第5話 遺書
そんなある日のこと、いつもは、ほとんど何も話そうとしない母親が、朝食の用意をキッチンでしながら、崇城に背中を向けたまま、話しかけてきた。
何かを切りながらなのか、顔は下を向いていて、まるで独り言でも言っているかのように見えた。
「仁志? あのね、昨日お父さんの部屋を、少しだけ掃除していたの」
とおもむろに話すではないか。
「うん」
と、それまでのぎこちなさを忘れたかのように、崇城は神妙にそう返事をしたのだったが、
「その時ね。お母さんは、お父さんがいつも読んでいた本があったのを思い出して、そのページを開いてみたのね」
「うん」
もう少し、ぎこちなさが続くと、本当に親子の会話を戻すには、普通のきっかけくらいでは難しいところまで追い込まれていたかも知れないタイミングだったので、もう少し遅いタイミングだったら、この話も聞くことがなかったかも知れない。
話の内容が何であれ、神妙に聞かないといけないと感じた崇城だった。
「その本の中に、何か挟んであったの。お母さんは栞か何かじゃないかって思ったんだけど、そこにあったのは、お父さんの遺書のようなものだったのね?」
という。
「遺書? のようなもの?」
と、言葉を区切って、それぞれに疑問符を付けた。
「ええ、別に法律的に有効な遺書というわけではなく、お父さんの思いが書かれているものなんじゃないかって思ったのね。だって、お母さんが偶然発見したものなので、絶対に見てもらいたかったものなのかというのも、ハッキリと分からないでしょう?」
「うん、それはそうだな」
「それが、これなの」
と言って見せてくれた。
内容は、
「もし、自分が死んだら」
というようなもので、遺書というものとは、厳密には違うものだ。
自分が死ぬかどうかということもハッキリと分かっているわけではなく、あくまでも、
「もし、死んでしまったら?」
という、すべてが仮定のことであり、死んでしまった時のことを考えてというよりも、その時の父親の心情が垣間見れるものだった。
父は、決して聖人君子ではなかった。そのことをまず書いている。まわりが自分のことを聖人君子のように感じるように、自分から、聖人君子を演じていたという。それは、最初から聖人君子を演じたいから演じていたわけではなく、一度自分でもびっくりするくらいのアドバイスができたことで、その人は悩みから立ち直り、自分のことを、まるで、神様のように崇めてきたというのだ。
その時の話が、人伝えで広がって、
「崇城さんに相談すれば、神回答が得られる」
と、いうウワサが、父親の気持ちをよそに広がってしまったのだ。
もちろん、望んでのことではない。むしろ、迷惑千万きわまりないと思うほどのことだった。
案の定、いろいろ相談に来る人が増えた。自分なりに、考えてアドバイスをしていたが、それがまたピタリと嵌るのだ、
そうなってしまうと、もう、逃げることはできなくなっていったのだった。
ウワサがウワサを呼んで、逃げられなくなったことで、自分の行動も、
「まわりから見られているんだ。模範になるような態度を取らなければ」
ということで、必死になってまわりを納得させようという、努力をするしか、自分には方法がなかった。
これは結構苦しいことだった。お父さんには、それ以外の方法が思いつかない。融通が利かないと言えば、それまでなのだが、他にどんな方法があるというのか?
「俺だって苦しいんだ」
と言って、すべてを投げ出してしまえばいいのか、まったく分からない。
そんな手紙の内容を見て、父親の苦悩が垣間見えるのだった。
そして、そのことが、一種のトラウマのようになったという。
そのトラウマがあるからなのか、お父さんは、その癒しを会社の女の子に求めたという。ただ、父親は断じて、浮気や不倫ではないと念を押しているが、要するに、
「精神的な癒し」
なのだというのだ。
その女の子は、父親よりも、20歳も若い、当時は新入社員で、肉体関係にはなかったが、精神的に、上司と部下の関係を超えてしまったのだ。
もちろん、憧れと癒しを与えてもらえる相手だということの意識だけだった。肉体関係を結んでしまうと、その関係が崩れてしまうという怖さと、自分の正当性を自分で納得できなくなる。
この時の父親の一番の生きていくうえでの懸念は、
「自分の正当性に、自分が納得できなくなる」
ということであった。
だから、父親は、肉体関係を結ぶのを怖いと思ったのだ。
崇城はその時、まだ童貞だったので、男女の肉体関係がどういうものなのか分からなかった。
しかし、ついこの間まで思春期で、女性の身体に興味があったり、女性とのセックスが気持ちがいいということ、そして、自分の身体がすでに大人になっているということを考えると、正直、父親の、
「肉体関係のない癒しの感情」
それが一番いいという感覚が分からなかった。
むしろ、肉体関係を結ばないというのは、それが不倫だという、罪悪感や、母親や家族に対しての罪の意識。さらには、一度果ててしまった後の、賢者モードなどを考えた時、
「肉体関係を結ぶのは嫌だ」
ということになるのだと、別の方向から考えることだと思えてならなかったのだ。
だから、正当性や、自分の納得などと言う言葉が、むしろ、言い訳にしか聞こえてこなかったのだった。
そんな父親の感情がどういうものだったのか、計り知れない。
そして、父親がいう、
「癒し」
という言葉の意味も分からなかった。
それでも、崇城は考えてみた。
「家に帰れば奥さんがいて、子供がいる。これは、本当であれば、他と比較できないほどの癒しのはずだ」
とまず考えた。
しかし、
「それが癒しでないとするならば、癒しを通り越してしまい、気持ちのピークを越えてしまったのだろうか?」
と思うと、今度は、その癒しというものが、
「飽き」
というものに繋がっていったのではないかと思えた。
飽きが来るということは、食事で考えると、
「好きで好きでたまらないと思っているものは、毎日でも食べ続けられる」
と思って、毎日食べ続けたとしよう。
そうすると、ある日を境に、
「見るのも嫌だ」
というくらいの飽和状態が襲いかかってくるだろう。
そして、飽和状態になるということが、そのもととなったものは、
「これ以上、自分にとって、好きになれるものはない」
と思えるほどのものでなければならないものではないかと思うのだった。
「もう、飽きちゃったよ」
という言葉を聞いて、そのものを与えた人がその言葉を聞くと、かなりのショックを相手に与えることになるだろう。
しかし、それは実際には逆ではないかと思うのだ。
「飽きが来るほどの自分にとって、一番大切なものを与えてくれたのだから、与えた方は、誇りに思ってもいいはずのことである」
といえるだろう。
つまり、飽きが来るほど、毎日のように食べたり摂取したりするのだから、本当に好きなものでしかありえないということである。
そんなことまで、父親の手紙には書いてあった。
そして、その癒しを与えてくれたその女性のおかげで、手紙の最初の部分の、
「まわりから頼られての、神対応を継続することができたのだ」
と書かれていたのだ。
そして、その女性との関係が、まわりに悟られているのを感じるようになった。
父親本人は、そのことを、
「まさか、まわりが知っているなど、想像もしていなかった」
と書いている。
要するに、かなり当初の頃からまわりは察していたのだろう。
ひょっとすると、父親が、
「癒し」
と感じる、ずっと前からだったのかも知れない。
「知らぬは本人ばかりなり」
という言葉があるが、まさにその通りだったといえるだろう。
ただ、
「考えてみれば、その通りかも知れない」
と感じていた。
父親は、それくらい鈍感だったのだ。それは、母親や家族にはもちろん分かっていたが、会社の人も分かっていたということだろう。それだけ分かりやすい人だということで、よく言えば、そういう分かりやすい人というのは、まわりから、慕われやすい人だといってもいいかも知れない。
実際に、崇城も学校で、自分の性格を隠そうとしない人の方が、信用できると思っていたのだ。
子供の世界でもそうなのだから、大人の世界ともなれば、余計にそうなのだろうと思うのだった。
手紙の前半は、自分のことばかりを書いていた。自分の性格、そして、その時の苦悩であったり、その苦悩をいかにして、癒しを求めてやってきたかということだった。
後半になると、少し変わってきた。家族に対しての思いを書いていたのだ。
母親に対しては、
「きっと、私が苦しんでいるのを知ってくれていて、わざと知らんぷりをしてくれているのではないか?」
と書かれていた。
それについて、
「お母さんは、この部分をどう感じたの?」
と聞くと、
「半分合ってるけど、半分違っている」
と言って、涙ぐんでいた。
「お父さんが苦しんでいるかのように見えるのは分かっていたわ。でも、何にそんなに苦しんでいるのかというのは分からなかった。まさか、そんな負のスパイラルのような状態に陥っているなんて、想像もしていなかったのよ。あの人の真面目さについて、お母さんはある意味、勘違いをしていたのかも知れないわ」
というではないか。
この件に関しては、息子の崇城も似たようなことを思っていた。
「そういう意味では、俺も半分分かっていて、半分分かっていないといってもいいかも知れないな」
と言った。
「どういうこと?」
と母親に聞かれて、
「それはね。きっとお母さんには分からない部分だと思う。お母さんは、同じ大人として、パートナーとして見てるでしょう? でも、俺は男として、そして、何と言っても、血の繋がりというものを感じていたと思うんだ。この血の繋がりというのが、お母さんとは違うところかも知れない。お母さんには、ちょっとショックなことかも知れないけど、お父さんには兄弟がたくさんいて、お母さんは一人っ子でしょう? 最初から立場は違っていると思うんだ。何と言っても、血のつながりがないわけだからね。お父さんはそういう意味では血の繋がった兄弟がたくさんいる。ひょっとすると、本当に悩んだり苦しい時に、お母さんに話せないようなことを兄弟には話せたのかも知れないな。だから、血の繋がりというのはよく分かる。お母さんだって、きっと、何かあった時、親のことを思い出したんじゃない?」
と言った。
すると母親はおかしなことを言い出した。
「そうなんだけどね。お父さんは兄弟をそんなに信用していなかったようなの。しいていれば、一人だけなんだけどね。憎んでいたようなところがあったの。確かに性格的にはまったく違う人だったんだけどね」
と、話し始めた。
「その人とは、今もずっと交流があったの?」
と聞かれて、
「ええ、そうね。本人は交流があるような話をしていたけど、そのあたりもよく分からないわ」
という。
「じゃあ、今回の葬儀にも来てくれたんだろうな。話ができればよかったな」
というと、母親は、沈んだ顔になって、
「それが、今回、その人は欠席だったの。仕事が忙しいとか言ってね」
というではないか。
「仕事が忙しいならしょうがないけど……」
と言ったが、それ以上のことは余計なことだと思ったのか、何も言わなかった。
だが、母親の表情を見ているかぎり、
「本当に気が合う兄弟だったのかというのも、疑問な気がするな」
ということであった。
お父さんの手紙には、親せきのことは何も書かれていなかった。あくまでも、家族、つまりは、妻と子供のことに対してである。
「ただ、もう一つ気にしているのは、仕事のことのようだ」
これは、家族に対しての手紙に書かれるようなことではないはずなのに、一体どういうことなのであろうか?
父は、仕事について、自分の主観を書いているだけで、子供の崇城には分からない、だが、自分でも仕事を持っている母親には響いているのか、ある意味一番真剣に見ているのは、仕事の部分だった。
仕事をしている時の母親も父親もどんな顔をしているのか分からないが、それぞれ仕事を持っているもの同士、一緒にいなくても、何に悩んでいるのか、何が苦しいのかということは分かるものなのかも知れない。
父親が、書斎に隠したのは、この手紙を見せたい人物が母親だったからだということだろう。
だから、絶対に息子が、見るはずのない場所に隠したのだ。
逆に、その場所を息子が知ることになるのであれば、
「それこそ、あっぱれだというものだ」
と考えていたのかも知れない。
息子に対して、舐めていたようで申し訳ないという気持ちになったかも知れないと思えば、
「俺が見つけられなかったのを、悔しがらないといけないことだよな」
と言っているのと同じであった。
まんまと父親の策略に引っかかったような気がして、少し癪に障るのだった。
「なかなか、お父さんらしいわね。あなたのことも、よろしくって書いてあるわ。最初から、私が見つけるものだということを見越しての手紙のようね」
と母親は言った。
「この手紙、お父さん、いつ頃書いたんだろうか?」
という疑問をぶつけると、
「さあ、ハッキリとは分からないけど、ここ1年くらいの間じゃないかしら? それも、ちょうど一年前に近いくらいね」
と母親は言った。
「どうして?」
と聞くと、
「だって、お父さん。-、この手紙の中に、自分が死ぬということを考えていないように思えるからなの。もし、死を覚悟して書いたのであれば、もっと切羽詰まったような書き方をすると思うけど、この手紙は、今まで生きてきて、一つの節目を書いているように思うからなのよね」
と母親は言った。
「そうだね、確かに、お父さんの死への覚悟というものは感じられないような気がするね。どちらかというと、今まで生きてきたことを、振り返って書いているような気がする。死を覚悟していないのだとすれば、何とか隠そうという思いも分からなくもない」
というと、
「だからね。きっとお父さんは、お母さんが思うに、こんな手紙を毎年書こうと思ったんじゃないかと感じたのよ。理由はどこからかは分からないんだけど、節目という意味でね。日記を凝縮したみたいなという感じかな?」
と母親が言う。
「日記というのは、少し大げさじゃないかな? だけど、前に書いてから後の期間を凝縮して思い出して書くのだとすると、きっと、前にこの手紙を書いた時のことを思い出して書いていると思うんだ。だから、余計に節目節目が更新されていくような感じで、だからこそ、本人が死んだということもあるけど、遺書っぽい感じで見るんじゃないかな?」
というと、
「そうね、だから、お父さんは、自分がいなくなったら、最初にお母さんが見つけることを予測して、見られてもいいように書いていたんでしょうね。見られないと寂しいと思うけど、見られないなら見られないで、ホッとした気持ちになれる。そんなどちらにもとれる感覚だったのかも知れないわね」
と、母親は言った。
「お父さんがどういう気持ちでこの手紙を書いたのか、そもそも、これは手紙だと思っていいんだろうか?」
と、崇城がいうと、
「私はそうだと思っているわ。最後にお父さんは、完全に我に返ったかのようになってしまったけど、それすら予想していて、あんな風になったら、この手紙を見つけてくれると嬉しいのにと思っていたのかも知れない。結局見つけることはできなかったけど、それだけに、お母さんは少し悔しい気もするくらいなのよ」
と、母親は言った。
「お父さんって、どういう人だったんだろう?」
と、漠然とした質問を母親にぶつけた。
「あんたは、どういう人だと思ってるの?」
と聞かれて
「そうだなぁ、死の少し前までは、聖人君主のような人で、まるで神に近いようなお父さんだって思っていたんだ。でも、それは息子から見た姿で、実際に、会社の人や、お母さんがどんな目で見ていたのか、分からないじゃない。それを後からでも、どんな風に見ていたのかということを、想像させられるようなそんな人なんじゃなかったのかな? って感じるんだ」
と答えた。
「確かにそうね。お母さんも、あなたが、お父さんのことをどう思っているのか、気になったことがある。他の人には決して感じたことのないことで、これは不思議なことに、まだ付き合い始めからそうだったの。結婚してからのそれとは、ニュアンスが違ったけど、確かに、結婚前にも、あの人が他人から見られている目と、自分が見ている目が違っているような気がして。まわりがどう感じているかを気にしていたのを覚えているわ」
というのだった。
「お父さんって、不思議な人だったんだね? 僕もお父さんが会社の人とかから、まるで、神様を見ているような目で見られているのを、子供の頃は、誇らしげに思っていたんだけど、中学くらいになると、まるで逆だった。お父さんが羨ましいというか、嫉妬のようなものがあった。子供心にライバル心のようなものを持っていたのではないか? って感じたんだよな」
というと、母親も、
「そうなのよ。お母さんも、お父さんを慕っていながら、どこか、ライバル心を掻き立てられることがあったのよ。子供の目から見て、バチバチしているものを感じなかった?」
と聞かれて、
「それはなかったかな? どっちらかというと、二人が意気投合しているようにしか見えなかったかな?」
というのを聞いた母親は、
「ということは、まわりから見られていることも、実際には違っていたり、その違っていることを、感じている人にも分からなかったりする。そんな感じなのかしらね?」
というのであった。
父親の手紙が出てきたことで、それを読みながら、二人で父親のことを思い出していた。
ひょっとすると、父親はこんな光景を想像して、このようなほのぼのとした家族を自分がいないことで、見ることができればいいと感じ、そう思わせるような手紙を書き残したのかも知れない。
「ただでは起きない人だ」
と、会社では言われていたという話だったが、家族の間でも同じことが言えるのではないだろうか?
そんな父親に惚れて、母親は結婚し、崇城が生まれたのだと考えると、その思いは、
「間違っていないもの」
として想像でき、
「自分たち家族にとっての、間違いって、一体何なのだろう?」
と、考えさせられるのだった。
「そういえば、お父さん、本を読むのが好きだったでしょう?」
と、母親が思い出したように言った。
「うん、どんな小説が好きだったのかまでは知らなかったんだけどね」
というと、
「お父さんは、昔の探偵小説が好きだったのよ」
と、母親がいうのを聞いて、
「探偵小説? 推理小説ではなくて?」
と聞くと、
「ええ、推理小説というのは、いろいろな言い方があるでしょう? ミステリー小説と言ったり、推理小説と言ったりね。でも、昔、そうね、昭和の戦後くらいの頃までは、探偵小説という言い方が主流だったの。有名な私立探偵が出てきて、事件を解決するという感じのものね。そして、それが、謎解きやトリックを中心として、探偵が鮮やかに事件を解決するものを、本格派探偵小説と呼んだのね。でも、それ以外でも、当時は、動乱の時代であったり、戦後などは、何が起こっても不思議のない時代ということもあって、猟奇殺人であったり、変態的な趣味を持った犯人像である小説というのは、変格は探偵小説という呼び方をした人がいたのね。SMであったり、殺人を見せびらかせて、殺人をまるで芸術作品であるかのようにいう話。そんな時代があったのよ。しいていえば、そのどちらかというところかしら?」
と母親が言って、少し休憩した。
一気に話していることで、自分の考えが思っているところと違ったところに行ってしまうのではないかという危惧があったのだ。
それを思うと一拍呼吸を置いて、息を整えて、もう一度話し始めたのだ。
「でもね、そんな本格派小説であったり、変格派であったりするものは、次第にブームが去っていったというのか、別のブームが起こってきたというのあ、それは時代の流れというか、世間の風俗に大きく関係していると思うの」
という。
「うん」
と言って、少し考えている息子を見て、
「なかなか理解できていないみたいかしら?」
と思って、少し考えながら話をまた一度区切ってみた。
「一体、どういう小説なんだろう?」
と言って考えると、それを見た母親は、しめしめとでも思ったのか、ニコっと笑って、
「それはね、社会派小説というものなのよ」
というではないか。
「社会派小説?」
「ええ、それまでは、探偵が出てきて、事件の謎を解く。その謎が怪奇であればあるほど、変格的であったり、逆にトリックが画期的であることで、本格的だと言われるようになっていたんだけど、その頃からは、トリックや、謎解きというようなものではなく、会社で起こった殺人以外の事件であったり、会社内の犯罪であったりして、警察と、犯人の間の頭脳戦のようなものが出てくるんだ。それが社会派ミステリーと呼ばれるものになるのよね。その頃になると、ミステリーも、いろいろなジャンルと複合するようになって、怪奇的なものはホラー、摩訶不思議なものはオカルト、マンガでいえば劇画や、映画のカーチェイスのような、サスペンス小説、さらには、刑事集団が、犯罪に立ち向かう感じの、ハードボイルドなどといういろいろなジャンルに別れてくるの、その中には、社会派と呼ばれるものもあるわよね。特に、戦後復興の時代から抜けて、日本が豊かになってくると、汚職だったり、会社間の競争によって、社員が犠牲になったりするような、そんな感じの話が、社会派ミステリーという感じだと言えばいいと思うのよ」
「なるほど、ジャンルとは別の切り口になるのかも知れないな。いや、これこそがジャンルなのかも知れない」
と、崇城は言った。
ミステリーというのは、元々が探偵小説から始まった。
海外での、シャーロックホームズもの、ルパンもの、さらに、アガサクリスティーの小説のようなもの。それぞれに、系譜のようなものがあって、それぞれにそれぞれのファンがついていると言った感じだろうか。
「推理小説というもの一つをとっても、これだけいろいろあるのだから、他のジャンルも、結構いろいろあるんだろうな?」
と考える崇城だった。
父親は詳しそうであるが、母親もさすが、夫婦、よく知っているということになるのであろう。
父親のこの遺書なるものが、崇城とその母親の運命を決めることになるのだが、それは次章以降の物語になっていくのだった……。
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