第4話 気を遣う母子

 そんな父親の部屋に入った母親は、正直、この部屋はそのままにしておきたいと思っているようだった。

 そして、

「私、この部屋を使いたい」

 と言い出したのだ。

「俺も使いたいと思っていたんだけど、それだったら、二人で使おうか?」

 というと、

「そうね。なるべくお父さんの遺物を動かさないようにして、この部屋の資料を使ってできることをそればいいわね。この部屋はお父さんが私たちに残してくれた、遺産のようなものよね」

 と言われて、

「うん、そうだ。そう思うと、この部屋を残すことの意味があることになる。これだけの資料は、相当なお宝だよ」

 と崇城は言った。

 父親の趣味があふれていると思った。

 歴史が好きなので、歴史の本が一番たくさんあった。そして、次に好きな旅行の本。実際には旅行に行けるのも限られていたが、出張などでは、いろいろなところに行ったようで、その土地の本を集めるのが、父親の趣味でもあったのだ。

 そして、その次に好きなのが、探偵小説であった。

 海外の小説。日本の探偵小説、これだけ集めることができるだけですごいのに、歴史の本や旅行の本までたくさんあるというのは、確かに、

「お宝」

 と言ってもいいだろう。

「お母さんは、お父さんの趣味の中では、探偵小説の本が一番好きかしらね。まだお付き合いしていた頃、私が推理小説が好きだっていうと、あの人、子供のようにはしゃいで、自分も好きだっていうのよ。それで、本もたくさん持っているって言っていたので、どれくらいなんだろうって思っていたけど、まさか、ここまですごいとは思っていなかったのよ。だから、一緒に暮らし始めた時、お父さんの書斎で探偵小説のコレクションの中から、私も何冊か読ませてもらったわ。それも、あなたがお腹にできるまでの話だったんだけどね」

 というではないか。

 二人の結婚は、いわゆる、

「できちゃった婚」

 ではなかったが、妊娠したのは、結婚前だったようで、

「辻褄が合わないか?」

 と言って、二人で笑っていたという。

「子供ができたから、結婚する」

 という考えは、両親ともに嫌だったようだ。

「子供をダシにしているようだからな」

 というと、

「その通りよね」

 と、二人で納得していたという。

 だが、結婚が決まってから、実際に結婚式を行うまでに、1年くらいの歳月があった。仕事の関係などいろいろあり、結婚式を挙げたのが、結構遅かったのだ。

「結婚が決まっての子供だから、問題ないさ」

 ということで、結婚式の頃には、母親のお腹は目立っていたという。

「本当にできちゃった婚じゃないのか?」

 と周りからは冷やかされたというが、

「もちろんさ。俺たちは、子供が好きだから、結婚が決まってから作っただけのことさ。結婚式が後ろに伸びてしまったことで、まるでできちゃった婚みたいに思われているけど、俺にとっては、心外なことさ」

 と同僚に言われた時、そういって、ウワサを一蹴したという。

「あの時の、崇城君はさすがだと思ったね」

 と、その時の同僚はそういって、仏前に手を合わせていたのだ。

 そんな二人が結婚したきっかけが何だったのかというと、父親が、母親の勤めている会社に営業に行った時に知り合ったという。

 二人とも最初はまったく意識をしていなかったというのだが、意識していないうふりをして、実は父親は母親のことを、バリバリ意識していたというのだ。

「知らないのは、本人たちばかりなり」

 とでもいえばいいのか、父親は意識をしていないふりをしていたように見えたというが、本当は、そのことを本人自身も気づいていなかったというのは、さすがに母親の同僚もびっくりしたことのようだった。

 だが、まったく気づいていない素振りがそのままの母親は、まわりから、

「本当に鈍感なんだから、見ていて、こっちがイライラする」

 とばかりに、キューピット役を申し出る人もいたくらいだ。

「二人が少しは進展してくれないと、こっちは、気になって仕事なんかできやしない」

 とばかりにいうのだが、半分本音だったようだ。

 おせっかい焼きが多かった母親の同僚とすれば、

「うまく行かなくてもいいから、結果を出してほしい」

 と思っていたようだ。

 このまま煮え切らないままでいると、

「中には彼のことを気になっている人がいたりすれば、手を出せないでしょう?」

 とばかりにいうのだった。

 もちろん、そうであろう。結果待ちの方とすれば、精神的に穏やかではない。イライラさせないでほしいと思うのは、当然のことであろう。

 そんな二人の進展に一役買ったのは、パートのおばさんで、

「年の功よ」

 とばかりに、うまくお膳立てと、説得によって、デートにこぎつけることができた。

 もし、これが社内恋愛であれば、少しややこしくなっていたかも知れないが、取引先の相手だということであれば、いくら接点があるとはいえ、まったくやり方が代わってくる。

 同じ会社だと、会社にバレると、転勤させられたり、いろいろなよからぬウワサが飛び交ったりと、仕事どころではなくなる。

 しかも、人間関係がギクシャクして、ロクなことはないだろう。

「社内恋愛というものは、身近でいいと思うかも知れないが、一歩間違うと、ろくなことにはならないんだ」

 というではないか。

 そんな社内恋愛がうまくいく可能性というのは、どれくらいあるのだろうか?

 父親が一度話していた時、

「お父さんの会社は、社内恋愛で結婚したというパターンが一番多いからな」

 と言っていた。

 そのあとに、母親が、

「でも、社内恋愛というと、一歩間違えると、悲惨なことになるでしょう?」

 というと、

「ああ、それはね、話がこじれたりすると、転勤させられたり、変なウワサが残ってしまって、会社に居づらくなるということも結構あるんじゃないかな? お父さんの部下にも何人かいたりしたよ。男は転勤させられ、女性社員の方は、いろいろな誹謗中傷でいられなくなってしまったということがね」

「まあ、ひどい。誹謗中傷なんて」

 と母親がいうと、

「それは難しい問題だよね。男性の方を好きだった女性社員がいたとして、彼女だったら、しょうがないかと思っていたところで、破局して、好きな人が左遷させられたと思うと、自分がどうして諦めたのかを考え、それだったら、自分が積極的にいっておけばよかったと思ったとすれば、その不満は、彼女の方に向くんじゃないだろうか? 女性社員同士って、結構そういうドロドロしたものがあるんじゃないんだろうか?」

 と父親はいうのだった。

 最初は、ゆっくり話していたつもりでも、いつの間にか、男性側の主張と、女性の側の主張とで話が紛糾してきて、考え方がぶつかってしまったことで、言い争いのようになったのを思い出していた。

 そんな会社の問題でも、別に仕事のことでなければ、相手が子供であっても、別に話をしてもかまわないというところが、父親にはあった。

 子供と言っても、高校生になってからのこと。基本的に義務教育は終わっているのだ。

「分かって当然」

 とでも思ったのか、実に面白い父親だと感じた思い出があったのだ。

 そんな父親を母親も、面白いという目で見ていたようだ。

「お父さんは、会社に気になる女の子はいなかったの?」

 と、母親が、いたずらっぽく聞いた。

「うーん、いたといえばいたけど、いなかったといえばいなかったかな?」

 と言われた母親は、

「何よ、それ」

 と言って笑った。

「いやいいや、母さんが中途半端な聞き方をするからさ」

「中途半端?」

 と今度は、子供の頃の崇城が聞いた。

「ああ、そうだよ。お母さんがね? 会社に好きな女の子がいなかったの? って言いてくれれば、いなかったって即答するんだけど、気になる子って言われると、何とも言えないと思ってね」

 と父親はにっこり笑って言った時、まるで、相手をあざ笑うかのように思えたのだろうか?

 母親は、それを聞いて、黙っていられなくなった。

「ここで笑って話を済ませようかと思ったんだけど、ちょっと話を蒸し返しちゃおうかな?」

 と小悪魔的な笑顔を浮かべた。

 もちろん、崇城少年に分かるわけはなかったが、父親はどうやら身構えているようだった。

「好きな子はいなかったけど、気になる子はいたということよね? もし、私と結婚しなかったら、ひょっとすると、その人と、いい仲になっていて、ひょっとすると、今ここにいるのは、その子だったのかも?」

 というではないか?

 それを聞いて、崇城少年は、

「ええっ? それじゃあ、一歩間違えると僕じゃない子供がいたということ?」

 というと、

「何言ってるんだよ? そんなのあくまでも可能性の話じゃないか? 実際に俺は君と結婚して、そして生まれた子供がお前じゃないか? 今がすべてなんだよ。パラレルワールドが存在するかも知れないけど、そんなことを言っていると、誰にだって、別の可能性があるわけで、お母さんは、今別の男のところにいたかも知れない。もし、そうだったとしてだ、どれが悪い? あるいは、どれが正解なのかって、誰が言えるんだ? 今のこの世界では、実際に起こっていることが正解なんだよ。今が幸せだったら、それ以外の何を望むというんだい? お父さんがいて、お母さんがいて、お前がいる。これ以上の何を望むっていうんだい?」

 と言うのだった。

 父親を聖人君子だと思うようになったのは、確かその頃からだったような気がする。この時の父親の言葉に納得し、それ以降、父親の諭す言い方に対して、何も反論できない自分がいた。

「本当にお父さんって、いつも何かを考えているのか。すぐに答えが出てくるわよね。最初からこちらの質問が分かっているかのような気がするわ」

 と母親は言うのだった。

 それを聞いて、

「確かにそうかも知れない。お父さんって、話をしていて、こっちが何を考えているのかが分かっているのか、絶対にこっちが起こるようなことは言わないし、だから、いろいろな人がお父さんにアドバイスをしてもらいにくるんだけど、それを思うと、皆、満足して帰っていくもんね。特に、お父さんの親戚のおじさんなんか、皆そうだもんね」

 というと、

「それはそうでしょう。兄弟なんだから、よく分かるというものよね」

 と言っていた。

 お父さんの弟にあたる人が、相談にきて、

「好きになった人がいるんだけど、相手が長女なので、養子に来てほしいというんだけど、それを聞いて、両親に紹介するのが怖くて」

 ということだった。

「大丈夫だ。お父さんもお母さんもそんなに分からず屋じゃない。お前は兄弟の中でも、一番両親から可愛がられていたから、それを気にしているんだろうが、そこまで気にしなくていいんだ」

 と、アドバイスをした。

 ほどなく、おじさんは養子となって婿入りしたということだったが、今では、向こうの家業をしっかりと継いで、2代目社長として、活躍していると聞いている。

 そんなおじさんも、葬儀には参列してくれていた。

 葬儀自体は、父親の入院中の話として、

「大げさにする必要はない。親族だけで、しめやかにしてくれればいい」

 ということだったので、親族だけのものとなったが、それでも、父方の兄弟が、4人だったので、自然と、それなりの人数になった。父も分かってのことだったのだろう。

 葬儀も済ませたことで、結局母子二人が残される結果になった。

 二人で住むには広すぎると思ったのは、お互いに気を遣ってしまい、何を話していいのか分からずに、距離が離れてしまったのが問題だったのだろう。

 母親とすれば、放心状態で、表に出ることもできないくらいに憔悴していて、逆に息子としては、そんな母親の様子を見たくないという思いから、

「あまり家に帰りたくないんだ」

 と言っては、友達の家を遊び歩いていたりした。

 母親も、咎めることはしない。自分のことで精いっぱいだった。

「もう少し、俺のことも考えてくれたっていいと思うんだけどな」

 と言ってはみたが、どうなるものでもない。

 しかし、まさか父が死んだだけで、ここまでなるとは思ってもいなかった。それだけ、父親の存在は大きかったということだろう。

 友達としては不思議がっていた。

「どうして、家に帰りたくないんだい? お母さんと喧嘩でもしたのかい?」

 という。

 崇城少年とその友達は、今の時代では珍しく、二人とも、いい家庭に育ったというべきか、反抗期というものもあまりなく過ごしてきた。

 引きこもりもしたことはなく、ゲームにのめりこむようなこともなかった。

 だが、二人とも子供時代を何もなく育ってきたわけではない。親にも言わず、二人だけで、苦痛に耐えていたことがあった。

 二人は小学生の頃からの親友だったのだが、友達は小学四年生の頃に苛めに遭っていた。「家族には知られたくない」

 という彼のたっての願いで、崇城少年は、自分の親にも何も言わなかった。

 だから、崇城少年が彼を自分の家に連れてきたことはない。絶えず、友達のところに行っていたのだ。

 どうやら、自分の家にいて、友達とたいした時、母親に隠し通せる自信がないと、友達は思ったのかも知れない。

 今から思えば、友達の考えは当たっていたのではないだろうか? だから、高校生になっても、友達を頼るようになっていたのだ。

 小学四年生の時の友達に対するいじめは、自然消滅した。

 というのも、ターゲットが別の子供に移っただけで、要するに友達は、

「飽きられた」

 のだ。

 苛めを飽きてもらえるというのは、実に気楽なもので、放っておいても、被害はなくなるというものだった。

 だが、友達の被害がなくなると、崇城少年の心の中にポッカリと穴が開いたような不思議な感覚があった。

「お前が苛められなくなって嬉しいはずなんだが、何か、自分の中で、ムズムズした感覚があるんだ」

 と言ったが、友達も、そのことについては、

「俺もよく分からない」

 と言ってはいたが、今から思えば分かっていたのではないかと思えるのだった。

 友達とすれば、被害がなくなったのだから、手放しで嬉しいはずだ。

 崇城少年は、苛められていた友達を、必死で慰めて、自分が、

「助けてあげているんだ」

 という、

「上から目線」

 のような目で見ていたのだろう。

 友達はそれを分かっていたとしても、それ以上に苛めがなくなったことにホッとしているので、怒る道理はない。そういう意味で、友達に恨まれなかっただけでも、よかったと思うべきことなのだろう。

 高校生になった頃、やっと崇城にも、その時の心境が分かってきたような気がした。だが、いまさらこの話を蒸し返すようなことはしたくないので、心の奥にしまっておくことにした。それは、友達が、小学四年生の時にしてくれた、気遣いと、同じことだったのであろう。

 そんな友達のところに来ていると、安心できるのだった。

「何でも打ち明けた話ができる仲」

 だったのである。

 他の人には誰にも話していないが、死の間際に、父親が豹変した時の話を、彼だけにはした。

「うーん、何とも言えないけど、お父さんには、何か家族には言えないトラウマのようなものがあったんじゃないかな?」

「トラウマ?」

「うん、それも、二人に対してのものなのか、二人がお父さんに対して抱いているであろう思いをお父さんなりに考えた時、それが、死が近いということをお父さんが悟っていたとすれば、自分でも抑えきれないものになったのかも知れないな。だから、抑えが利かなくなって、自分でも、意識がなかったんじゃないかな?」

 というではないか?

 さらに、友達は、

「どっちの可能性もあると思うんだ。お父さん自体が二人に対して、疑念があった。あるいは、自分に対して何か悪いことを考えているんじゃないかという被害妄想のような発想だってありえることだろう? だけど、後者の方が、強いような気がするな。被害妄想というのは、普段から、開放的な人には、免疫のないものじゃないかって思うからね」

 という話を続けたのだった。

 それは、まさに、聞いていて、

「晴天の霹靂」

 であった。

 母親と父親との間には、何かぎこちないものがあるとは、前から思っていたのだが、それは、お父さんが一人で抱え込んだことで、大げさなことにならなかっただけなのかも知れない。

 以前、前述のような、

「お父さんのことが気になっていた女性がいたんじゃない?」

 という会話でもあったように、どこか、聞いていて危なっかしいところが、二人の会話にはあった。

「一触即発だったら、どうしよう」

 と感じていたのが、懐かしい。

 それでも、最期はうまく収まったのは、父親も軽い皮肉を込めることで、自分の中に遺恨を残さないようにして、さらに、母親に対してぎこちなかった反応をうまく収めることのできる会話は、実に素晴らしいものだと思っていた。

 だが、やはり、今思い出しても危なっかしいのだ。

 父親の言葉には、皮肉が籠っていて、

「ひょっとすると、母親の方が、うまくかわしているのではないだろうか?」

 とさえ思うほど、家族の間での父親の言葉には、起爆剤のようなものがあった。

 ただ、それは、相手が他人であれば、起爆剤がいい方に作用するのかも知れない。

 そんな父親に対して、

「どうして俺は、聖人君子のようだと思ったのだろう?」

 と、感じていた。

 いまさら、

「お父さんは聖人君子ではない」

 と思って、それまでの父親を思い返そうとするができなかった。

 きっと、

「お父さんが、もうこの世にいないからだろう」

 と思ったからだ。

「お母さんだったら、お父さんとの思い出を、いなくなった後でも思い出すことができるのだろうか?」

 と、考えたが、想像がつかない。

「じゃあ、直接聞いてみるか?」

 と考えたが、そんなことができるわけもなかった。

 ただでさえ、変に気を遣っているために、会話もできないどころか、友達の家に、

「避難」

 してきているではないか?

 そんな状態で話など聞けるはずがない。だが、知りたいことには変わりはない。一体どう感じているのだろうか?

 いつも帰宅するのは、母親が眠りに就く少し前。母親も分かっているのか、それとも、本当に会話がしたくないのか、崇城が帰り付くと、そそくさと、部屋に入って、もう出てくることはないのだった。

 だから、母親と顔を合わす時間はほとんどない。朝も、食卓の用意で、キッチンに入り込んでいるので、どちらかが話し掛けることをしないと、会話にならない。

 そちらかが話しかければいいのだろうが、崇城が話しかけることはない。

 当然母親も話しかけるような様子もない。なぜなら、後ろを向いているわけだから、話しかけるとすれば、最初からぎこちなくなるのは分かり切っている。

 それに、子供の会話をどうすればいいのかなど、分かるはずもなく、密かに食事の用意をしているだけになってしまうのだ。

 今までは高校生で、受験生ということもあり、気を遣うという言い訳があったが、今度は大学生。気を遣うこともないので、話しかけていいのだろうが、却って、何をどう話しかけていいのかが、まったく分からないのだ。

 お互いの会話がなくなって、どんなに殺風景なのか。

 何か音楽やテレビでもつけていればいいのだろうが、そもそも、朝食の時にテレビを見るという習慣が、崇城家にはなかった。

 ただ、これは、崇城家に限ったことではない。昔であれば、家長である父親が、

「食事中にテレビなんか、見るんじゃない」

 と言っていたと思うのだが、今では、そもそもテレビをつけていることはない。

 どちらかというと、最初は、息子がケイタイをいじったりしていたのだろうが、スマホが普及してから、父親もスマホを見ている。

 父親と息子の目的はまったく違うものなのだが、やっている格好は、まったく同じだっだ。

 そもそも、昔の、特に昭和の時代の朝食の風景というと、テレビがついていて、父親が新聞を読んでいる。しかし、スマホが普及してからというもの、ニュースはスマホで読めるのだ。

 だから、新聞を取る必要もなく、朝食の食卓に、新聞が消えた。

 新聞など、読んでしまえば、それこそ紙ごみでしかない。昔なら、

「古新聞古雑誌は、トイレットペーパーと交換します」

 などという、

「毎度おなじみのちり紙交換」

 というものがあったが、今では、ペーパーレスの時代。紙を使うのは、ほとんどなくなってきた。

 スマホで新聞が読めるので、電車の中の通勤ラッシュで、新聞を畳んで読んでいる人もいない。そういう意味ではよかったのだろうが、新聞がなくなると、広告の問題であったり、新聞屋さんが契約をしている、プロ野球や、芸能プロダクションなどの、割引券であったり、優待券などがもらえなくなるということもあるだろう。

 それも、ある意味、

「古き良き時代」

 だったのではないだろうか?

 食卓の変化も、そういう意味では、

「いつの間にか、こんなにも、まるで別の文化のようになってしまったようだ」

 と感じるほどになっていた。

 まだ、崇城は、苛めに遭ったり、そのために、引きこもりになったり、不登校になったりすることはなかった。

 昔は引きこもりなどというものもなく、今では不登校と呼んでいる言葉も、昔は、

「登校拒否」

 と呼んでいたものだった。

 そういえば、今の時代は、ニュアンスは少しだけ違うが、似たようなことでも、違う言葉を使うことが多い。

「登校拒否と、不登校」

 などもそうである。

「熱中症と、日射病」

 これは、似たような意味で考えられるが、実際には、別のものだったりする。

「副作用と副反応」

 これは、副反応が、スッポリと、副作用に含まれるものだが、これも、謎の伝染病が全世界で流行した時のワクチン接種の影響で、

「副反応」

 という言葉がクローズアップされてきたのだ。

 それまでは、副反応も含めて、副作用という言葉で片付けられていた。

「ワクチンや予防接種などに限って、副作用のことを、副反応という」

 という理屈である。

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