第六話 生命なき物体、死ならざる存在

 旅に出て六年ほど経ったころから、サナギの右膝の調子がおかしくなり始めた。歩行時には足をひきずり、手すりをつかまねば階段の上り下りができず、平地でも頻繁に転倒した。

 結果の出ない廃墟の探索はずっと以前にやめてしまっていたが、消耗品や“食糧”の回収は、いまだにサナギが行っていた。サナギをひとりで行動させるのが不安になったカミーリアは、それらの回収作業を夜間に移し、なるべく自分も同行するようにした。

 旅先の廃屋では、サナギの“姉妹”たちを何度か目撃していた。円筒形の胴体に柔軟な操作肢を持つそれらの“姉妹”たちの姿は、サナギとは似ても似つかず、いずれも最後に命じられた作業の途中で機能を停止していた。

 その晩も、塵とクモの巣だらけのブティックで新しい衣類を物色していたときに、サナギは足を滑らせて、押していたショッピングカートごと転んだ。カミーリア好みの黒モスリンのドレスや、サナギに着せるために選んだエプロンドレスが、埃まみれの床に散らばった。

「大丈夫?」

 思わず駆け寄ったカミーリアに、サナギは地面に手を突いたまま答えた。

「右膝の動作機構に不調があるようです。大した障害ではありませんが、メンテナンスの必要があります」

 カミーリアは安堵の溜息をついて、サナギの膝をさすった。

「仕方ないわね。しばらく、歩き仕事や立ち仕事はあたしに任せて、あんたは養生なさい」

「ありがとうございます。ご期待にそえず、申し訳ありません」

「心配しなくても大丈夫よ。こう見えても、あたしはあなたより、ずっと力持ちなんだから」

 けれども、いくら休ませてもサナギの膝はよくならず、しまいには、松葉杖なしでは歩くのもままならなくなった。家庭内の雑用向けに作られた機械人形に、さんざん瓦礫の中を歩き回らせたり、明らかに、最初の数年間で酷使させ過ぎたのが原因であった。

 なんとか修理できないものかと、カミーリアはカッターとネジ回しを手に、サナギの膝の外装を開いてもみた。しかしながら、十分の一ミリ単位で複雑に絡み合う微小な電磁アクチュエーターから構成された擬似筋肉は、カミーリアが漠然と想像していたような単純な歯車仕掛けとはまったく別物で、手の出しようがなかった。修理どころか、無理に外装をはがしたことで、サナギの右膝は完全に壊れてしまった。

 右膝が壊れると残された左膝にも負担がかかり、たちまちサナギは歩行不能に陥った。


 サナギの足が動かなくなったことで、カミーリアの旅も終わりを告げた。

 ふたりはすでに大陸を横切って東海岸に到達しており、海辺にあった小さな教会の地下に居を構えることにした。潮風はサナギの体によくないのではとカミーリアは案じたが、家事用機械に塩水にさらされたぐらいで錆びるような部品は使われてないと、サナギは答えた。

 それからは、サナギを歩けなくさせてしまった償いのように、カミーリアは車椅子でサナギを運んで、教会の近所を散歩させた。

「あなたがいてくれて、よかったわ。きっと、あたしひとりじゃ寂しくて耐え切れなかったものね」

 海岸沿いの道で車椅子を押しながら、カミーリアは述べた。ふたりが出会ってから、十年近い歳月が流れていたが、カミーリアは少女の姿のままであった。おそらくは、これから何百年も少女の姿を保つのであろう。

「でもね、ときどきはこう思うの。あのままずっとキッチンの床を磨いてた方が、あなたにとってはよかったんじゃないかって。

 ――あんなに綺麗だったあなたを、こんなにボロボロにしちゃって」

「お心遣いありがとうございます。でも、不死者であるお嬢さまとは違い、わたしは基本的に消耗品ですから。使用を重ねれば、劣化していくのは当然です」

 サナギの返事に、カミーリアは首を振った。

「いいえ。あたしのためにあなたを犠牲にしてしまったことは、やっぱり間違ってたと思う」

「お嬢さまは、これから何千年も生きていく方です」サナギは静かに答えた。「その何千年の中で新しい体験を重ねていくうちには、この十年間など、取るに足らない思い出のひとつになります。でも、もしよければ、その何千年の中で、ときどきは若き日の友のことを思い出してください。それこそが、わたしにとっての“不死”です。それ以上は、なにも望みません」

 サナギのその言葉が、過去十年間の自分との会話で築き上げられた対話システムのマトリクスから、この状況に対する最適解として機械的に構成されたものであることは、カミーリアも理解していた。

 なのに、なぜサナギの言葉はこんなにも優しいのか、温もりがあるのか、心に響くのか。

 その理由が、カミーリアにはいくら考えてもわからなかった。カミーリアには、その優しさや温もりとは単なる心の鏡にすぎず、機械人形の言葉を受け止める彼女自身の内部にあることには、思い至らなかった。

 生命なき物体を車椅子に乗せて、死ならざる存在は、夜明けが近づくまで海辺に佇んでいた。





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