お花をどうぞ1

 

 

 

 ローレットは疲れを忘れ、目を丸くした。

 ギルドの裏に併設されている酒場の様子がいつもと違うからだ。

 マスターが、その膨張し続けている筋肉を魅せるために小さな衣服をわざと拷問している様に驚いたわけではない。

 いや、冒険者に成り立てだった頃にはローレットもとても驚いたものだが。

 「好きな所に座りなさいな」とマスターに言われて席に着いたが、酒場の中が随分と閑散としていた。

 数字に疎い彼女でもすぐ数えられるくらいしか客が入っていなかったことに驚いた。

 

 ギルドの受付前は変わらず混雑していたし、むしろ人口の密度で言えば多いくらいだった。

 時間をかけて並び、酒場で待たされるのだろうと彼女は内心うんざりしていた。

 心を無にして混雑している受付に並び、達成した依頼の報告や、彼女がその過程で得た素材の納品を終えた頃には、酒場の席はほとんど埋め尽くされているのが常だった。

 席がすべて埋まってしまい、誰も退く気配がないので肩を落として帰る日も少なくない。

 それが今日は普段の混雑とは程遠く、並んでからそう間を置くことなく幸運にも受付にたどり着けた。

 そしてどういうことか、好きな席に座り、注文まですぐに出来てしまいそうだった。

 これなら時間のかかる料理を注文しても、渋られることなく届くだろう。

 朝や昼間ならわかるが、今は仕事を終えた連中が集まるような時間だ。

 彼女が驚くのも無理はない。

 

 いつもと違う酒場に視線を巡らせれば、やはり変化を見つけることができた。

 熱狂的な囲いたちのせいでほとんど見たことの無いバードの連中の姿を、今ははっきりと見ることができた。

 ローレットは、普段きちんと聞くことができない演奏や歌をゆっくりと聞けるかと期待したが、いつまで経っても始まらない。

 バードの連中は黙々と食事する者もいれば、楽器の手入れをする者、つまらなそうに手記を読んでいる者など様々だが、暇を持て余しているようだった。

 観客が少なく、金をあまり持って無さそうな連中しかいない状況で働くような慈善バードはいないようだった。

 仕事だものね、と理解を示したが、それでも勝手に抱いた期待が僅かな失望に変わるのは否定できなかった。

 「バードのためなら死ねる!」と汗をまき散らし、暑苦しく叫ぶ冒険者もいるが、今の様子を見ても熱狂できるのか疑わしい。

 容姿だって、改めて見れば特筆するようなところは無さそうに思えた。

 

 バード観察にも飽きたので手早く最初の注文を済ませる。

 待っている間、サラマンダーの鱗の飾りを手で弄べば、きらきらと赤く輝いていた。

 パーティで四足の魔物を狩るに足る実力があるとギルドに認定され、昇格した証として記念に加工した物だ。

 冒険者としては赤の記念品は中堅の証で、だからこそ先は長い。

 ローレットがそれなりに稼いでいそうだと気づいた目聡いバードが近づき、一曲披露させて欲しいと提案してきた。

 昇格し立てで装備も更新したばかりと告げれば、そそくさと身を返していった。

 お祝いに歌います、くらい言って本当に歌ってくれたら気前よく投げ銭できたのだけれど、そう上手くはいかないらしい。

 

 資金に余裕はあるが、それでも気怠そうなバードを見て気持ち良く投げられるとは思わない。

 装備、宿、生活費。

 お金はいくらあっても足りないし、何かあった時のために貯めておきたい。

 無駄遣いしたくないが、娯楽も欲しい。

 パーティのみんなは何に使っているのだろうか、ローレットはふと気になった。

 故郷を飛び出して、がむしゃらにウーズを倒す日々ではこんな風に悩む余裕もなかった。

 二足の魔物をソロで倒せるようになって、遊びが生まれ始めたように思える。

 

 

 

 

 

 仲間を待ちながら料理を突いていると、ぞろぞろとギルド側から人が列を成して歩いてくる。

 いつもの酒場が始まるようで、騒がしさが増していく。

 小さな扉で順番を待つのに焦れたのか、外に回って酒場の入り口から入って来る者もいるくらいだ。

 枝毛を確認していたバードも、爪を整えていたバードも、筋肉に負荷を掛けていたバードも、大入りの客に反応して立ち上がる。

 バードのいた席しか空いて無かったら、無理やり聞かされておひねりを投げさせられるのだろうか、とローレットは冷めた思考で考えた。

 

「あ、ローレット。席取っててくれたんだ?」

 

「ん? ……。 うん、感謝して?」

 

 パーティの仲間であるルーシリアが、近くの席に座った。

 同じように疲れていたはずなのに、どこか声は弾んでいた。

 少し遅れて他の仲間も揃えば、注文を済ませて口々に先ほどまでの状況を教えてくれた。

 ついでに口さみしいとばかりにローレットが注文していた料理を勝手に食べ始めるが、代わりに彼女も仲間の料理が届けば勝手に手を出す。

 

「さっき助祭様が来てたのよ!」

 

 ルーシリアが机をバンバンと叩きながら話す。

 話したくて仕方ないと言った様子で、顔は僅かに赤くなっていた。

 酔ったり興奮すると手癖が悪くなるのは直したほうがいいと思うが、楽しそうな様子に水を差せる仲間はいなかった。

 

「はあ、助祭様が。……わざわざ説教に?」

 

「登録しに来たんだって。説教というかお話はしてたけど」

 

 早口で捲し立てているルーシリアを無視すれば、他の仲間から返事がもらえた。

 わざわざ説教に来たわけではないが、わざわざ冒険者登録しに来てついでにやっぱり説教したらしい。

 真面目な人だとは知っているが、奇特な人でもあるのだろうか。

 ローレットにはあまり興味が無かったが、ルーシリアはそれが気に入らなかったらしい。

 

「助祭様が教会から出て、遥々ギルドまで来てくださったんだよ!? この尊さがわからないの!?」

 

「遥々ってそんなに距離ないじゃん」

 

 遥々、と表現したが、街は月光派の教会を中心に広がっている。

 繋がっている通りを歩けばそのうちギルドに至るし、距離もそれほど遠くない。

 ローレットの言葉に、ルーシリアの机を叩く勢いが増す。

 二足歩行し、樹上から襲い掛かって来る魔物のエイプ種に似ていると思った。

 大型の魔物で、四足の分類となるナックルウォーキングするエイプ種にそのうち進化するのかもしれない。

 地面をバンバンと叩きながら歩く仲間を想像して、その時は追放だろうなと考えた。

 

「冒険者は教会に近寄らないのに、助祭様は教会から来てくれるんだよ!? 今日は待っている暇な私のために話してくれたし、アメリアの馬鹿は意味のわからない質問したけど答えてくれたし!」

 

「濁されて終わりましたけど、やっぱり月光派の人は詳しそうですよ。ツバキさんだけが見識があるのかはわかりませんが、ルーシリアみたいな馬鹿をずっと相手しないといけないのはもったいないと思いますね」


「……何が文字と言葉だよ。他の人もわからないし、助祭様も答えにくそうな質問して恥ずかしくないわけ?」


「……テンパって『じょ、助祭ひゃま! どうしてここに!? 教会から自力で脱出を!?』とか漏らす女は横から見てて本当に笑えましたね。脱出も何も、自由に散歩してますよあの人」

 

 「はああああん? ……馬鹿がよ」「は、なんです? ……愚者が」と二人で睨み合いを始めたので、届いた注文の料理を温かいうちに勝手に食べる。

 そもそもローレットからすればどっちも馬鹿だ。

 勿論まともなのは自分。

 

「ツバキ様っていうんだ」

 

 ローレットがふと呟いた言葉にルーシリアが固まる。

 争いはここに鎮火された。

 

「司祭代理位のツバキ様の名前をご存じないのですか!? 極めて稀なことに力ある言葉の名を持たれていない神父様ですわよ!? 司祭代理位は助祭相当の権限を持っていて、司祭様がいなければ代理として司祭様の権限を引き継ぐ人なのに!? 助祭位を持てるから洗礼を受けてる凄い人なのに!? 司祭様が留守の時にはお話を聞いていただけるチャンスなのに!? アンバーエート様が眠っている横で聞いてもらえるのなんて滅多にないのに!? じゃあいつ教会に行くの!? ボトルシップもキラキラしてるよ! 今じゃないでしょ!? そもそも教会に行ったことある!? 冒険者は怖がって行かないけど! 私も怖かったけど今はめっちゃ行く! 本もいっぱいあるし、文字の読み書きもその場で教えてくれる! 人生の十割損してる! ローレットの過去がいま消滅したよ!」

 

 机を叩いてリズムを取るといった器用な技を披露しながら言いたいことをワッと浴びせかけてくるルーシリア。

 「いや、私も代理とかは知らない」とアメリアが呟いた。

 うんざりしながらローレットが耳を塞ぐポーズをとるも、このエイプ種は止まらない。

 教会に行ったことあるかなんて愚問でしかない。

 村の出だから教会にあまり馴染みが無いし、そもそも好きな時にお祈りしておけばいいだけだろうに。

 リズムよく叩くのに気持ちよくなってきたのか、ルーシリアが物語を歌い始める。

 

「え、何、あれ。何? 何の話?」

 

「さっきツバキさんが話してくれたお話ですね。圧倒的に下手なので酔っ払いしか喜ばないでしょうけど」

 

 聞き馴染みがあって、どこか初めて聞く物語を垂れ流し始めたルーシリア。

 その姿に疑問を抱いたローレットに、アメリアが答えた。

 娯楽として中々いいと思ったが、どうやら下手らしい。

 その場で叩くのに飽きたのか、立ち上がって踊りとともに床を鳴らして語り始めた。

 黙っていられないのか動き回り、近くに居たバードの語りを邪魔し始めたが、止まる様子は無い。

 ローレットには話が聞こえないし、バードの邪魔をしたとしてマスターに拳を落とされている姿が見える。

 しかし、これよりもっと良いとなるとちょっと興味が湧いてくる。

 

「みんな、暇な時とかどうしてるのかなって思ったけど……。面白そうな物語だよね」

 

「貸本屋で借りられますよ」

 

「文字あんまり読めないから」

 

 名前を書き、依頼をちょっと読めて、数も加算と減算ならほどほどに計算できる。

 ローレットが優れているというわけではないが、劣っているわけでもない。

 中には名前すら書けない者が冒険者として登録することもある。

 最も重要なのは育った環境だった。

 資産を多く持つ者ほど得られる知識が多くなる。

 教会でも学べるが、幼い子供たちに囲まれて勉強できる人間がどれほどいるか。

 

「じゃ、じゃあ助祭様の手伝いに行ったらいいよ!」

 

 ひんひんと半泣きになりながら戻って来たルーシリアがそう言った。

 何故かお金を持っている。

 

「手伝い?」

 

「助祭様はアンデッドが出ないように毎朝墓地まで行って聖水を撒いてくれてるんだけどね」

 

 ルーシリアを馬鹿扱いするが、それ以外は素直なアメリアが「偉いですね」と漏らした。

 ローレットもそう思ったし、ギルドに来るよりずっと『遥々』な移動を毎朝しているようだった。

 墓地は街の外れにあり、教会から往復するだけでもちょっとした距離がある。

 

「いいかい、ローレット……。お花をね、お花を持っていきなよ。街の中にあんまり咲いてなくて、外には咲いている花があるからね、朝に摘んでいけば喜んでくれるのさ。それがちょうどいいってことなんだ」

 

 なぜか頬杖を突きながらルーシリアが言う。

 花でいいのだろうか、ローレットは内心で疑問を持った。

 もっと高価な方が喜ばれたりしないのか。

 物語の対価だったら花なんて目じゃないくらい高くつくと思うのだけれど。

 

「お菓子が喜ばれるけど、まだダメ。仲良くならないと助祭様はこっちを心配しちゃうから。……心配してくれて嬉しいって気持ちと、心配かけて申し訳ない気持ちが拮抗するからやめたほうがいいよ。というか、普通に花を持ってけばとても喜んでくれるから。……あ、日の出前に準備して待ってなよ」

 

 「あれがいいのよね……。えへへ……」とだらしなく歪んだ笑みをルーシリアは浮かべた。

 素直に言えば、気味が悪かった。

 気持ち悪いエイプ種から視線を外し、助けを求めて仲間を見れば。

 

「わかります」

 

 ちょっと表情が緩んでいるアメリアも同意した。

 孤立してしまったローレットへの助けは無かった。

 

「……ところで、そのお金はどうしたの」

 

「貰った」

 

 話を変えようとして、ルーシリアに話題を振れば簡潔に返された。

 ローレットが首を傾げれば、ああ、と頷いた。

 机をバンバンと叩き始める。

 

「助祭様がさっきお話してくれたんだけどね! 話が終わったからお礼のお金を渡そうとした人がいたんだけどね! バードの人たちに少しオマケしてねって言って帰っちゃってね!」

 

「バードじゃないじゃん。貰ったら例の助祭様に怒られないわけ?」

 

「……怒られるかも」

 

 「でもそれがいいのよ……」とルーシリアは気持ち悪い笑みを浮かべた。

 物語に興味はあるが、ローレットはこれと同じになるのが怖かった。

 

 

 

 

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