お花をどうぞ2

 

 日が昇る前に、ローレットは目覚めた。

 特に意識したわけではなかったが、前日に聞かされた話が影響していたのだろうか。

 依頼によっては朝早くから活動する場合もあるが、それでもこれほど早く動き始めるのは稀だった。

 それに、休養日にこれほど早くから起きたことは無いことも無く、まだ体が起きていないように感じた。

 生まれつき悪い目つきが、余計に吊り上がってしまっているかもしれない。

 まずは顔を洗おうか。

 普段から部屋を借りている宿だ、いくら暗くても勝手知ったるとばかりに動ける。

 こんな時間でも無ければ追加料金でお湯が貰えるのだけれど、とローレットは開き切っていない目で考えた。

 

 赤い遊月が沈みかけ、これから日が昇ろうかという時間。

 草木すらも眠る時間ではなく、むしろ朝早くから動き始める者たちが目覚める少し前。

 静かなその一時に、宿の裏の広場にある共同の井戸から汲み上げた水で顔を洗う。

 ローレット自身の深緑色をした髪の毛は、この時間では黒がかった色にしか見えなかった。

 月の変わりと夜明け前、その時間が最も暗いのだというが、目を凝らせば見える程度だ。

 月がある限り完全な闇はない、と誰かが言っていた。

 それを教えてくれたのは、魔法狂いの頭でっかちアメリアだったか、教会狂いの頭エイプ種ルーシリアか。

 

 通りを歩けば既に生活の営みが始まりつつあるようだった。

 ほとんどが何かしらの商いで生計を立てている者だった。

 行商の護衛に付いていくこともあるが、それはもっと日が昇った時間だ。

 街の出入りを管理している門には数種類あり、そのうちの一つが馬車等の大きな物流を可能としている大門だ。

 開門時間はもう少し後になるため、行商人などは予め準備して待っているようだった。

 

 ローレットが向かっているのは小門であり、人が行き来できる程度の広さしかないが、身分が証明できる物さえあれば日の出から通ることができる。

 職人系ギルドと比べると、冒険者ギルドの証は証明として劣る。

 生活の基盤、安定性、信頼……。

 その街に根付き、営みを続けている職人たちと比べての結果だった。

 他の街だったら出られなかっただろうことをローレットも理解している。

 行列に並べば、あまり時間が掛からずに自分の番が来る。

 街の出入りを管理している衛兵に目的と証明書を問われ、墓地のための花摘みだと返答しながらサラマンダーの鱗を見せる。

 「赤か」と呟いたようだった。

 痛んだ灰色の髪、片側は眼帯で隠された銀色に似た灰色の眼、鍛え上げられた筋肉は冒険者にも勝るだろう。

 重さすら感じる視線に僅かな時間を耐えれば許可が下りたので、ほっと息をつく。

 「門の衛兵は心を読むスキルを持ってるらしいよ」とレッドヘアーエイプ……ではなく、ルーシリアがその特徴的な赤い髪を揺らし、机を叩きながら教えてくれたことがあった。

 いつもは衛兵の前を素通りするだけで済ませられるから気にならなかったが、今日は対面したこともあって緊張した。

 

 重圧から解放されれば、後は花を摘むだけだ。

 朝早くからただ墓地に行くだけなのに、妙な疲労を覚えてしまった。

 染料や薬に使われる物もあるので、あまり門や塀に近い場所で摘むのは流石に遠慮する。

 魔物が出るような林や森に行くには時間が無いので、気遣い程度に少しだけ離れた場所にした。

 手早く摘んで門に戻れば、先ほどの衛兵はほとんど確認もせずに通してくれた。

 外に出ようとしている人たちが長い列をなしていて、ローレットは自分がちょうどいい時間に出られたことを月に感謝した。

 

 

 

 

 

 朝の陽ざしに照らされていても、墓地は暗く寂しい場所だった。

 等間隔で地面に突き刺さった多数ある棒のすべてに、亡くなった人がいる。

 冒険者として知り合いが死ぬこともあり、いずれかの棒の下にいるのだろう。

 死が遠いとは言えない職業だ、運が悪ければ自身も同じ姿になる。

 埋められて、いつか忘れられる場所。

 だから殊更身近に感じて、奇妙で落ち着かない。

 胸に湧いた心細さに困惑していると、ローレットは助祭の姿を見つけた。

 助祭の知り合いなのだろうか、もう一人の男と一緒に屈んだ姿勢で水を撒いていた。

 足早に近づき声を掛けた。

 

「あの、助祭様……」

 

「どうかしましたか?」

 

 振り返ったその姿を見て、何故だかほっとした。

 落ち着いて見れば、墓地もそれほど暗いように思えない。

 花も飾られているし、いつか忘れられる場所にしては綺麗だった。

 

「その、お花を摘んできました。街の外の、すぐ近くの、なんですけど……」

 

 両手で軽く抱えた程度の花束を見せれば、穏やかな助祭の表情が笑顔に変わった。

 ギルドにいる男性とは全く違う柔らかな笑い方。

 伸びた黒い頭髪が目元を隠しているが、それでも口や頬で笑顔を浮かべていることはわかっていた。

 

「ありがとうございます!」

 

 その弾んだ声が、本当に喜んでくれていることを教えてくれる。

 もっと摘んでくれば良かったと思う。

 その一方で、ルーシリアに多すぎてはいけないと釘を刺されたことを思い返す。

 適量だからこそだろうと自分を納得させた。

 もっと欲しかったとがっかりしたり、大量の花で喜ぶような様子がこの助祭から感じられたら、ローレットにとって解釈違いを生じさせたかもしれない。

 

「寂しいから花を手向けたいと思ってたんですよ」

 

 花を差し出せば、とても大切な物のように受け取ってくれた。

 動作の一つ一つは早いとは言えないが、物腰の柔らかさが見て取れる。

 

「貴方の優しさに感謝を」

 

 月に捧げるように、花を持って祈る姿。

 純粋に感謝されたのはいつ以来だろうか。

 

「いえ、あの、えへへ……」

 

 照れてだらしない笑みを浮かべてしまったことを自覚して、ローレットは口元を抑えるように隠した。

 これではルーシリアを馬鹿にできない。

 ぐっと口に力を入れて、耐えようとする。

 意識を別のところに向けようとして、助祭の顔を見つめる。

 余計な所に力が入ってしまい、視線が鋭くなる。

 

「どうかしましたか?」

 

「あっ、いえ、なんでもないです……。こんな私でもお役に立てて良かったです……」

 

「はい、貴方はとても優しい人ですよ」

 

 つい向けてしまったきつい視線を物ともせずに微笑む姿に、自分の顔が緩むのをローレットは感じた。

 やっぱり優しい男性が一番よね、と脳の片隅で善を司る緑のローレットが囁いた。

 悪を司る赤のルーシリアはどうかと言えば、地面を叩きながら助祭ひゃま最高! と騒いでいる。

 中立になぜかいる青のアメリアは「お話も楽しそうに聞いてくれるのがいいですよ」とオススメポイントを増やしてきた。

 

「迷惑じゃなければですが……またお花を持ってきてもいいでしょうか?」

 

「ええ、とても嬉しいです」

 

 助祭がにっこりと笑うのを見て、同じように笑顔になる。

 まだ年若いというか、幼いというか、そういう印象をローレットに与えた。

 年下の男の子に慕われているかのようで、なんというか心が少しむず痒くて、同時に喜びも感じる。

 えへへ、とだらしない声が漏れ出た。

 

 

 

 

 

 花のお礼に朝食に誘われたローレットは、迷惑がかかると断ろうとしたが気づけば頷いていた。

 自分の意志の弱さに愕然としたが、助祭の嬉し気な姿からこれで良かったのだと納得した。

 助祭の手伝いをしていたという商人の姿は既にない。

 「お先ですぜ、ひひひ……」と怪しげな笑いと笑みを浮かべ、理想的な姿勢で走り去ったのが印象的だった。

 教会に向けて通りを歩けば助祭が時々声を掛けられ、律儀にそれぞれ返事している。

 冒険者をしている自分では考えられない人数と挨拶を交わしているのだから、宗教の根強さを感じてしまう。

 

「ツバキさん、おはようございます」

 

「おはようございます、ハーブさん。こちらはローレットさんです。お墓のためにお花をいただきました」

 

「まあ、ありがとうね。ローレットちゃん」

 

「お役に立てたなら嬉しいです……」

 

 困ったのは、助祭が声を掛けられる度にローレットを紹介することだ。

 次々にお礼を言われるのは身が縮こまる思いだった。

 興味本位で花を摘んできただけだし、墓地ではなんかだらしなくなった。

 お礼を言われる資格なんて無いとすら感じている。

 

「助祭様、あまりお花を摘んでこなかったのでお礼を言われると恥ずかしいというか」

 

「貴方はとても素晴らしいことをしました。聖水をかけ、お花を飾り、墓地を一緒に掃除しましたよ。街の人もお礼を言いたいのです。……墓地は街の住居区画ごとに割り振られています。ある種の共有財産なんですね。そうなると場所だってある意味で使いまわします。時間が経過すれば以前誰かが眠っていた場所に別の人を眠らせ、月光の導きを待つことになる。自分か、家族が祈る場所を綺麗にしてくれるローレットさんに感謝してるんですよ」


「私、自分のためにやっただけなんです。……昨日助祭様がみんなに聞かせたお話を聞きたかっただけで、それで……」

 

 恥ずかしい心の内を吐き出してしまう。

 このまま黙っているのは、なんだか苦しかった。

 ローレット自身が望んでいない善人の姿が本物に思われて、みんなに求められるのは怖いことだった。

 

「やりたいことをやって、それで誰かのためになったのだからローレットさんの日ごろの行いのおかげです。良くない人は突然良い事をやろうとしても上手くいきませんよ。それでも不安なら、またお花を持ってきてくださいね」


 それで教会で一緒にご飯を食べて、お話しましょうね。

 助祭がそう言って笑いかける姿を見て、ローレットは目を細めた。

 眩しいような、懐かしいような。

 自分をずっと褒めてくれる、優しくしてくれる。

 ローレットは子どもの頃、とても幸せだった。

 自分を褒めてくれる父と母の姿は遠い過去で、今まで忘れていたが確かに存在した記憶だった。

 そして更にその過去には助祭がいたかもしれないという存在しない記憶が差し込まれようとしていた。

 もしかすると助祭はローレットの若いパパ……。

 

「教会の子はみんなひょろいから肉食いな!」


「魚の方がおいしいよぉ! これがサーモンランさ! そろそろ時期だからよぉ!」

 

 ローレットの脳内に捏造された記憶が浮かび上がりそうになったが、突然助祭が肉と魚を押し付けられている姿によってキャンセルされた。

 目を離した隙に、助祭は肉と魚を推す男たちに挟まれていた。

 香ばしい匂いを感じ取り、空腹を思い出させた。

 味付けして焼かれた肉と魚は実においしそうだった。

 ローレットは存在しない記憶よりも、こっちのほうが気になっていた。

 

「だれかたすけてー」

 

 助祭の言葉に、ローレットが駆け付けようとするが一歩遅かった。

 変な笑みを浮かべた連中が先んじて駆け付けた。

 

「助祭さま、パンです」

「ツバキさん、約束のお菓子です」

「特製のジャム食べな!」

「神父様、布です! どうぞ!」

「ツバキ君、木の実をどうかな」

 

 きょろきょろと周りを見渡して、ローレットは花を一輪だけ買った。

 ふざけているのか、楽しんでいるのか、色々な表情を浮かべて集まっている人たちに混ざって、静かに花を差し出す。


「あの、助祭様……お花をどうぞ」

 

 

 

 

 

 

「ローレット! どうだった!?」

 

 ルーシリアが酒場の机を叩きながら聞いてきた。

 燃えるような赤い髪が振動で揺れ、頭の容量とは不釣り合いな豊かな胸も揺れていた。

 

「……凄く良くしてもらった」

 

 朝食を食べた後、子供たちに混ざって勉強を教えて貰い、子供たちに混ざってお話を聞いた。

 失礼すると去っていった商人が何故か先に食卓に居たのに驚いたし、まよねーずとやらが傷んでいるんじゃないかとも驚いた。

 結局お昼も誘われ、抗うことはできなかった。

 なんというか、話を聞いて貰ったし、勉強で褒められすぎて心も体も幼児に戻るんじゃないかと思うくらいだった。

 

「……えへへ」

 

「うっわ、きっしょい」

 

 思い出して笑えば、エイプ種ルーシリア科に罵倒されるが、まあ嫉妬だろうとローレットは許してあげた。

 優しいからだ。

 心が豊かだからだ。

 無敵になった。

 次の休養日を心待ちにしているが。

 

「良かったですね。じゃあ次は私も行ってみます」

 

「え……?」

 

 冷めた目のアメリアがそう言った。

 

「次々に押し寄せたら迷惑だからローレットはお休みね。その次は私だけど」

 

「え……?」

 

「私たちの本業は冒険者だからね。……忘れそうになるかもしれないから甘えすぎないようにね」

 

 ルーシリアが、にっこりと笑った。

 

 

 

 

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