月光の下で待つ3

 

 神父様の動く気配で目を覚ました。

 遊月が隠れ、日が僅かに昇ったくらいの時間だった。

 寝ていても構わないとは言われるが、流石にこれから祈りに来る人もいるので、本堂のど真ん中で眠るわけにはいかない。

 神父様と朝の挨拶を交わし、引っ付いていたアンバーを毛布で包んだまま壁際に運ぶ。

 子供たちに起こされるまでは眠っているが、それも日常というやつだ。

 お祈りに来た人たちも気にしてないけど、本当にこれが日常の風景でいいのか?

 

 水晶を棚に戻し、空になったパン籠やスープの器、水差しを持って一度倉庫棟に戻る。

 途中で裏庭の草木に、水差しの中に残っていた水を撒く。

 倉庫棟の一階にある食堂まで行くと朝の準備を始めた人たちがいるので挨拶しつつ、洗い物を預ける。

 彼らは丁稚の見習い、みたいな身分らしい。

 商人見習いとして働く丁稚の、更にその前段階として文字の読み書きを習いに来ている。

 そのお礼に毎朝準備を手伝いなさいよ、と商人の方に言われているのだろう。

 日によっては時間奴隷の人も混ざっていたりする。

 食堂裏の炊事場に複数ある水瓶を見て、ちょうどいい物を選ぶ。

 中身が半分ほど減って、俺でも運べる重さの小さな水瓶を抱えて食堂を後にした。

 

 本堂に戻れば、人が僅かに出入りを始めていた。

 手軽にお祈りする人や、時間をかけてお祈りする人、棚に飾られている本を読む人、壁際で寝ているアンバーと様々な人がいる。

 悩みがある人は神父様に頼めば部屋の端に幾つかある対面席で聞いてくれる。

 中には寝ているアンバーに向かって小声で話す人もいる。

 映画やドラマ、アニメとかで懺悔する人が入る告解室みたいな物は無い。

 聞かれて困る話がしたいなら夜間に来い、という感じだろうか。

 あまり来る人いないけど。

 日の出とともに起きて、日の入りとともに体を休める文化だからかもしれない。

 後は罪人を裁くのが月光の奇跡なので、それにビビっているのもあるらしい。

 

 今日はすでに神父様が相談を聞いているようだったので、何も言わずに外へと向かう。

 水瓶を抱えたまま、俄かに活気立つ街の通りを歩く。

 この世界の人々は人懐っこいようで、歩いているだけで矢鱈と声を掛けてくれるので挨拶を返す。

 

 

 

 

 

「ツバキさん、おはようございます」

 

「おはようございます。先日はお菓子を頂きましてありがとうございました。子供たちも大変喜んでいました」

 

 挨拶して回っていれば、よく菓子をくれる職人も声を掛けられることもよくあった。

 

「それは良かったです。……すみませんが、ツバキさんもお召し上がりいただけましたか?」

 

「ええ、それは勿論。美味しかったですよ」

 

「……他と比べて味の違いなどはありましたか? 生地に干した木の実を練り込んでみたのですが、修行中の身でしてどうにも」

 

「うーん、十分美味しかったんですけどね。……水分がちょっと少ないかもしれませんでしたね。もしくは焼きの時間が長いのかな。どちらにしても雨季が遠い今だと、空気に混ざる水気は気にしなくていいと思いますよ」

 

「なるほど。参考にさせていただきます」

 

 納得したのか、何度か頷いたようだった。

 お菓子を用意しておくので帰りに寄ってくれ、と言い残して足早に店へと戻って行った。

 子供たちも喜ぶし、有難い話なので厚意に甘えようと思う。

 同じような話を何度か繰り返しながら歩く。

 帰りには土産でいっぱいになるので、日課のために歩いているのか、お土産のために歩いているのかわからなくなってきた。

 これが宗教の威光ってやつなのかもしれない。

 

 娯楽が乏しいせいか、この世界は食べ物の種類が豊富だった。

 菓子類も同様で、食べ物の値段としては高いが人気の商品といった位置づけだった。

 街の外には魔物が闊歩しているので、穀物などが手に入りにくいのではないかと思ったこともある。

 実際は、大規模な穀倉地帯が近隣に存在しているのだという。

 それもかつて滅んだ宗教国があったとされる場所らしく、魔物が発生しないのだとか。

 後世に書として書き記されている場所には、度々ある話だった。

 物語として盛られているだろうが、何かしらの物事があったのも確かなのかもしれない。

 果物がいっぱい成ってる木の魔物が大量発生したので大豊作、みたいなノリもあるからなあ。

 

「ツバキさん、うちの子を手伝わせましょうか?」

 

「いえ、散歩も兼ねてるので大丈夫です。朝は色々あって大変でしょうし」

 

 水瓶を運ぶのを手伝うと言ってくれる人もいるが、散歩ついでなので断る。

 大体俺のためなので申し訳ない。

 

 

 

 

 

「儂ももう年でなあ。教会にお祈りに行きたくても足腰が言う事聞かない日も多くてな」

 

「都合がいいときに、それこそ寝る前とかにお月様にお祈りしましょう」

 

「お月様は怒らないかい?」

 

「怒りません怒りません。お月様はちゃんと見てるので大丈夫ですよ」

 

「ああ、そうだとも。お月様はいつも儂らを見てくれてる。……教会の子たちの顔も見たいし、元気な時に行くからよ」

 

 軒先で人の行き来を眺めていた爺さんとも話す。

 教会で祈るのが一番だと考えているようだ。

 余裕があれば来てほしいが、難しいならやはり家で祈るくらいがちょうどいいのだろう。

 わざわざ無理して来なくても大丈夫、とはみんな理解しているようだが、それでも祈るための場所として用意されている教会で祈りたい気持ちもあるようだ。

 水瓶を持っていくから、と話を切り上げれば爺さんに毎朝偉いねえと言われた。

 でも強い風が吹いてたり、雨降ったらやらないから、毎日働く人々のほうが偉いと思う。

 

 

 

 

 

「ひひひ、ツバキ様……。例のブツが出来ましたぜ……」

 

 墓地の前に着けば、入口で俺を待ってたとばかりに商人が現れた。

 ねっとりした声が特徴的な男だ。

 深く黒い隈が目立ち、髪もぼさぼさだった。

 

「ま、まさか!」

 

 俺が驚きの声を挙げれば、男は上手くいったとばかりに笑みを深くした。

 

「ひひひ、まあ見てくださいよ……」

 

 男が俺に近寄り、周りから隠すように懐から取り出した小瓶を見せてくる。

 白っぽい物が入っている。

 俺は我慢できないとばかりに差し出された木の匙で口に入れた。

 

「ふふふ」

 

「ひひひ」

 

「ふふふ」

 

「ひひひ」


「ふふふ」

 

「ひひひ」

 

 濃厚なマヨネーズおいひー!

 

「ひひひ、こいつこんなに美味しいのにあんまり売れませんぜ……。悲しい……」

 

「あー、パンと肉で挟んだら美味しいと思うんで、まずはそっちに頑張って卸してください」

 

 以前マヨネーズもどきを一緒に作ったらその味にハマってしまい、寝不足になりまくってる商人が悲しそうに言った。

 この人、日本の味に理解がありすぎてなんか浮いてるんだよな。

 

 

 

 

 

 折角だからと付いてくる商人を連れて目的地の墓地に到着した。

 ここから何をやるのかと言えば、普通に水瓶の水を撒くだけである。

 月光で浄化した水は聖水となるので、アンデッドによく効くらしい。

 アンバーが教会で使う分の水を、水瓶ごと毎朝聖水にしてくれているので、古くなった分を撒いているだけだ。

 だって俺、アンデッドが怖いからさ……。

 

 そのままお眠りください! と二人でせっせと水を撒く。

 量はそれほどないので手酌でぱしゃぱしゃと墓地の一区画だけ掛ける。

 数日置きにローテーションして掛けているので、処理を失敗していてもアンデッドになることはないだろう。

 

「あの、助祭様……」

 

 ぱしゃぱしゃと水を掛けて回っていたら、初めて見る顔の女性に話しかけられた。

 護身用の装備をしているので、冒険者だろうか。

 街の外で死体を見つけたりしたら教えてくれることがあるので身構える。

 

「どうかしましたか?」

 

「その、お花を摘んできました。街の外の、すぐ近くの、なんですけど……」

 

「ありがとうございます! 寂しいから花を手向けたいと思ってたんですよ」

 

 どうやら花を摘んできてくれたらしい。

 とても嬉しい。

 時々俺も教会の庭などの花を摘んでくるが、外の花を摘みに行くのは難しかった。

 花があるだけで寂しい雰囲気も少しは薄れる。

 今となっては数日に一度、冒険者の人たちが花を持ってきてくれるので、簡素すぎる墓地もちょっとは明るくなった気がする。

 

「貴方の優しさに感謝を」

 

 精いっぱいの感謝を、笑顔とともに送る。

 マヨネーズも美味しかったし、優しい冒険者の方が花をくれたし、今日は運がいい気がする。

 無敵かもしれないな……。

 

 

 

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