倦怠期の終わり

nullpovendman

短編

「発電しようよ!」

「何それ、流行っているの」


 恋人である“シオ”こと軽井沢しおりが発した言葉に私は眉を顰める。

 意味が分からない。


「え、あさちゃん、知らないの。流行っているどころじゃないよ。もう人類は発電を口実にセックスしかしていないと言っても過言じゃないよ」

「ああ、セックスしようという意味なのね……」


 あさちゃん、と呼ばれる私、夜明朝子は、シオの手を取り、自分の頬に当てる。

 伝わる熱をゆったりと感じてうれしく思うのは、私がシオのことを好きだからだ。

 うるむ目を見つめ、シオの手を顔から離し、指にキスをする……が、これ以上のことを続ける気はない。


「研究所にいるんだから、あまりいちゃつくわけにもいかないでしょう?」

「誰もいないし、どうせ誰も来ないじゃん」

 確かにここ数か月、私以外の研究員が来ることは数えるほどしかなかったけれど。

 職場とプライベートの空間は分けたい。


 私、夜明朝子は働かなくても生きていけるこの2121年の現代で、仕事を生きがいにしている数少ない人種だ。


 2100年ごろ、科学の進歩により、労働が完全に不要な世界が訪れた。

 技術革新により、人間が好きなことだけをしていればいいという世界が訪れたものの、化石燃料がほぼ枯渇したということは誤算だったと言えるだろう。

 ロボットがあらゆる生産行為を代替するようになったが、火力発電では必要な電力を賄えない。

 水力発電や太陽光発電では土地という制約がある。

 原子力発電は、市民の総意により拒まれた国が多い。

 どうしようもなくなった各国の政府は、進歩した科学技術をもとに「人類総電池化計画」を押し進めることになった。

 これは、人類のあらゆる行動を発電に利用するものである。


 温度差を利用して発電する素材を使ったスーツを着込むことで、じっとしていても体温を利用して発電が可能である。

 靴やカバンなどには運動エネルギーを電気へ変換する装置をつけてある。

 わかりやすい発電行為で言えば、ジムで自転車をこいでの発電などが推奨された。

 あらゆる行動が発電につながるというのは大げさではなく、当然のことながら、それにはセックスも含まれた。

 ベッドに振動を電気に変換する装置を取り付けるだとか、運動エネルギーを変換するだとか。詳しくは語らないが、とにかくそういうものを利用したのである。

 個々人に課された年間の発電量さえ守っていれば、ベーシックインカムで生活でき、労働が不要な世界で、人々は堕落した。

 堕落した人間たちが、効率の良い発電としてセックスに明け暮れるようになったのはいつからだっただろうか。実際、時間当たりの発電量は良かったし、快楽を伴うために継続がたやすい。

 夫婦、恋人はもちろん、独身者も発電のために出会いを求め、堕落した日常のために、快楽をむさぼった。


 ◇◇


 シオと出会ったのは、一年前だった。

 あのころは研究所に私以外の人間がまだかろうじて出社していた。

 研究所に出社する途中で、路地裏で女の子の声がした。

「やめてください!」


 腰に下げた武器の電源を入れて、周囲に警戒しながら近づいていく。

 男女問わず、強引なナンパをする人が増えたため、私はスタンガンを常備しているのだ。

 世界が終わりつつあることを見ないことにしていたとはいえ、堕落し、ゾンビのようになった人から身を守る術を準備する程度には、私は現状を認識していた。


 手首をつかまれた女の子に、うつろな目をした金髪の男が、いいだろ、ぐへへ、いいだろ、とぶつぶつつぶやいている。

 いいわけないだろ。

 男の視界から外れるようにそっと回り込んで、首にスタンガンを押し付けた。

 かえるのような悲鳴をあげて、金髪は意識を失った。


「へ?」

 女の子は、金髪かえるが何者かに退治されたことに気づいた。

 つかまれた手をさすりながら、こちらに顔を向けた。

「あ、お姉さんが助けてくれたんですね。ありがとうございます! セックスしましょう!」


 なんだこいつ。


 強引にセックスに持ち込もうとする男から助けた女の子に、即セックスに誘われるという経験をした私は、混乱していたのか、とりあえず、この場を離れることを提案した。


「私は夜明朝子。この近くの研究所で働いているの。とりあえず、移動しない?」

「アタシは軽井沢しおりって言います。シオって呼んで下さい!」


 シオを研究所に招いた私は、二人分のコーヒーを淹れ、来客用のテーブルに置いた。

 運命の相手を探して旅をしているとかで、終わりつつある世界で生きにくそうな、変わった子だという印象を受けた。

 男には興味ないということをあけすけに話してくる、距離の詰め方に、若さを感じた。

 別に私が若くないわけではない、と思いたいけれど。


「泊まるところがないなら、うちに来る?」

「いいんですか? ぜひ! セックスしましょう!」

「しないわ」


 シオの話を聞きながら、人恋しさを感じてしまった。懐かしい感覚だ。

 こうやってじっくりと人と話すこと自体が久しぶりだった。

 そのせいで、うっかり自宅に招いてしまった。出会ってしまったのが運の尽きと言えばいいのか、運命と言えば聞こえがいいのか。

 この日以降、シオは自宅や研究所で私について回るようになった。

 男どもから自衛する手段は持っているものの、同性に向かって使う気もしなかった。

 側にいることは許可していたし、シオはセックスと口にするわりには身の危険を感じなかった。

 まともに会話するような友達も少なくなってきたので、セックスはするつもりはないことを伝えて、しばらく話し相手になってもらうことにしたのだ。


 結局、だんだん絆されていって、結局なし崩し的に体の関係まで行ってしまったのは誤算である。


 ベッドの上でシオがつぶやいた。

「結局さ、働かなくても生きていけるようになっても、まだ仕事をしたい、なんて殊勝な人間はいなかったわけじゃん」

「私がいるだろ」

「そっかぁ、あさちゃんは日本で最後の仕事人間だね」

 シオはけらけらと笑いながら、私の髪を触ってくしゃくしゃにしている。


 人類はどうしようもなく終わってしまった。

 今さら何を研究するっていうんだよ、と自分でも思っている。科学の発展の果てに、ある意味で原始的な時代がやってくるとは。


 私は研究者のかたわら、オタクをやっていた。

 バリバリ創作をするタイプのオタクだ。

 いつのまにか、創作をしようという人間も減ってしまって、私も熱意を失った。

 もう一度、わいわいと盛り上がれる世界を取り戻したくて、研究の方向性を切り替えた。

 人類が快楽以外の生き方を見つける研究だ。

 科学こそが現状を生んだのだから、私が研究すべきは、もはや科学ではないのだろう。

 高度に発達した科学が魔法みたいに堕落を生んだなら、魔法を使ってもう一度、世界を戻してやる。

 魔法少女になってやるのだ。


 日光とやる気の関係だとか、習慣を変える方法だとか、昔流行ったアニメを見せるだとか、研究対象はいくらでもいるし、名義だけ残っている研究員に協力してもらいつつ、堕落した人類を救う方法を探していた。

 結局、見つかってはいない。

 この世界でまともに見えるのは、もはやシオくらいだ。


 シオもこの世界になじんでしまったのか、盛んにセックスを要求して来るが、拒んだとしてそれ以上押しては来ない。


 シオが来てから、日々が少しにぎやかになったように思う。

 研究には先が見えないし、息抜きを兼ねてなんか恋人らしいこともしてみた。

 動物園に行って、シマエナガを見るとか、水族館に行って、イソギンチャクを眺めるとか。

 千葉にある有名な遊園地、東京ヘルシーランドに行ってみたりもした。

 マスコットキャラのバキバッキーの着ぐるみは、すみっこに捨てられていた。中に入る人がいないせいで、もぬけの殻だった。

 人がいない分、ササミスプラッシュや、カリフラワーの山賊、空飛ぶユンボなんかを行列なしで堪能できた。

 思い出の中の東京ヘルシーランドはにぎやかで、いたるところに笑顔の花が咲いていたものだった。今はガラガラで、寂しさも感じるけど、それでも、シオが隣で笑っているだけで十分だった。

 隠れバキバッキーも三匹見つけたし、満足だ。


 ◇◇


 しばらく続いた代わり映えのない生活に、変化が訪れた。


 シオの家が取り壊しになるらしく、三日ほど家を空けることになったのだ。

 一人でいることには慣れていたはずなのに、シオのいない家は広く感じた。

 ついて行こうかとも尋ねたが、断られた。必要なものを取りに行って、あとは処分するだけなので、特に人手はいらないらしい。

 最近の人類はみんなそうだけど、シオも家にほとんどものがないらしい。

 たくさんの趣味があって物があふれていた時代とは異なり、オタク以外の人間はコレクションもしないらしい。それは元々かな。


 私はシオのことをあまり知らないし、シオに私のことを教えてもいない。

 もっとお互いを知るべきかもしれない。


 少しの本(卒アルかな)と化粧箱、アクセサリーケース、鉢植えの花を数個だけ持って戻って来たシオに、私は話を聞くことにした。

「ねぇ、私、シオのことをもっと知りたい」

「うん、いいよ」


 それから、シオの好きなことを知り、幼少期からのエピソードを知った。

 両親を失った話や、実らなかった初恋の話を聞いた。


 シオが私の話を聞きたがったのは当然の流れだろう。


「そういえば、あさちゃんは何を研究しているの?」

「あー、端的に言えば、世界を救う方法かな」


 つまらない世界に彩りが欲しくて、報われていない研究をしていることを語った。

 案外、心細く思っていたのか、話しながら涙が流れてきた。

 シオの胸にうずくまって、落ち着くまで抱きしめてもらった。


 シオの方がつらい人生だったと思うのだけど、私は同じことをできていない。


「アタシはきっと、あさちゃんにこうするために生まれてきたんだよ」



 寂しい街が変化する契機は突然訪れた。

 花をめでる文化が突然花開いたのだ。

 きっかけは、シオが気まぐれに持ってきた鉢植えを玄関前に飾っていたことだった。

 どうせナンパ以外で外に出る人間はほとんどいないから、邪魔になることもないだろうと、適当に放置していたら、意外と興味を持たれたようで、真似をする人間が少しずつ増えていった。

 気がつくと街は花であふれていた。


 発電とはあまり関係ないというところも良かったのかもしれない。


 花を育てるブームは、瞬く間に広がった。

 新しい品種をつくり、咲かせ、嗅ぎ、食し、批評しあう。

 食べるのか。

 まあいいや。


 人々の目に光が宿って街に活気が出たのは、いつ以来だろう。


 シオとデートでタンポポをのっけた寿司を提供する屋台を回りながら、花の品評会をめぐる。

 人の営みってすばらしい!



 けれど、ブームは長くは続かなかった。

 いや、まあ、当然っちゃ当然だろう。

 そもそも、季節が変わったら一年草は枯れてしまうし、多年草でも花が散らないものは少ない。

 刺身の上に乗っているのは本来、タンポポではなく菊である。


 品種改良されたタンポポは美味しかったが、私もタンポポ寿司には飽きてきていたし、デートなら寿司屋じゃなくて、もっと遊園地とか行きたい気がする。

 シオを誘って遊園地でも行くか。


 私たち以外いない遊園地で観覧車に乗り、サンドイッチを食べる。

 シオは意外と料理が上手い。


 観覧車からは前に行った動物園が見えた。

 人間は実は動物園で飼われているこいつらと同じような存在なんじゃないだろうか。

 もう、魔法は諦める頃合いなのかもしれない。



 ◇◇


 オーストラリアでカンガルーの研究をしているアフロの男、佐藤から連絡が来たのは、人間がまた堕落した生活に戻ってから、しばらくした頃だった。

 テレビ通話のソフトウェアを起動して、アフロが動く様子を眺めている。


 アフロはカンガルーとよろしくやっているらしいが、私は研究熱意を失ったことを嘆くばかりだ。


「もう人類は終わりだ。私も獣みたいな生活を送るしかない」

「人類が文明を失っても、問題なく世界はまわるからな」

「アフロは達観しているなぁ」


 コン、コン、とノックの音がする。

 シオが起きてきたようだ。入室許可の返事を返すと、シオは部屋に入ってきた。


「目が覚めちゃった」

「そう」

「誰これ。浮気?」

「こんなアフロと浮気はしないよ」

「ふうん。ま、あさちゃんに触れていいのはアタシだけだよね」


 シオは私の後ろから寄りかかり、髪を吸い始めた。


 しばらくアフロを無視してシオをかまっていたが、通話は切れていなかった。

 映像も切り忘れていたが、アフロにみられて困るようなものでもない。


 思い出したように画面を見ると、アフロが鼻血出してやがる。

 なんだこいつ。


 鼻にティッシュを詰めたアフロが、聞き取りにくい声で言い訳する。

「久々に見る百合に感動しちゃって」


 本当になんだこいつ。

 カンガルーにしか興奮しないのかと思っていた。


「そういえば、俺は昔、百合のオタクをやっていたんだ。なんで忘れていたんだろう」

「オタク特有の唐突な自分語りじゃんか。今でも立派なオタクだよ」

「あさ×シオ本書いてもいいよね。答えは聞いてない」

「いいわけないだろ」


 やっぱアンタ、ずっとオタクだっただろ。

 それにしても私がタチなのか。解釈は自由だが、実情とは真逆だ。


「世界に君たちの百合を配信してみない?」

「やだよ。恥ずかしい」

「一日一回、いちゃつくサマを編集して投稿とかでいいから」


 アフロの馬鹿な提案に対して、シオは乗り気だ。

「アタシはいつでも大丈夫だよ。ほら、ちゃんと爪も短くしているし、体毛の処理も完璧だし」

「生々しいことはやめろ。だいたい、セックスを配信するわけではないからな」

「あれ、そういう話じゃなかったっけ。でも、何かやってみないと人類は救われないよ?」

「私たちを見て救われるとは思えないけどなぁ」

「少なくとも俺は救われるぞ」

「うるさいよアフロ」


 そうして始まった「あさとシオの百合チューバー活動日記」に、アクセスが集まるのにはそれほど時間はかからなかった。

 信じられん。

 世界に百合のオタクが増殖した。

 百合のオタクというよりは、私とシオのオタクかもしれない。


 あさとシオの百合同人は毎日たくさん作られる。

 ただ世界を救いたかっただけなのに、世界的なジャンルになってしまった。

 どうすればいいんだ。

 世界を救いたいとか傲慢なことを言ってすまなかった。

 公式世界が病気。



 思っていた方向と違う夢のかなえ方をした私は喜んでいると同時に、落ち込んでいる。

 シオは、落ち込む私を、恋人っぽく励ましてくれる。


「科学はさ、人の弱さには勝てなかったけど」

「うん」

「百合は科学よりも強いからさ、だから」


 百合は確かにすごいのかもしれない。堕落を生んだ理想世界すら、ひっくり返そうとしているのだから。


 人類は労働を手放したことであり余った時間を手に入れた。

 自分の人生と向き合いすぎて、いつしか人生という相方とは倦怠期を迎えた。

 飽きてしまった先に、たまたまブームとなったのが百合だっただけなのだろう。

 倦怠期を乗り越えた人類は、きっとまた、創造性を発揮して、新しい世界を作っていく。


 私はどうだろう。

 この先、こいつと一緒に過ごして、もし倦怠期を迎えても、付き合っていけるだろうか。



「計画の成功を祝して、ごほうびのチューをくれ!」

「仕方ないな」

「お、珍しい。じゃあ今夜は張り切っちゃうぞ!」


 シオとなら大丈夫か。

 私たちの夜は更けていく。

 百合は多年草だから、散ってもまた咲ける。


(了)

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