黒い泥

 

 教会での仕事はいくつかあり、時間の管理や、カウンセラーに近しい働き、中立の立場を守って言い分を纏める等がある。

 中でも時間の管理は特権でもあった。

 教会では三つの月と、これまで蓄積された記録を利用して正確な暦と時刻を計測している。

 スマホは当然にしろ、壁掛け式の時計や腕時計といった便利な物は無い。

 市井の人々が正確な時刻を知るには教会以外では、領主が指定した特定の施設に伺う必要があった。

 約束事に厳しい商人たちは、近くの教会で時間を知ることを最も重要視する。

 そのため、特定の時間を報せるためだけに時間奴隷を雇うことも少なくなかった。

 

 生活によっては時間が曖昧なままでも問題ない人もいて、そういった場合はわざわざ教会に来ずとも太陽や月の位置を目安にしているし、必要なら独自の時計を使う。

 実は時計の種類は多く、市場を見ればその豊かな発想と用途で楽しませてくれる。

 蒸発分や流量、流速といった水の特性を利用した水時計や、砂の流れ落ちる速さを利用した砂時計、太陽や月の光による影時計、物体が燃え尽きる時間を利用した燃焼時計などがあるようだった。

 中には動植物の成長で暦を知るといった珍しい時計、と言っていいのかはわからないが、そういうユニークな物も売られている。

 

 俺もやろうと思えば時間の管理を任せて貰えるが、どうにも肌に合わなかったので必要な時以外はやらない。

 この世界の標準的な時刻は日本とは異なっているせいで、ちょっと気持ち悪く感じてしまう。

 地球での時間の間隔を忘れていないのが原因だろうか。

 どちらも理解できているが、率先して使いたいかと言えば別の話だ。

 俺が使う時間は単位は大雑把で、基本的には昨日と今日、そして明日、朝昼夕晩、月の種類や場所くらいだ。

 

 

 そういうわけで俺は写本をメインの仕事にしつつ勉強を教えている。

 教会内であれば管理されている時間通りに動くが、外に出ると結構ガバガバになる。

 用事で出かける場合、帰宅時間は「夕方くらい」とか「遅くなるから夜になる」とか「本月が浮かぶ時間くらい」程度には伝えている。

 昨夜はギルドの依頼で遅くなったので、伝えた時間と全く違ったのは反省する点かもしれない。

 淡い水色の瞳でじっと見つめてくるファティの視線が言いたいことはわかるが、仕方ないこともあるものだ。

 

「ほら、俺はあんまり時間を守らないからさ。管理も任されてないし。遅くなることも、えっと、あるかも……」

 

「朝のお散歩も、授業も、ご飯も、ツバキさんはいつも同じ時間に済ませてます」

 

「それはそうだけど……」

 

 全く時間を気にせず好き勝手に動くと思わぬ所で迷惑が掛かったりするので、朝の散歩や食事、ギルドに着く時間などは定刻を意識している。

 勉強を教える時間も、一時間一コマみたいなキリのいい時間で分けている。

 時々料理する時は、砂時計を使って細かい時間を気にすることもある。

 子供が真似をするからと見えている部分はガバガバにしないよう気を付けた所はある。

 

「神父様は心配なさってました。ギルドまで尋ねに行って、途中で軌道派の方が報せに来てくれたそうです」

 

「それは、申し訳ないことをした」

 

 当初の予定では必要分を出荷したら依頼を終えるつもりだった。

 しかし手際よく仕事ができるようになると、翌日の分もやれそうじゃないかってなってしまったわけで。

 男だけで夜にわいわいと騒ぎながら飲み食いしながらやるのって楽しいからさ……。

 自分の楽しさにかまけてたのは反省しないといけないし、軌道派の人が気を利かせてくれたのも申し訳ない。

 

「アンバーエイトも待ってました。珍しく起きて動いてました。扉の近くと棚の前を行ったり来たりもして」

 

「それは……見たかったな」

 

 どうしてなかなか珍しい光景だったに違いない。

 本音がつい漏れると、アンバーの百倍は迫力がある目で睨みつけられた。

 冒険者のローレットさんのほうが目つきは上だけど、纏う空気感というか、気まずさはこっちのほうが上だ。

 

「私も、えっと……寝るのが遅くなりました」

 

「早く寝ないとダメだよ」

 

 アンバーの千倍は迫力がある目で睨みつけられた。

 

「……アンバーエイトは勉強、みてくれません」

 

「うん、ごめんね」

 

「みんな心配してました」

 

「……うん」 

 

 薄い水色の髪をゆっくりと撫でれば、視線は徐々に戻っていく。

 確かに俺が夜遅くまで帰らないなんて事は滅多にない。

 教会にも大人はいるが、子供も多い。

 心配されるのも当然だった。

 

「ギルドのお仕事は、良い事が多いってわかってます。ツバキさんは良い事をしたというのは知ってます。きっとそれは素晴らしいです。でも、みんな心配してました」

 

「うん、次は気を付けるよ。あまり遅くならないようにする」

 

「はい。……あまり?」

 

 俺のうかつな言葉に、ファティの目に再び険が含まれる。

 依頼によっては外に出るかもしれないから、遅くならないとは言い切れない。

 ほら、護衛とか。

 依頼人より弱い自信はあるけど。

 ここは話をちょっと変えよう。

 

「ところでファティは心配してくれた?」

 

「……しました。……私が、えっと、私が一番心配したと思います」

 

 

 

 

 

 

「神父様、改めてすみませんでした」

 

 相談の列が途切れた機会を見計らって神父様と話す。

 朝にも話す機会はあったが、もっと軽い気持ちだった。

 束縛されるのなんて御免だぜ! と反発する年でもないし、むしろ異世界でもこうやって心配されると思うと嬉しい気持ちの側面が強い。

 

「私も昔は遅くまで教会に帰らないこともありましたから。心配していたファティエルやアンバーエイトとも話したでしょうから、遅くなるなら一言残すようにしてください」

 

「……気を付けます」

 

「ええ。……それに、アンバーエイトが遠見せずに我慢できたことがわかって良かったという点もあります。心が育っているのは確かです」

 

「……まだ我が儘を言いますけどね」

 

「それなら可愛いものです。可愛くなった、が正しいでしょうか」

 

 俺が教会で世話になって間もない頃のアンバーはもっと希薄だった気がする。

 人間的な意味でも、空気感的な意味でも。

 俺は言葉が話せなかったから、練習のために覚えた単語で話しかけていた。

 返事も時々だし、発される言葉はゆっくりしてて聞き取り易かったので都合が良かった。

 覚えた文章や知識の復習には、ぼんやりと座っていたファティに聞いて貰った。

 そのせいでファティの話し方はちょっと前の俺に似ているらしい。

 今も話してるからまた似てたりするのだろうか。

 それはホントに申し訳なさすぎる。

 お嬢様言葉とか使った方がいいのか?

 

「俺にとってみれば二人ともずっと可愛いですよ。……その、相談事がありまして」

 

「相談事? まさか魔物の討伐に行くとか」

 

「いや、言わないです。槍重いし……。写本の事なんですけど」

 

 遠くの街でドラゴンが出たらしく、流通に影響が出るかもしれないから写本を減らしたほうがいいか。

 そう聞こうかと考えたが、よく考えると依頼内容等を漏らしているのに等しい。

 そもそも俺が心配することではない。

 問題が起きた時には流れに沿って場当たり的に対処するのが教会だ。

 少し考え込んで、相談内容を変えることにした。

 これも前から聞こうと思っていたことだ。

 

「……写本に使っているインクの種類が知りたいです」

 

「ああ、あれは原料がブラックウーズですね。うちの教会内では紙と違って加工していませんから詳しい内容はわかりませんが」

 

 ブラックウーズが主な原料で、色々と混ぜ物をしているのだろう。

 画材や紙については相手が話してくれる範囲でだけ聞いたことがあり、魔物を使う品が多いとは知っていた。

 教会の仕事も給金を貰っていたが、高価な画材のために貯めていた。

 しかし、冒険者に直接話を聞いたりしてちょっと新たな考えが芽生えつつあった。

 冒険者は装備を自分で手入れするらしいので、同じように俺も画材を手作り出来ないかという考えだ。

 しかし冒険者は装備をまず買うことから始まる。

 手作りはちょっと難しいか。

 前提とか比較が間違ってるか。

 まあ、それはそれとして試してみる価値はありますぜ。

 

「なるほど……。やっぱり討伐行こうかなぁ」

 

「……止めといたほうがいいですよ。死にます」

 

「えっ」

 

「死にます」

 

「えっ。……ブラックウーズでも?」

 

「むしろブラックウーズのほうがツバキくんには危ない……」

 

 俺のイメージは黒いスライムなんだけど、神父様は真顔で危ないという。

 神父様ほどの人が言うのなら……。

 これは元の知識と書で得た知識しかない弊害かもしれない。

 一人で行ってはいけないよ、と言い含められた。

 一人で行かないなら誰で行くんだい?

 俺はソロの許可証しか持ってないよ?

 

 

 

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