二人の間

 

 散歩から帰ってきても一向に治まることのない魔力痛を前に、情けないことだが今日はほぼ動かずに過ごすことに決めた。

 酷い筋肉痛は適度な運動や、マッサージ、入浴などでケアできた。

 魔力痛に関して筋肉と同じ扱いをするならば、再び外に調査へ向かうか魔力を浴びるか等になるのだろうか。

 この状態でもう一度調査に行くとなると、昨日は自分で歩ける荷物だった。

 ただの荷物に変わってしまった今試すにしては同行者に負担が掛かりすぎる。

 一人で向かうなら見晴らしのいい平原ですら死ぬ自信がある。

 結局、本堂中央に近い席に座り、写本をして過ごすことに決めた。

 正しい姿勢ほど痛みが少ない気がするので、殊更背筋を正しているのだが。

 

「おはようございます、ツバキさん」

 

「ファティ、おはよう。今日は早いんだね」

 

 隣に座ったファティの挨拶は、普段よりも小さく聞こえた。

 本堂内には静かにお祈りしている人がいるからだろうか。

 文字を書く手を止め、俺もそれに倣って囁くように挨拶を返した。

 

「えっと、今日はツバキさんが魔力痛で大変だと聞きました。一緒にお勉強するなら行っていいよってシスターが言ってくれて」

 

「それは、とても有難い。シスターは相変わらず気遣いの達人だな」

 

 教会で暮らす子供たちは朝食の後、教会に仕えているシスターの指示に従って掃除をすることになっている。

 勉強や行儀作法を習いに来る子供たちが混ざることも多い。

 特に商人の見習いの子たちは率先して手伝ってくれるのだが、他人との交流や気遣いを覚えるための主人によって推奨されているようだ。

 

「……他の子も行きたければいいよって。あの、それで、私が来ました」

 

「……ファティも優しいなあ」

 

 自分の意志で可愛い女の子が一人手伝いに来てくれたと考えればそう俺も捨てたもんじゃない。

 思うところが無いわけでもないが、それはそれとして心遣いはとても嬉しい。

 柔らかな淡い水色の髪を少しでも傷つけないようにと優しく撫でると、ファティはくすぐったそうに笑った。

 

「それじゃあ手伝って貰おうかな。今はまだ余裕があるけど、インクや紙が足りなくなったら用意して欲しいんだよね」

 

「がんばります。……あの、わからないときは聞きますね?」

 

「もちろんいいよ。俺の話を聞いてくれるなんてファティは聞き上手だなあ」

 

「えっと、話してくれる人が話上手なので」

 

「まさか褒め上手でもあるだなんて俺は驚きを隠せないよ。多才すぎるファティの将来が楽しみだ」

 

 そんなやり取りをすれば、ついおかしくなって二人で顔を合わせて笑い合う。

 冒険者として街の外に調査しに行くのは楽しかった。

 新しい物を見るのはわくわくするし、冒険者さんが俺に気を遣ってくれて快適に過ごせたのがとても嬉しかった。

 同じように教会で過ごすのも楽しい。

 穏やかに過ごせるし、なんとなく優しい人間になれそうな気持ちにさせてくれるから。

 

「仲が良くて楽しそうですね」

 

 二人でにこにこしていると、お祈りを終えた男性に声を掛けられた。

 行商に出る前にお祈りに来た方で、先ほどまでは少しの疲れを浮かべていた。

 お祈りで落ち着けたのか、今は穏やかな様子だった。

 

「ええ、この子はとても優しくて聞き上手で、そして褒め上手なんですよ。しかも可愛い。これはきっと教会の教えや、お祈りに来てくれる人たちのおかげですね。こんなに恵まれているのだから今日もいい日になりますよ、絶対に」

 

 そう早口で答えると、男性は朗らかに笑った。

 俺はずっと笑っているが、ファティは耳まで赤くなって俯いた。

 肌が白すぎるのだから、常にこうしていれば健康になるんじゃないかな。

 声を掛けられた際、ファティに服の裾を掴まれた。

 褒める度に掴む力が強くなるのが面白くて悪戯心で本心を吐露してしまった。

 それを見た男性は大きく一笑いすると、いってきますと言った。

 俺がお気をつけてと言えば、ファティも小さく倣って見送った。

 

「ちょっと恥ずかしかったです……」

 

「そうなんだ。でも、うーん。悩ましいな」


「何がですか?」


「いや、真剣な悩みなんだけどね?」


「……はい」


「ちょっとで済むなら恥ずかしがるファティを毎日見ようかなって」

 

「ツバキさんっ」

 

「ごめんごめん。ちょっとで済まなくても可愛いファティを毎日見たいよ」

 

 赤い顔をしてアンバーの万倍鋭い目で睨まれたら俺にはどうすることもできない。

 「きゃーこわーい写本しなきゃー」と迫真の演技をしながら写本に戻る。

 普段よりも血色が良くなったファティは少しむくれながらも、本棚から持ってきた本を広げた。

 

「楽しそうね。あたしも入れて?」

 

 ふらふらと近寄ってきたアンバーがそう言って後ろの席に座った。

 気怠そうな様子で机に体を預けながら「あたしも字くらい書けるよ」と俺の背中を弄り始めた。

 力無くゆっくりと背中に指を這わせるものだから少しくすぐったい。

 ファティが「あ、汚れちゃうから」と長い髪を纏めてあげれば「もう汚れてるよ。どうせすぐ落ちるし」とアンバーが返した。

 

「それじゃアンバーも勉強する?」

 

「……話は聞かせてもらったから。あたしもかわいいよ」

 

「それはそう。アンバーは可愛いよ」

 

「でしょ」

 

「それじゃ可愛いアンバーも勉強する?」

 

「……話は聞かせてもらったからかわいいあたしは寝るね」

 

「ダメ。せっかく起きたんだからアンバーエイトは私と一緒に本読もうよ。……ね?」

 

 ファティがアンバーの隣に移動し、本を開いてみせる。

 なんでー、と口では嫌がったアンバーだが、そのまま無視して寝ずに本をのぞき込んだ。

 二人は仲良く揃って同じ本を読み始めた。

 挟まりたいね。

 しかし、空気の読める俺は二人の会話を背中で聞きながら写本に戻ることにした。

 

「これなんて読むかわかる?」

 

「ふふふ、昔は神童と呼ばれたあたしにまかせなさい。うーん、んー? なるほどね、原理だけわかった。……ツバキ、これを読んであげて」

 

「あー、はいはい。これはね……」

 

 振り向いて読んで聞かせれば、なぜかアンバーがファティにドヤ顔を見せた。

 原理とは、神童とは一体……。

 

「ファティエル、これなに」

 

「あのね、これは……。あー、うーん? んー? ……ツバキさん、ツバキさん」


「……はいはい、これはね」


 同じようにファティもアンバーにドヤ顔を見せた。

 じゃあ写本するからね、と元の位置に戻れば……。

 

「ツバキ、ツバキ」「ツバキさん、ツバキさん」

 

 とそれほど間を置かずに繰り返し呼ばれ、作業にならない。

 呼ばれてすぐに振り返れば嬉しそうにされるので止めるように言い出せない。

 二人ともちょっと面白がっていないだろうか。

 遊ばれていると魔力痛がしんどいので、二人を両隣に座らせて俺が読むことになった。

 結局何かあるたびに両側から呼ばれ、俺が答えていく。

 神父様は相談の合間にこちらを眺めて穏やかな笑みを浮かべていた。

 たぶん俺も同じ様子だったと思う。

 

 

 

 

 

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