異なるので、
運動できるようになった幼い子供によく起きるが、それでもここまで酷い状態は滅多に無いらしい。
「あとは病気がちで臥せっていた人が快復した時にも似たような症状がみられるそうですね」
心当たりが全くない。
日本でも風邪ならば年に一度か二度程度ひくくらいで、インフルエンザなどには一度も罹ったことがない。
恐る恐る訊ねてみる。
「まさか俺って病気とか……」
「普通に筋力が無いだけですよ。だからブラックウーズに絡まれて死ぬんですね」
人が周りにいないときは神父様に泣き言を漏らしながらも必死に墓地まで辿り着き、這うような姿で水を撒いて掃除を終えた。
俺一人だったらアンデッドと勘違いされて討伐されていたかもしれない。
それくらいには暗く、重い雰囲気を纏いながら痛みに耐えていた。
亡くなった人たちには申し訳ないが、この時間が終わるようにと考えてしまった。
空の水瓶くらいなら頑張れば持てるかとも考えたが、割ってしまっては大変なので神父様に預けている。
顔に出さないように意地を張ったが、やはり歩きの挙動におかしなところが出ているようで。
帰りの道すがら出会う人々から心配されてしまった。
事情を説明する際、冒険者さんとブラックウーズを見に行った話をするのだが、温かい視線とともに「良かったね」という言葉を口々に頂いた。
よくよく考えてみると、例えばロールプレイングゲームで最初に出てくる街の住人たちに「スライムを見に行ったよ」と報告をしているようなものだろうか。
日本にはスライムはいなかったので全くピンとこなかった。
十発ほどで死に至る攻撃をしてくる生物……スズメバチ?
痛みを誤魔化すために色々と悩んでいると、声を掛けられた。
「もし、神父様方。生まれたばかりの子が『落とし子』でして、お祈りをいただけますでしょうか」
その言葉は、この近所に住むという男性によるものだった。
声には少しの疲れが混じっているように感じられた。
神父様の顔色を窺う。
本来、両親以外が赤子のために祈ることはない。
成長を曲げてしまうかもしれないと言い伝えられているからだ。
男性の言う『落とし子』になら祈る場合もある。
いくつもの事情が重なった故の、と頭に付く例外に限るのだけれど。
「ええ、構いませんとも。ツバキ、行きましょう」
「はい、司祭様」
まずは話を聞くのだろう。
神父様に言葉をかけられると同時に俺は背筋を背筋を正し、短く返事した。
男性は深くお辞儀すると、家へと案内をし始めた。
どうなるだろうかと僅かに緊張している俺と違い、神父様の足取りは変わらない。
早すぎるわけでもなく、遅すぎるわけでもない、しっかりとした歩みだった。
先を行く猫背気味の小さな背中を追って歩けば、住宅地の一角にある家に招かれた。
壁は白く塗られ、石を積み重ねた円錐状の屋根が特徴的な一般的な造りだった。
屋根の頂点は切り取られたように平らになっていて、富士山に似た形状になっている。
平らな部位には、教会の天井と同じ素材がはめ込まれているのだろう。
大きな窓も手伝ってか、室内は明るかった。
「こちらが妻と子になります」
部屋の奥、寝台に腰かけた人物が奥さんのようだった。
神父様が視線を向けると、その肩が僅かに揺れ、抱いている子供にも振動が伝わったのか、生えた髪の毛もふわふわと揺れた。
それは、月光のように輝いていた。
疑うべくもなく、確かに『落とし子』だった。
容姿に明らかな『空』の特徴を持つ赤子は天から地上のために降りてきたとされ、『落とし子』と呼ばれている。
白夜や極夜、ダンジョン等の近くでよく
奇跡を内包しているとしか思えないほどにその容姿はあまりにも神秘的だった。
自身の子供だと理解していても崇めてしまう可能性があるほどに。
信仰心が深い程、抗えない魅力を放っているのだろう。
不安そうな目で奥さんは、神父様と旦那さんの姿を見ていた。
神父様が一言二言を小さく囁くと、小さく頷いた旦那さんは部屋を出ていった。
「早速お話をしましょうか。私はセトリオード支部月光派の司祭です。こちらは助祭」
神父様と同じように床に片膝を突き、下から見上げる姿勢を取りながら小さく目礼を済ませる。
幼い子供がいる前で名乗ることはない。
相談が解決すると、あまりの喜びに世話になった人の名前を付けようとする。
その防止のためであり、また教会の職位を持つ者の名前は正しく理解されない場合が大半だからだ。
「あ、あのなんとお呼びすれば」
奥さんが少し困った様子で聞く。
「教会に来られたことは?」
「何度か通わせてもらっています」
「それなら司祭か、神父とでも呼んでもらえれば」
わかりました神父様、と奥さんが呟いた。
その様子を見た神父様は柔らかな笑顔を浮かべていたが、俺は室内に入ってからずっと緊張しっぱなしだった。
経験の差か、そうでないのか。
下手なことを言えば、この赤子の人生が決まってしまう。
「神父様、この子は教会に預けなければいけないのでしょうか」
不安げな表情を浮かべたまま呟かれたその言葉に、俺の心臓が大きく跳ねた。
『落とし子』は特別な力を持って生まれる一方で、体質的に酷く虚弱な場合も多い。
また『お月様の特別』として満ち欠けしていることが殆どだという話だ。
育てる自信の無い親が涙を流しながら手放すこともある。
「いえ、必要ありませんよ。お子さんを可愛がってあげて、それで一緒にお母さんとして成長してください」
にっこりと神父様が答えた。
奥さんは安堵したのか、深く息を吐いた。
俺はつい神父様を凝視してしまい、咳払いされてしまった。
「でも私、お月様に似た子は教会に入れないといけないって言われてて……。それで……それで……。あの人は一緒にいても大丈夫だよって言ってくれても、私よくわからなくて……。教会なら幸せかもって……」
奥さんは途切れ途切れに喋るが、徐々に涙が混じり、ついには嗚咽が漏れ出していた。
神父様はうん、うん、とゆっくり頷いていた。
俺はどうしていいのかわからず、ただジッとその場を見るだけだった。
その様子からつらかったのだろうと推測はできるし、慰める言葉をかけられる。
ただそれだけだ。
その後に何を話していいのかわからない。
「なぜ月光派が生まれたかご存知でしょうか?」
「……? いえ、わかりません」
嗚咽が治まって奥さんの様子も落ち着くのを見計らい、神父様が問いかけた。
その問いかけについて俺が知っているのは環境が過酷だから、ということくらいだ。
環境と宗教は密接に繋がっている。
魔物が跋扈する世界では、人々が宗教をよすがとしたに違いない。
「実はですね、昔の人はとても狂暴でした。めちゃくちゃです。毎日争ってばかりです」
「えぇ……」
えぇ……知ってることと違う……。
つい俺も奥さんと同じ反応をしてしまった。
声を発さずに済んだのは助祭としての見栄と意地だろうか。
頼りない姿をした者の言葉で、下に見ることはできても、残念ながら安心を覚えることはない。
「人間には魔物を含めてたくさんの敵がいます、争ってばかりではいけない、仲良くしましょう、ということを主張する凄い人が生まれました」
「はぁ」
「凄い人は頑張りました。みんなに優しくし続けたんですね。凄い人なのでとんでもなく優しかったのでしょう。最初は争っていた人たちも、ゆっくりと時間をかけて仲良くなりました。敵対的だった種族ともちょっと仲良くなりました。魔物は無理なのでみんなで協力して倒しましょう。と、いった感じで優しくしたことで上手くいきました。凄い人が優しくしたらみんなちょっと優しくなりました。その姿を見て、自分たちもみんなに優しくしようと思ったのが宗教の祖になります。宗教の祖も頑張ったので、みんなともっと仲良くできるようになりました。めでたし、めでたし」
困惑している奥さんの様子を一顧だにせず、神父様は滔々と話し切った。
少し前までは言葉があまりわからなかったので、こうやって話しかけてくれていた。
覚えた今では事務的なやり取りが増えてしまったが。
「何が言いたいかと言うとですね」
「はい……」
「優しく接してあげれば、優しい人に育ちます。宗教は関係ありません。めちゃくちゃ狂暴だった時代の人々も優しくなれたのです。今はもっと平和な時代ですからね。安心してください」
「私、初めての子供なんです。不安もあります。どうしてって何度も思いました……」
呟きを、神父様は頷いて受け入れる。
「とっても苦労するし、疲れると思います。……でも頑張って育ててみせますから、だから」
「いえ、別にそれほど頑張らなくてもいいです。もうだめだなってなったら教会に預けたほうがいいですよ」
「えっ」
少しばかり決意を持った奥さんの言葉を、神父様が刈り取った。
教会には日中勉強を教わりにきて、時計代わりに帰る子供もいるくらいだ。
預けられて生活する子供の方が稀だった。
「旦那様は職人でしょうか」
「ええ、陶器の、ですが」
「職人の互助会でも子供の面倒を見て貰えますよ。将来的には代わりに面倒を見てあげないといけませんけど」
だから、と神父様は続ける。
「優しくされることを受け入れてください。それだけで貴方はきっと楽になる」
「……でも『落とし子』は特別なんですよね」
「特別……。特別、か。……助祭の彼を見てください。『夜の子』です。昨日は外で珍しい物を見たとはしゃいで駆け回り、転びました。特別なのは見た目だけです。正しく名前を呼んであげてください」
その言葉に顔を伏せる。
強い視線を感じるが、耳まで真っ赤になっている自信があった。
ただ一つだけ言わせてもらいたい。
転んではいません。
赤ちゃんに使う道具は熱湯で消毒してね、難しいなら教会でも手伝いますよ、最初の内は魔力が多いと体調を崩すので月光が控えめな場所で寝かせてあげてください、成長したら逆に魔力を欲しがるので月光のよく当たる場所や、街中で行きたがる場所に連れて行ってください、等の細かい注意点を伝えた。
神父様が。
俺は魔力痛で役に立たないので赤ちゃんを見ていた。
この見事な髪の色は、魔力によって生じているらしい。
黒い髪はどうなのだろうか。
わかるのは、赤ちゃんは泣き声まで可愛いってことだった。
用を終えたので、夫婦に見送られながら帰路に就く。
神父様は再び水瓶を抱えて歩いているし、その後ろを俺は魔力痛で情けない動きをしながらもついていく。
はあ、とため息が出る。
何に対してなのかはわからなかった。
魔力痛のせいか、それとも先ほどまでの『落とし子』についてか。
「ツバキくんも経験を積めば立派な司祭になれますよ。気に病むことは無いのです」
「なりたいわけじゃないです……」
神父様にか細い声で答える。
先ほどまでの片膝立ちで、足が生まれたての小鹿のようになっていた。
俺の様子を見た神父様は穏やかな笑みを浮かべ、そしてすたすたと足早に教会へと戻っていった。
嘘でしょ……。
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