第三話 女の子はみな蛹である

「またネズミ?」

 ダイニングテーブルに置かれた檻の中でキーキーと鳴きわめくドブネズミを見て、カミーリアはうんざりした表情を浮かべた。

「はい、ネズミです。お嬢さま」檻を運んで来たサナギが、テーブルの脇で一礼する。

「ま、いいけどね」必死に抵抗するドブネズミを檻から引きずり出しながら、カミーリアは溜息をついた。

 ドブネズミの体を両手で鷲づかみにして、その見るからに不潔な毛皮に牙を食い込ませる。ネズミの血など、貴族の末裔としての体面を損なう食べ物だったが、不死者といえども食べずには活動できない。

 不快きわまる液体がカミーリアの喉をくだるにつれて、激しかったドブネズミの動きが間欠的になっていき、ぴくぴくと手足をふるわせて、息絶える。

「まずい!」不機嫌の色もあらわに一匹目の吸血を終えると、カミーリアは干からびたネズミの死骸を床に叩きつけた。

「ご期待にそえず、申し訳ありません」サナギは頭をさげて死骸を拾い上げ、次の檻を差し出した。ネズミの捕獲も、死骸の始末も、サナギの仕事であった。

 人間が消えたあとの下水道はドブネズミの天下となっており、下水口近くに捕獲器を設置すれば、いくらでも新鮮なドブネズミが集められた。しかしながら、カミーリアが待望する人間の方は、一向に見つからなかった。


 例の三人家族のリビングにカミーリアの棺が据えられてから、はや二年が経とうとしていた。

 カミーリアが根城に選んだこの家には、幸いにも太陽電池パネルの設備があった。快晴の日を選べば、サナギの腰部にしつらえられた電源ソケットから、小一時間で五日分の電力を充電できた。

 サナギは、日中には周辺の廃屋をしらみつぶしに捜索し、生存者を探してまわった。カミーリアは闇雲に探し回らせるだけでなく、積極的におびき寄せようと、あちこちで発煙筒の煙をあげさせたり、低出力のラジオ放送による呼び掛けもおこなわせてみた。収穫は皆無であった。

 最近では、カミーリアはほとんど人間の発見を諦めていたが、それでもサナギによる毎日の捜索は欠かさなかった。二年も放置されると、どの住宅の庭も草ぼうぼうとなり、爆心地側の屋根は落ちて壁は崩れ、とても人間が潜んでいるようには見えなかったが、サナギにそういった判断をする能力はなかった。

 夕暮れが近づくと、サナギはドブネズミの捕獲器を回収して根城に戻り、女主人が目覚める前に家の中を掃除して、ドレスのほころびを繕い、食事の支度をした。


 さらに三匹のドブネズミの血を吸って、カミーリアは食事を切り上げた。空腹でなければ、とても飲めた代物ではない。

「まだ五匹ほど残っておりますが、いかがなさいますか?」

 サナギの質問に、カミーリアは鷹揚に手を振った。

「逃がしてやりなさい。ドブネズミだって命あるものなんだから」

 主人の命令に従い、サナギはドブネズミの檻を家の近くの側溝まで持っていき、蓋を開いた。するすると脱け出したドブネズミたちは、大慌てで夜の闇へと逃げ込んでいった。

 続いて、サナギはドブネズミの死骸を入れたバケツを裏庭へ運んだ。シャベルで穴を掘って四匹の死骸を埋めると、その上に小さな塚を作った。裏庭には似たような塚が何十個も並んでいた。一番端には、二年前に築かれたひときわ大きな塚があった。


 サナギが戻ってくると、リビングの棺で読書にいそしんでいたカミーリアは、ぱたんと本を閉じた。

「退屈よ。たまには、そっちから質問でもしなさいな」

 夜間はカミーリアの隣で待機して、とりとめのないお喋りに反応を返したり、気まぐれに言い付けられる用事に対応するのも、サナギの役目だった。“質問をせよ”と命じられたサナギの対話システムは、もっとも基本的な質問文テンプレートのひとつを選択した。

「お嬢さまは、なぜ、わたしにサナギという名前を付けたのですか?」

「女の子はね、みんなさなぎだからよ」

「いいえ、女の子は蛹ではありません」

「どうせ、あんたみたいなバカにはわからないだろうと思ったけど――

 ――いいこと? あなたは蛹で、あたしも蛹。春がくれば、蝶になる蛹。固い殻にくるまれて、春がくるのを待ち続けるの。今は木の枝に縛られた醜い塊でも、いつかは蝶となって大空へ旅立っていく。それが、女の子たる者の宿命なの」

「申し訳ありません、発言の意図がわかりかねます」

「あせらなくても、いずれあんたにもわかる日がくるわよ。あとね――」

 毎日の廃墟探索ですっかり薄汚れたサナギのメイド服を、カミーリアはちらりと見た。

「――サナギも機械とはいえ、女の子の端くれなら、少しは見てくれに気を使いなさいな。だらしない使用人を持って恥をかくのは、主人のあたしなんだから。

 いずれ人間を見つけて新しく一族を増やしたら、あたしは吸血鬼仲間の社交界にデビューしなきゃならない。そんなとき、あんたみたいなみっともないメイドを連れ歩いてたら、どうなると思う?

『おいおい、えらくしょぼくれた娘がいるぞ。一体、あの田舎娘はどこから紛れ込んだんだ?』

『ああ。あの子がカミーリア様のお気に入りのメイドだそうよ』

『なーんだ。あんな娘を小間使いにしてるようじゃ、カミーリア様もお里が知れる。爵位の方だって怪しいもんだ』

 こういうことになるのよ?」

「申し訳ありません、お嬢さま」

「ま、許しといてあげる。誰でも生まれながらの器ってものがあるし、いきなり多くを望むのは酷だものね」

 カミーリアは身を起こすと、棺の底板の頭を置いていたあたりを、ぽんぽんと叩いた。

「膝枕をなさい」

 サナギが言われるままに棺の中で正座する。カミーリアがその上に頭を落とす。サナギの膝の感触が、カミーリアは大好きだった。この膝の製作にあたっては、憎むべき人間どももいい仕事をしてくれた。

 サナギの太腿に後頭部を押し当てながら、カミーリアは先ほど発した言葉を、ぼんやりと反芻した。

 人間。新しい一族。そして、吸血鬼の仲間。

 カミーリアの一族は彼女を残して死に絶えたが、ひょっとしたら、吸血鬼そのものも滅びたのであろうか。もしそうならば一大事だ。不死者の血脈を絶やしてはならない。

 この地域の放射性降下物はある程度落ち着いたとはいえ、まだまだ人間が生活できるレベルには程遠い。その上に、二年待っても外部からの調査隊や捜索隊さえやってこないということは、おそらく戦争以前の人間の文明は、ほとんどが灰燼に帰したに違いない。これ以上、この場所で過ごしても無駄であろう。

 それでも大陸の反対側まで行けば、少しは人間が生き残っている可能性はある。ことによると、集団で居住地を作っているかもしれない。吸血鬼の王国を築き上げる、またとないチャンスだ。

 サナギの心地よい膝からむくりと起き上がり、カミーリアは簡潔に告げた。

「サナギ、旅に出るわよ」





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